僕は勉強ができない

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作者紹介

ぼくは勉強ができない 新潮文庫 山田詠美著

作者紹介

 

1959年東京生まれ、85年「ベットタイムアイズ」で文芸賞受賞、87年「ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー」で直木賞受賞。89年「風葬の教室」で平林たい子文学賞受賞、91年「トラッシュ」で女流文学賞受賞、96年「アニマル・ロジック」で泉鏡花賞受賞

 

はじめに

 主人公の時田秀美の高校生活を通して、彼の感じたこと、考えたことを日常の教室の風景の中に織り交ぜた短編集。現代の高校生の実態、考え方を知るにはもってこいの作品、要所要所に出てくる、秀美(作者)の考え方には賛同する部分が多く、すばらしい作品集だと思った。是非、今の高校生に読んで、そして深く考えてもらいたい、それだけの価値のある作品だ。

 山田詠美の作品を読むのはこれが最初である。その理由は、彼女のイメージ(デビュー当時、テレビのセクシー系の番組に、同棲していた黒人と出演し、いろいろセックスのことを話していたのが強い印象として残っている)があまり良くなく、半分ポルノ作家のような、低俗な作品を連想してしまっていたのが、彼女の作品を読ませなかった理由である。それが、この作品で払拭された。

 デビュー当時のイメージが後々まで尾を引き、なかなか一流と認められない事がある。(私だけかもしれない?)例えば、歌手のかぐや姫やサザンオールスターズは、デビューの時はコミックバンド的な扱いをされていた。しかし、両者も含めて結局実力のあるものは、必ず世に出て一流になっていくものである。これを機会に山田詠美についても、少し読み込んでいきたい。

 

作品目次

1 ぼくは勉強ができない

2 あなたの高尚な悩み

3 雑音の順位

4 健全な精神

5 ○をつけよ

6 時差ぼけ回復

7 賢者の皮むき

8 ぼくは勉強ができる

9 番外編・眠れる分度器

 

1 ぼくは勉強ができない

 

あらすじ

 高校2年生のクラス委員長を決める選挙で、常に学年でトップである、脇山が当選した。

彼の得意になって語る抱負を聞きながら、秀美は小学校5年生の時のホームルームを思い出していた。彼は、転校して来たばかりで、クラスの事情がよくわかっていなかったので、

教壇の前の席にすわっている、やさしそうに見えた女の子に投票をした。彼女の名前を見た瞬間、担任は神聖なクラス役員選挙をばかにする重大事件と捉え、誰が書いたかを糾弾した。なぜ彼女の名前を書くことが不真面目なことか、秀美は担任に詰問した。担任は言葉に窮したが、隣の生徒が「馬鹿だから」と答えた。結局クラス選挙は、秀美の票を無視して行われた。

 秀美は、人に恨みを持つような性格の子ではないが、脇山の勉強ができることが、全てに勝るような、執拗な優越感に我慢ができなかった。そこで、彼に軽くお灸をすえてやるつもりで、ある計画を練った。秀美は「いくら勉強ができても女にもてなければ何にもならない」と考えていた。

 そこで、幼なじみで魅力的な真理にお願いし、脇山を誘惑してもらう。真理の魅力に屈し、恋に落ちた脇山は勉強に身が入らないが、楽しそうな毎日を送っていた。しかし、悲劇は期末考査の直前にやってきた。真理は「勉強しか取り柄のない男、つまらないもん」の言葉を最後に、彼から去っていった。意気消沈した彼は、勉強どころではなく、期末考査の順位が一気に12位まで落ちてしまった。今まで常に1位であった彼が……。

 

私の気に入った文章

(***から***までは本文をそのまま掲載した。)

◎ 秀美は人と違った価値観を持っていた。その価値観とは?

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 しかしね。ぼくは思うのだ。どんなに成績が良くて、りっぱなことを言えるような人物でも、その人が変な顔で女にもてなかったらずい分と虚しいような気がする。女にもてないという事実の前には、どんなごたいそうな台詞も色あせるように思うのだ。変な顔をしたりつぱな人物に、でも、きみは女にもてないじゃないか、と呟くのは痛快なことに違いない。

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◎ クラスの秀才(学年で常に一番)の脇山が、秀美に対して、勉強ができることが全てに勝ると執拗にちょっかいをかけてくるので、嫌気がさした秀美が脇山に言った言葉

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「ぼくは確かに成績悪いよ。だって、そんなこと、ぼくにとってはどうでも良かったからね。ぼくは彼女と恋をするのに忙しいんだ。脇山、恋って知ってるか。勉強よか、ずっと楽しいんだぜ。ぼくは、それにうつつを抜かして来て勉強しなかった。でも、考え変わったよ。女にもてて、その上成績も良い方が、便利だってことにね。どうしてかって言うと、おまえのような奴に話しかけられないですむからだ。よおし、ぼくは勉強家になるぞ」

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◎ 母が仕事から帰っていないので夕食の支度ができていない。そこで、祖父が目玉焼きを焼き、ただ、ご飯に載せただけの目玉焼き丼を作った。それを祖父と二人で食べながら話をしていた内容。

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 「おじいちゃん、うちって貧乏だね」

 「ふん、貧乏ごっこをしているだけだ」

 「それを一生続けるのを貧乏って言うんだぜ」

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◎ この章のまとめとなる文章である。脇山が真理に振られた言葉が、「勉強しか取り柄のない男、つまんないんだもん」であったことから、秀美が考えたこと。なお、伊藤友子とは、彼が小学校5年生の時、クラス役員選挙で、「馬鹿だから」と、初めからクラス役員の該当から外されていた少女。

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 けれど、人間が、そんなにも弱くて良いものだろうか。つまんないんだもん、もてないんだもんで否定されてしまうようなものなど、初めから無いも同然ではないのか。伊藤友子は、もっと昔から、存在を否定されていたのだ。そして、傲慢にも否定するのを当然と思う人間が当たり前のように生きているのだ。大学を出ないとろくな人間になれない。脇山は、何の疑問も持たない様子で、そう口に出した。何故なら、そう教える人間たちがいるからだ。いい顔になりなさいと諭す人間が少な過ぎるのだ。

 ぼくは、小さな頃から、ぼくの体を蝕もうとして執拗だった不快な言葉の群れを不意に思い出した。片親だからねえ。母親がああだものねえ。家が貧しいものねえ。まるで、うるさい蝿のような言葉たち。ぼくは、蝿を飼うような人生を送りたくない。だって、ぼくは、決してつまらない人間ではない。女にもてない男でもない。

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2 あなたの高尚な悩み

 

あらすじ

 高尚な悩みにうつつを抜かす、サッカー部の植草についての話である。植草は、学校の成績は良くなかったが、物知りであるとの評判であった。彼は、日常の会話の中に難しい単語を混ぜて、相手を煙に巻いたり、カミュなどの哲学書を読み、自分をいっぱしの哲学者と気取っていた。彼の最近のテーマは虚無であった。

 秀美は、黒川礼子が彼と付き合っていたことを思い出し、彼女に何故別れたかその理由を尋ねた。彼女は、「不幸を気取っているからよ。ハムレットじゃあるまいし」と答えた。彼女に言わせれば、虚無なんて難しいことを言っている奴に限って、何も考えていないそうだ。彼女には持病の貧血症があり、気分が悪いときは、何も考えられないそうだ。そして、すごく利己的な自分に気が付きイヤになるという。そして、秀美にとっては空腹の時がそれと同じである。

 そんなある日、サッカーの練習中に、植草がくるぶしの骨を折った。それほど大したことはないとの監督は言った。しかし、彼は、そのあまりの痛さに、何も考えられず、ひたすら保健室へ運んでくれるように懇願した。まさしく虚無どころではなかったのだ。こういう時にも、冷静にものが考えられたら本物だが、この程度の痛みが耐えられなくて、何が虚無だ。というのが秀美と礼子の意見であった。

 

私の気に入った文章

◎ この章のテーマと思えるものが、次の文章である。。

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 ぼくは、他の何者でもなく、ぼく自身であると言うこと。このことを常に意識しなくては、生活出来なかったぼくの幼ない時代。悩んでいるどころではなかった。虚無なんていう贅沢品で遊べるような環境に、ぼくは身を置いて来なかったのだ。

 「でも、植草みたいに、深刻さをもてあそんでいる奴も、はっきり言って、ぼくには羨しいよ」「あんなのいんちきよ」「こむずかしいことで頭を悩ませてるのは、どこも痛くないからだろ。黒川さんみたいに、貧血症でもなく、ぼくんちみたいに貧乏でもない。実際に不幸が降りかかって来ていない証拠みたいなもんじゃないか」

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◎ サッカーの練習の後、家に帰って湯船につかりながら、秀美が考えたこと。

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 贅沢だなあと、湯船につかるたびに、ぼくは思う。ささやかなことに、満足感を味わう瞬間を重ねて行けば、それは、幸せなように思える。何故、人間は、悩むのだろう。いつか役立つからだろうか。だとしたら、役立てるということを学んで行かなくてはならない。しかし、後に役立つ程の悩みなんて、あるのだろうか。とりわけ、高尚な悩みというやつの中に。

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3 雑音の順位

 

あらすじ

 同じクラスの後藤が、突然政治家になると言い出した。それは、彼が自分の家の近くの、米軍基地の騒音問題に関心を持ち、それを解決するには政治家になるしかないと考えたからである。しかし、しばらくすると彼は、ゴミ処理の問題に関心を持ち、地球環境を守るために学者になりたいと言い出した。彼の中では、基地の騒音問題が順位を一つ下げたわけだ。このように、人にとっての関心事は、より大きな関心事が現れることで順位が変わっていく、相対的で主観的なものである。

 急に桃子さんに会いたくなった秀美は、彼女に内緒で深夜、彼女のアパートを尋ねる。中に人の気配がするが、何度ドアをノックしても中から返事がない。疲れた彼は、電車のなくなった町を歩いて家に帰った。後日、桃子さんから、その時は以前付き合っていた人が尋ねてきて、二人で中にいたことを聞かされる。それはとても自然で後悔するような関係ではないと彼女はいうが、秀美にとっては大きなショックであった。そのため、しばらく彼女と距離を置くことにした。秀美は思う。彼女は知っていたはずだ、あのドアのノックが秀美であることを、それだけに出るに出られない、とてもつらい音だったろう。まさしく、彼女にとって飛行機の騒音よりはるかに大きい、ものすごい騒音であったと思う。

 

4 健全な精神

 

あらすじ

 桃子さんとしばらく距離を置くことに決めた秀美は、そのもやもやのため、欲求不満になってしまった。これではいけないと思い、「健全な精神は健全な肉体に宿る」のたとえのように、肉体を鍛えて乗り越えようとした。そこで、サッカー部の猛練習で汗をかくのだが、かえってその疲れのため食欲をなくし、やつれてしまう。状況は日に日に悪化し、ついに、サッカー部の練習中に脳しんとうを起こし、保健室へ運ばれてしまう。そこでのうつつの夢によって、あることに気が付く。急いで、桃子さんのバーに行き、仲直りをした。秀美は、このもやもやを解消するには、その原因である桃子さんとの関係を、修復するしか道はないとわかったのだった。

 

私の気に入った文章

◎ 真理が言った、「秀美はねえ、要するに健全過ぎるのよ。だから、振られちゃうのよ」このことを、秀美は尊敬する桜井先生に話した。それに対して、桜井先生が言った言葉。

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 「彼女は、わりと賢いな。心身共に健康なのは、もちろん良いにことだが、無駄がなさ過ぎて退屈なんだと言いたいんだろう。時田、いいかい、世の中の仕組は、心身共に健康な人間にとても都合良く出来てる。健康な人間ばかりだと、社会は滑らかに動いて行くだろう。便利なことだ。でも、決して、そうならないんだな。世の中には生活するためだけになら、必要ないものが沢山あるだろう。いわゆる芸術というジャンルもそのひとつだな。無駄なことだよ。でも、その無駄がなかったら、どれ程つまらないことだろう。そしてね、その無駄は、なんと不健全な精神から生まれることが多いのである」

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5 ○をつけよ

 

あらすじ

 小春日和の祭日、秀美一家はテレビのワイドショウを見ていた。そこでは、芸能人の朝帰りや酒乱の夫を妻とその息子が思いあまって殺してしまうというニュースが報じられていた。秀美は、ワイドショウが主婦に受ける理由が分かる気がする。本来、一つ一つのニュースの善し悪しは、人それぞれの価値判断にとって決められるべきものだ。しかし、これがなかなか難しい。何も道しるべがないからだ。その点、ワイドショウはコメンテーターが、さも一般的な価値判断で説明を付ける。主婦はそれに従い、自分の意見のように言う。これほど楽なものはない。

 秀美は思う。ワイドショウが言うように、酒乱の夫は殺されても仕方がない。こんなに単純に言い切って良いものだろうか?夫が酒乱になったいきさつや、その妻や息子の気持ちは、安易に他人が判断すべきことではないと思う。

 翌朝、彼は登校して教室へ向かう廊下でコンドームを落とし、それを拾った学年主任の佐藤先生から指導を受けることになる。佐藤先生のような古い価値観で凝り固まった頭では、このことはとんでもないことであり、生徒として絶対に許せないものであった。そこで、自分は絶対に正しいとの信念を持って彼に指導をし、「こんなものを何故持ってきた」「こんなものを持ってきて勉強ができる」から始まり、日頃の成績の悪さまで話が移っていった。しかし、秀美はこのことと勉強ができないこととは関係ないと思っている。二人の議論は平行線をたどり、「親のことを思いやれ」という言葉に、秀美が切れかかったとき、担任の桜井先生に救われる。

 

私の気に入った文章

◎ テレビのワイドショウで、朝帰りイコール不倫という、固定した考え方に対して、秀美の母親は、次のように言う。

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「私は、したり顔で物を言うってのに我慢が出来ないの。個人の事情なんて誰にもわかんないんだから。それなのに、皆、○とか×とかつけて決めようとする。不倫が不道徳なんて言うやつは大人じゃないわ」

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◎ 久しぶりの家族団らんの中で、秀美は次のことを考えた。

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 父親の不在に意味を持たせたがるのは、たいてい、完璧な家族の一員だと自覚している第三者だ。ぼくたちには、それぞれ事情があるのだし、それを一生嘆き続ける人間などいやしない。そこまで人は親に執着しないものだ。だって、親は、いつかはいなくなる。それどころか、自分だって、その内、この世から、おさらばしてしまうのだ。父親がいない子供は不幸になるに決まっている、というのは、人々が何かを考える時の基盤のひとつにしか過ぎない。そして、それは、きわめてワイドショウ的で無責任な好奇心をあおる。良いことをすれば、父親がいないのにすごいと言い、悪いことをすれば、やはり父親がいないからだということになる。すべては、そのことから始まるが、それは、事実であって定義ではないのだ。事実は、本当は、何も呼び起こしたりしない。そこに、丸印、ばつ印を付けるのは間違っていると、ぼくは思うのだ。父親がいないという事実に、白黒は付けられないし、そぐわない。何故なら、それは、ただの絶対でしかないからだ。

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◎ 佐藤先生を危なく殴る寸前を、担任の桜井先生に助けられた。その時、秀美が桜井先生に言った言葉。

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 「良い人間と悪い人間のたった二通りしかないと思いますか? 良いセックスと悪いセックスの二種類だけで、男と女が寝るんですか? 女手ひとつだと、母親は、そんなにも辛酸を舐めなきゃいけないって決まってるんですか? その子供は、必ず歪んだ育ち方をするんですか?人間って、そんなもんじゃないでしょう。」

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◎ 佐藤先生にコンドームを廊下へ落としたことで指導された。佐藤先生は、自分が絶対に正しいと思う価値基準で、秀美の行為を一方的に批判した。[コンドームを学校へ持ってくる]=[セックスのことで頭が一杯]=[勉強に身が入らない]。この勝手な論理に秀美は反発し、次のような思う。

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 ぼくは、昨日のテレビ番組を思い出した。子供を殺すなんて鬼だ、とある出演者は言った。でも、そう言い切れるのか。彼女は子供を殺した。それは事実だ。けれど、その行為が鬼のようだ、というのは第三者が付けたばつ印の見解だ。もしかしたら、他人には計り知れない色々な要素が絡み合って、そのような結果になったのかもしれない。母親は刑務所で自分の罪を悔いているかもしれない。しかし、ようやく心の平穏を得て、安らいで罰を待ち受けているかもしれない。明らかになっているのは、子供を殺したということだけで、そこに付随するあらゆるものは、何ひとつ明白ではないのだ。ぼくたちは、感想を述べることは出来る。けれど、それ以外のことに関しては権利を持たないのだ。

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◎ 佐藤先生のようなタイプの人間を評して、秀美は次のように言う。「事実を自分勝手に解釈し、それの確認を他者を使って行う。自分がこう思うだけでは満足できずに、人に賛同を求める。彼らは自分の組み立てた論理から得られる結果以外に認めない」

 佐藤先生の自分勝手な論理からの指導が続く中で、秀美は次のように思う。

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 大多数の人々の言う倫理とは、一体、何なのだろう。それは、規則のことなのか?それに従わない者は、出来の悪い異端者として片付けられるだけなのか?人殺しはいけない。そうだそうだと皆が叫ぶ。しかし、そうするしかない人殺しだって、もしかしたら、あるのではないのか。ぼくは、もちろん、人なんか殺したくはない。しかし、絶対にそうしないとは言い切れないだろう。その時になってみなければ解らない。その人になってみなければ明言出来ないことは、いくらでもあるのだ。倫理が裁けない事柄は、世の中に、沢山あるように思うのだが。

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◎ ラストシーン、秀美は佐藤先生の指導にうんざりし、気分がめいっていた。しかし、大好きな桜井先生の慰めが秀美の気を取り直させた。その時秀美が思ったこと、これがこの章のテーマであると思う。

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 ぼくは、ぼくなりの価値判断の基準を作って行かなくてはならない。忙しいのだ。何と言っても、その基準に、世間一般の定義を持ち込むようなちゃちなことを、ぼくは、決してしたくないのだから。ぼくは、自分の心にこう言う。すべてに、丸をつけよ。とりあえずは、そこから始めるのだ。そこからやがて生まれて行く沢山のばつを、ぼくは、ゆっくりと選び取って行くのだ。

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6 時差ぼけ回復

 

あらすじ

 秀美が珍しく風邪で学校を休んだ。夕方、友達の田島が家に訪ねてきて、片山がマンションの屋上から飛び降り自殺をしたことを告げた。その瞬間、昨日まで元気だったのに何故だとの思いが秀美に走った。親しかっただけにショックは大きかった。片山は、物静かだが決して暗い奴ではなく、真面目な顔でジョークを言い、周囲を笑わせる奴だった。

 遺書はなかったので、自殺の原因を二人であれこれ考えた。すると田島は、片山が以前、時差ぼけの話をしたことを思い出した。『人間は、25時間を一日の周期として生きる動物である。それを24時間に併せるため、どうしても1時間の時差ができる。』それを普通の人間は、食事や仕事や遊び等の日常の動作を繰り返す中で、体をだまして調整をするが、それができない人間がいる。体をだませないから不眠症になったり体調不良になる。片山は生まれつきの時差ぼけであると自分で言っていた。この一時間を持て余した彼はそれを清算するために自殺した。

 

私の気に入った文章

◎ 秀美が珍しく風邪を引き、学校を休んだとき、家族は彼をまるで留守番ができてちょうど良いような扱いをしたときに、秀美が言う。

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 そんな。いったい、誰がぼくの看病をしてくれると言うのだ。不平を言うぼくを無視して、母は家を出てしまった。祖父は、留守番をする人間がいて良いことだと浮々しながら、知り合いの老人の家に碁を打ちに行くと言う。ぼくは、熱でぼおっとした頭を抱えながら、薄情な奴らだと彼らをののしった。しかし、彼らの態度は、反対に、ぼくの気分を軽くするのも事実だ。病人にとって大切なのは、その病気が取るに足りないものであると悟らせてくれる周囲の無関心かもしれないなあと思ったりもするのだ。

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◎ 秀美は片山の自殺の原因がどうやら時差ぼけにあると気が付き、更にそのことを深く考えた。ここに片山の真の自殺の原因があると思う。

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 それにしても、本当に、人間は、25時間周期の動物なのか。だとしたら、毎日、1時間の時差を、食事やら排泄やらの項末な茶飯事で調整出来てしまう程、いい加減な反射神経を持っているということなのだろうか。ぼくの1時間は、いったい、いつも、どこに消えて行くのだろう。解る訳もない。ぼくは、これまで、過ぎて行く時間に、関心を払ったことなどなかった。まさに、ぼくの時間は流れて行くものだった。けれど、もし、それが、流して行くものだったら、毎日は、大きく変わるに違いない。もしや、片山の日々は、自らの意志が、流していたものではなかったのか。とてつもないエネルギーを使い、人工の小川を創り上げるように、時の上流にまで、自らを引き上げていたのではないだろうか。1時間の高さの上流である。錯覚のような真実のようなたったの1時間である。しかし、多くの人は、そこに費すエネルギーの存在すら知らないのだ。

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◎ 秀美は丸二日熱に浮かされ、片山の葬儀にも出席できなかった。それでも、なんとか快復して学校へ行くために電車に乗ったが、降りる駅がきても降りる気がしなかった。過ぎゆく駅を何となくやり過ごし、ぼんやりと外ののどかな景色を見ながら、秀美は片山のことを考えていた。

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 でも、本当にそうだろうか。片山のように自覚しなくても、人は誰でも、気付かないところで時差を引きずっているのかもしれない。人は遅かれ早かれ、誰でも死に至るのだ。片山は、ここで寝ることすら出来ずに、早目に、一生分の時差を清算したかったのかもしれない。彼の自殺が、幸福だったのか、不幸だったのかを他人が言い当てることなど出来ない。

 しかし、しかしだよ。こんなふうに、ぼんやりと電車に乗って、春が来たと思うのは、ささやかだけれど、やはり、楽しいことなんじゃないのか?微笑を口許に刻める瞬間てのは、やはり、必要なんじゃないのか?他愛のない喜び、それが日々のひずみを埋めて行く場合もあると、ぼくは思うのだ。

 …………中略………… そよ風が、もし、彼の皮膚を心地良く撫で、そして、それを受け入れることが出来ていたなら、彼の考えは、あるいは、違った方向へと進み、彼の足は、地面に向けて飛ぶより別な動きを選んだかもしれない。片山は、ぼくたちを笑わせることだって出来たのだ。彼の唇は、そういう言葉を紡ぐことだって出来ていたのだ。もったいないじゃないか。春の空気は、こんなに気持良く、そして、その春は、毎年、裏切らずに巡って来るというのに。

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7 賢者の皮むき

 

あらすじ

 どの学年にも、飛び抜けて容姿の良い女の子が2,3人はいるものである。彼女たちは、たいてい、清潔感にあふれ、愛らしい顔をして、自分の魅力に気が付いていないという、うぶな表情をしている。しかし、彼女たちは何も努力せずに、本当にうぶなままなんだろうか?

秀美は、彼女らを見て、「自然過ぎる」と思う。そして、「自然体を胡散臭くて、媚ている」と感じている。彼は、桃子さんや母から、「うぶに見える女は、本当はうぶじゃない」と教えられていた。それは、うぶな女だけに限らない。近頃、色々なものが、彼には見せかけと中味が違うように映る。

 そういう美少女に山野舞子がいた。彼女は、自分が一番素敵に見える方法を知っていた。清純さうでうぶなしぐさは、全て計算されたもので、男子生徒の目を意識したものだった。そんな彼女が好きになった川久保が、その告白を秀美に頼んだ。彼は、彼女が嫌いであると断ったが、彼の真剣な気持ちに負けて引き受ける。秀美は川久保の気持ちを伝えたが、答えは予想通りNOであった。

 しかし、事は意外な方向へ向かう。彼女が秀美を好きだと告白するのである。秀美は彼女を傷つけないように、好きな人がいるからと断るが、彼女はその人と別れるまで待ってても良いと……。さらに、秀美のつきあっているのは、年上の水商売の女であり不潔であると言った。これにカチンときた秀美は、自分は山野舞子を嫌いであり、その理由は、「君が自分をうぶに見せる演技をしているから」だと言う。これを聞いた舞子は怒って、「自分こそ自然に見せる演技をしている」と反論する。

 この言葉に深く傷ついた彼は、皮剥き器の事を思い出す。皮剥き器で、野菜の皮をむくように、自分のおかしな自意識を削り取りたいと思った。

 

私の気に入った文章

◎ 友達の代わりに山野舞子に告白した秀美であったが、逆に彼女から好きだと告白されてしまう。その場所は、全て計算されたような美しさに満ちていた。バックに紫陽花の花、彼女の可憐な表情と仕草、それを見て秀美は思う。

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 これなら、どんな男も夢中になるだろうと、ぼくは思った。彼女のすべては、無垢な美しさに満ちている。けれど、この世の中に、本当の無垢など存在するだろうか。人々に無垢だと思われているものは、たいてい、無垢であるための加工をほどこされているのだ。白いシャツは、白い色を塗られているから白いのだ。澄んだ水は、消毒されているから飲むことが 出来るのだ。純情な少女は、そこに価値があると仕込まれているから純情でいられるのだ。

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◎ 山野舞子に好きと告白された秀美は、自分は好きな人がいると断る。そうすると彼女は、その人は年上の水商売の人で不潔と答える。その答えに腹を立てた秀美が言う。

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 「山野さん、自分のこと、可愛いって思ってるでしょ。自分を好きじゃない人なんている訳ないと思ってるでしょう。でも、それを口に出したら格好悪いから黙ってる。本当はきみ、色々なことを知ってる。物知りだよ。人が自分をどう見るかってことに関してね。高校生の男がどういう女を好きかってことについては、きみは、熟知してるよ。完璧に美しく、けれども、完璧が上手く働かないのを知ってるから、いつも、ちょっとした失敗と隣合わせになってることをアピールしてる。確かに、そういうきみに誰もが心を奪われてるよ。だけど、ぼくは、そうじやない。きみは、自分を、自然に振る舞うのに何故か、人を引き付けてしまう、そういう位置に置こうとしてるけど、ぼくは、心ならずも、という難しい演技をしてるふうにしか見えないんだよ」

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◎ 秀美の言葉に、山野舞子は秀美をぶった。そして、自分こそ自然を演じているのではないかと反論される。それに対して、秀美は考える。

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 もしかしたら、ぼくこそ、自然でいるという演技をしていたのではないか。変形の媚を身にまとっていたのは、まさに、ぼくではなかったか。ぼくは、媚や作為が嫌いだ。そのことは事実だ。しかし、それを遠ざけようとするあまりに、それをおびき寄せていたのではないだろうか。人に対する媚ではなく、自分自身に対する媚を。

 人には、視線を受け止めるアンテナが付いている。他人からの視線、そして、自分自身からの視線。それを受けると、人は必ず媚という毒を結晶させる。毒をいかにして抜いて行くか。ぼくは、そのことを考えて行かなくてはならない。桃子さんや母が、あっぱれなのは、その過程を知っているからだ。本当の自分をいつも見極めようとしているからだ。

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◎ 自分こそ自然を演じていると言われ秀美は、皮剥き器の事を思い出す。(以前、母がサラダを作るために、皮むき器を使って、大量の野菜の皮をむくことを秀美に頼み、彼もその単調な作業が気に入っていた。)その時、考えたこと。

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 そうかなあ、とぼくは思う。考えてみれば、世の中のすべてのものには皮がある。まわりから覆われ、内側から押し上げられて出来上がる澱(おり)のような皮だ。その存在に気付かない人もいる。そして気付いてしまう人もいる。ぼくは、今、自分のそれに気付いて慌てている。皮剥き器をくれ。けれども、ぼくは、それを手にすることが、まだ、出来ない。山野舞子を嫌いだと口にしなくなった時、ぼくは、それを手にすることが出来るのかもしれない。

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8 ぼくは勉強ができる

 

あらすじ

 秀美も進路を決める時期が来た。大学へ行くつもりのない秀美であったが、さりとて、就職して何になりたいという希望もなかった。しかし、桜井先生の「17、18で人生を決めろと言うのは無理がある。しかし、時間は待ってくれない。今準備をして、また希望が変わったらやり直せばいい」とのアドバイスを受け、大学へ行くべきか真剣に考えだした。恋人の桃子さんに相談すると、「秀美君は学校の勉強はできないけど、違う勉強ができてるから決して馬鹿ではない」といわれ、母に相談すると、「勉強をして、知らないことを知ることは楽しい」と大学進学を勧められる。

 そんな矢先、祖父が倒れた。幸い命には別状がなく、程なく退院できる病状であったが、祖父もいつかは死んでいく存在であることを、思い知らされた。祖父が、秀美に大学進学で悩んでいるそうだなと聞く。それに対して、秀美は、「どうせ、人間は死ぬんだったら将来ってどういう意味があるのか、理想を追いかけても死んだら何にもならない。それは、煙を捕まえるようなものだ」と、祖父は言う「煙りをつかむのに手間をかけて何が悪い。物質的なものは死んだら終わりだが、煙はそうではない。その価値がいつかわかるときが来る」と……。秀美はその煙の価値を見つけるために大学に行く決心をする。

 

私の気に入った文章

◎ いつも元気であった祖父が散歩の途中で倒れ、病院にかつぎ込まれた。授業中連絡を受け、病院に急ぐ途中で秀美が考えたこと。

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ぼくは、時が、いつのまにかゆるやかに流れていたように思っていたが、それは祖父にとっても同様のことだった。それまで、自分の時の流れは、水とは違い上に向いていたように思っていたが、どうやら錯覚であるらしいと、今、感じていた。人がいつかは必ず、死に辿り着くという当たり前のことを思い出して溜息をついた。時間を上に押し上げて流していると思うのは、エネルギーという名の傲慢さではないのか。ぼくたちは、本当は、ただ流れて行っているだけではないのか。そう思うと、錯覚ばかりが交錯しているのが人間の一生のように思えて来る。将来のため、と大人たちは言う。しかし、将来とは確実に、握り締められる宝であり得るのか。手にしたら消えて行く煙のようなものではないのか。

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◎ 病室で眠っている祖父の側に、腰を下ろして、祖父の死について秀美が考えたこと。

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 この人が死んだら嫌だなあと思った。彼も、多分、ぼくを残して死ぬのは嫌だろうなあ、と、そこまで思うと、なんだかやるせなくなった。それは、大きな悲しみというより、ひとり分の空間が出来ることへの虚しさを呼び覚ます。人間そのものよりも、その人間が作り上げていた空気の方が、ぼくの体には馴染み深い笑いや怒りやそれの作り出す空気の流れは、どれ程、他人の皮膚に実感を与えることか。多くの人は、それを失うことを惜しんで死を悼む。

 生きていることは錯覚ばかり、とぼくは病院に来る途中に思ったけれども、残す空気は、形を持たずして、実感を作り上げるのだ。しかし、その空気により他人に記憶を残せなかった人間は虚しい。やがて灰になるなら、重みのある空気で火を燃やしたい。

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9 番外編・眠れる分度器

 

あらすじ

 時田秀美は家庭の事情で、小学校5年生で転校してきたが、その時の担任が奥村であった。彼は35歳になるが、熱血教師とまでは行かないが、教育熱心で一般的な教師の考え方を持っていた。初めての保護者懇談会で、秀美の母親仁子(33歳)に会う。仁子は、教師を自分の子供を見てもらっているから、尊敬しなければとか、遠慮しなければならないという、一般的な母親の考えを持たない、自由奔放な女性であった。奥村は秀美が嫌いであった。事あるごとに自分に逆らい、反抗的な態度をとる秀美を、母親に何とかしてもらおうと思っていた奥村の期待は、会った瞬間から崩れた。まさしく、「この親にしてこの子あり」である。

 秀美がクラスの川田という男の子を殴った。川田が「ジーンズに穴が開いているのは、私生児で父親がいない貧乏のためだ」と言ったからだ。奥村は、何があっても暴力はいけないとの立場から、秀美だけを廊下に立たせた。この件を仁子は持ち出し、もし、自分も同じ状況であったら、殴ると秀美を支持した、そればかりでなく、奥村の指導が片手落ちであることを指摘した。二人の教育論は平行線のままであった。

 奥村にとって、転校以来、事ごとに彼に反発する秀美は、クラスの調和を乱すと共に、教師の威厳を損なう元凶であった。例えば、道で死んでいた雀を、秀美が教室に持ち込んだ時、クラスの多数決で外へ捨てに行くことを決めれば、「民主主義はくだらん」と言う。指導に従わない彼を、団体行動を乱すのは一番行けないことだと言えば「団体行動なんてつまらん」と言う。何とも教師泣かせの子供であった。

 秀美自身も自分が他の子供と違い、物言いや態度が他の人をいらだたせることを知っていた。そのことで随分孤独を味わったが、母と祖父の支えで生きてきた。

 彼は、くだらない教師に会うのは身の不運、すばらしい教師に出会うのは、すばらしい贈り物と思っていた。彼にとってのすばらしい教師は、前の小学校の白井教頭であった。彼は、子供達に好かれたが媚びを売ったわけではなく、子供達と同じ視線で物事を見ていた。

 クラスの秀美の隣に赤間ひろ子がいた。転校して間もない秀美は、彼女がどういう子かわからなかった。しかし、時間の経過と共に、算数の授業に分度器と三角定規が必要なのに、忘れてきたり、給食のたびに、パンの残りを自分の家の庭に来る鳥の餌に欲しいという彼女に、秀美も気がつく。食欲があり絶対に給食を残さない彼であったが、ある日、パンを残しそれを彼女に差し出した。しかし、彼女はそれを秀美に突き返すと同時に泣き出してしまった。彼女の家が貧乏で、パンが鳥の餌でないことはクラス全員の知るところであった。しかし、転校して日も浅い秀美はまだ気がついていない。できればずっと知られずにいたいと思っていた。そういう彼女の精一杯のプライドが傷ついたからである。秀美にはクラス中から非難する目が集まったが、しかし、この事件により、秀美はクラスの仲間に加えてもらった。

 秀美はある日、授業の帰りに赤間さんの家に行った。彼女の家は、父親がなく母親が働くだけの収入で、大家族を養っていくため、貧乏のどん底であった。このことは秀美の予想を超えるもので、心から彼女がかわいそうだと思い同情を示した。それに対して、彼女は怒った。「貧乏は私のせいではない」と。

 このことに自己嫌悪を感じた秀美は、あることに気がつく。親がいないことは良いことなのだ。それは、三角形の角が3つ集まると、まっすぐになり角でなくなる。つまり、親がいないことはすでに一つの角があることであり、他の人より早く角が取れることになる。

 

私の気に入った文章

◎ 保護者会で、仁子から奥村の指導が片手落ちであると指摘された時、奥村が考えた。

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 子供が子供なら、親も親だったか。奥村は、溜息をついた。どういうつもりか知らないが、このような態度をとって、効果的だと思っているなら、あまりにも愚かしいと、彼は思った。時田秀美が転校して来て、一カ月。もう既に、彼は、秀美を見るのも嫌になっていた。教師にあるまじきことだとは、彼は思わない。可愛がりたい生徒と、なるべくなら関わり合いになりたくない生徒は、はっきりと、彼の心の中で区分けされている。後者の親が、こんなふうでは、なおさらである。人の好き嫌いは、どうしようもないことだ。

 それにしても、一般的な母親像は、どれも似たようなものだが、時田仁子は、あまりにもかけ離れている。暖かく、世話やきで、子供の将来をいつも憂えているのが、世に言われるところの母親であるなら、目の前のこの女はいったい何なのだろう。まるで、故意に、教師の神経を逆撫でするような態度は、いったい、どういうつもりなのだろう。教師は、教え子の両親に敬われるべきであるというのは、暗黙の了解であった筈なのに。こちらから、それを求めなくても、彼らから好意が向かって来る。そのことによって、教師と親とは、親しい関係、心地良い共犯の意識を持ち得るのだ。それが、子供を正しい方向に導くのに、どれ程、有効であることか。

 素人の女のくせに。奥村は、心の中で、毒づいた。こちらの苦労など、解りもしないくせに、生意気なことを言う。母親は、教師に救いを求めてこそ、その愛情が教室で還元されるのだ。

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◎ 奥村が叱ることに、ことごとく反発し口答えする。それどころか場合によっては、奥村を立ち往生させる。この秀美の存在にクラスの生徒は、危険と同時にあこがれのようなものを感じていた。

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 他の子供たちは、強烈な事件の成り行きを固唾を呑んで見守っていた。子供が教師に逆らうというのを彼らは、初めて、目撃したのだった。彼らにとって、教師は、自分たちの上に君臨する脅威に等しかった。彼らは、教師を漠然と恐れていた。その恐れを少なく感じさせる教師程、彼らの好意をものにすることが出来たが、その分、威厳は失われた。恐れるということは、従うということだった。彼らは、従うことが、どれ程、学校での生活を快適にするかという知恵を身につけていた。両親の口振り、特に母親のそれは、教師の領域を犯してはいけないのを、子供たちに常に悟らせているのだった。そこに、「尊敬に値いするもの」というラベルの扱い方を、上手い具合に、組み込んでいた。それ故、子供たちは、そのラベルを剥がすのが、自分に困難をもたらすことに等しいと、本能的に悟っていた。親しみ深い教師は、何人も存在していた。彼らを見つけ出すたびに、そっと、子供たちは、ラベルを剥がしてみる。そのことが、教師を喜ばせ、休息を伴った自らの地位の向上に役立つのを知っていたからだ。しかし、糊は、いつも乾かさないように注意している。生暖かい唾を広げて、不都合を察知すると、すぐに、休息を封印する。教師に忌み嫌われる子供は、その方法を、知らないのだった。習得してしまえば、これ程便利なものの存在に気付いていないのだった。鈍感さのために。あるいは、知ろうとしない依怙地さのために。賢い子供たちは、前者を見下し、後者を排斥する。すると、不思議な優越感に身を浸すことが出来る。優越感は、連帯意識を育て、いっそう強固になって行く。そうなると、もう、それを捨てることが出来なくなる。恐いのだ。教師に対して持つ脅威よりも、はるかに、連帯から、はじき出されることに対する脅威の方が大きいのだ。

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◎ 秀美の尊敬する教師は、前の小学校の白井教頭であった。

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秀美は、祖父の次に白井教頭を愛していた。彼は、子供たちに、自分を見くびらせるという高等技術を持って接していた。けれど、誰も、本心から白井を見くびる者はいなかった。見くびらせて子供と親しくなろうという魂胆を持った教師は、少なくなかったが、子供たちは、うわべのたくらみは、すぐに見抜いた。好かれようと子供に媚を売るのではなく、子供たちと同じ視線でものを見てみたいという、純粋な欲望から、彼は自らを気やすい者に仕立てていたのだった。そして、その姿勢は、好ましいものに、子供たちの目には映った。子供たちの世界で、やはり、嘘は罪であり続けるのだった。

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◎ 赤間さんをめぐるパン事件のあと、すっかりクラスの一員としてとけ込むことができた彼は、クラスの友達と話したり遊ぶことがうれしくてならなかった。そんな、クラスの雰囲気や秀美の様子を見て奥村は思う。

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 奥村が、心にわだかまりを持つのは、彼に、子供たちと同じ選択肢が与えられていないのを知っているからだった。彼は教師という務めに忠実であろうとし続けるために、生徒と自分を常に別の立場に立つ人種と思わなくてはならなかった。転校生が教室に慣れた、というこの喜ばしい事実は、彼の手を必要とするべきだったのだ。子供たちが自ら、秀美のために居場所を空けてあげたと考えるのは彼にとっては屈辱であった。そして、その自分の心の動きを確認することも、彼にとっては不快であった。  

 今時、テレビ番組に登場するような熱血漢の教師が実在するとは、奥村は思わない。しかし、彼は、教師という職業に理想を持っていた。そして、ようやく、それに向かう醍醐味が解り始めた頃だった。子供たちを愛し、導くということが、どれ程、自分を満足させることか。自分の言葉が影響力を持つと自覚した時、どれ程の心地良さが自分を襲うことか。腕力ではなく、知性でそれをやってのけることが、どれ程、周囲の空気を高貴な色に染め変えることか。今まで、つちかって来た理論やモラルなどを形にする快楽を、彼は教師という役割で見出していたのである。それは、単純に、教えたいという欲望のレベルではないと彼は確信していた。動物をしつけるという段階でもなかった。そうあるべき人間を創造することに、彼は快楽すら覚えていたのだ。  

その恍惚を秀美のような子供によって侵されるのはたまらなかった。秀美が奥村に、何をしたというのでもない。視線、振る舞い、言葉のすべてが、無意識過ぎて、奥村を恐がらせるのだった。そう奥村が感じるのは、彼の心が、まだ若く柔軟であることの証明でもあることを、自分で気付いてはいないのだった。自分の理想が、何かが欠けた不安定なものであるのを楽天的に認めるには、彼は、臆病であり過ぎた。

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◎ 秀美は奥村先生を嫌っているわけではない、嫌うほどのエネルギーがなかったのである。他の生徒が彼を担任と認めるように、秀美も彼を担任として受け入れていただけである。しかし、奥村先生はそうではなかった。秀美は、奥村先生を評して次のように言う。

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ぼくは、あの人を好きにはなれないけれど、何も反抗しようとしている訳ではない。それなのに、いつも、ぼくに威厳を示そうと四苦八苦しているようだ。そう思うと、彼は吹き出したくなる。素敵な大人は沢山いる。たとえば、白井先生のような人だ。あの人が嫌だって言っても、ぼくは側に寄りたくなってしまう。その素敵さは、年をとっているからではないような気がする。大人だから、おもしろくて素敵だという理由はない。大人にも、良い種類とそうでない種類があるのだ。何故、そうなってしまうのだろう。奥村先生は、絶対にはめを外さない人のように見える。そのはめっていうのは、ぼくたちと同じように物事を考えると外れるものなのにな。

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◎ 赤間さんの家に行き、彼女の生活ぶりに同情をしたが、彼女から同情は欲しくないと言われ、自己嫌悪に陥った。しかし、その後、秀美は「親がいないことは良いことである」と気がつき、それをクラスのみんなに説明している所へ、奥村先生が来た。

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 「先生、三角形の三つの角を足すと180度になるんでしょ。まっすぐです。痛い角が三つ集まるとまっすぐになれるんです。六つ集まったら、360度になるんだ。まん丸です。もう痛い角はなくなってしまうんです。僕とか赤間さんとかは、もう一個目の角をもっているんだ。他の人より早く、まっすぐやまん丸になれるんです。」

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