お仕事シリーズ3美誉子&森山 お仕事シリーズ第3弾は美誉子です。
これも『オンブラ』裏話です。


「ふー」
 団体客を乗せたバスを蔵の門でお見送りし、ようやっとショップに戻ってきた美誉子さんは、大きく溜息を吐くと、レジ奥の椅子に座り込んだ。
「お疲れ様、しんどいようだったら、次の団体さんが来るまで、奥で少し休んだら?」
 そう言うと、
「いいえっ、平気ですっ。元気ですっ」
 胸の前でガッツポーズを取った。
 元気そうに笑って見せるが、疲れてないわけはないだろう。今日は、彼女にとって入社初めての、休日のショップ当番の日だ。加えて見学コースのガイドもしたのだし、身重の体にこたえていないといいが。

 彼女が突然大きな溜息を吐いた。
「どうかした?」
「いえね、学生の時にでも、レジ打ちのバイトしとけば良かったなあって」
 そう言いながら、細い指先で、ショップの民芸調インテリアに合わせたらしい(実は倉庫に埋まっていただけという噂もある)旧式のレジのキーをなぞった。
「もたもたしちゃって、お客さんも森山さんもお待たせしちゃって、申し訳なかったです」
「いやいや、そのレジは、レジ打ちの経験があっても大変だって」
 なにせレトロだから。
 それはさておき。
「学生時代、バイトとかってあまりしなかったの?」
 老舗酒造のお嬢様だからな、バイトなんてする必要なかったのかもしれない。
「いえいえ」彼女は苦笑して「実家でこき使われまくって、外でバイトする暇がなかっただけで。私としては、余所でバイトもしてみたかったんですけどねえ」
「そうなんだ。なるほどねえ」
 それでか……
 平社員の中の平社員である俺は、昨夏の結婚式にも呼ばれなかったし、正月に社長宅に伺うこともしていないので、早乙女家の新妻である美誉子さんと初めて会ったのは、この春、彼女が乙女酒造で働き始めた日のことで―――

 自慢の嫁です。
なんて、社長自らが販売部全員の前で紹介したので、彼女は真っ赤になって、いえいえ、とんでもないです、不肖の嫁ですが、どうかよろしくお願い致します、とぺこぺこ頭を下げていた。
 その彼女を見て、俺は少し意外に思った。
 美誉子さんのことはそれまで知らなくても、夫である晃さんには何度か会っていたので、彼のイメージからすると、きっと奥さんになる女性は、もっとこう、なんつーか、華やかというか、派手というか、ゴージャスというか、艶女予備軍というか……そんなタイプなんじゃないかと思ってたから。
 だから、いっそ清楚とも言える彼女のたたずまいに、ちょっとだけ驚いた。
 そして、変な話だけど、晃さんを少し見直したりして。
 美誉子さんは、妊娠中ということもあり、パートとして働きだしたのだけれど、すぐに仕事にも会社にもなじみ、有能さを発揮しだした。仕事の飲み込みの早さ……というか、酒用語や流通や酒造の仕組みや品質なんかについては、教えるまでもなく、俺より詳しいくらいだった。今日の見学コースのガイドだって、朝、開店前にふたりで一度練習しただけなのに、本番も堂々とこなした。
 入社して数日してから、実は小さいけれど伝統があり、品質の信頼度も高い酒造の娘なのだと聞き、門前の小僧なのか、道理で有能なはずだ、と納得し、そして今また更に納得した。
「何がなるほど、なんです?」
 美誉子さんは、きょとんとした顔で俺を見上げた。
「美誉子さんが学生時代から、蔵の仕事手伝ってたってのが、なるほどなあって」
「なるほどなんですか?」
「だって、仕事覚えるの超速いじゃん」
「えー、そうですかあ?」
「そうだよ」
 6年前、自分が入社した頃のことを考えれば、この即戦力っぷりはすさまじい。
「単に必死なだけですよお。産休までに一通り覚えなきゃって」
 うん、必死さも確かに伝わってくる。今日の当番だって、パートだし妊婦だからとローテーションから外されていたのだが、早く仕事を覚えたいので、今のうちにやらせて下さい、と彼女自らが志願して組み込んでもらったのだ。
 美誉子さんが、真剣な眼差しで俺を見上げた。
「お腹おっきくなっても、ぎりぎりまで頑張りますから、森山さんも、どうか色々教えてくださいね、お願いします」
 とても、真剣な、まっすぐな眼差しで。
 痛いくらいに。
 そうか―――
 本当に、真剣なんだな。
 本気で、この蔵で働こうとしている。
 嫁だから仕方なく、なんてことは全く頭にないのだろう。
 本気で、この蔵を支える存在になりたいと願っているのだろう……

「うん、もちろん、僕に教えられることなら、何でも教えますよ」
「ありがとうございます!」
 本気で嬉しそうな笑顔。

 その笑顔を見ているうち、彼女は、確実に、この蔵にとって大事な人になる。
 そんな確信めいた思いが、俺の中に生まれた。
 俺みたいなペーペーが思うことじゃないんだろうけど、それでも……
 そして。
 俺は、長く、彼女を支えていくことになるだろう、とそんな確信も。
 何せ、彼女と俺は、同い年……

「さーて」
 俺は寄りかかっていたレジカウンターから体を離し、
「次の団体さんが来る前に、倉庫から品出ししておこうかな。日帰りバス旅行のツアーでしょ、きっとたくさん買ってくれるし、たくさん試飲してくれるよ」
「あはー、そうかも。バスなら酔っぱらってもOKですもんねえ。私も手伝いますよ」
 俺が事務所から台車を引っ張り出していると、彼女も椅子から腰を浮かせた。
「こらこら、なーにを言ってるの、妊婦がっ。重い物持っちゃだめなんでしょ?」
「4合瓶のケースくらい持てますよ?」
「駄目駄目、具合悪くなっちゃったりしたら、僕が社長に怒られる。クビになっちゃうかもしれない。美誉子さんは店番しながら、レジの練習でもしてて」
 そう言うと、
「あう……」彼女はちょっと情けなさそうに眉を下げ「そっかー、次のお客様がいらっしゃるまで、練習しといた方がいいですよね。スミマセン」
ペコリと頭を下げた。

 ああ―――
 この女性、こんなに可愛いところもある。

……なんて、人妻に向かって一瞬思ってしまい、慌ててその感情を追い払うために、
「つわりは、今日は大丈夫なの?」
と、ちょっと唐突かな、と思いつつも話題を変えた。
 2週間ほど前の入社したての頃、蔵の庭の木陰で、青い顔でぐったりと座り込んでいる彼女を見たことがあった。昼食の、仕出し弁当の受け取りなんかもキツそうだった。
「ええ、もうつわり自体が終わりつつあるみたいですし、それに、今日は仕事に夢中でしたから、気持ち悪くなってる暇ありませんでしたよー」
 そう言いながら、俺を見上げる笑顔がまた可愛くて……
「そう、でも、くれぐれも気を付けてね」
 台車を押し、急ぎ足でショップを出た。

 とにかく……

 ガラガラと、台車がやたらとやかましい音を立てる。

 彼女と俺は、同い年だから……
 これから、長く一緒に働けるのが。

 嬉しい。




※乙女酒造販売部営業課・森山氏視点、『オンブラ・マイ・フ』2章の事件の直前の話です。ちっとは若女将っぽい?
※昭和の香りのするレジスターを目指してみたんですが……努力はしたんですが_| ̄|○ 勘弁してください……
2007/11/21

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