「倫太郎ちゃんだけじゃなくて、どの子もそうだけど、このやり方がその子にとって一番良いんだと思った時は、もうその時がその子を理解する終点になってしまっていると思うのね。……」
「……専門家は知識があるばっかりに、子どものそのすばらしい部分をつい見落としてしまうんじゃないのかしら。子どもと一緒にいても、こどもを教育しようと思っていると、そういう考えが先行すると、という意味だけれど、子どもといっしょにいることにならないのじゃないか。……」
次の言葉は同じ小説の中での、倫太郎のおじいちゃんが倫太郎の会話している時の言葉です。
「心の目は、人の心をみるのが、いちばんの仕事やな」 「あの人は今、顔で笑っているけれど、ほんとうはつらい悲しいことがあって、泣きたいような気持ちでいるなと見破るのは心の目の仕事じゃな。怒っているようなふりをしているが、本当はうれしくて仕方がないというのを見破るのも心の目や」 「……。少し人と話すときでも、ちょっとのやりとりでも、おまえの方は、おまえの心を全部、心の目をみんなその人に向けんとならん。少しのことなら、少しの心を向けるとよいなどとかんがえてはならん。」
雑草の生えた草むらに行くと、服に一杯草の実が付くことがあります。まるで小さい虫のようです。この草をくっつき草といい、この実のことをくっつき虫と言います。次は、この小説の主人公の倫太郎(小学校1年生)とおじいちゃんの会話です。
「こんなちいさな草の実にも、心というもんはある。人や動物にくっついて旅をしよる。倫太郎にくっついた草の実は、倫太郎の心と出合ったわけやな。草の実はいっぱいあるし、こどもはいっぱいいるのに、この草の実は倫太郎に出合うた」 「なんで?」 「なんでか分からん。誰にも分からん。分かってしもうたら人は出会いを大事にせんようになる。それは神様だけがしっているのや」
小学校の時の担任である、ヤマゴリラは植物採集が趣味で休みごとに、植物採集に出かけていました。そこで、中学生になった倫太郎グループと偶然出会い、彼らはヤマゴリラの意外な一面を知り、人間的な一面をヤマゴリラに感じ、それによってヤマゴリラを評価しだします。その時の会話です。
『老人や子供の介護をする仕事、つまり福祉を勉強する人と、名もないキノコを一生かかって研究する人と、その値打ちに差はあると思うか。』とのヤマゴリラの問いかけに、『人によろこばれる仕事に値打ちがあることくらい誰でもわかるけど、キノコの研究は人の役に立っているかどうかわからへんからやっかいや』『キノコの研究をして人の知らなかったことを見つけたり、新しい発見があったら、それは誰も気がつかなかった新しい知識やから、ものすごい値打ちがあると思う』『誰でもわかる値打ちより、時間がかかって、それがわかる値打ちのほうを大事にせなあかんと思うよ。』と倫太郎達が答えます。中学生とは思えない素晴らしい意見です。それに対して『なにかの発明は、それが直接人の役に立つことだと、世間は大騒ぎするが、そこに至るまでに、小さな研究、小さな発見がすごい数だけ詰まっている。人々はそれを忘れる。』とヤマゴリラが答えます。
ここで、倫太郎はおじいちゃんの言葉を思い出します。<仕事は深ければ深いほど、いい仕事であればあるほど、人の心に満足と豊かさを与える、人を愛するのと同じことじゃ。ひとりの人間が愛する相手は限りがあるが仕事を通して人を愛すると、その愛は無限に広がる><人の仕事はこれまでいろいろ学ばせてもらったことへのお礼だ。いつも人の役に立っているという心棒がなければ、それは仕事ではない。>
そして、倫太郎は小さな仕事、大きな仕事についても考えます。『よく考えてみれば、はじめから大きな仕事などはありはしないのだ。どんなに大きく見える仕事も、それはごく小さな仕事の結晶なのだ。』
<仕事は深ければ深いほど、いい仕事であればあるほど、人の心に満足と豊かさを与える、人を愛するのと同じことじゃ。ひとりの人間が愛する相手は限りがあるが仕事を通して人を愛すると、その愛は無限に広がる>これは、私の今読んでいる、 灰谷健次郎の「天の瞳」に出てくる、素敵なおじいちゃんの言葉です。
灰谷健次郎『子どもの隣』の4編の内2編を読みました。『燕の駅』に出てくる、少女の詩「燕が止まった所が、燕の駅です。」が素敵ですね。人生を汽車の旅にたとえるとすると、各駅停車の鈍行列車から、のぞみのような急行列車まであります。でも、一概にどちらが幸せであるかは分からないものです。ひょっとして、人生を楽しんでいるのは、鈍行列車の人生かもしれません。
この燕の駅は、決まった駅ではなくて、事故等でやむを得ず止まった場所なのでしょう。人生における急停車、さしずめ、私であれば、第5腰椎分離症の入院がそれに当たるのでしょう。私は、それによって大きく人生観が変わりました。それを極言すれば、 ”ただ生きることの難しさとすばらしさ”でしょうか。
灰谷健次郎 のエッセイを読んでいます。同じ内容、題材が何回も出てきます。特に、このチューンガムの話しは繰り返し出てきます。繰り返されるということは、重要なわけですね。
◎ チューンガム一つ 3年 村井安子
せんせい おこらんとって せんせい おこらんとってね わたし ものすごくわるいことした
わたし おみせやさんの チューインガムとってん 一年生の子とふたりで チューインガムとってしもてん すぐ みつかってしもた きっと かみさん(神様)が おばさんにしらせたんや わたし ものもいわれへん からだが おもちゃみたいに カタカタふるえるねん わたしが一年生の子に 「とり」いうてん 一年生の子が 「あんたもとり」いうたけど わたしはみつかったらいややから いややいうた
一年生の子がとった
でも わたしがわるい その子の百ばいも千ばいもわるい わるい わるい わるい わたしがわるい おかあちゃんに みつからへんとおもったのに やっぱり すぐ みつかった あんなこわいおかあちゃんのかお 見たことない あんなかなしそうなおかあちゃんのかおみたことない しぬくらいたたかれて 「こんな子 うちの子とちがう 出ていき」 おかあちゃんはなきながら そないいうねん
わたし ひとりで出ていってん いつでもいくこうえんにいったら よその国へいったみたいなきがしたよ せんせい どこかへ、いってしまお とおもた ども なんぼあるいても どこへもいくとこあらへん なんぼ かんがえても あしばっかりふるえて なんにも かんがえられへん おそうに うちへかえって さかなみたいにおかあちゃんにあやまってん けどおかあちゃんは わたしのかおを見て ないてばかりいる わたし どうして あんなわるいことしてんやろ
もう二日もたっているのに おかあちゃんは まだ さみしそうにないている せんせい どないしょう
◎ 林先生は、絶望をくぐらない所に、ほんとうの優しさはない、ほんとうの優しさは厳しさのともなうものです、とよくおっしゃっていました。「チューインガム一つ」という万引きをして苦しむ少女の詩を、よく教師の前で読まれたという話をしましたが、林先生は、わたしとの対談の中で、次のように話されました。
安子ちゃんに己の盗みという行為から目をそむけさせないで凝視させる。その辛い仕事をさせることを抜きにしては、この場合、教師の献身はないのですね。私がよくいっているのですけども、やさしさときびしさというのは、一つだと思うのです。
私にはソクラテスから学んだ、教育は反駁から浄化だという考えがあるのですが、あの詩が生まれるプロセスの中には、その証があるように思うのです。灰谷さんの、ちょっとのごまかしも許さない、きびしく追いつめる行為で、安子ちゃんは自分ひとりでは絶対に到達できない高い峰をよじ登っていった。 灰谷さんのあのきびしさ、それがそのままやさしさのわけですが、それなしにはあの詩は生まれなかった。
※ その子のためを思って、あえてきびしくする、それはやさしさですね。でも、その我慢がなかなかできません。特に障害を持っている子供には、親切に何でもやってあげるのがやさしさで、やってあげないのは、意地悪である。そんな意識が強いですね。でも、よく知らない障害者の子に、どこまでがその子のためになるかを判断するのは至難の技です。やはり、その子と ”寄り添う”ことができない人はダメです。そういう意味でも母親は、自分の子供に”添う”ことができるから、きびしさとやさしさを両立できます。
これに関連して、天の瞳の中での、潤子さんと芽衣さんの会話が思い出されました。 「親の愛って、子の成長と、人のつながりをしっかり考えたとき、生まれてくるものよね。溺愛は親の愛とは言わないと思うわ。親の愛に守られて、すくすく育っちゃいけないんで、親の愛に守られて、あれこれ悩んで、育って欲しいと、わたしなら思う。」
「子どもに何かをしてあげる愛は分かりやすいけれど、ときには、なにかをしてあげないことも親の愛だというのを理解する人は少ないわね。」
◎ 以前、中村稔さんという方の「アマゾンの校長先生」というエッセイを読みましたが、その中でここの先住民の方が、こんなことをいっている。 「一本の木に実がなれば、その三分の一は、われわれ自身が生きていくために、神に感謝し、もいで食べる。他の三分の一は、わたしたちの子孫ために、もがないで木に残しておく。残りの三分の一は、われわれの生命以外の、生命たちのために、木に残す」 沖縄の老人も同じようなことを、よくいいます。「ものはたんなるものではない。ものにはすべて生命が宿っている。人は、それを金にかえるようになってダメになった」
※ 地球で生きているのは、自分ひとりではないんだ。そういう意識がそうさせるのでしょう。現代人はあまりにも、自己中心的になって、人のこと、特に弱い立場の人のことを考えなくなっています。 ”思いやり”、”人の立場を考える”こんな素敵な言葉をいつまでも忘れないで生きていきたいものです。
<天の瞳少年編U>
小学校の時の担任である、ヤマゴリラは植物採集が趣味で休みごとに、植物採集に出かけていました。そこで、中学生になった倫太郎グループと偶然出会い、彼らはヤマゴリラの意外な一面を知り、人間的な一面をヤマゴリラに感じ、それによってヤマゴリラを評価しだします。その時の会話です。
『老人や子供の介護をする仕事、つまり福祉を勉強する人と、名もないキノコを一生かかって研究する人と、その値打ちに差はあると思うか。』とのヤマゴリラの問いかけに、『人によろこばれる仕事に値打ちがあることくらい誰でもわかるけど、キノコの研究は人の役に立っているかどうかわからへんからやっかいや』『キノコの研究をして人の知らなかったことを見つけたり、新しい発見があったら、それは誰も気がつかなかった新しい知識やから、ものすごい値打ちがあると思う』『誰でもわかる値打ちより、時間がかかって、それがわかる値打ちのほうを大事にせなあかんと思うよ。』と倫太郎達が答えます。中学生とは思えない素晴らしい意見です。それに対して『なにかの発明は、それが直接人の役に立つことだと、世間は大騒ぎするが、そこに至るまでに、小さな研究、小さな発見がすごい数だけ詰まっている。人々はそれを忘れる。』とヤマゴリラが答えます。
ここで、倫太郎はおじいちゃんの言葉を思い出します。<仕事は深ければ深いほど、いい仕事であればあるほど、人の心に満足と豊かさを与える、人を愛するのと同じことじゃ。ひとりの人間が愛する相手は限りがあるが仕事を通して人を愛すると、その愛は無限に広がる><人の仕事はこれまでいろいろ学ばせてもらったことへのお礼だ。いつも人の役に立っているという心棒がなければ、それは仕事ではない。>
そして、倫太郎は小さな仕事、大きな仕事についても考えます。『よく考えてみれば、はじめから大きな仕事などはありはしないのだ。どんなに大きく見える仕事も、それはごく小さな仕事の結晶なのだ。』
世間では仕事に貴賤はないと言いますが、人のために直接役立っていると思える仕事は、はりがあっていいですね。世の中には役にたたない仕事はないというものの、役にたっていると実感できない仕事も一杯あります。 人の生きがい(喜び)は人のためになること、人に喜んでもらうことではないでしょうか。
灰谷健次郎が<子どもに教わったこと>というエッセイの中で、次のような登校拒否の子が書いて文書を紹介しています。
自分は人をむりやり押しのけてまで前へ進んで行こうとは思わない。鉄道でいえば、他の列車を無視(待避させて)してまで早く目的地に行く特急列車は好きではない。多少は遅くてもすべての駅を知っている鈍行列車の方が好きだ。遅くとも多くのことを知っていきたいし、自分の意志と共に、人の意見も尊重していきたい。自分のことしか考えないような人間よりもよっぽどいいと思う。旅先の鈍行列車で人々を見て、ふと、こんなことを考えた。
この鈍行列車の旅は、山田洋次監督の映画「学校W15歳」の中の ”浪人の詩”と同じ事を言っています。この映画の中に、不登校で高校に行けず、ずっと家にひきこもっている少年が書いた詩(浪人の詩)が出てきます。私の大好きな詩です。
草原のど真ん中の一本道を あてもなく浪人が歩いている ほとんどの奴が馬に乗っても 浪人は歩いて草原を突っ切る 早く着くことなんか目的じゃないんだ 雲より遅くてじゅうぶんさ この星が浪人にくれるものを見落としたくないんだ 葉っぱに残る朝露 流れる雲 小鳥の小さなつぶやきを聞きのがしたくない だから浪人は立ち止まる そしてまた歩きはじめる
浪人が草原を一人で歩いている。他の者はすべて馬に乗っているが、彼は馬には乗らない。早くつく必要がないからだ。それよりも、歩くことで、その時々の自然の美しさを確かめながら行きたい。そんな詩です。 子どもには子どもの考え方がある。その子に応じた人生の歩幅がある。それを、大人は世間体とか見栄から、みんなと一緒にしようとする。それが子供達をどれだけ傷つけていることでしょうか。
この詩は、私に新たな人生観を教えてくれました。人生は、早く行くだけが目的ではなく、それよりももっと大切なものがある。その時しかできないこと、早く行くことで見落としてしまうことがないように、ゆっくりと自分の歩幅で歩いていきたい。そんな風に今は思っています。
おじいちゃんと倫太郎の会話です。ロデオで馬に投げ飛ばされる人間を見て、馬は生まれるとすぐ立ち上がるんで、人間の子どもは馬にかなわないという話の中で、「……人間の子は、まだ歩くことがでけんその一年のあいだに、母さんのお乳から、母さんの肌や声から、愛情という力をもらっとる。そこが馬と違うところや。人間が馬と勝とうと思えば、その力を使うしかない。」母親の偉大さを感じます。
灰谷健次郎 のエッセイ<すべての怒りは水のごとくに>中に書かれていた事です。灰谷氏は人生を20年区切りにするのだそうです。二十歳までは集中的にものを学ぶ。二十歳から四十歳までは世の中に出て働く、次の六十歳までは、せっかくこの世に生を受けたのだから、一番やりたいことをやる20年に充てるのだそうです。私などはさしずめ、一番やりたいことをやっていい、それも真っ最中の時です。
人生を充実したものにするには、日々の生活を充実させなければなりません。一時間一時間を自分(成長や勉強)のために使って、悔いのない人生にしたいものです。時間に追われるのではなく、自分で時間を追いかけていくような、ゆとりのある生き方がしたいものです。
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