a bird's eye view
部屋を満たしていた暗闇が、少しずつ薄青色に変わっていく。
ほんのひととき眠っただけで、もう朝かよ。
さよなら、俺の平和な時間。
春眠暁を覚えず、と昔の人は言ったそうだが。
近頃は、日の出とともに目が覚めるようになった。
別に俺がジジイになったわけじゃない。
断じて、ない。
ぼろアパートの軒下に、どうやら鳥の巣ができていたらしい。
忙しくて家に帰るのもままならない日が続いたせいで、
近所の子供たちに教えてもらうまで、まったくその事実に気付かなかった。
正直、参った。
隣の奴からは「安眠妨害だ」と怒鳴られ、管理人からは「すぐに撤去しろ」と言われ。
一方、子供たちからは「かわいそうだから取らないで」と泣きつかれ。
最終的には、巣立ちの日まで現状維持、ということで決着した。
その後、俺が責任を持って撤去する、という条件付きだが。
子供たちは、俺の非番の日に、家に上がって観察するだのスケッチするだの、
なんとも恐ろしい計画を立てていたらしい。
忙しさにかこつけて、その企みはすんでのところで阻止した。
勘弁してくれよ。
せっかくの休みの日くらい、安眠と静寂にありつかせてくれ。
俺にだってそのくらいの権利はあるだろ。
さらに恐ろしいことに、俺の大事な人は、自分の豪勢な住処よりも、
なぜだかこの古くて狭い一室がお好みのようで。
なんだかんだ理由をつけて、極力ここへ近づけないようにしていたのだが、
逆に変な憶測を呼んでしまい、危うく燃やされるところだった。
オンナなんか囲ってませんってば。
はあ?オトコなんて尚更いるわけないでしょうが。
あんただけですよ、俺には。
痴話ゲンカの果てに漏らした言葉で、空気が変わった。
なんとか機嫌を直してくれたその人は、ご希望どおりに我がボロ家へ乗り込み、
オンナの気配も他のオトコの匂いもないことをしっかりと確かめて、
満足げに微笑む、いや、ほくそ笑むと、ようやくいつものコイビトに戻った。
まあ、それ以上、余計なことに気を回す余裕はお互いになかったから、
件のブツは発見されずに済んだ。
あとは、どうかこの人が、早起き鳥たちの声で目を覚ましませんように。
鳥の巣があるなんて知ったら、日がな一日飽きもせず観察に没頭して、
俺をかまってくれるどころじゃない。
ここへ連れ込む、じゃなくて、お招きする意味がない。
それよりも、これだけ名の知れている、面も割れている国軍大佐が、
部下のアパートで早朝から野鳥観察、なんてことがバレた日には。
不穏分子にとっては格好の目印、さも狙ってくれと言ってるようなもんだ。
しかし、それ以上に。
ホークアイ中尉からどんな裁きが下るのか、考えただけでも背筋が凍りつく。
念のため、耳栓でも用意しておくべきか。
いやいや、耳はダメだろう耳は!メチャクチャ敏感じゃねえかこの人のは!
こんなくだらないことを真剣に悩んでいる自分に、なんだかどっぷり疲れる。
すっかり青みの抜けた朝の光は、とうとう部屋の奥まで伸びてきて、
ぐっすり眠り込んでいる背中をゆっくりと照らしていく。
ところどころに紅いしるしを散らして、穏やかな寝息と振動を伝えてくる、
愛しくてたまらない、俺だけに許された体。
………。
畜生、男の体にうっとり見とれるなんて。
朝っぱらから、俺はいったい何をしているんだろうか。
ジジイになる前に、もう既にオトコとして終わってるのかもしれない。
結局、耳栓代わりになるものも見つからないまま。
こうなったら、伝家の宝刀、つまり中尉の名前を出せばどうにかなる。
そう自分に言い聞かせて、俺はグダグダ考えることをやめた。
ああ、喉が渇いた、朝の一服もほしい。
そっとベッドから這い出て、俺は顔を洗い、コップ一杯の水を飲み干した。
ベッドサイドに戻って、煙草に火をつけ、壁にもたれて座る。
今日最初の一本を楽しみながら、静かに眠リ続ける背中を見つめていると、
窓の外から、早起き鳥の声がし始めた。
いつの間にか、あいつらより一足先に目覚めるようになっていた。
こうして、ぼんやりと一服しながら、だんだんと大きくなるさえずりを聞いていると、
よし、今日も頑張って狩りをしてメシを食って元気だな、と安心し、
俺も気持ちよく一日のスタートを切るようになってしまった。
ガキの頃も、よく、こんな鳥の声を聞いていたんだよなあ。
爺さん婆さんに、早起きは三文の徳だ、とかなんとか騙されて、
掃除だ水撒きだ食事の手伝いだチビどもの世話だと、
朝っぱらからこき使われて…。
こき使われてるのは、今もか。
進歩ねえなあ、俺。
今日もヒナどもの食欲はますます旺盛のようで、合唱がひときわ大きくなると、
親鳥が戻ってきて口移しに餌をやっているのだとわかる。
最近、回数が増えてるな。相当でかくなってきたんだろうな。
巣立ちの日も、そう遠くはないのだろうと思うと、成長の様子をどうしても見たくなり、
俺は煙草を銜えたまま、カーテンを少しだけ引いて窓をそっと開けた。
春とはいえ、明け方の空気はまだ冷たい。
思わず身震いして、自分が上半身裸だったことに気がついた。
見ると、俺の体にもなんだか紅い痕が。
あ。
夢中で舌を這わすコイビトの乱れっぷりを思い出してしまい、
あらぬところがじわりと熱を帯び始める。
お、落ち着け、俺。今は鳥を見るんだろう、鳥を!
気を取り直し、窓の隙間から顔だけ出して、軒下の巣を窺うと、
親鳥が傍にいないのだろうか、ヒナたちのアピールは小休止している。
もっとよく見ようと、窓枠に片足をかけたところで、眼下から快活な声がした。
「あ、ジャンだ!おはようっ!」
見ると、近所の子供が二人、でかいスケッチブックを抱えて手を振っている。
なんでこんな早く起きてんだおまえら…。
煙草を指に挟んでおはようと返すと、家の塀から身を乗り出して、
こっちへ来てもいいかと聞いてきた。
いいわけねえだろうが!
「あー、悪いな、これから出勤なんだ、俺」
「えー、ちょっとでいいからさあ、絵、描かしてよ!」
「やっぱさ、双眼鏡で見てるだけだと、うまく描けないんだよねえ」
双眼鏡…。
うわ、カーテンなんて開けらんねえ!
「ごめん、ホントに悪いんだけど、また今度、な?」
俺のつれない返事に、一人は口をとんがらせ、
もう一人は嘘っぽい半べそをかいて抗議してきた。
「もうすぐ巣立ちだろうねって、うちのおかあさんが言うの!」
「これ描いてみんなに見せるって約束しちゃったのおっ!」
知るかよ。勝手にすんな、そんな約束。
じゃあな、と言って窓を閉めようとすると、二人がいきなり叫んだ。
「もうっ!ちょっとだけ上がらせてよ、今すぐ行くからっ!」
「お願い、ちょっとだけだからさ、支度しながら待ってて!」
俺の拒絶を見事に無視して、塀を乗り越え、アパートの階段のほうへ駆けてくる。
「わ、く、来るな!頼むから来るなって!」
窓から身を乗り出して叫ぶ俺の背後で、冷たい声がした。
「そういうことか…」
振り返ると、さっきまで熟睡こいてたはずの人が、むっくりと起き上がってくる。
「へ?」
「やっぱり、いたんじゃないか…」
あれ、なんですかその白い手袋は?
「ち、違います、これは全然関係ないんでっ!」
あのー、まっぱに白手袋って、視覚的に結構クるんですけど。
いやいや、そんなこと言ってる場合じゃねえ!俺はとっさに煙草を銜え、まずは両手の自由を確保した。
「ほう?コレ呼ばわりするような間柄なのか」
違うってば。
ていうかホントになんか穿けよあんた。
俺は反射的に窓を閉めたが、そのことで却って怒りの焔に油を注いでしまった。
「さあ言ってみろ、どこをどの程度燃やされたいか!」
どこも燃やされたくないという選択肢はないんですか。
首を横に振り続けても、状況はますます悪化するのみで。
俺は無様にも、壁伝いに逃げるので精一杯だった。
「銜え煙草では満足にものも言えないか」
右の眉毛がピクリと跳ね上がると、白い指先が擦れる音がして、
部屋の隅に追い詰められた俺の口元で火花が散った。
「わあっ!」
すっかりちびていた煙草が、一瞬にして消し炭になった。
鼻先と上唇に、チリッとした痛みが走る。
「ちょっと!危ねえでしょうが!」
「質問に答えろ!ハボック少尉!」
「えーと、ですからこれは他のオンナとかオトコじゃなくて、」
「どこをどの程度、と聞いた筈だが?母国語もわからんほど色ボケしたか?」
すぐ目の前で、白手袋をまとった右手が高く掲げられる。
ああ、もうだめだ、と思ったその瞬間、玄関のドアを叩く音が割り込んできた。
「ジャンー?開けてー!」
このときほど、狭い部屋で、薄いドアでよかったと思ったことはない。
外から聞こえてくる子どもの声に、怒れる大佐殿は困惑して動きを止めた。
退路、確保!
「静かにしてください、居留守使って追っ払います」
壁伝いに窮地を抜け出し、物音を立てぬように玄関まで近づく。
息を潜めてじっと様子を見ていると、何度目かのノックの後、
やっと諦めてくれた二人連れは、散々っぱら悪態をつきながら帰っていった。
一難が去って、大きな溜息をつきながらベッドルームに戻ると、
あとに残ったもう一難が、憮然とした顔でベッドに腰掛けていた。
すっかり目を覚まし、お門違いの嫉妬に燃えているこの人に、
もう何も隠したり、気を遣ったりする必要はないのだ。
相変わらずまっぱに手袋で腕組み、というなんともアレな姿の横に腰を下ろし、
俺はコトの顛末を白状した。
*****
シャワーを浴び、朝食を済ませてから、外に子供たちがいないのを確かめ、
しかし不測の事態に備えてカーテンは引いたまま、俺はそっと窓を開けた。
軒下の、雨どいから連なって外壁を這っている配水管の傍らに、
土やら小枝やらで塗り固められた塊が見える。
親鳥はまた狩りに出かけているようで、ヒナの様子はやはりよくわからない。
「安全な場所なんだろう。天敵から狙われにくいところに巣を作るというからな」
俺の肩越しに覗き込む人の、明け方とは別人のような微笑がそこにあった。
その瞳は好奇心に満ち溢れ、キラキラと輝いている。
「ダメですよ、窓から顔を出したら」
「おまえの図体が邪魔をして全然見えないじゃないか」
「巣がかなり上のほうにあるんです。俺でもここからじゃ中は見えない」
「ヒナは何羽いるんだ?」
「さあ、卵はたしか3つくらいあった…。あれ、4つだったかな?」
「確認してないのか?」
「鳴き声からすると、みんな無事に育ってるっぽいから」
「つくづく詰めの甘い男だな、おまえは」
…誰かさんの勘違いのおかげで、いまだ確認に至らないんですが。
「しかし、おまえのところにはいろいろ寄って来るな」
「へ?」
「子供だの、鳥だの」
「安全なんでしょ」
「どこが」
「あんたがそう言ったじゃないっすか」
ふと、言葉が途切れる。
「どうしたんです?」
涼やかな黒い瞳が、俺の鼻先あたりをじっと見ている。
「大佐?」
問いかけには答えずに、俺のほうへ音もなく顔を近づけると、
そっと、触れるだけのくちづけを鼻の頭に落とした。
「まだ、痛いか?」
「はあ、痛いっすね…」
でも、あんたが、そうやって優しく、いっぱいキスしてくれるんなら…。
「あ、こっちも、痛い」
上唇のあたりを指差すと、またあの柔らかなくちづけが降りてくる。
素直で、暖かくて、優しい唇がいとおしい。
ヒリつく場所を気遣いながら啄ばむその唇を、もっともっと欲しい。
いや、あんたの全部、欲しい。
図に乗った俺は、じわじわと熱くなり始めた部分を指差して続きをねだった。
「ここも、ちょっと…」
「そこはまだ燃やしていないが」
冷静な口ぶりで身を引いていく人を、逃すものかと抱きしめれば、
何を思ったか、今度は鼻の頭を思いっきりつねられた。
「いってえええ!」
「馬鹿者。お前の頭の中などとっくにお見通しだ」
「酷えなあ、元はといえばあんたの思い込みのせいでしょうが!」
「何も隠さずにきちんと説明すればよかっただけのことだろう?」
「だからっていきなり燃やすか、ひとの鼻先を!」
「軍人たるもの、常に油断は禁物、ということだよ、ハボック」
「そんなの屁理屈だ!」
「ほら、うかうかしていると今度は噛み付くぞ」
「うわっ、鼻はやめてください鼻は!」
「じゃあ、どこならいいんだ?」
どこまでも意地の悪い微笑に、太刀打ちできる術はあるんだろうか。
がっくりとうなだれて俺は、どこでも好きなところを噛みやがれと呟いた。
と、いきなり顎をつかまれて、まさに噛み付くようなキスが襲ってきた。
力任せに差し込まれた舌が、グネグネと俺の舌に絡まって嬲ってくる。
激しい動きに呼吸を奪われて、されるがままに貪られていた俺は、
強引な唇が離れていってもなお、甘い舌の感触から逃れられず、
なぜかうつむいたままの愛しい人を、ただぼんやりと見つめるだけだった。
あれから、ヒナどもの声は聞こえない。
親鳥が自分の腹を満たす時間なのか。
やがて、自嘲するような溜息を漏らすと、ようやく顔を上げたその人は、
まっすぐこちらを見据えて、穏やかな表情と声音でのたまうのだった。
「舌を、噛んでやろうかと思ったのに」
「そんなことしたら、死んじまうでしょ、俺」
「そうしたら、おまえは私だけのもので終わる」
「俺を、独占したいならすればいい、好きなだけ」
「おまえが、もし、他に愛する人を見つけて…」
「あんただけです」
深い色を湛えた瞳が、かすかに揺れている。
「普通の幸せを望むと…」
「聞こえなかった?俺には、あんただけでいい」
あんただけのものなんですよ、俺はもうとっくに。
泣きそうな顔で固まっているコイビトをぎゅっと抱きしめて、
真っ赤に染まった耳元に、何度も何度も繰り返し囁く。
この、嘘偽りのない言葉が、どうか染み込んでいくように。
この、愛しい体の中で、しっかりと形をなして、永遠に消えないように。
そうやってしばらく抱き合っていると、また、頭上から賑やかな音が降ってきた。
親鳥が帰ってきて、再びヒナどもにたらふく食わせているらしい。
「鳥みたいに」
腕の中の人が、思い出したように口を開く。
「ん?」
「常に俯瞰で物事を見られる、そういう人間でありたかった」
「あんたは、そういう人ですよ」
「そうかな」
「そうですよ」
「最近は、どうも近視眼的になり過ぎている、そんな気がする」
「近くからも、遠くからも、満遍なく見ればいい」
「できるかな」
「できますよ、あんたなら」
空高く舞い上がり、風を切って獲物を狩り、ひっきりなしに餌を運んでくる親鳥だって、
夜はじっと巣の中で、ヒナに寄り添い、疲れを癒し、また朝陽が昇るのを待つのだから。
もう何度目だろうか、例の合唱が聞こえてくる。
ホントに、よく食ってよく鳴く奴らだ。
開いたままの窓から見上げると、親鳥がヒナの頭上で忙しなく働いている。
愛しい人とふたりきり、窓辺にもたれて成り行きを見守っていると、
巣の縁から飛び立とうとしていた親鳥と、一瞬目が合った。
小首を傾げて、チッ、と短く鳴いた後、力強く羽ばたいて飛び去っていく。
その姿を見送って、俺たちはまたそっとキスを繰り返す。
久しぶりに重なった休みは、このままゆっくりと流れて消えていくんだろう。
それも悪くないですよね、ロイ?
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07/MAY/2009
ハボロイ
一年四ヶ月ぶりにグワッと来て更新です。
能天気なバカップル話になるはずが…。あれ〜?