足利義量(あしかが・よしかず) 1407〜1425

室町幕府第5代征夷大将軍。在位期間は応永30年〜応永32年(1423〜1425)。
応永14年(1407)7月24日に生まれる。父は4代将軍・足利義持、母は権大納言・日野(裏松)資康の女・栄子(よしこ)。
応永24年(1417)12月に11歳で元服すると同時に正五位下・右近衛中将に任じられ、昇殿を許される。
酒好きで知られる父・義持の影響もあってか義量も飲酒が好きであったようで、応永28年(1421)には泥酔したことを義持に叱責されている。この飲酒の害によるものか生来のものかは不明であるが、病気がちであったという。
応永30年(1423)3月18日に義持より将軍職を譲られて5代将軍となったが、応永31年(1424)1月には疱瘡を患っていることが知られており、翌応永32年(1425)2月27日、将軍としての顕著な治績のないまま、父に先立って没した。享年19。法名は長得院鞏山道基。