『ダンテ学会誌』(1号のみ)『イタリア学会誌』(2号から現在64号)
学会誌はインターネットhttp://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AN00015107_jp.htmlで無料一般公開されていますが、このリストはダンテに関する論文を集めたものです。
論文名 |
著者 |
号数 |
刊行年 |
『ダンテ学会誌』発刊に寄せて |
B・ランツァ・グィエータ |
1 |
1951 |
ダンテ回想 |
新村 出 |
1 |
1951 |
千三百年代文学の研究/最近のダンテ研究の動向 |
|
1 |
1951 |
大賀寿吉氏の書簡──大正期ダンテ研究の一断面── |
木村文雄編 |
3 |
1954 |
大賀寿吉氏の書簡──大正期ダンテ研究の一断面 其の二── |
木村文雄編 |
7 |
1958 |
ダンテ『神曲』のラティニズモ |
岩本通夫 |
7 |
1958 |
大賀寿吉氏の書簡(三)──昭和二年── |
木村文雄編 |
8 |
1959 |
ルネサンス政治思想の系譜──ダンテからマキャヴェリへ── |
柴山英一 |
8 |
1959 |
ダンテ『神曲』のラティニズモ(2) |
岸本通夫 |
9 |
1961 |
大賀寿吉氏の書簡(4)──昭和三年から四年にかけて── |
木村通夫編 |
9 |
1961 |
放浪の詩人ダンテ |
野上素一 |
11 |
1962 |
ダンテの邦語訳と参考文献 |
|
11 |
1962 |
ジョヴァンニ・ボッカッチォ『ダンテの風貌』 |
池田 廉訳 |
12 |
1964 |
ダンテ神曲と日本人の邂逅──明治期と大正期── |
剣持武彦 |
12 |
1964 |
ダンテとヴィルジリオ |
野上素一 |
13 |
1965 |
ダンテとタッソの叙事詩/「神曲」と「エルサレムの解放」にみられる《intervento divino》 |
信森広光 |
13 |
1965 |
レオパルディのダンテ観 |
脇 功 |
13 |
1965 |
『ダンテの方へ』──二人のフランス作家におけるダンテ── |
松崎芳隆 |
13 |
1965 |
ダンテとロダン/レオンス・ベネディト著 |
目形 照訳 |
13 |
1965 |
ダンテ『神曲』と昭和の作家たち |
剣持武彦 |
13 |
1965 |
「神曲」の脚韻に於ける語彙 |
秋山余思 |
13 |
1965 |
デ・サンクティスの「神曲」批評 |
米山喜晟 藤沢道郎 |
13 |
1965 |
ジョヴァンニ・ボッカッチォ「ダンテの作品」 |
池田 廉訳 |
13 |
1965 |
U・コズモ著「青年時代」『ダンテ案内』第三章 |
北川忠紀 |
13 |
1965 |
M・バルビ著「新生」−『ダンテ、生涯・作品・運命』から |
望月和夫 |
13 |
1965 |
F・マッジーニ「饗宴」−『ダンテ研究序説』から |
高田英樹 |
13 |
1965 |
明治大正期の日本のダンテ研究 |
野上素一 |
14 |
1966 |
「神曲」地獄編第二十六歌について/アレッサンドロ・ベンチヴェンニ著 |
北川忠紀訳 |
14 |
1966 |
ダンテの書簡/ドメニコ・ギオ著 |
秋山余思訳 |
14 |
1966 |
エルジェーニオ・ザノーニ・ヴェルピチェルリ──東洋に於けるダンテの紹介者── |
山口 清 |
14 |
1966 |
大賀寿吉氏の書簡(5)──大正期の書簡・補遺── |
木村文雄編 |
15 |
1967 |
ピランデルロのクローチェ批評──『ダンテの詩』をめぐって |
谷口 勇 |
15 |
1967 |
アリストテレス自然学導入以前の中世哲学における自然観──十二世紀──/トゥッリオ・グレゴリィ著 |
飯尾都人・近藤映子訳 |
17 |
1969 |
ダンテ・ペトラルカ比較論の伝統──ルネサンス初期における── |
池田 廉 |
19 |
1971 |
アリストテレス自然学導入以前の中世哲学における自然観(続)──十二世紀──/トゥッリオ・グレゴリィ著 |
飯尾都人訳 |
19 |
1971 |
ダンテ研究の歴史に寄せて/フーゴー・フリードリヒ著 |
谷口 勇訳 |
20 |
1972 |
晩年のダンテ |
野上素一 |
21 |
1973 |
ダンテと天の説 |
三浦逸雄 |
21 |
1973 |
前期「アポストリ」異端の宗教行動理念──十三世紀北イタリアの民衆的異端運動の一例── |
谷 泰 |
21 |
1973 |
花袋・独歩・抱月とダンテ『神曲』 |
剣持武彦 |
21 |
1973 |
ダンテとフォレーゼの喧嘩詩(テンツォーネ) |
山口秀樹 |
21 |
1973 |
クローチェの「ダンテの詩」をめぐる「神曲」問題論争について |
北川忠紀 |
21 |
1973 |
ダンテの作品における「家」の意味(1)/「どこの家にも骸骨がある」 サッカレーの言葉 |
米山喜晟 |
24 |
1976 |
T・S・エリオットの『ダンテ』 |
山口秀樹 |
24 |
1976 |
ダンテとイスラム文学との接点 |
楠村雅子 |
25 |
1977 |
ダンテの作品における「家」の意味(2) |
米山喜晟 |
26 |
1978 |
近年のダンテ学における「定説」の周辺 |
米山喜晟 |
27 |
1979 |
ダンテ「新生」をめぐる一註解の試み──Locus Amoenusというトポス── |
清瀬 卓 |
28 |
1980 |
ダンテの言語観とその背景──附「俗語詩論」第一巻全訳── |
岩倉具忠 |
29 |
1980 |
ダンテの言語思想とそのfontiについて |
岩倉具忠 |
31 |
1982 |
ダンテとロダン「考える人」 |
剣持武彦 |
34 |
1985 |
ダンテとチョーサー──ウゴリーノ伯エピソードをめぐって── |
六反田 収 |
35 |
1986 |
ダンテの神秘的言語観──『天国編』XV歌をめぐって── |
岩倉具忠 |
40 |
1990 |
『神曲』における光学から詩学(ars poetica)への変容──浄罪編第15歌第1〜27行── |
藤谷道夫 |
40 |
1990 |
ガリレオによる数学的自然学の正当化 |
南部雅美 |
46 |
1996 |
言語と自由意志──ダンテの言語思想についての一考察── |
岩倉具忠 |
47 |
1997 |
『神曲』における光学から神学への変容──浄罪編第15歌── |
藤谷道夫 |
49 |
1999 |
『神曲』における“地上の楽園”──祭儀の場としての一考察── |
上野まさみ |
49 |
1999 |
『イタリア学会誌』50年間におけるダンテ研究の動向(その1)1965年まで |
岩倉具忠 |
49 |
1999 |
『イタリア学会誌』50年間におけるダンテ研究の動向(その2)1966年から1988年まで |
岩倉具忠 |
50 |
2000 |
Nel mezzo del cammin di nostra vitaを読み解く |
藤谷道夫 |
55 |
2005 |
ダンテ『神曲』の近年の研究動向 |
藤谷道夫 |
57 |
2007 |
Se la Commedia di Dante possa ancora interessare gli uomini del terzo millennio... |
|
58 |
2008 |
ダンテ『神曲』天国篇:天球運動が織り成す調和 |
|
60 |
2010 |
機械時計と神的リズム:『神曲』天国篇第24歌におけるAEQUALITAS |
|
61 |
2011 |