名医って・・・

なに?

ちょっと前までは、医者を筆頭にピラミッド型でしたが、
現在は、医者を中心とした円型になりつつある。

私にとって名医とは、

福島医科大学菊地臣一先生
ふじクリニック院長、 内藤いづみ先生のような
名の売れている医者?
(昭和59年4月頃、東京のどこかの和室で、
夕食会の時、職場から、頭にたんこぶ作って、
よろよろしてる私と2mぐらい離れて一緒に歩き、
始めから席に着いていた菊地先生と
残業で遅れてきた、いづみ先生が、
隣り合って食事してたっけ。
その次の日、祖父が田島に
羊羹持って出かけた。)

確かにそうかもしれない。

しかし、無名でも、名医と呼べる医者など、いっぱいいる。
私の中で、一番の内科の名医は、今は無き(だと思う)
福島県立宮下病院
約 30年前、居られた 先生。
その先生は、大学では、内科を専攻し、
宮下病院で、内科医として働いていたが、
外科医が辞めてしまい、
それを機に、外科医に転身したはずだ。
立地も、現在でも会津若松から、
只見線で1時間30分で、
県立南会津病院 同様、辺鄙な地。
冬は大雪で、病院業務外でも、大変なのに、
専門外で、患者様や自分のスキルアップのため、
空いた時間や寝る間を惜しみ、
1人、内科・外科の医学書をポケットマネーで買い、
理論を勉強したり、手術に備え、手芸や料理、工作
(米粒に顔を描いたり)等の細かい作業をしていた。
いつも、皆に敬意を払い、笑顔を絶やさず、濡れ衣着せられても、
愚痴一つ吐かず、事を収拾させ、一生懸命、頑張って働いていた。
並々ならぬ努力だったと思う。

患者様は、
”常に努力しているから、信頼できる”
”患者の気持ちを大切にしてくれる”
と、好評なのに、
同僚、部下や他の外科医からは、
”大学で、外科の勉強していないから、いくら勉強しても所詮内科医は内科医”
”患者やその家族に頭を下げるな(医者としての威厳??)”
と、不評(笑いもの)だった。

私は、その先生に出会ったおかげで、
”カフェイン中毒” から抜けられ、
(当時の)福島医大では、絶対学べない
人としての生き方や
色んな事を学ぶ事が出来た。

名医って、
患者様から信頼され、
常に努力し、
忍耐強く、
誰も見ていない所でも、
見知らぬ人の前でも、
まともな事が出来る
医者。

男性医者で、まだ若いのに、白髪や禿げている人がいる。
若い医者の老化現象は、努力と苦労 の証と教わった。
体質や遺伝にもよるが、
ストレス発散が仕事多忙で、うまくできなかったり、
医療現場を知りすぎてしまうと、
あっという間に、禿げるらしい。

もともと、子供の頃から、
M字型禿げの髪型の医者もいる。