根来衆とは、葛城山系の一角、紀ノ川中流域の根来寺に属す僧徒らの組織で、正しくは『一乗山根来寺大伝法院』と称する新義真言宗の総本山である。
紀伊・和泉・河内の3国にまたがって勢力を張り、単に僧徒を擁していただけでなく、近隣一帯の在地領主をも従えていた。しかも強力な鉄砲隊を組織しており、その軍事力は強大なものであった。
鉄砲(種子島銃)の伝来は天文12年(1543)、種子島の島主である種子島恵時・時堯父子が種子島へ漂着したポルトガル人より2丁の火縄銃を買い上げたことが始まりであるが、そのうちの1丁を根来衆の津田監物(算長)が交渉の末に譲り受けた。これを領内で量産して、鉄砲隊を組織したといわれている。
のちに鉄砲集団として雑賀衆(さいがしゅう)とともに名を馳せることになるが、歴史としては根来衆の方が深いのである。