*************************************  我々チョコボには、選別と交配による改良を重ねられるうちに、飼育を容易に行えるよう 弱められていった習性がいくつかある。  それらのうちひとつがどうやら私には残っていたらしく、特に強く働いたものがあった。  人の言葉では、いわゆる刷り込みと呼ばれている習性だろう。  生まれて初めて見た動くものを自分の親だと思う、あれである。  私は卵の殻を脱ぎ捨ててからしばらくの間、ソルーシュが自分の母だと信じていた。  過去形なのはもちろん、それは違うのだと今では知っているからだ。  自分の勘違いにまつわる一連のやりとりを、思い出す度に苦笑いが浮かぶ。今思えば、 彼は大変力強く大柄な骨格を持っており、どこからどう見ても立派なオス鳥だった。  当時は途方もなく巨大に感じられた養い親と、今よりも更に若くて無愛想だった飼い主の 姿が脳裏をよぎり、懐かしさで胸がいっぱいになる。  あの頃はまだ、ガダラル様を主人だと認識できていなかったな。  せっかくなので、もう少し記憶を掘り返してみようと思った。たまには過去の幸せに溺れ てみるのもいいかもしれない。  もちろん、いつまでも、よいことばかりが続いた訳ではないけれど。  そろそろ話を戻そう。まだ幼く愚かだった私と、黒い兄と、間違った刷り込みについて。  ――あの誤解に気付いたきっかけは確か… *************************************  ソルーシュの側に潜り込んでもつまみ出されることがなくなり、一週間ばかりが経った頃。  何故かあれから毎日サラダを持ってくるようになった仏頂面の男が、いつものように切っ た野菜を詰めたカゴを抱いて現れた。  ソルーシュが頭をすりよせて挨拶する。  片手で応える男の眉間には少々皺が寄っていたが、別に怒っているわけでもないのだと 最近気が付いた。  昨日の朝など睨まれている気がしたので怯えて逃げ出したら、だいぶ傷付いたような表情 になっていた。ただ単にこちらを見ていただけだったらしい。  地顔があれでは敵を作りやすそうな男である。  そうこうしている間に、サラダは無造作に餌皿へと盛られてゆく。  「クェッ!」  「ピー!」  ((いただきます!))  教えられた通りに声を揃えてひと声叫び、ソルーシュとわたしは餌皿に頭を突っ込んだ。  「ああ、こら、甘やかすな!偏食するチョコボに育っちまったらどうする!」  今ひとつ迫力に欠ける叱咤を聞いているのかいないのか、ソルーシュはサラダの中から特 に柔らかい菜っ葉を選り出しては、わたしの前に落としてくれている。もはや毎度のことだ。  この日も軽やかに無視されたサラダ男は、かっくりと肩を落として溜め息をついた。  「まったく…貴様はすっかりそいつの親気取りだな」  その言葉を聞いたわたしは、まばたき数回相当の時間、食べるのを中断して男の顔を注視 してしまった。  はて?彼は何を言っているのだろう。まるでソルーシュが、わたしの親ではないかのよう な言い方をする。  そもそも、だ。初めにいて、一緒にいて、暖かくて、ええと、大きくて、優しくて…そう いうものは『母』という存在に決まっているのだ。それが…それは違うと?  とにかくわたしの母親とはソルーシュのはずだった。その瞬間まで、疑いもせずにずっと そうだと思っていた。目の前に置かれた餌皿に残った、不揃いなこま切れの人参をつつき ながらこのことを考える。考え事に夢中になりすぎて、うっかり餌皿を下げるために伸びて きた手までつついた。怒られた。ぬう…。  それからしばらくすると、男は赤い痕の付いた手を振り振り厩舎から出ていった。  手の端にちょっと嘴が触っただけだというのに、大袈裟な奴め。  母という存在について、わたしはそれからもだいぶ長いことひとりで唸っていた。が、 結局いくら悩んでも納得できなかったので、思い切って直接訊いてみることにする。  ――ソルーシュ、ソルーシュはわたしのお母さんではない?の?  できれば否定して欲しかったのだが、『わたしの母(仮)』はにこにこしながらあっさり と認めてくれてしまった。  (うん、私はアズライールの母ではないな。)  慌てて質問を重ねる。  ――では、では、ソルーシュは、わたしのお父さん?  (アズライールの父も、私ではないよ。)  驚きのあまり、つい意味もなく、ソルーシュの足元をぐるぐると走り回った。  わたしの大きなソルーシュが何かを間違えるはずなどないので、つまり彼はわたしの母で はなく、父でもないのだ。  そうすると、わたしは彼の何であり、彼はわたしの何なのだろう?  自問するうちにある一つの可能性に思い到り、愕然とする。  ソルーシュとわたしは、何でもないのかもしれない!  何でもないのは凄く嫌だった。  嫌で嫌で仕方がなくて、どうしようもなく悲しかった。  走り回るのをやめてべそをかきはじめたアズライールの頭上から、ソルーシュの優しい声が降る。  (アズライール、可愛い子。私はお前の親ではないが、親ではない私のことが嫌いかね?)  めそめそしながらアズライールは答える。  ――ソルーシュは嫌じゃない!でも何でもないは嫌だ!  感情のまま泣く子に道理など通用しない。顔中を口にしてビービーと泣き喚く養い子を前に して――これは彼としては随分珍しいことであるのだが――すっかり困ってしまった。  さてどう宥めれば丸く収まるのだろうか。  とりあえず足を畳んでその場に座り、まだしゃくりあげているアズライールを転がして、 胸元の羽毛がふさふさしている部分にしまいこむ。  そしてもう少し考えてからゆっくりと、言葉を選びつつ語りかけた。  (子よ、よくお聞き。私には知っていることと、知らないことがある。これはわかるね?)  養い親の胸元に埋まったまま、アズライールは頷く。いい加減に泣き疲れたのか、だいぶん 大人しくはなっていた。  (私は卵を産めはしないし、奥さんもいない。だから私は、お前の親ではないことを知っている。   けれど…)  黒い羽毛からはみ出たちっちゃな黄色い頭を、ソルーシュは嘴の先を使ってちょいちょい とくすぐった。  こそばゆげに頭を振ったアズライールが先を促す。  ――けど?だけど?  ソルーシュは大きな目を細めて養い子を見やった。  そしていかにも大切な秘密を明かすように、囁いてみせる。  (だけれども、そうだな。もしかすると、私はお前のお兄さんかもしれないよ。   そうではないという証を、私は知らないからね)  その言葉の効果はてきめんだった。  ――ソルーシュ、ほんと!?お兄さん!  まさに今泣いたチョコボがどうとやら。  みるみるうちに幼子の表情は輝き始め、つい先ほどまで大泣きしていたことなど、既に 忘れてしまったかのようなご機嫌ぶりである。  この瞬間、小さなアズライールが思い込んでいたソルーシュの位置――曖昧な『お母さ ん?』は見事、確固たる『黒い兄』へと落ち着いたのだった。  疑問と不安がいっぺんに片付いたアズライールは自分が収まっていた場所から飛び出し、 大喜びでソルーシュにぶつかってみたり、体に登ったりし始める。  ソルーシュはそれを好きにさせつつ、窪んで羽並の乱れた胸元を整えた。  そこでおちびさんがべそをかいていた証拠の湿り気を、早く消してあげようと思いながら。 *************************************  今ならわかる。あの時必死で見失うまいとした、血の繋がりというものには、大した意味 などありはしなかったのだ。  各々がどこで誰から生まれたのであろうと、今この厩舎で寝起きする者は皆私の家族で ある。今夜も私の羽に埋もれて眠っているカタラルとリスリスも、イージス様も、ご寝所は 遠いが無論我が主、ガダラル様も。  しかし…  明かり採りの小窓を見上げると、丁度よく月が覗いていた。欠け始めの、レモン型の光を ぼんやりと眺める。  しかし、黒い兄ソルーシュが私を宥めるべく使った方便は、意外と的を射ていたのかも しれないと思うこともあった。  あれから私の羽は黒く染まり、水鏡を覗き込めばそこに彼がいて、こちらを見ているよう な錯覚に捕われたこともある。  まあ彼は現在の自分では骨の太さも体格も遠く及ばないほどの威丈夫であったので、 瓜二つというほどの相似でもない。  この件に関しては真実など存在しないし、別に欲しくもなかった。  何をどう推測しようとも、空想遊びの域を出ることは有り得ない。それはそれで構わないのだ。  体を揺らさぬよう気を付けつつあくびをしてから、首を曲げて自分の翼に嘴を押し込む。  その夜は楽しい夢を見た。  ここ皇都のチョコボ厩舎へ、黒い兄ソルーシュが現れ、イージス様と出会うのだ。  強く早く、美しい子が産まれるだろうと五蛇将様方もお喜びになられ、私は弟分のヒナ達 を大好きな兄に見せる。  ――ねえソルーシュ、良い子達でしょう?  きっと彼は笑って、この子達を撫でてくれる。 *************************************  翌朝、私はガダラル様の指先で額をつつかれて目を覚ました。  「どうした?お前、何を泣いている。そんな大きなナリして、怖い夢でも見たのか」  心なしかにやにやしながらそう仰せられる。昔と比べると表情も大層豊かになられた。 喜ばしいことだ。  (泣いてなどおりません、とてもとても良い夢を見たのですから)  クークー返事をしながら立ち上がると、目元から嘴を伝って水滴が流れ落ちた。あれ?  首を捻っていると、ガダラル様はくつくつと喉を鳴らして笑いながら、後ろ手に持っていた 袋の中身を飼い葉桶へばさりとお空けになった。  「何だか知らんが元気を出せ。厨房で出た野菜クズを持ってきた。どのみち生ゴミだか   ら、残さず食えよ」  これが生ゴミだとすれば、兵や将軍様方へ供される野菜はどのようなものだろうか。  飼い葉桶に入った人参の欠片はみずみずしく、菜っ葉は柔らかそうだった。  大方カタラル達や私のために、わざわざ選り分けたのだろう。  いくらか表情が豊富になったとは言え、まったくもって素直ではないままのご主人様である。  ヒナ達が偏食するチョコボに育ってしまったら、いかがなさるおつもりか。  ちょうどカタラルとリスリスも揃ってごそごそ起き出してきたので、朝ごはんだよと声を掛ける。  …せーの、  「クェッ!」  『ピー!!』  (((いただきます!)))  教えたとおりの掛け声が、三つ綺麗に重なった。 *************************************