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作品名 |
罪と罰 ドストエフスキー 世界の文学16 訳者 池田健太郎 中央公論社 |
平成12年7月28日 3回目読破 |
登場人物 |
ラスコーリニコフ(ロージャ)23歳の元大学生 |
プリヘーリャ 母 アヴドーチャ(ドゥーニャ) 妹 |
ラズーミヒン 友人 マルメラードフ カチェリーナ ソフィア(ソーニャ) |
スヴィドリガイロフ ルージン 弁護士 |
レベジャートニコフ 卑俗な空想的社会主義者 |
アリョーナ・イワーノヴナ 強欲な高利貸しの老婆 |
リザベータ・イワーノヴナ アリョーナの義妹、愚直なまでに善良な女性 |
ポルフィーリイ 明敏な予審判事 |
イリヤー・ペトローヴィチ 火薬中尉 警察副所長 |
ザミョートフ ラズーミヒンの友人、警察署の事務官 |
ゾシーモフ ラズーミヒンの友人 医者 |
人は神なくして生きていけるか? 無神論者でニヒリストの元大学生ラスコーリニコフは、選ばれた人間は、犯罪を犯しても罰せられないという独自の理論を持っていた。自分が選ばれた人間である証明をするために、この理論を実行し、社会に何の益もない、それどころか害でさえあると彼が考えた高利貸しの老婆を殺害する。しかし、予期に反して、猛烈な良心の呵責に苦しむ。そのことで自分は選ばれた人間ではなく、老婆と同じ虱であることを知った彼は、信仰心の篤いソーニャの勧めで自首をする。しかし、彼は心から人を殺したことを悔いているわけではなかった。人殺しを耐えることができなかった、ふがいない自分を悔いているだけであった。そのため、8年の刑でシベリヤに送られても、心を完全に閉ざしたまま服役する彼であった。しかし、時間と共に、生を愛する囚人やソーニャの献身的な姿を見て、生きることの意味と、ソーニャを愛している自分に気が付いた。二人で愛を確認したとき、彼は救われた。愛を見つけた彼が神を見つけるのは時間の問題である。なぜなら、ソーニャは神そのものであるからだ。 |
◎ 主人公ラスコーリニコフは、貧乏な元大学生であり、天井の低い部屋で、悶々とあることを考え続けていた。人間は大きく分けると有能な人間と無能な人間に分けられる。有能な人間は時代を変える人間であり、何をしても許される人間である。彼がした行為は、たとえその時代には認められなくても、次の時代では必ず認められ、英雄として祭り上げられる。つまり時代を作る人間で、その数は100万人に一人程度の極少数の人間である。そして、もう一つの無能な人間は、再生産つまり、子孫を増やすだけしか価値のない人間である。 ◎ 選ばれた人間は、罪を犯しても許される。例えば、ナポレオンは何万人の命を奪っても、罰せられない所か、英雄となっている。もっとも、ナポレオンは自分が犯罪を犯しているとは思っていない。それ故、そのことで心を惑わしたり、苦しんだりすることはない。良心の痛みはみじんもなく、平然と踏み越え、それに耐えてゆく。それが選ばれた人間を証明することである。 つまり、彼は、選ばれた人間の証明は、『人類にとって有益な事(たとえそれが犯罪であっても)であれば、何の躊躇もなく実行できる。そして、その結果に対して、何らの良心の呵責も感ぜず。また、たとえ感じたとしても、決然と耐えることができる』ことと考えた。そして、自分もその選ばれた人間であると確信していた。 ◎ 低い天井の下で長く生活をすると、人間は空間から圧迫感を受け、いつしか考え方が歪になる。これは建築理論的に正しい。建築は、人の生活が便利で快適になるように設計するが、ひとたび家が完成し、そこで生活が始まると、逆に人の生活を規制する。生活ばかりでなく、考え方も変える。ラスコーリニコフが低い天井ではなく、もっと広い快適な空間で生活していたら、彼には積極的で建設的な考え方が沸いてきて、こんな犯罪は思い浮かばなかったかもしれない。 ◎ しかし、彼は、来る日も来る日も、天井の低い部屋に閉じこもり、自分の理論に沿って、金貸しの老婆アリョーナを殺すことばかり考えている。それでは何故彼女が選ばれたのか?それは、彼女がリザベータという義妹しか身寄りがなく、犯行がばれにくいこと。金の亡者で人から嫌われ、死んだからといって誰も悲しまない、それどころか喜ばれる存在であること。彼女は金持ちで、彼の当座に必要な3000ルーブルを持っていること。などであった。 ◎ 来る日も来る日も殺人の事を考えているが、なかなか実行に移すことができない。それどころか、自分でも本当に実行できるかどうかわからない。この迷いこそ彼がナポレオンではない事の証拠である。 ◎ 彼は以前、今住んでいる下宿の娘と許嫁であった。そのため下宿の主婦は、貧乏な彼にお金を援助していた。主婦はいずれ彼は自分の息子になると思っていたので、貸したという意識はなかった。また、彼も借りたという意識はなかった。しかし、娘が病気で死んでからは、そこの主婦が急に冷たくなり、彼に借金の催促をしだした。主婦にとっては、息子から、ただの人になり、家賃もろくに払えない、貧乏人の彼は厄介者でしかなかった。 ◎ 元大学生の彼は、以前はアルバイトで翻訳の仕事をしたりしていたが、今は何もする気力がなく、貧乏のどん底であった。そのため、大学もやめて、下宿で満足に食事もせずに、寝てばかりの怠惰な生活を送っていた。彼は、日中は考え事か寝ていて、夜中に気が向くと外出する生活ぶりだった。 ◎ 彼が久しぶりに外出し、酒場でマルメラードフと知り合う。彼は、下級の官吏で、飲んだくれのどうしようもない男であった。再婚し妻(カーチャ)と幼い娘(ポーレンカ)と息子の4人暮らしであった。いつも酒におぼれ失敗を繰り返し、家庭は貧困のどん底であった。久々に上司の特別の配慮で就職をし、カーチャを喜ばせるが、最初の給料を彼女に黙って持ち出し、酒屋に入り浸り全て使ってしまう。徹底的な自己破壊型の人間である。 ◎ 人間落ちていくときの快感は何とも言えないと言われる。そして、落ちた先の生活に安住し、そこから抜けたくないと思う種類の人間も確かにいるものだ。普通に考えたら、せっかく就職が決まり給料をもらえるなら、そのなかの少しだけを使って、お酒を飲めば良いのにと考えるが、彼にはそういう生活、そのものがいやなのだろう。規則正しい生活ではなく、怠惰な生活が自分に合っていて、そこから抜け出そうという気持ちがない。 ◎ 彼には、先妻との間に一人娘のソーニャがいる。家族思いで信仰心の厚い女性である。 父が給料を酒に変えてしまい、家族が食う事ができなくなると、家族のために売春婦になる。カーチャはヒステリーになり、ソーニャを責める。(お前にはまだ売るものがあるだろう、さっさと売って家族のためになったらどうだ) その夜、体を売ったお金をカーチャに渡した時の、カーチャの様子は感動的である。ソーニャにとって売春は彼女の倫理、信仰心からいって、最も遠い職業であり、絶対にしたくない職業であった。しかし、家族特にカーチャの気持ちを考えると、自分の気持ちを抑えてしまう彼女であった。彼女の収入がこの家族を、何とか生かしていく唯一のものであった。 ◎ 犯行を実行すべく下見に出かける。シュガレットケースに見えるように板きれを厳重に包装紙で包んで、質草に仕立て、金貸しの老婆の家を訪ねる。その時は、犯行をほんとうに実行するとは、彼自身も信じていなかった。しかし、その帰り、センナヤ広場を歩いていた彼の耳に、露天商とリザベータの声が入る。その会話で、今日の夜リザベータが、老婆の家を留守にすることを知ってしまう。この偶然を彼は神の声として聞き、これによって今までの迷いが吹っ切れ、犯行を決意する。 ◎ 下宿に帰ると、外套の内側に布で斧をぶら下げるものを作り、そこに台所にある斧をつけるつもりであった。そして、主婦が台所にいないことを願いながら、下宿の階段を静かにおりる。しかし、台所に主婦はいなかったが、肝心の斧がない。予測しない出来事に呆然となるが、偶然通りかかった納屋にうってつけの斧があった。 ◎ 彼は、幸いにも誰にも見つからず、老婆の部屋にたどり着いた。はやる心を静めるようにドアをノックするが、老婆は用心のため、なかなかドアを開けようとしない。そこで彼は、怪しまれないように明るく声をかけ、思い切ってノブを引っ張り中に入った。昼間約束したシガレットケースを持ってきたと、質草を老婆に渡し、それに手を焼いている老婆を後ろから、脳天めがけて、一気に斧を振り下ろした。 ◎ 辺り一面血の海、動転する彼は、急いで金目のものを物色し、一刻も早くこの場所から立ち去りたかった。ふと、気がつくとリザベータが老婆の前で、恐怖のあまり声も出せず立ちつくしている。冷静さを忘れて、ドアを開けたままにしておいたからだった。彼は、何の躊躇もなく、リザベータにも斧を振りかざした。 ◎ 予定外のリザベータの出現にあわてた彼は、逃げようと出口に向かう。しかし、運悪く質入れをするために、老婆と約束をしてきた男がやってきた。あわててドアのかんぬきを刺し、息を潜める。何度たたいても出てこない老婆に悪態をつき、もう一人の客人と門番を呼びにいこうと話をしている。でも、あの老婆がどこに行くわけがないし、それにかんぬきが内側からかかっているのはおかしい、きっと誰かが中にいるはずだ。そこで、一人を見張りとして残して、もう一人が門番を呼びにいくことになった。その間、玄関戸を挟んで、血に塗れた斧を抱えたラスコーリニコフと門番が来るのを待つ男が、息を潜め対峙する。ラスコーリニコフにとって絶体絶命のピンチ、果たして彼は無事逃げられるのだろうか。 ◎ しかし、いつまで待っても来ない門番に業を煮やした男は、自分も門番を呼びに行ってしまう。その一瞬の隙をねらって、彼は部屋を出て階段へ、でも階段からは門番と二人の男が登ってくる。間一髪、彼は引っ越しのため空き家になっていた、3階の部屋に滑り込んだ。そこで、彼は知らずに盗んだ質草の一つを落とす。 ◎ 何とかやり過ごし、誰にも見られずに下宿に帰ってきた彼は、盗んだ質草を一旦壁の穴に放り込み、死んだように眠った。翌日、質草はどこかの空き家の石の下に埋めた。そこに、どれだけのお金があり、どのような質草があったか、彼は知らない。そのことにはほとんど興味がなかった。盗んだお金は彼の出世のために使うはずであったのに、……。 ◎ 彼の親友ラズーミヒンは、快活で、世話好きの好青年である。友達のことを思い、無償で親友のために尽くす。二人は以前、翻訳の仕事を一緒にやっていた事があり、それで知り合い、友人のほとんどいないラスコーリニコフにとって、唯一の友とも言える。 ◎ 前から、最後の頼みの綱として、ラズーミヒンにバイトを頼みにいくつもりでいたが、最近では、あの事が終わってから、訪れようと決めていた。そこで事件後、彼はラズーミヒンを訪ね、仕事を世話してくれるように頼む。しかし、途中でそんな自分が嫌になり、彼は訳も言わずに帰ってしまう。心配になったラズーミヒンは、彼の住んでいる所を調べ、彼の置かれている状況を把握した。さっそく、主婦とナターシャを味方に付け、ラスコーリニコフの食事を確保し、友人の医師に頼んで診察をしてもらう。 ◎ 夢うつつの中で、警察からの出頭状が彼に届けられた。この出頭状の意味がわからない彼は、頭の中で、『殺人がばれたのか、いやまだばれるわけがない』との疑問を繰り返しながら、警察へ出頭する。そこには、事務官のザミョートフ、副所長の火薬中尉、所長のフォーミチがいた。 むせ返る暑さの中、呼び出しの件が、下宿の主婦からの借金の件であるとわかりほっとする。しかし、警察署の中の話題が、金貸し老婆殺人事件についてのものになると、たまらなく気分が悪くなり、気が遠くなる。後々、このことで、警察から疑いをもたれる。特に、事務官のザミョートフには……。 ◎ ルイジンが彼のアパートを訪ねてくる。妹(ドーニャ)の婚約者であるが、そのいきさつは、母からの手紙で承知していた。ドーニャは聡明でかつ美人であった。田舎で母と暮らしていたが、収入は母の年金だけであるので、家庭教師として、マリファの家に雇われていた。そこにマリファの夫スヴィドリガイロフがいた。彼は、彼女に一目惚れし、彼女の気を引くために、手練手管を労し、あげくは一緒に外国へ行こうという話までした。ドーニャは自分の境遇を考え、じっと我慢していた。 ◎ しかし、この外国へ行くという話がマリファにわかり、彼女の逆鱗に触れる。彼女は、このことを町中に言いふらし、ドーニャの名誉を著しく傷つけた。この事件は、スヴィドリガイロフが自分が全て悪く、ドーニャは被害者であるとの手紙をマリファに渡したことで急展開する。自分の否を認めたマリファが、その手紙をもって、町中を回り、ドーニャの名誉回復をしたことで一件落着した。 ◎ ルージンはマリファの親戚にあたり、この事件を冷静に見守った後、ドーニャを嫁に欲しいとプロポーズした。彼は考えた。スキャンダルに打ちひしがれた、美貌の令嬢を自分が助ける。このことで彼女に大きな貸しができると、……。 彼は、自分は高級官僚で財産もあり、。これほどのチャンスを、ドーニャが逃すわけがないと思っていた。恐るべき自惚れ屋である。 ◎ ルージンは、以前から自分の妻になる女性の条件を、次のように決めていた。できるだけ上流階級の由緒ある女性で、それも美人で(自分が出世するのに、美人の妻は社交界をわたっていくのに好都合)あること。そして、何より夫を恩人と思い、一生恩を感じ従ってくれる女性であること。 ドーニャはこの条件にぴったしである。美人で、聡明で、貧乏で、このようなスキャンダルにまみれている。この危機を自分が救えば、一生恩人として従うだろうと、ルージンは考えた。 ◎ このプロポーズをドーニャは一晩寝ずに考えた。部屋を腕組みし、何度も往復する中で、彼女は決心し、自分を捨てて、母や兄をとった。賢明な彼女には、ルージンの正体は見え見えであった。ルージンを尊敬し愛していけないことは、分かっていたが、結婚による経済的な余裕が、母と兄を救うことも合わせて知っていた。この自分の意志に背き、自分を犠牲にする姿は、ソーニャの身を売る行為と同じであると、ラスコーリニコフは思っている。 ◎ 母と妹は、兄に会うためにペテルスブルグへいくことを決心する。ルージンは、婚約者として、荷物を送る代金のみを負担した。(それも何かのついでであり、お金もほとんどかかっていない)そのため、旅費は自費であったため、母と妹は百姓の馬車と3等列車の長くつらい旅を経験しなければならなかった。また、ペテルスブルグに用意された部屋も、女性二人が住むにはびどいものだった。 このことが、ラスコーリニコフの怒りをかった。普通の男は、大事な許嫁とその母にこんなひどい扱いをするわけがない、まさしく、ルージンの正体そのものを見た思いであった。 ◎ この話を手紙で知ったラスコーリニコフは、会う前からルージンを嫌いであり、会ったら叩きのめしてやろうと待っていた。そのルージンが彼を訪ねてきた。彼は、早速ルージンの理論、『妻は貧乏な方がいい』を持ち出して議論を始めた。初めは自分の考えが誤解されていると弁解をしていたが、ラスコーリニコフのみでなく、ラズーミヒンやゾシーモフからも攻撃され、ついに怒り心頭に達し、捨てぜりふを残し帰ってしまう。 ◎ 田舎から母と妹が彼を訪ねてくる。そこで、ルージンがこの部屋を訪ねて来たときの様子を話し、なぜ、あのような卑劣な男と結婚するのかと、ドーニャをなじった。彼にとって、ドーニャがルージンに嫁ぐと決めたことは、ソーニャが体を売るのと同じ事であった。ドーニャは自分の意志ではなく、母や兄の犠牲になるために結婚しようと思っていたからである。この結婚には、絶対反対であると彼は言った。 ◎ ラスコーリニコフから追い出された翌日ルージンは、母とドーニャに大切な話があるが、ラスコーリニコフの同席は絶対困るとの手紙を寄こした。が、彼女たちはそれを当然のように無視した。 このときの議論に破れ面目をなくしたルージンは、ドーニャを失った。自分ほど完璧な夫はいないと思っていたルージンは、この事実が信じられなかった。それと同時に、この屈辱を与えたラスコーリニコフに、はげしい怒りを感じ、復讐を誓った。 ◎ 手紙の中に母親の年金の前借りとして、300ルーブルが入っていた。この大切な金を彼はいとも簡単に使ってしまう。気分の良い日、散歩にでたラスコーリニコフは、居酒屋で偶然警察事務官のザミョートフに会う。彼が、警察でラスコーリニコフが倒れたことで、老婆殺しの犯人として疑っていることを知っていたので、『自分が犯人である。さあ、どうすると』どぎまぎする彼を徹底的からかい、意気揚々と店を出た。 ◎ 下宿へ帰る道で、馬車にひかれ、瀕死の重傷を負ったマルメラードフを見つける。彼を家に運び医者を呼んでやるが、そのかいもなくマルメラードフは死んでしまう。彼は、母の大切な金を残らず、葬式代としてカーチャに渡す。カーチャは死者へのはなむけと称して、供養の振る舞いを盛大に行った。その中の招待客にルージンも含まれていた。 ◎ ルージンは、ラスコーリニコフに復讐する機会をねらっていた。その方法は、ラスコーリニコフの信用をなくし、自分が言っていることが正しかったことを、ドーニャに知らせることであった。ラスコーリニコフの信用をなくすには、彼の付き合っている娼婦のソーニャがとんでもない女であり、ドーニャや母と同席するには相応しくない女であることを証明すれはよい。 ◎ その時ルージンは、レベジャートニコフの部屋に同居していた。彼は、空想的社会主義者で、その理論のことでルージンとよく討論をしていた。が、レベジャートニコフを馬鹿にしていたルージンとは、議論がかみ合わなかった。彼は、ソーニャと仲が良く、彼女に本を貸してやったりしていた。密かな恋心があったかもしれない。 ◎ ルージンはレベジャートニコフの部屋にわざわざソーニャを呼んで、レベジャートニコフ立ち会いのもとに、彼女にお金を渡した。これは、証人が必要だったからだ。「今日はせっかくのお招きだが、都合がつかなくて行けないので、これは心ばかりの悔やみだ」と言って、10ルーブル札を渡した。しかし、その一方で、彼女にはわからないように、100ルーブル札を1枚、彼女のポケットに隠した。これを見ていた、レベジャートニコフは、ルージンが彼女には知らせずに施しをしたと思い、ルージンを見直していた。 ◎ 葬儀の後の振る舞いが始まって、しばらくして、ルージンがソーニャに、そのことで詰問する。その場にはラスコーリニコフも招かれていた。ポケットから100ルーブル札が出てきて、絶対絶命のピッチを救ったのは、レベジャートニコフの証言であった。 ◎ 金貸し老婆殺人事件の方は、意外な展開を見せていた。ペンキ職人のミーシャが自白したのだ。事件の翌日、ラスコーリニコフが忍び込んだ3階の空き部屋に、塗装の仕事でミーシャが行き、落ちていた質草を金に換えて酒を飲んだ。そのことがわかり、事情聴取のため警察に出頭した。最初は、犯行を否認していたが、しばらくして自白をした。なぜ、ミーシャが嘘の自白をしたのかはよく分からないが、宗教的な影響(自分に罪を与え、罰してほしいという)があるのではないかと、ポルフィーリーは言う。 ◎ ラズーミヒンの親戚に当たるポルフィーリーは、金貸し老婆殺人事件の予審判事であった。なかなかずるがしこく、頭の切れる男である。ラスコーリニコフが警察署で倒れたことに不信を持ち、彼の書いた理論を手に入れると、ますます彼を疑っていく。彼の取り調べ方は、刑事コロンボを連想させる。自分の言いたいことや聞きたいことを、持って回った言い方をする。それによって、容疑者に不安と疑心暗鬼を起こさせ、自分に有利な発言を引き出そうというのである。ラスコーリニコフとポルフィーリーとの心理合戦も、この小説の見所の一つである。 ◎ 自分への疑いを晴らすために、ラスコーリニコフはラズーミヒンと一緒に、ポルフィリーを訪ねた。自分の心の動揺を隠すために、わざとラズーミヒンをからかい、陽気に振る舞った。戦いを挑みにきたラスコーリニコフであったが、そこには、ポルフィリーが仕掛けた罠が待っていた。巧妙に被疑者をいらだたせ、彼の取り調べが始まる。しかし、突然アクシデントのためにこの罠は失敗に終わる。 ◎ ポルフィーリーが述べる、ラスコーリニコフの犯罪理論。それに反論する、ラスコーリニコフとのやりとりは、重要であるので、ここに本文のまま(多少の省略はある。***から***まで)を以下に掲載する。 ********************************** 僕の思うには、もしケプレルやニュートンの発見が、あるさまざまな事情の合体の結果、一人なり、十人なり、百人なり、あるいはそれ以上の、その発見を邪魔し妨害した人々の生命を犠牲にせずには、なんとしても世間に認められないとしたら、その場合ニュートンは、自分の発見を全人類に知らせるために、その十人なり百人なりの人を排除する権利を持っている、いや、排除する義務があるのです。もっとも、だからと言って、ニュートンが手あたりしだいだれかれの別なく人を殺したり、毎日市場で泥棒をする権利を持っていたということには決してなりません。 マホメット、ナポレオンなどという立法者や指導者は、すべてひとり残らず、新しい法律を制定して、そのことによって、従来の社会から神聖視されていた、父祖伝来の古い法律を破棄したというこの一事からでも、立派な犯罪者だったのです。したがって彼らは、当然のことながら、血が彼らを助ける場合には(その血が時によってまったく無辜(むこ)の血であろうと、古い法律を守るために勇ましく流された血であろうと)、血の前にもたじろがなかったのです。実際、これら人類の恩恵者、人類の指導者の大部分がとりわけ恐ろしい流血者だったという事実は、注目すべきことじゃありませんか。 僕の根本思想というのはこうなんです、− 人類は自然の法則によつて、おおよそ二つの部頼に分けられる、すなわち低級な(凡人の)部頼、つまり、自分の同類を生殖する以外なんの役にも立たない、いわば素材でしかない部類と、自分の環境のなかで新しい言葉を発する天賦の才と言うか能力を持っている人間です。その細分はむろん無限にありますが、この二つの部類を区別する特徴は、かなりきわだっています。すなわち第一の部類、つまり素材はです、概して言えば生来保守的な、行儀正しい人々で、服従の生活を営み、また服従的であることを好んでいる。僕に言わせれば、彼らは服従的である義務さえ持っている、なぜならそれが彼らの使命だからで、したがってそこには彼らにとって屈辱的なことは断じて何ひとつないのです。第二の部類はみんな法律を犯す人々で、それぞれの能力に応じて破壊者か、その傾向を持った人々です。これらの人々の犯罪は、当然のことながら、相対的であり多種多様なのですが、大部分の人が種々さまざまな声明を発して、よりよきものの名において現在の破壊を要求する。けれども、自分の思想のために死骸や血を踏み越える必要のある場合には、僕に言わせると、彼らは自分の内部で、良心に照らして、血を踏み越える許可を自分に与える。 もっとも、何も不安がることはない。大衆というものはほとんどいつの時代でも彼らのこうした権利を認めず、彼らを罰し彼らを縛り首にする(程度の差はありますが)、そうすることによって、これはまったく正しいのですが、自分の保守的な使命を果たすのです。ところが、次の世代になると、この同じ大衆が、処刑された人々を台の上へ祭りあげて、彼らにお辞儀をするのです(これも程度の差はありますが)。第一の部類は常に現在の主人であり、第二の部類は未来の主人です。前者は世界を保って、世界を数字的にふやし、後者は世界を動かして、世界を目的にみちびいて行く。ですから両者とも、完全に同じ存在の権利を持っている。要するに僕の考えでは、だれもが同等の権利を持っている、 ********************************** ◎ 凡人が非凡人であると、錯覚して犯罪を犯した場合について、ポルフィリーはラスコーリニコフに次のような質問をする。「その非凡人と平凡人は何によって区別するのです? 生まれながらに、そういう印でもあるのですか。私の言う意味は、そこにもう少し正確さが、いわばもっと外面的な特徴が必要じゃないかと思うんです。一方の部類の人間が自分はもう一方の部類に属するんだと考えて、《あらゆる障害を排除し》はじめたら、その時は……」これは、明らかに老婆殺しを非凡人であると錯覚した人間が侵したと、確信したポルフィリーの質問であるが、それに対するラスコーリニコフの答えは、彼が凡人であると気が付き、その後取った行動と全く同じであった。 ********************************** 「間違いは必ず第一の部類、すなわち《平凡な》人々(これは非常に下手な呼び方かもしれませんが)の側からだけ起こりうるのです。彼らは、牝牛にすら認められる自然の戯れによって、生まれながらに服従の性癖を持っているくせに、非常に多くの連中が好んで自分を先覚者、《破壊者》と想像して、《新しい言葉》をロにしようとしたがる。しかもそれが大まじめなんです。と同時に、彼らはほんとうの新しい人々をたいていの場合認めないで、そればかりか、時代遅れの、卑劣な考えをいだく人間として軽蔑しさえする。しかし僕に言わせると、だからと言って重大な危険はありえない、したがってあなたがご心配なさることはない、なぜなら、彼らは決して深入りしないからです。むろん時には、要らざる熱中の罰として、身の程を思い知らせるために、彼らをむち打つのもよろしい。が、それで十分です。刑罰の執行人も要らない。彼らが自分で始末をつけます、なにしろ品行方正な連中ですからね。ある者はお互い同士面倒を見合うし、ある者は自分たちの手で……。そのうえ、いろんな悔悟の気持を公に表明することもある、 − うるわしくも教訓的なわけで、要するにご心配には及びません。…。 そういう法則があるのです」 ********************************** ◎ 続いて、非凡人の数について、ポルフィリーは聞く。「いったい、そういった他人を殺す権利を持っている人々、その《非凡人》は、大勢いるのですか。私はむろん平身低頭するつもりですが、そういった人たちがあんまり大勢いたら、不気味じゃありませんか」 ********************************** 「ああ、その心配も要りません」と同じ調子でラスコーリニコフが言葉をつづけた。「新しい思想を持った人々は、いや、かろうじて何か新しいことを口にできる能力のある人びとでさえ、概して異常に少数しか生まれて来ません。実際ふしぎなぐらい少数なのです。ただひとつ明らかなのは、これらの部類とその細目全部に属する人間の生まれる秩序が、自然のある法則によって非常に正しく、正確に定められているに違いないということです。この法則はむろん現在のところ不明なのですが、僕はそれが確かにあって、いずれは判明すると信じています。人類の巨大な集団、つまり素材がこの世に存在するのは、ほかでもない、いずれなんらかの努力をへて、なんらかの、今日まで神秘になっている過程によって、さまざまな種族のなんらかの配合という方法によって、たとい千人に一人でもいい、せめて多少とも独立的な人間を、骨折ってこの世に生み出すためにすぎないのです。もう少し大きな独立性を持った人間は、たぶん一万人に一人ぐらいしか生まれますまい(僕はわかりいいように概数を言っているのです)。もっともっと大きいのは、十万人に一人です。天才的な人間は百万人に一人、偉大な天才、人類の完成者は、たぶん数百数千万人が経過したあとで、ようやく地上に生まれ出るのでしょう。ひと言で言えば、そうした一切が生じる蒸溜器の内部は、僕ものぞいたことがない。しかし一定の法則は必ずある、いや、あるに相違ない。そこには偶然などありえないのです」 ********************************** ◎ スヴィドリガイロフがラスコーリニコフの前に現れる。彼は、不思議な人物で、まるで地獄の底からわき出てくるような不気味な存在である。「罪と罰」の評論の中には、彼は、ラスコーリニコフと同じタイプの人間で、善と悪を象徴している。つまり、ラスコリーニコフの中の心の闇には、スヴィドリガイロフが住んでいるわけである。まあ、誰でも心の中に善と悪を持っているものである。 ◎ 彼の快楽主義的な行動は、虚無感、ニヒリズムから起因し、その隙間を埋めるために、酒と女におぼれていた。男として、ある一面あこがれる部分でもある。彼のように自由に遊びたいというのは、男の密かな願望である。今は年を取っているが、若い頃はもてただろうと想像する。一文なしの自分の境遇を救うために、マリファを夢中にし結婚をさせる。結婚してもある程度の遊びは彼女に認めさせる。 ◎ スヴィドリガイロフは、一目見たときからドーニャの美しさと聡明さに惹かれる。そして、彼女を何とか誘惑し、自分のものとしようとする。その手練手管は、彼が長年培ったもので、普通の女性なら確実にものにできた。それは、自分をだめな人間にし、それを助け出す看護婦役を女性にさせることであった。 ◎ 彼は、ドーニャの事件が一段落した後、マルファを毒殺する。彼女の死因ははっきりしないが、状況からすると彼が殺した可能性が高い。 その後、ドーニャを追ってペテルスブルグへ来る。ドーニャが忘れられなくて、彼女を自分のものにするためのチャンスを密かに待っている。 ◎ ラスコーリニコフは、打ちのめされていた。それは、自分があれほど嫌っていた、金貸し老婆と同じ虱であることがわかったからだ。彼の理論から言えば、非凡人である彼は、大いなる目的のために、老婆を殺したとしても、何の心の痛みも感ぜずに、このことを乗り越えて行けるはずであった。しかし、現実はこの心の重さに押しつぶされそうだし、乗り越える所か、もううんざりしていた。これは、彼の予想しない展開であった。 ◎ このことは、彼が凡人であることの証明であった。後は、彼の理論通り、凡人が罪を犯したときは、自分で始末を付ける(自殺)か、仲間で面倒を見る(自首して刑に服する)かのどちらかの選択しかなかった。しかし、彼はまだ決心がつかない。それよりも、一刻も早く誰かにこのことを話し、楽になりたいと思っていた。彼は、ソーニャをその相手に選んだ。彼女の慈愛の中に、母を、いや神を見たからだった。 ◎ ラスコーリニコフは、ソーニャに話し終わると、肩の荷がおりたような感じがした。この大きな出来事は、一人で耐えるにはあまりにも過酷なものであった。その半分をソーニャが担ぐことで、二人の愛が始まったと言える。その時、ソーニャが自分のしている十字架を彼に渡し、彼女はリザベータ(二人は親友であった)の付けていた十字架を首に付けた。このことは、これから長く続く、十字架を背負っての生活を暗示しているかのようである。 ◎ しかし、この段階では、ソーニャの自首を進める言葉にも彼は耳を貸さない。まだ望みはある。最後まで闘おうと思っていた。 ◎ スヴィドリガイロフは、ソーニャの隣の部屋を偶然借りていた。ある日、ラスコーリニコフがソーニャの部屋に来て、老婆の殺人を告白したときに、これを盗み聞きしてしまう。これによって、チャンスが巡ってきたと考えた彼は、これをネタにドーニャを自分の自由にしようと計画をたてる。 ◎ ラスコーリニコフは、スヴィドリガイロフから、お前が犯人であることを知っていると聞かされ、激しく動揺する。彼が自首に追い込まれていくのは、このことの影響が大きい。 ◎ スヴィドリガイロフは、「自分はラスコーリニコフの秘密を知っている」との手紙をドーニャに送り、嫌がる彼女を部屋に招き入れることに成功した。そこで、ラスコーリニコフが老婆殺人事件の犯人であると告げ、このことを黙っていて欲しければ、自分と一緒に外国へ逃げて欲しいと言う。また、彼には外国へ逃亡する金と手筈をつけると約束する。しかし、ドーニャはこの脅しに断固として抵抗する。それどころか、ピストルでスヴィドリガイロフを殺そうとするが、どうしても最後の引き金が引けない。この思いがけない強い抵抗にあったことで、ドーニャが本当に自分を愛していない、これからも愛されないことを確信し、彼女をあきらめる。そしてこの時、自殺の決意をした。これらの行為から、スヴィドリガイロフの潔さ、真の人間性を見ることができる。 ◎ スヴィドリガイロフの人間性と言えば、カーチャが死ぬと、ポーレンカと弟を持参金付の孤児院に世話した。(もちろん自分の金である)そして、そのお金の管理をソーニャに委ねる。お金に執着せずに、必要な所に使う。このような姿は、ラスコーリニコフと同じである。 ある大雨の降る日、スヴィドリガイロフはピストル自殺する。ラスコーリニコフは、自分の心が支えられなくて、自首よりも自殺をしようと、ネバ川の当たりを彷徨っていたが、結局自殺が出来なかった。後日、老婆を殺した後悔より、自殺できなかったふがいなさを嘆くシーンがあるが、ラスコーリニコフとスヴィドリガイロフの同一性を考えると、ラスコーリニコフの願望がスヴィドリガイロフによって実現したとも考えられる。 ◎ ラスコーリニコフは、スヴィドリガイロフの自殺は知らなかったが、最後の戦いをするために、ポルフィリーを訪ねた。そこで彼から、いろいろな状況を考えると、ラスコーリニコフが犯人と確信していると言われた。このことはまだ誰も知らない、今の内に自首することが、刑を軽くすることだと、強く自首を進められた。 ◎ 母には、遠いところへ旅立つと伝え、ドーニャとソーニャに別れを告げ、自首するために警察に向かう。途中広場で、急激な心の高ぶりを感じ、大地にキスをする。このことで回りの人間にやじられながら、彼は警察署に入る。そこで、副所長の火薬中尉に、ガイロフが自殺したことを聞かされる。そのことに動揺した彼は、自首が出来ない。いったん警察を出た彼の目には、ソーニャの姿があった。ソーニャの姿を目にした彼は、再び警察署に行き自分が高利貸しの老婆を殺したことを告げる。 ◎ 彼は、自首をしたこと、リザベータを殺したのは偶然であったこと、奪った金や品物をそのままにして置いたこと、過去に人命救助をしていることなどの、情状を錫杖され、8年のシベリヤ流刑を言い渡される。 ◎ 母親が死んだ、ドーニャはラズームヒンと結婚し、出版関係の仕事を二人で頑張っている。 ◎ エピローグ、彼の流刑地シベリアにソーニャが同行した。彼は、かたくなに心を閉ざし、囚人達から嫌われていた。今でもかれは、金貸しの老婆を殺したことは間違っていなかったと思っていた。それに絶えられなかった自分の弱さを後悔していた。また、自殺出来なかったことも……。 ◎ 凍てつくような寒さも、過酷な労働も彼には何の苦痛も与えなかった。いや、むしろあの当時の心の不安、閉塞感から比べれば、遙かに苦痛は少なかった。毎日毎日の勤めを淡々とやり過ごすだけであった。 彼は、囚人たちを馬鹿にしていた。彼らは、ほとんどが無学な農民か平民であったため、彼の中にあったプライドが彼らとの同一を拒否し、心を閉ざしていた。そんな彼の心が他の囚人たちに伝わり、彼は嫌われ孤立していた。 ◎ 時間と共に、彼の囚人たちを見る目が変わってきた。彼らは、限られた時間や行為の中に密かな喜びを見つけ、それを生き甲斐にする。このような、「生きることのすばらしさ」を満喫している姿は、彼には新鮮に映った。それと同時に、神を信じ、神を愛する宗教心の篤さにも感動した。この2つ、民衆の生に対する喜びと宗教心は、彼が真に目覚めるために必要な道具であった。その意味で、刑に服することで救われたと言える。 ◎ ソーニャは囚人達に好かれ、彼らの手紙や相談にのっていた。ソーニャのやさしい心が自然と彼らに伝わったのだ。 ◎ ある日彼は、刑務所の中から外を見た時、そこにソーニャの立ち尽くす姿を見た。彼女は、いつも、彼をそのようにして見つめていたのだった。それを気づいた彼は、毎日見るようにした。しばらくして、彼女の姿が見えない日が続いた。彼女が風邪を引いたためである。このことをきっかけに、彼は、ソーニャを愛していることを確認する。 ◎ ある暖かい日の朝、作業のため炭焼き小屋に行った。そこで、偶然一人になったところへソーニャが来た。二人は愛で満たされ、言葉は必要なかった。ただ、無言でベンチに座る二人、突然、彼女の足に口づけをする彼……。 彼女との愛によって彼は救われた。そして、囚人達との関係も良くなっていく。 ◎ 彼は、信仰を手に入れたわけでない、神によって救われたわけではない。生身のソーニャとの愛によって救われた。しかし、それは神を手に入れる段階にすぎない。もう、その時は確実にやってくる。なぜなら、ソーニャこそ神であり、信仰そのものだからだ。 |
1 この作品のテーマは、罪を犯した者が、何によって救われるか?であると思う。特に、犯人が、理性的で罪の意識がない時、いくら罰を与えても、それは贖罪にはならない。ラスコーリニコフもそうであるが、彼は自分の犯罪理論を実践するために、老婆を殺害する。彼にとって、老婆は社会に害のある虱である。その虱を、社会的に有益なことのために駆逐しても、罪にはならないと考えている。それよりも、それに耐えることができなかった自分の弱さを後悔している。そんな彼が、救われたのは、ソーニャの無償の愛に触れたことである。刑罰のつらさ重さは、彼を少しも変えなかった。彼は罰ではなく、愛によって救われた。ソーニャ=神であることを考えると、彼は信仰心を手に入れることで救われたとも言える。 2 ドストエフスキーの有名な言葉に「神が真理の外にあるとしても、私は真理と共にあるよりも神と共にいたい」があるが、彼は初めは無心論者であったが、無実の罪でシベリヤで刑に服しているとき、囚人達の「生きる喜び」「信仰心」に触れ、宗教にめざめた。 囚人とは、極限状態に置かれた人間である。その彼らを支え、生きる力と希望を与えるのは、信仰しかない。ドストエフスキーはこのことをラスコーリニコフを介して言いたかったのだろう。つまり、「人は神なくして生きていけるか?」と……。 3 この作品には二人の魅力的な女性、ソーニャとドーニャが登場する。 一言で言えば、「静」のソーニャに対して「動」のドーニャであるが、境遇も性格も全く違う。しかし、この二人には共通した部分がある。それは、自己犠牲ということだ。 ソーニャは、父マルメラードフの先妻の子で、ほとんど教育を受けておらず、おとなしく控えめな女性である。マルメラードフは再婚し、妻と二人の子供がいた。しかし、怠け者で金があると全部飲んでしまうため、家族は貧乏のどん底に落とされた。その日の食べ物にまで事欠く始末であった。その家族の窮状を救うために、彼女は売春婦になった。彼女の信仰心の篤さ、性格を考えると、最も遠い職業であった。彼女にとっては、これだけは……という気持ち強かったと思う。しかし、義母のカーチャの気持ちを考えると、自分が何とかしなければという、義務感が働いたのだろう。しかし、彼女の強さは、そういう状況に流されず、自分というものをしっかりと保っていることだ。真の彼女は変わっていない。このことをラスコーリニコフは見抜き、母とドーニャとの同席を許し、ルージンはソーニャの足元にも及ばないと断言した。 それに対して、ドーニャは知的で行動的な美人である。彼女の美貌を慕って、いろいろな男が現れる。母の年金だけでは生活が苦しいので、マリファの家に家庭教師として働いていた。そこで、マリファの夫スヴィドリガイロフから、横恋慕され、そのことがマリフャの耳に入り、大きなスキャンダルになった。(後で誤解であることがわかる)このとき、マルファの親戚である、ルージンが彼女に結婚を申し込む。ルージンは、妻には、育ちの良い貧乏人で、夫を恩人と思う人をと、考えるような卑劣な男である。賢明な彼女はそのことを十分知っていた。しかし、彼と結婚することで、母と兄の生活を救うことができる。そのため、結婚に同意する。このときの状況は、『このプロポーズをドーニャは一晩寝ずに考えた。部屋を腕組みし、何度も往復する中で、彼女は決心した。』であり、このことから、彼女の苦悩がよくわかる。 ラスコーリニコフはドーニャのとった行為(ルージンとの結婚)をソーニャのとった行為(売春)と同じと見た。それは共に、自己を犠牲にして家族を救った。しかし、自分の意志に沿わない結婚は、売春と同じと彼が考えていたからだ。 4 ルージンの自分の妻に対する考え方。 妻は、育ちが良くて、貧乏な女性に限る。そうすれば、貧乏から救ってくれた夫を一生恩人と考え、貞淑に従うからだ。この考えを初めて聞いたとき、正直言ってどきっとした。それは、これに近い考えが自分にあったからだ。おそらく、一般的な男の中には、口にこそ出さないが、多かれ少なかれある考え方で、女性を男性より低く考える悪い思想である。今は、こういう奢った考え方は捨てたが、世の中には、ルージンと同じ考え方の男がまだいっぱいいると思う。 5 ラスコーリニコフの考え方と歴史的な予言。 世の中には優秀な少数の人間と、劣等な大多数の人間がいる。そして、優秀な選ばれた人間は何をしても許される。この考え方は、ナチスのユダヤ人虐殺の正当性と同じ、つまり選ばれた優秀なドイツ、ゲルマン民族は、純血を守りその優秀性を保つべきである。そのため、劣るユダヤ民族を滅亡させ、純血を守ろうとした。これは正義であるという主張である。近いところでは、カンボジヤの虐殺がそうである。国の代表者(ポルポト)が自分の理想とする共産社会を作るために、反対勢力を虐殺した。また、日本の戦時中の体制も同じである。強い権力が弱いものを力で押さえたり、反対意見を抹殺する。 これらのことを、彼の論文は予言していた。予言と言うより、これらは起こるべくして起こるもので、人間の宿命かもしれない。 6 ラスコーリニコフに対するソーニャの愛。 ソーニャにとって愛とは、代償を求めない、無償の愛である。それは、彼に対するばかりでなく、家族に対しても、囚人に対しても同様である。かつて、彼女の中に理想の女性を見た思いがした。彼女が示したように、愛は与えるものであり、その見返りを求めないものこそ本当の愛である。よくこのような愛を、母親の愛であるといわれるが、神や仏の愛も同じである。そのため、小説の中でソーニャは、神と同一視されている。 ラスコーリニコフは、犯罪を犯し、その苦しみを経て、ようやく彼女の愛を感じることができ、彼女を愛することができた。愛を感じるには、心がそれにふさわしく成長しなければならない。それは、心の準備ができる。心が成熟したといってもいい。 ラスコーリニコフの虚無感を見るに付け、彼は真の愛を経験したことがないのではないかと思う。確かに、小説の中では、母や妹、また許嫁など、彼が愛した人が出てくるが、もし、それらが真の愛(ソーニャのような無償の愛)であり、それを経験したのであれば、彼をあれほど追い詰めるはずはないと思う。または、それらの愛を真実の愛と理解するほど、彼の心が成長していなかったのかもしれない。いずれにせよ、彼は人を殺し、苦しい戦いの中で心が成長し、ソーニャの真実の愛を受け入れる準備が出来た。 7 スヴィドリガイロフという、何とも不思議な人物が登場する。 評論家達によれば、彼は、ラスコーリニコフと同一体で、善と悪をそれぞれ象徴しているそうだ。つまり、ラスコーリニコフの、心の奥にはスヴィドリガイロフが住んでいる。また、逆もしかりである。それはさておき、彼の快楽主義的で刹那的な生き方。その日が過ぎればよい、その日一日を楽しみ、酒と女でいやなことを紛らわせる。こんな自堕落な生き方も、現代のストレスの多い時代を生きる男にとって、ある面羨ましく、理想的な姿でもある。(?) 恋を求め、好きな女を手に入れるために、いろいろな策略を練る。現代でもいくらでもいる典型的な男。 8 マルメラードフの自虐的な人生観。 『アイスストーム』という映画の中での言葉、「人は負の地帯に自ら陥り、そこに留まる人がいる。自分から状況を悪くし、何かのせいにして自分を慰める。」彼は、まさしくこの言葉通りの生き方である。最後のチャンスと、以前お世話になった長官から就職を世話してもらい、最初の給料日までちゃんと働いたのに、その給料を全部飲んでしまう。何とも,常人には理解できない彼の心理であるが、おそらく、これを「落ちる快感。落ちていくときの快感。」と言うのだろう。落ちた場所は、何も努力しなくて良い安心感、次の日から煩わしいことを一切しなくても良い、気楽さがたまらないのだろう。 9 サスペンス小説としての楽しみ方。ラスコーリニコフが殺人を実行するときの緊張感、その後の犯人と予審判事の腹のさぐり合い。刑事コロンボや古畑仁三郎的な面白みがある。 |