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期末試験も半分くらいクリアしたころ、どうにもストレスが溜まるので、楽器を吹きに放課後音楽室に
行った。リード用の水を汲むために、流し経由。
すると、音楽室からマリンバをすさまじい勢いで叩く音がして。
「桜か」
音楽室を覗くと予想通り桜だった。
「あ、美誉」
桜は私に気づくと、マリンバから顔を上げて、首をすくめて。
「3日も楽器に触れないと、気が狂いそうになるのさ」
「私も」
桜の言葉に深く同意して、ケースから楽器を出した。私は持ち帰って練習できる楽器だからまだ
いいけど、パーカッションではそうもいかないから、更に激しくストレスが溜まるだろう。
お互い30分ほど憑かれたように練習しまくり。
ふと、エチュードから顔を上げると、桜も放心したように、マリンバの前に突っ立っていた。
「…疲れたね、何か飲もうか」
声をかけると、桜が頷いた。「そうだね」
一番近くの自動販売機からお茶を買ってきて、音楽室の窓辺に座って飲んだ。
窓からは、すっかり夏めいた空と、緑の鮮やかな田圃が見える。眼下の裏庭のケヤキも、
透き通った夏の緑。
爽やかな風が、桜のさらさらのおかっぱ頭を揺らす。
梅雨も終わりだな、と思う。
「美誉ってさあ、文芸部の三浦くんとはどうなってるの?」突然、桜が言った。窓の外を見つめながら。
「三浦?どうって…どうもなってないよ。只の仲間ってやつ?吹奏学部の男子たちと一緒だよ」
「三浦くんと仲良いからさ…でも、何でもないんだろうね、そうだろね」
入学時は5人いた文芸部の同級生も、残ってるのは三浦と私だけになってしまったので、仲が良いのは
あたりまえと言えるだろう。
「なんでそんなこと訊くの?」
「訊いてくれって言われたのよ、クラスの男子に」
「三浦と私がつきあってるのかどうかって?」
「そう。私の知ってる限りじゃ、美誉は誰ともつきあってないって言ったんだけど、三浦くんだけは
怪しいから、確認してくれってさ。だから一応」
三浦に告られたことは、桜にも話していない。文芸部の一部の者しか知らない。
「誰がそんなこと…って、訊かない方がいいんだろな」
「そうだね、誰かは言わないでおくけど。そのうち告ってくるかもしれないから、考えてやってよ」
「困るよ、それは。私、今誰ともつき合う気ないもん。誰だか知らないけど、その人にもそう伝えて」
「結構いい男なんだけどなあ」
「そういう問題じゃなく」
「美誉、高校に入ってから、何人に告られた?」桜が真顔で訊いてくる。
「…面と向かって告られたのは、3人かな」
2年になり立ての頃、1年の頃からのクラスメートに。
2年の冬、三浦に。
3年になり立ての頃、卒業したての吹奏学部の先輩に。
どれも、しんどかった。
「それ全部、即答で断ってるんでしょ?それに、面と向かって、ってことは、今回みたいに遠回しに
断ってるケースも入れるともっとあるってことだよね」
「…さあね」
「せっかくモテるのに、どうして誰とも試しにでもつきあってみないわけ?この年頃で男女交際に
興味が無いなんて、何かヘン」桜がフン、と鼻を鳴らした。
「だって、そういう気になれないんだもん」
「浮いた話も全然きかないし、継続的に好きな人がいるわけじゃないんでしょ?」
「そんな人いないけど。いたら、桜には話してるよ」
「だったら、どうして?お友達から始めてみてもいいだろし」
「めんどくさいし…男嫌いなのかも」
「女の子の方がいいとか?」
「そうかも、桜ちゃーん、身の危険感じないー?」そう言って、私は桜に抱きついた。
「やめい、暑苦しい!私には菅ちゃんがいるのだ」
ふざけて話をそらそうとしたが、引き剥がされた。
「もぉ、いいじゃん、私の勝手でしょ。とりあえず、彼氏なんていらないの。楽器と本があれば
毎日楽しいし、勉強だってしなきゃだし。なんでみんな最近そういうこと言うかな」
ちょっぴり腹が立って、むくれて見せながらそう言うと、
「みんな?」
「聡子にも似たようなこと言われたの」
「心配してるんだよ。このままじゃあんたの青春、男っ気のないまま過ぎてしまう。せっかく
そんなにキレイに生まれついたのに」
「キレイなんかじゃないじゃん、全然」
「何いってんの、キレイだよ。男共が惹き寄せられてるのが証拠だ」
桜に人差し指で鼻の頭をつつかれた。
少し、悲しくなって、「私なんかのどこがいいのかなあ」そんな台詞がなんとなく、口をついた。
「そりゃあ、スタイルも良いし、美人だし、頭もいいし、楽器も上手いし」
「そんなこと全然ないと思うけど…例えそう見えたとしても、そんなの、うわべじゃん。きっと、
つきあってみると、みんながっかりして軽蔑するんだよ、私の中身知ったら」
「だから、誰ともつき合いたくないわけ?」
「そうかな…うん、それもありかも」
誰にも見せられない傷。自分で触れることすら、辛い傷。他人になど、とても見せられない。
「見かけに惹き寄せられてる人も確かにいるだろうけどさ、美誉のこと、まるごと好きになって
くれてる人も、中にはいるんだよ。きっと」
「そうかな…」
「人を好きになるって、楽しいよ。それが、片思いでも」
桜が、ちょっと寂しそうに笑った。
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期末試験が終わった木曜日、早乙女くんを文芸部室に連れていった。一応木曜日が例会なので、
丁度良い。
しかし、試験直後だし、そんなに集まってはいないだろうな。
「トウのたった新入部員を連れてきたよ」
文芸部室には石田を含む数人の2年生と、三浦。4畳半ほどの部室は、それだけで結構狭苦しい。
早乙女くんを室内に導き入れると、その場が凍った。全員が彼に釘付け。彼が転校してきた日の
ホームルームのよう。ま、仕方ないか、文芸部員は彼を間近で見るのは初めてだし。
「早乙女です。年寄りで申し訳ありませんが、よろしくお願いします」彼はそんな雰囲気に慣れてるの
だろう、臆することなくいつものような穏やかな声で挨拶した。
「あ、部長の石田です。どうぞおかけ下さい」我に返った石田が、椅子を勧めた。
「どうも」早乙女くんは優雅な身のこなしで座る。
石田は早口で話し始めた。「え、えと、曽根先輩からだいたいお訊きだと思いますが、一応
説明させて頂きます。主な活動は文化祭の会報で、ってこれしか殆どやってないんですけど、
毎週木曜が例会です。でも、全員集まるのは、毎年文化祭直前くらいです。会費は月500円で、
ほとんどが会報の資金になります」
私はドアに寄りかかったまま、成り行きを見守っていた。
2年生の女の子達の緊張が次第にほどけていく様子が面白い。ため息をついたり、小さく首を
振ったり。私も彼を初めて見たとき、あんな風だったんだろうな。
と、上座に偉そうに座っていた三浦と目が合った。
三浦は私に軽く頷くと、早乙女くんの方に向き直り
「早乙女は…あ、俺、3組の三浦だけど、体育同じだから見覚えあるだろ?」
早乙女くんが頷くと、
「お前、どんな本読むんだ?」
やだな…最初からケンカ腰じゃないでしょうね。
早乙女くんはにっこり笑って。
「何でも。特に好きなのは、って言われると、ミステリは翻訳もの、純文は和物かな」
「お、ミステリはどんなのが好きだ?」
三浦が身を乗り出した。
「早乙女くん、気をつけた方が良いよ、三浦は「強くなければ男ではない」がキャッチフレーズ
なんだから」私は立ったまま口を挟む。
ちなみに、言うまでもないが三浦の座右の書は『さらば愛しき女』である。
「うるせえな、邪道女」三浦が新本格ファンの私に言う。
早乙女くんは笑いながら。「ハードボイルドも読むよ。特にグリーンリーフなんて好きだなあ。
しっとりして」
「おお、同士よ!」三浦が早乙女くんの右手を、両手で握りしめた。
「ええい、気持ち悪い」私はすかさず三浦の手を叩いた。
「いってえな、なんだよ、妬いてるのか」
「三浦みたいな偏狭なヤツに、気安く触って欲しくないだけですぅ」
「同じハードボイルドファンとして、親睦を深めてるだけだろ。お前だってたいがい偏ってるじゃんか」
「私はあんたみたいに、誰かれかまわずポケミスを山のように無理矢理貸したりしませんからぁ」
後輩達は私たちのやりとりに大受け。
早乙女くんも屈託無く笑ってる。
私はその様子を見て、ひとまず安心して。
「じゃ、吹奏学部の練習があるから、そろそろ失礼するわ。早乙女くんのこと、よろしくね」
部室を出ようとドアを開けると、「ありがとう、また明日ね」と、早乙女くんの声が
追いかけてきた。
振り返ると、澄んだ瞳がひたと私を見つめていて。
「うん、また明日」それだけ言って、部室から出た。
ちょっと心臓がどきどきした。
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樹下の天使1−5