信濃国伊那郡伊賀良荘下条を本貫地とする国人領主。下条時氏の嫡男。伊豆守。伊那郡吉岡城主。
下条氏は代々が信濃守護の小笠原氏に属して密接な関係にあり、信氏は伊那郡に勢力を張る鈴岡小笠原氏の小笠原信定に従っていたが、天文23年(1554)8月頃に甲斐国の武田信玄が小笠原信定を降すとその軍門に降り、信州先方衆百五十騎持として仕えた。同年12月には知久平の地を安堵されている。また、時期は不詳であるが信玄は妹を信氏に娶せ、義兄弟として厚遇したという。
信玄の死後は武田勝頼に仕え、天正3年(1575)4月には、武田勢が攻略した三河国足助城の守備を任されている。
天正10年(1582)2月、織田勢による武田征伐に際し、美濃国との国境の滝沢要害に拠って下伊那口の防衛にあたったが、織田方に心を寄せていた弟の下条九兵衛が反乱を企てると、子の信正とともに三河国へと逃れて潜伏した。しかし子の信正は同年3月に三河国黒瀬谷で病死し、信氏もまた6月25日に遠江国宮脇にて54歳で急死したという。