おとう行く2001年3月9日〜23日
きっかけはは Dスケのフランス留(遊?)学。
新婚旅行用に取った数次旅券を 二度と使うことなく20数年。
日本の全国津々浦々を歩いたと豪語して憚らない 外国嫌いのおとうが やっと重い腰を上げた。
いくら奥さんが誘っても絶対行かなかったくせに。
行くとなったら パリとローマが見たい。ポンペイも行ってみたいって?
ウン十年ぶりの旅行の手配は 新しいこと尽くし。
一番ビックリしたのは格安航空券の出現。
見よう見まねで 航空券は “歩き方”、ホテルは“アップル ワールド”で手配した。
最初のパリだけ かってちょこっと席を暖めたことのある会社の後輩でもあり
息子の野球チームのママさん仲間でもあったTちゃん(いまだ現役)のコネを使ってもらって
ニッコー・ド・パリ(今はもう 名前が変わってしまって、寂しい)
大腸の手術をして自宅療養中の父に後ろ髪が引かれるけれど
当の父は お餞別まで持たせて送り出してくれた。
まだ 直行便が無かった時代 初めは ドイツやアメリカ、 後年は アフリカや中国、東南アジアへの
出張のついでに あちこち歩いてたらしい父。お土産話を楽しみにしててね。
ポンペイの遺跡
9日(金) パリ ニッコー・ド・パリ |
AF275(12:50/17:20) |
成田から飛ぶのも ヨーロッパの直行便も 何でも 初めてづくし。 全くの個人旅行だから緊張する〜。錆びついた英語と習いたてのイタリア語、大丈夫かいな。 空港に迎えに来ているはずのDとなかなか会えない。 到着ターミナルがころころ変更して あちこち行ってたらしい。 涙の再会も無く、フツー。 男の子ってこんなもん? 日航系のホテルなのに 初っ端から英語の応対。 簡単な単語がスッと出てこなくてあせってしまうわ、全く。 ブロイラー状態でお腹も減ってないが 息子を気遣うおとうがホテルのレストランで夕飯しようと言う。 はいはい。 |
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10日(土) パリ |
市内 |
フロントで市内観光ツアーを紹介してもらって 乗り合いバスで名所巡り。たどたどしい日本語を操るガイドさん。親切で面白かった。 午後は オルセー美術館。 イタリア語仲間のフランス人の友人は ルーブルよりオススメって言っていたっけ。 カルチェ・ラタンも歩いてみる。 学生時代を思い出す懐かしい響きーカルチェ・ラタン |
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11日(日) パリ |
ヴェルサイユ宮殿 |
ヴェルサイユ宮殿も乗り合いのツアーで。 ヴェルサイユのバラの記憶をたどりつつ・・。 モンマルトルの丘はパリのイメージそのもの。 似顔絵書きのイーゼルが建ち並ぶ。 |
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12日(月) ローマ サン・レモ |
AF1604(11:10/13:15) AF1804(12:35/14:40) ローマへ |
ローマ行きのチケットは東京とディジョンから別々に手配したから、同じ便が取れなかった。 駄目もとでAFのカウンターで交渉してみる。 私たちの券はいわゆる格安なので変更不可、だけどDのは変えてくれるらしい。 でも 生憎今日は満席。 歳を重ねるってすごい。 ブロークン英語が炸裂。 母は強し、おばさんは強し! 結局 一つ後の便に乗れたし、帰りは一緒。 良かった〜。 空港から市内までは J○Bのカウンターで ハイヤーを手配してもらった。 黒服でこわもてのお兄さんがベンツをぶっ飛ばす。あっという間に サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会。 ここからホテルは目と鼻の先。 チップに “Grazie”と にっと笑ったおにいさん、前歯が抜けて 愛嬌あるお顔だった。
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13日(火) ローマ |
市内 |
憧れのバチカンへ行く。 ぽつぽつ降り出した雨に 不本意ながらタクシーに乗る。 サン・ピエトロ広場に着いた頃は 土砂降りになり 回廊に雨水が流れてくるほど。 小降りになったとき 走って寺院の中へ。 その大きさ、その華麗さ、荘厳さに圧倒される。 ミケランジェロが設計したと言う大クーポラの窓から光が差し込んで 青空が見えてきた。 エレベーターでクーポラまで上がり 教会内の人々を上から眺めて さらに 330段登ってテラスへ出た。 四方八方見渡せる。息を切らしてきた甲斐があったと言うもの。 この後何度かバチカンを訪れたけど 330段の壁は厚い。 スペイン広場のあたりにブランド街があるらしい。 何しろ30年近く前に来た時以来だから 何も分からない。 妹に頼まれたお財布を買わなきゃいけない。Fendiのなんたら。 グッチも プラダも 何処もかしこも 日本人だらけ。 しかも みな若い。 ただでさえ若く見られる日本人、不思議だろうね。 ホテルの近くのリストランテは 近所の人が気軽に食べに来てる家庭的なお店。 生ハムが特に美味しかった。 Dが一緒だから いろいろ頼めてうれしい。 |
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14日(水) ローマ |
ポンペイ |
今日はナポリ・ポンペイへバスツアー。日本語ガイド付。 朝早い出発だったから 途中からみんな爆睡。 ガイドさんは日本語を話すイタリア人女性。陽気で元気で 楽しかった。 南イタリアはコートも要らない上天気。 ガイドさんに連れられて古代都市ポンペイの遺跡を歩き 近くのリストランテでみんなでお食事。 変哲のないトマトソースのスパゲティがとっても美味しかった。 ワインは “キリストの涙”。 カメオの工場を見学して あとはナポリをほんの少し観光。 忙しいツアーだったけど これもまた楽し。 |
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15日(木) リヨン ロワイアル |
AF1205(10:10/12:15) TGVでリヨンへ |
CDG駅からTGVでリヨンに向かった。 フランスの新幹線?確かに乗り心地はいいかも。 ビートルズが泊ったと言う ホテル・ロワイアル。 う〜ん、どうでしょ? |
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16日(金) リヨン |
フルヴィエールの丘に登る。(もちろん ケーブルで(^。^) ローマ劇場と博物館によって あとは 旧市街の街並を見て歩く。 家と家との間に 面白い通路発見。 扉はあるけど 誰でも通って良いらしい。 道路に並べられたテーブルと椅子が ヨーロッパの街角っぽくて 素敵! |
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17日(土) リヨン |
川べりに市が立っていた。 野菜も果物も種類が多くて しかもお安い。 通りを歩いているとDの知り合いに時々会う。Dijonは近いからここまで足を延ばす人が多いのね。 “ル・シュッド”で夕ご飯。 ここは ポール・ボキューズさんのビストロなので 気軽に入れる。 そろそろ 胃が疲れてきたかも。 私が先にギブ・アップ? |
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18日(日) ディジョン ジュラ |
ディジョンへ |
フランスの電車は乗り降りが大変。ホームが低いから 重いスーツケースが負担になってきたK君。 Dがいてくれてよかったね(^^♪ 駅の近くの三ツ星ホテル。 お菓子の研修旅行に来ていた日本の学生さんの団体が泊っていた。 Dは一旦寮に戻ると言う。 夕飯までの時間 町を散歩。 かって ブルゴーニュ公国の首都だった面影を残す建物が ブルゴーニュ大公宮殿。 ノートルダム寺院の怪物の彫刻が面白い。 Dijonはマスタードが有名。 お店がたくさんある。 Dがお湯を沸かすポットを持ってきてくれた。 仲間とよく行くと言うカフェで ブルゴーニュ名物のエスカルゴに舌鼓を打つおとうと息子。 どうもお母さんは この手のものは苦手。マイマイツブリ よ? 好き嫌いがないって う・ら・や・ま・し・い〜。 さすがにワインは美味しいね。 |
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19日(月) ディジョン |
ボーヌ Dスケの部屋訪問 中華料理 |
電車でボーヌへ行く。 Dは寮の先輩たちに去年の“栄光の三日間”に連れて行ってもらってすっかり気に入ったらしい。 ワインの勉強に来ているソムリエさんや料理の専門家が多いから いろいろ教えてもらって幸せそう。 最初に オテル・デュー(かっては病院だった)へ。 独特の鮮やかな屋根が美しい。 内部は見学できるようになっており 昔の病院の様子がわかって面白い。 ここのワインは グラン・クリュとして人気があるのだそう。 お昼ご飯の時間だけど どうも食欲がない。 Dが連れて行ってくれたレストランでも 何を食べていいか分からない。 バターと塩味に食傷気味かも。 二人は “ブッフ・ブルギニョン”? おかんは卵のワイン煮にしてみたら? 美味しいよ。 恐る恐る口に入れたら お・い・し・い! ストンと胃におさまった。 これで食欲が元に戻った(^^♪ ワイン屋さんを冷やかして お土産を物色。 Dijonへ戻って 寮の部屋を訪ねることにした。 バスでしばらく行くと 様子が全く違ってくる。 住宅地の中にある大学の寮。 通りが広くて グラウンドも幾つかあって 広々している。 留学生がほとんどの寮は 食堂で食べてもいいし、自炊してもいいらしい。 部屋に自分でカーペットを敷いて 裸足で生活してるんだって。 掃除のおばさんにも靴を脱いでもらってるそう。 それなりに生活してるじゃないのと 安心半分、寂しさ半分。 夕ご飯は中華のお店に連れて行ってくれるらしい。 お世話になってる兄貴分のSもん君も一緒。 みんなでしょっちゅう行くらしく お店のご主人とすっかり親しくさせてもらってた。 スーパードライで乾杯して 久しぶりのお醤油味を堪能した。 |
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20日(火) | フォントネー修道院 20歳のお誕生日 |
ほんとに二人だけで大丈夫? 英語は通じないよ、 タクシーに乗れるの? 何とかなるわよ。 と 振り切って 電車に乗ってモンバールへ向かう。 来る前に TVの “世界遺産”でやっていたフォントネーは絶対行きたかった。 駅前でタクシーを拾い 帰りもお願いしたいと言ったら 快く承諾。12時に入口まで迎えに来てくれるそう。 フランス語はわからなくても 根性で通じるものよ。 森の中にひっそり佇むフォントネー修道院。 清貧・質素の禁欲生活を送った修道層たちの祈りが聞こえてくるかのような静かな空間だ。 今日はDスケ二十歳の誕生日♪ 丈夫で長持ちのおかんはともかく、 大病の後に授かって、大きくなるまで一緒にいられないかもしれないと それはそれはDとの時間を大切に 一生懸命頑張ったおとうには 感無量の日。 Hotel du Nordのレストランで食事。 折角ブルゴーニュへ来たんだからと グラスワインをいろいろチョイス。 よかったね、Dちゃんのお蔭で 美味しいワインがたくさん飲めて。 おとうと正反対の道を選んだ君の未来に乾ぱ〜い! |
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21日(水) パリ ステッラ |
TGVでパリへ |
ホームに一人残るDを見てたら 涙が溢れてきた。 おとうはビックリ。 そうよね、去年 一人で成田を旅立つDを 笑顔で送り出した鉄の女。 成田から帰る時 運転しながら鼻水をすすっていたのはおとうだったのに。 一人っ子を意識し過ぎ、自分の価値観で厳しく育てたことを時々後悔するおかん。 もうしっかり自分の世界を歩き始めた君は 遠いディジョンで親離れしたのね。 昔々 珍友Abuと夢見心地で歩いたシャンゼリゼ。 さあ今夜はK君の好きな牡蠣三昧といきましょか? |
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22日(木) 機内 |
ルーブル美術館 AF286で成田へ |
フライトは午後。 だから大急ぎでルーヴル美術館へ。 広い美術館をちゃんと見るには一年あっても足りないと言った人がいるのに 不心得ものの私たちは 『モナ・リザ』と 『ミロのヴィーナス』だけ とにかく駆け足で見て廻る。 今度 ゆっくり 身に来なくちゃね(^^♪ 凱旋門近くのホテルから AFバスで空港へ。 帰りのフライトは少し遅れるらしい。 ゲートの前は人が溢れて すごい混みよう。 AFの職員が チケットをチェックしながら何かを確認している。 まさに 搭乗口で “貴女を グレード・アップします”みたいに言われて “主人も一緒で 私たちは二人なんです” とか何とか 馬鹿なことを口走ってしまった。 “勿論お二人共ですよ” 初めてのビジネスクラス。 AFって正規だろうが おまけだろうが 差別しないのね。 去年の暮れ J○便で帰って来たDスケは ビジネスの席に エコノミークラスから食事が運ばれてきたんだそう。 しょぼい話って笑ったけどね。 私たちは美味しいシャンパンを頂いて ゆっくり手足を伸ばして あー、らくちん。 |
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23日(金) | 成田着 | 少し春めいた東京の家に到着 |