お仕事シリーズ2 桜 お仕事シリーズ第二弾は、桜です。
これも微妙に『オンブラ』の裏話になっております。2章5回あたりを思い出して頂けると( ・ノェ・)コッソリ


「桜先生、まだ登るんですかあ? 笹だったらこのあたりにも生えてるじゃないですかぁ」
 しんがりをしんどそうについてくる、最年長の小田さんが、喘ぎながら訊いた。
 桜先生は急勾配にも、大して息も切らさず振り返り、
「上の方がやっぱキレイなんですよう。排気ガスとかついてないし。でも、ぼちぼち一休みしましょうか」
笑顔で言った。さすが若いだけあって元気だ。いや若いと言っても、もうすぐ三十路なのだそうだが。ぱっと見はウチの高校生の娘と大して変わらない可愛らしさなので、時々錯覚してしまう。
 いや、とりあえず二十代なんだから、まだまだ若いか。
 少し進むと藪が開け、ガレ場ではあるが座れそうな場所に出た。桜先生は準備よく、山菜採り用の背負いカゴから、ビニルシートを出した。
「はあ、やれやれどっこいしょ」
 小田さんはどっかりと、シートに腰を下ろした……と同時に、リュックサックから、タッパを幾つも出した。
「漬物持ってきたよ、みんな食べて食べて」
 ハイキングと勘違いしてるんじゃないだろうか。そんなもの持ってくるからすぐバテるんじゃ?
 と思いつつも、ありがたく頂いた。

 今日はちょっとお手伝いのお願いがあって……
 と、草木染め工房の桜先生から遠慮がちな電話がかかってきたのは一昨日。

 桜先生に出会ったのは、N岡の街中にあるカルチャーセンターの講座だったが、3ヶ月の講座の間、草木染めにはまるにつれ、桜先生の人となりにも惹かれ、工房の方で開いている、ちょっと高度な講座に参加するようになった。今一緒にペットボトルのお茶で漬物を囓っている5人は、私と同じように桜先生の工房に通う、草木染め仲間。

 一昨日の桜先生のお願いというのは、急に素材が大量に必要になったから、笹の採取を手伝ってもらえないだろうか? というものだった。
 そして本日、都合のついた生徒5人と(正確に言えば、生徒4人+オマケ1人)桜先生が登っているのは、先生が借りている工房の大家さん(工房は古い納屋をリフォームしたものだ)の持ち山。丘と言っていいほど低い里山だが、なにせ山菜や茸取りにしか入らないような山なので、全く手入れがされておらず、登り難いことこの上ない。だが、そういうルーズな山なために、野草や樹木の種類は多く、しかもタダで素材取り放題なので、草木染め作家としては願ったり叶ったりだろう。

「桜先輩、笹で何を染めるつもりなの?」
 最年少の桂木さんが、たくあんを囓りながらおっとりと聞いた。桜先生の高校時代の部活の後輩だそうで、子どもを幼稚園の延長保育に預けてまで、本日の採取に参加している。
 桜先生は、考え込みながら、
「うん、まずはねえ、ランチョンマットとコースターと手ぬぐいを染めてみようかなって思ってるの。あの月乙女のマークがあるでしょ、女性の横顔と三日月のヤツ。あれを型染めしてね」
「ああ、いいわねー。あのマーク、なかなかオシャレっぽいよね」
「それに笹って抗菌のイメージあるでしょ、食品に合わせるにはいいかなって」

 桜先生は、普段は師匠から回ってくる下請けの染めと、カルチャーセンターと工房で開いている講座を主な仕事にしている。オリジナルもちょこちょことは作っているようだが、ネットでの通信販売と、市内の雑貨店に置いてもらい、細々と販売している程度だ。
 それが今回、まだ試作段階ではあるが、乙女酒造などという大きな会社から企画を持ちかけられたという。

「それにしてもすごいですよね、乙女酒造から依頼なんて」
 最近講座に加わった赤根さんが感心したように言った。彼女はカルチャーセンター経由ではなく、桜工房のある集落の住人で、近所づきあいの延長で教わるようになったのだそうだ。
「いえいえいえ、全然すごくないんですよぅ」
 桜先生は苦笑いして顔の前で手を振った。
「乙女酒造の若女将が、高校時代からの親友で、彼女が新たにネット通販の企画を立てることになって、お酒と草木染めの小物との組み合わせはどうだろうって思いついたってだけで」
「へえ、乙女酒造の若女将! 玉の輿だねえ」
 小田さんが目を丸くして言った。
「いやあ、玉の輿ってか、乙女酒造に就職したようなもんですよ、アレは。大変です」
 そうかもしれない。酒造の女将なんて、ちょっと考えてみただけでも相当大変そうだ。
「でも、いいアイディアですよね、お酒と草木染め小物のセットって、贈答品としては使い易そう」
 お年始などで酒をお土産にすることは多いが、例えば旦那さんはお酒が大好きだけれど、奥さんは下戸というお宅だったりすると、お酒だけじゃまずいかな、お菓子も買ってった方がいいかな……などと悩むことは良くある。そう言う場合に、ちょっと気の利いた小物のついたお酒のセットがあれば便利だろう。
「そうですよね。こちらとしても新発見ですよ」
 桜先生は私の方を見て頷いて、
「今回の話を頂いて、お酒だけじゃなく、他の商品とのセットって手もあるんだって、気づきましたよ。雑貨屋さんだけじゃなくて、他のお店にも置いてもらえる可能性があるんですよね。いきつけのケーキ屋さんとかにも頼んでみようかなって思って。絞り染めのナフキンをあしらったカゴに、クッキーを可愛く入れたりしたらいいと思いません?」
「ああ、いいですねえ」
 クッキーを食べた後のカゴとナフキンが使えるってのは、主婦的にはちょっと嬉しい。
「あら、そんなら和菓子屋さんもいいでしょ。風呂敷を置いてもらえばいいんでないかな。お呼ばれの時なんか、お菓子を包んでった風呂敷も、ちょっと洒落た風呂敷ですんで、よろしければどうぞ、ってプレゼントできるよ」
 小田さんがニコニコと言った。
「おお、なるほど、そっかあ、風呂敷ねえ」
 桜先生は胸の前で手を叩いた。
「そんだば、酒も風呂敷と組み合わせていいんでねえか?」
 本日の黒一点、今まで黙っていた小田さんの旦那さんが口を開いた。

 旦那さんはさすがに草木染め教室の生徒ではないのだが、山に熊笹採取に行くと聞いて、山に行くなら俺がいねえと、と言ってついてきたのだそうだ。定年退職して4年もたつそうだから、御多分に漏れず暇を持て余しているのだろう。
 しかし、俺がいねえと、と言っただけのことはあり、登り始めから先頭に立ち、バッサバッサと鉈で藪を切り払って果敢に道を作ってくれている。

「一升瓶とか、風呂敷で包んで贈り物にするべ? その風呂敷が洒落てたら、もらった方は、おお、風呂敷にまで気ィ使ってくれてる、と思うべさ」
「おおお、そうですよね! 一升瓶は風呂敷でラッピングできますもんねー」
 桜先生は、今出てきたアイディアを頭に刻み込むかのように、目を閉じて、何度か頷いた。
 そして目を開くと、にっこりして、
「いいですねえ、やっぱり机に座って唸ってるだけじゃ、いいアイディアは出ませんよ。こうして、大勢で自然の中で体使ってワイワイしゃべってると、頭働きますよ」
「そうですよねえ、気分いいですもんねえ、お天気もいいしー」
 夢見るようにそう言った桂木さんにつられて、みんなも空を見上げた。
 新緑の隙間から、夏めいた青空。
「あー……それで、言い忘れてたんですけど」
 桜先生が、突然声を曇らせた。
「あの、今日手伝って頂いたお礼なんですけど、企画が通ればいずれ少しは差し上げられるかと思うんですけど、もしボツったら、あの……」
 あははは、と小田さんが笑い飛ばした。
「お礼なんて、誰も最初っから当てにしてないよ」
「そうですよお、こうして桜先生と山に登って、素材探しするのが楽しいんであって」
 赤根さんも笑った。
「あたしは、ボツったサンプルをもらえればいいわー」
 桂木さんがちゃっかりと言った。
 私も頷いた。
 こうして、山に登って素材探しをすることも、草木染め教室の一貫だと私は考えている。タダで教えてもらってるようなものだ。
「ありがとうございます、皆さん。桜はなんていい生徒さんばかりに恵まれているのでしょう」
 くく、と桜先生が泣き真似をした。
「さ、そろそろいくべか。昼までに下りれなくなっちまうぞ」
 小田隊長がキビキビと言った。
 確かにそうだ。
 タッパーを片づけ、ビニルシートを畳んで、ふたたび藪漕ぎに踏み出した。

 歩きながら、本日の目標、笹の染めについて教わった。
「笹は、媒染によって、結構広い色味が出せるんですよ。アルミのあったかーい感じの黄色から、鉄のどっしりした灰色まで。その中間のベージュ系やライトグレーも出ますし」
「へえ、じゃ笹だけで、結構色んなもの染められますね?」
「そうなんですよ。一年中あるし、ありがたい素材なんです」

……と。  視界の隅を、緑以外の色彩がかすめた。
「先生、藤が」
 椎の木の高い枝から、山藤の房が垂れ下がっていた。
「わあ、藤、もう咲いてる」
 桜先生始め、全員足をとめて、しっとりとした薄紫の花を見上げた。
「……藤も良い色出るんですよ」
 桜先生が上を見たまま呟いた。
「藤も採っていきます?」
 訊くと、桜先生は私の方を見て、
「いえ、今日はやめときましょう。どうせ使うのは葉っぱですから、花が終わってからにします」
そして、とても可愛らしく微笑んで。

「今日は、花を愛でるだけにしておきましょうよ」




※桜の頭上にぶら下がっている謎の物体は、もしかしなくても藤です_| ̄|○ 2007/11/21


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