![]() | 弘田三枝子の異常なダイエットの話は当時報じられました。僕はそれを知ったとき大いに憤慨し芸能界とはなんと愚かな者たちの集まりなんだと思いました。しかし、そうしたことは芸能界に限らず私たちの身の回りに日常的にあって、顔や体型の美醜をあげつらうことなど実際に僕自身も経験しています。今では○○ハラスメントなどと戒める社会的な意志も見えてきたので少なくなったとは思いますが(楽観的?)、当時はまるで野放しだった。弘田三枝子はこうした風潮の被害者だと今の今まで思っています。 僕は演歌の天童よしみが出てくるとほっとします。天童よしみのかわいさがわかる日本人はすばらしい。 本田美奈子.は、歌もその人間性も何もかも全部まるごと大切な何かです。今も存命の人ならもう少し冷静に好悪の分析やら現実的に行うこともあるでしょうが、本当に残念ながらもうこの世にいない。だからもう僕にとっては観音様みたいな人なのです。コンプリートクラッシックイヤーズのボックスの本田、本当にきれいですね。 最近「天に響く歌」という本を読みました。高杉さんに、肩をふるわせて泣いているところを見られていることに気づいた本田が「バレたか。」といって笑顔を作ったという記述があります。なんとも言葉にならない思いでしばらくのあいだ沈思黙考でした。 僕は森麻季も好きです。最近は日本で活動しているみたいですね。ヨーロッパでずいぶん苦労したと聞きましたが伴侶とお子さんにも恵まれてよかったです。 |
![]() | zyam62さん、もし、私がついついずに乗って、ぶしつけな物言いをしてしまっていたのなら、お詫び申し上げます。どうそ、お気を悪くしないで下さい。私は、本田美奈子のことを考えているときが一番楽しいし、本田美奈子が褒められると嬉しいし、本田美奈子が侮辱されると、冷静さを装っていても、怒りがこみ上げてきます。本当は赤の他人なのに、可笑しいですよね。他の私の好きな音楽家のことで、酷評されても、「フーン、この人にはそんなふうにしか聴こえないんだ」で終わりなのですが。入院中本当は辛かったはずなのに、見舞ってくれる人に涙一つ流さず、明るく陽気に振る舞い、本当は独りの時に泣いていたなんて、余りにもけなげ過ぎます。 弘田三枝子のお話大変参考になりました。初めて聞かせてもらった内容です。「わたしが死んだら」のジャケットの写真は、まるで西洋人形のように美しいと思いますし、YouTubeの動画でもスタイル抜群なのですが、その裏にそんなことが隠されているなんて想像すらつきませんでした。人間心理として興味深い話ですね。 これはジャンルにもよると思うのですが、流行歌の世界は、とても普通の人が足を踏み入れられるところではありません。ご存じかもしれませんが、○日の人と、○○出身の人が数多くいます。「え!あの人も、この人も」という状態です。当然、裏では醜い争いがないと考える方が不自然です。私自身に関しては、差別もしていませんし、偏見もないつもりなのですが、そんな簡単な話ではありません。水平社をご存知ですか?私その水平社発生の県に住んでおりますので、嫌でもそういう話は裏で頻繁に耳にします。この話、後で「刺される(本当に刺されるんですよ)」と大変ですので、ここまでで宜しいでしょうか? − これを読まれた方で気を悪くされた方もおられるかも知れませんが、私はそういう方々が大変なご苦労をされていることも存じ上げております。何とかしなければならない問題であるとも認識しております。まだまだ不勉強なこともお許しください。 デビューしたての中森明菜(...ちょっと怖い!)の歯並びがガタガタだったのはご存知でしょうか。歯並びの矯正をしてきれいな歯になりましたね。松田聖子ももともとは一重まぶただったのをご存知でしょうか。顔が少しづつ変わっていったので、あまり気付かれていないようですが、今や完全に別人の顔です。余り世代の変わらないアイドルだった本田美奈子は、たぶん何も手を入れていません。なぜなら、顎が小さいので歯並びが少し悪いでしょ。鼻孔も左右非対称です。私はあの顔が好きですが、アイドルの顔としては不十分です。すぐに、バンド・ブームがやってきて、顔、姿にはあまり高い要求が無くなったように思えます。レベッカのノッコ、よく見るとイモ姉ちゃんでしょ。この発言も問題があるな。でも、これぐらいは許してもらえます。それでも今はまた外見重視に戻ってしまったようにも見えます。ただし、個性を売っている人たちは、十分受け入れられているのではないでしょうか。中島みゆき、山姥みたいな鬼束ちひろなんかそうだと思います。反対に不細工を売り物にしている人もいます。ポール・ボッツ、スーザン・ボイルでしたっけ?実力と美形を兼ねそろえたソプラノの森麻季やヴァイオリニストの諏訪内あきこ(漢字を忘れました)。ただしこの人たちは例外中の例外です。森麻季なんか外見重視のAPEXというレコード会社からCDが出ています。残念ながら、人格が評価されることは稀と言うより本田美奈子以上に評価されている人は一般にいないのではないかと思います。私もそのような人がいたら知りたいと思います。たぶん本当は厳しい世の中で、誰しも人格の陶冶がなされていると思うのですが。それは売り物にはならないのだと思います。本田美奈子にしても命を賭して、そして亡くなったからこそ、漸くクローズ・アップされたのでははでしょうか。本当はあんなに素晴らしい実力の持ち主なのに。 |
![]() | 本田美奈子.に恋してる?うーん、そういう言い方もあるのかなという感じです。ところで弘田三枝子は僕はよく知っています。和製ブレンダリーとか言われたりしましたね。歌もうまかった。アメリカでのコンサートで高い評価も確か受けましたよね。ところが自分の容姿にコンプレックスを持っていて拒食症のようになってしまった。それ以来、歌手としては低迷したように記憶しています。当時、周囲のスタッフから弘田三枝子の健康な容姿を揶揄して、「ほら階段が壊れるぞ。」とか「床がきしんでる」とか、さんざんに言われてコンプレックスを持つようになったと聞いたことがあります。芸能界というところの現状は今どうなのでしょうか。あまり変わらず軽佻浮薄?それとも才能ある人の人格と努力に敬意をもって遇する態度がありますか。 |
![]() | 一昨日、NHKをつけると、「歌謡コンサート」という番組で、森麻季が「Stand Alone」を唄っていました。新聞のテレビ欄にも、テレビガイドにも載っていません。知っていたら、最初から観ていたのに。NHKさん、それは反則だ。途中からしか観ていませんが、森は凄く輝いていました。相変わらず字幕がないと聞き取れない日本語でしたが。 ミューズさん、詳しいラヴェルとガーシュインの説明をいただき、有難うございます。それに弘田三枝子も。「人形の家」は大人の女性の曲で、弘田はその曲と歌詞を高いレベルで解釈して唄っています。誰でもが自力で弘田のように唄える訳ではありません。弘田の解釈のまねはできるかもしれませんが。本当は「解釈」という言葉は避けて通りたかったのですが、また折をみて誰にでも分かりやすいように説明させていただきます。本田美奈子の唄について話すのにも必要な言葉ですから。 「ガーシュインが切り開いたシンフォニック・ジャズというユニークな芸術音楽も彼一代で終わりを告げました。」、そのとおりですが、今でも好きな人は好きですよ。本田美奈子もそうなって欲しいな。 Live For Life(生きるために生きる)を初めて眼にしたとき、これってサルトル、キルケゴール、ニーチェに代表される Existentialism(実存主義)と同じだと思いました。これまた難しい話になりそうなので止めておこうと考えました。ミューズさんが、やや別の角度からではありますが、とても易しい説明をなされたので、もう何も言うことはありません。ただ、重複しますが一言、サルトル曰く、「実存主義はヒューマニズムである」だけです。 zyam62さん、ご返事ありがとうございます。私も言葉をとても大切に考えます。今まで唄の中でしか日本語の美しさに眼を向けることがなかったのですが、日常のお話の中まで注意されているとは、凄いと思います。私も心がけてみます。 本田美奈子の唄を語るには、いの一番に、彼女の歌唱の核心部分である彼女の心から入っていかないと、それをぐるぐると取り囲む様々な要素を話しても空虚なものになりかねないので、絶対に避けて通れないと考えました。ところで、大人げない話ですが、zyam62さん、本田美奈子に恋してしまいましたね。私もそうですから。 |
![]() | >「貴方は、もう既に一流のガーシュインではありませんか。二流のラヴェルになってどうするのですか。」 これは有名な話ですね。ラヴェルとガーシュインは同時代の作曲家ともいえますが、ガーシュインの活動時期がラヴェルの後半生にすっぽりと収まっているという感じです。年代としては1920年代以降。作曲家としてのラヴェルの全盛期はやはり、1900年〜20年、そういう意味では、かのドビュッシーと同時代であったといえます。実際に、代表作が多く書かれたのもこの時期です。ラヴェルがアメリカに渡ったころには、ガーシュインもそれなりの評価を得ている一方、ラヴェルの創作力は劣えてきており、上記の話しも当を得たものと言えます。 ところで、ガーシュインが切り開いたシンフォニック・ジャズというユニークな芸術音楽も彼一代で終わりを告げました。 |
![]() | 追悼シングル「wish」の歌詞には、本田さんの晩年の人生観がストレートに反映されています。「LIVE FOR LIFE(生きる意味は生きること、生きるために生きる)」。一見、トートロジー的で難解な言葉ですが、「ごくささやかなこと、あたりまえのことでも、自然に感謝の気持ちが湧き出てくる。これこそ大きな幸せであり、このように感じられるのは、今生きているからこそ。だから、生きていること自体、すばらしい価値のあることである。」大体、そのようなニュアンスではないかと。 なお、ここでいう感謝の気持ちの対象となるのは、日常的なことすべて、もちろん、家族や友人、職場の人、その他の隣人すべてであります。時に、様々な逆境や理不尽な仕打ちに遭ったとしても、あえて甘受し、かつ乗り越えていくには、こうした人生観・価値観を持つことが必要であると思います。 つまり、「元々は何もない“ゼロの状態が原点”であって、衣食住の生活環境が整っていること、家族や友人などの人間的つながりの中にいること、さらに肉体的・精神的に健康な状態にあること、さらに突き詰めれば、この世に生きている(あるいは生かされている)ことそれ自体も、“すべてプラスの状態”である」とすれば、すべては恵みであり、感謝の対象となるということでしょう。 ちなみに、「生きることは苦である」と喝破した釈迦(仏陀)が、最後に残した言葉は「この世界は何と美しく、人間の命は何と甘美なものなのだろう。」でした。このとき、釈迦は、重い病に冒されていましたが、自我への愛着を完全に断ち切った安らぎの境地(「涅槃寂静」の境地)に至ったということでしょうか。ただ、こうして口で言うのは簡単でも、自分を含め常人にはなかなか実感しがたい境地ですが。 |
![]() | 大和の蛙さん。よろしくお願いします。大和の蛙さんが書かれていることに同感です。私も恥ずかしながら遅れてやってきた本田美奈子.のファンです。いまになって思えば、もっとずっと早く、なぜ彼女の存命中に彼女のような人の存在に気づかなかったのだろうと不明を恥じるばかりです。 彼女は「聞いてくれる人の心に届く歌を歌いたい。」といっていましたね。彼女はそのために自分に妥協せず努力に努力を重ねていたのだろうと思います。歌のすばらしさもさることながら彼女の語る「言葉の美しさ」も私は惹きつけられています。日本語をあんなに美しく語れる人を他に知りません。男性では、なかにし礼の日本語がきれいだと思っていましたが、本田美奈子.さんの歌をプロデユースした岡野博行さんの語る日本語もいいですね。僕は歌とことばを大切にした本田美奈子.という人の人格的な完成へと目指した志のすごさをもっと大勢の人が知ってくれたらいいのにと思っています。 | |
![]() | 美奈子さん、低音から高音まで、日本語きれいに聞き取れます。 |
![]() | >そんなに人気が違っていたのですか? 以前にも書きましたが、ザ・ピーナッツは16年間(1959〜1975)の歌手生活の中で、10年以上もの間、ヒット・メーカー(つまり全盛期)でした。1975年に引退しましたが、人気が落ち目になったというわけではありません(若干、声の張りは若いころのほうがあったが)。その証拠に、デビューから前年の1974年まで紅白に連続出場を果たしています。宮川泰作曲の良い楽曲にも恵まれたという事情もありますが、あの個性的な歌声とハーモニーは、ポピュラー音楽とはいえ、音楽性の高さを示しています。 これに対して、弘田三枝子のほうは、1961〜1966年頃(まさに10代)が全盛期であり、その後、3年間は一気に人気が急落しました。そして、1969年、例の大変身(実はその前から整形とダイエットを行っていたが)した姿とともに「人形の家」を引っ提げてカムバックしました。その後、しばらくは、こうした雰囲気の楽曲の路線が続きましたが、とにかく浮き沈みの激しいこの世界。いくら歌唱力が抜群だったとしても、聴衆を魅了させる強烈な個性とそれを生かした優れた楽曲が乏しければ、人気は低迷する。1970年代前半、弘田三枝子より人気はあっても歌唱力のない歌手は大勢いましたが、どこか、彼女には聴衆受けする要素が乏しかったのではないでしょうか。 やはり、弘田三枝子が人気・実力ともに光輝いていたのは、上記のカヴァー・ポップスの全盛期(それから「人形の家」以降の一時期)ということになります。ただ、このように歌謡曲歌手としての全盛期は短かったようですが、ジャズ・シンガーとしての実力は申し分なく、この分野では息の長い活動をしてきたと思います。 長くなりましたが、以上が2人の人気の違いということになります。 >「ラスト・コンサート」の中に「え!」と思うような、その曲が流行った時はまだ生まれてないのではと思えるような曲を唄っていますよね。 「見上げてごらん夜の星を」、「逢いたくて逢いたくて」、「夜明けの歌」、「お嫁においで」、「月影のナポリ」あたりになりますか。最初の曲以外は、岩谷作品(もちろん作詞)ですね。いずれも1960年代の歌。みんな、有名な曲ですが、「見上げてごらん夜の星を」と「夜明けの歌」が個人的に好きな曲です。ちなみに、「夜明けの歌」はこれまた、いろんな人が歌っていますが、岸洋子がオリジナル。 http://www.youtube.com/watch?v=pdd0FMSY-Ls |
![]() | zyam62さん、「初めまして」。私が本田美奈子を本当に素敵だなと思う理由の一つなのですが、彼女自身の言葉の中に、こんなのがあるのをご存知ですか。 「私が歌い続ける意味を 今、見つけました! 歌をとおして太陽になりたい! とても難しい事だと思いますが 太陽の様に みんなに 光を与え続けられるように 頑張りたいと思います。 心をこめて」 更に、入院中にも 「(前略)・・・そんなふうに、私の歌をとおして、人々に光を与えることができると嬉しいなと思います。そして、その気持ちを大切に唄っていきたいなと思っております。」 本田美奈子の歌に取り組む姿勢は、真剣そのものです。恐らく、本田美奈子と言う人、生半可な妥協を決して許さず、人生を賭して唄っていたのだと思います。この情熱は決して、まがい物ではありません。紛れもなく、本物です。これは、音楽理論以前の人の精神的問題なのだと考えます。私は本田美奈子の、本当の意味での心の強さに敬服する者です。もちろん、彼女の唄の素晴らしさについても、いくらでも語れます。しかし、これを話し出すと長くなり過ぎるので、今日はこの話だけにします。 ガーシュインとラヴェルの話なのですが、この二人は同時代の作曲家です。ラヴェルの方が少し年上で、正統派の作曲をしています。これに比して、ガーシュインは、ご存じかも知れませんが、やや異端です。確か口頭ではなく、手紙であった思うのですが、ガーシュインがラヴェルに、きっと尊敬していたのでしょうね、「どうしたら私は、貴方のような作曲家になれますか?」と言う内容の質問をしました。ラヴェルはこう答えました。「貴方は、もう既に一流のガーシュインではありませんか。二流のラヴェルになってどうするのですか。」多少言い回しは異なるかもしれませんが、要旨はこのとおりです。人は、いくら努力しても、結局一流の自分にしかなれません。本田美奈子も一流の本田美奈子にしかなれません。大事なことは、本田美奈子は最後の最後まで一流の本田美奈子であったことです。一度たりとも二流、つまり生半可な本田美奈子であったことがありません。常に上へ上へと努力し、人に対する思いやりを忘れることのないあの人は、本当に立派だと思います。 取り立てて何の才能もない凡人の私は、仕事も生活も「忍耐」という最後の手しかありません。挫けそうになることなどしょっちゅうです。そんな時、決まってこう考えるのです。「本田美奈子なら、これしきの事で弱音を吐いたりしない。本田美奈子に恥ずかしくないか?」、歯をくいしばって頑張っているとき、心の中では、そんなことを考えています。時間を超えて本田美奈子の太陽の光は消えていません。いみじくも、私には本田美奈子の言うような太陽の光を与えられています。たぶんこんなふうに感じらているのは、私一人ではないと思います。きっと今でも大勢の人が、そう感じているに違いないと思います。彼女のそんな思いが彼女の唄には、にじみ出ているのだと思います。繰り返しになりますが、「本田美奈子は一流の本田美奈子であった」そのことに間違いはありません。だから、亡くなってから本田美奈子の唄を聴き始める遅れてきた支持者が沢山いるのだと思います。 ミューズさん、弘田三枝子のCD2枚やっと見つけました。それも懐メロコーナー(という失礼なコーナー)で。ザ・ピーナッツも、やはり懐メロコーナーだったのですが、こちらは沢山有りました。そんなに人気が違っていたのですか?ミューズさんは古い渋い曲がお好きとお見受けしました。本田美奈子は岩谷時子氏を大変尊敬していたので、「ラスト・コンサート」の中に「え!」と思うような、その曲が流行った時はまだ生まれてないのではと思えるような曲を唄っていますよね。時代の荒波に耐えて唄いつがれる曲は、名曲なのですよね。 |
![]() | 私は、以前、管理人さんに教えて頂いた、1996年の熊本でのライヴで「つばさ」を唄う本田美奈子の表情が、今でも一番好きです。「時」の頃に比べると、まだまだ未熟なんですけど、あの「ひたむきさ」、屈託のない「笑顔」、「凛」とした立ち姿、見ているだけで酔いしれてしまいます。 「ヤフー知恵袋」というサイトを散歩してきました。随分と本田美奈子に関する質問と回答がありました。中には的を射た回答も有りましたが、大半は、不確かな知識で無責任な、はっきり言って、それ単なる「誤った思い込み」か「自己顕示欲の現れ」ではないの?と言うようなものでした。恥知らずな、常識を疑うような内容のものもありました。言論の自由もあそこまで行くと見苦しい限りです。本田美奈子と誰かを比較するのも勝手ですが、比較する相手を間違えていませんかというほど情けないものばかりで、中には、悪意さえ感じる下品なものまでありました。世の中にはいろんな人がいるのは当然ですが、感覚的に嫌だなと思いました。 私は、世界のどこに出しても全く恥ずかしくない超ど級ソプラノの佐藤と同じ次元で本田美奈子を聴いています。たぶん普通の演奏家なら全然違和感がないはずです。これを神をも恐れぬ冒涜と叱るのは、決まって狭量な一部のクラシック・リスナーです。因みに、私のお隣の奥様、声楽の勉強を本格的に大学でされた方で、不勉強な私は一方的に教えを乞うだけなのですが、カラオケで「与作」を唄われるそうです。お知り合いからは、「オペラ与作」と曲名が代えられてしまうとニコニコ話されていました。その方の仰るには、「声には心が現れる」のだそうです。ソプラノ・ヴォイスとは、音楽ジャンルと言うよりも、本田美奈子の心そのもののことだったのかもしれないと思いました。 |
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