竜馬がゆく

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◎ 竜馬をめぐる女性達(竜馬は、なぜ女性にもてる。)

 ほっておけない危うさ。この人は私がいなければだめだ。私が何とかしてあげたい。そんな気持ちに女性をさせること。これが母性本能をくすぐるということか?彼が好きになったり、惚れられた女性は、みんなしっかりとしていて、自分をもっている。かな子、お田鶴さま、おりょう、お元。そして、乙女姉さんも。

 全ての女性に優しいのではなくて、全ての時にやさしいのではなくて、予想もしない時にやさしさを見せる。普段はほっておいても、ここはという時にやさしさを示す。

 汚い、身なりを気にしない、風呂に入らない、嫌いである。同じ服を着ている。着物の紐をしゃぶってぶるぶる振り回す癖がある。女性嫌い、女性が苦手といってもいい。さけて通るような所がある、まともに会話したり口説いているわけではない。でも、女性はついてくる。それも美人ばかり(笑)。羽織の紐の房をびっしょり濡らし、それをぐるぐる回す、唾が飛ぶ。

 生まれ落ちた時から、背中一面に旋毛がはえていて、「馬でもないのにたてがみがはえちょう」といって竜馬と名付けられました。このことをものすごく気にして、裸になることを嫌がりました。風呂嫌いはこのせいかな(笑)?このような恥ずかしがり屋の所も、女性には可愛く映ったのでしょう。

 坂本家は、福岡家のお預け郷士でした。その家老の娘がお田鶴さま。身分の違いを乗り越えて二人は思い合います。どちらかというと、お田鶴様の方がやや積極的かな?「もっとはっきりと好きだと言え」と突っ込みを入れたりしたけど、あの時代と身分を考えると随分勇気のいることです。嫁入り前の娘が、噂になるのは御法度ですから。お互いの気持ちはわかっていても、身分の違いは乗り越えられません。身分が恋愛や結婚に関係のない、そんな時代を竜馬は求めていたのかもしれません。まあ、お田鶴さまはあくまでも憧れの人、高嶺の花です。そっと遠くから見つめている方がいい。竜馬の嫁にはふさわしくないでしょう。

 若い頃江戸で、小千葉道場に通って剣の腕を磨いていました。小千葉道場の千葉貞吉は千葉周作の弟で、息子が重太郎、娘にさな子がいました。さな子は姉の乙女とは体格は違いますが、剣の達人であり男勝りの所があり、性格は似ていたのでしょう。彼女の竜馬への思いはひとしおでした。結婚をしたいと心から願っていました。でも、竜馬は……。かな子は自分と一緒になるより、他の人と結婚する方がはるかに幸せだと思っていました。だから、避けに避けていた。<片袖>の別れ等はその象徴ですね。竜馬は形見だと思い、かな子は愛の証拠、待っていてくれ、いつか迎えに行くと思ったのでしょう。

 その後江戸には行かなかった。行ったらどうなったのでしょうか?天下のことが、京都を中心に長州、土佐、鹿児島、長崎に移ってしまった。これも時代の流れ、さな子にとって良い風が吹かなかったわけです。彼女は良い奥さんになったことでしょう。

 あとがきで、さな子は<自分は竜馬の許嫁だと言っていた。佐那子とも書き、乙女と改名したこともあるそうです>

 おりょうとの出会いは劇的でした。出会いに偶然はないですね。彼女は竜馬と結婚するために生まれてきた。何人もの美女に思いを寄せられた竜馬が、おりょうを選んだのは、「この広い世間でおりょうだけは竜馬の庇護がなければ立っていけない女性である。」からでしょう。お田鶴も千葉さな子も十分自立して行けます。

 おりょうが風呂場から裸で飛び出し危機を竜馬に伝え、一命を救ったのは<寺田屋事件>は痛快です。これはあまりにも有名なシーンで、状況が目にはっきりと浮かびました。それにしても、あの状況で竜馬はよく助かりました。きっと、天が彼を必要としていたから殺させなかったのでしょう。

 おりょうは、美人で竜馬にはべた惚れでしたが、他の人にはそれほど気だての優しい女性ではなかったみたいですね。どちらかというとじゃじゃ馬。それを竜馬はうまく乗りこなしていた。

 竜馬の死後、竜馬の実家に入ります。そこで、「私を真実の姉と思いなさい」と乙女に言ってもらいますが、二人はしだいに仲が悪くなっていって、ついには家を追い出されてしまいます。

 「おりょうには他の女にはない良い所がある。人のもろもろの愚の第1は、他人に完全を求める所だ。」とか、「まことにおもしろき女にて」とは、竜馬が感じていたおりょうの人物評ですが、これはあくまでも竜馬から見たもの。他の人から見ると、無知でわがままなだけの女だったみたいですね。結局、おりょうのおもしろさは、竜馬の中にしか棲んでいませんでした(笑)。

 おりょうには養うべき老母や妹がいました。いろいろあって放浪の末、横須賀に住み、人の妾になったりしたそうです。この生き方が彼女らしいですね。したたかに生きていく強さを感じます。また、おりょうは竜馬の生前、自分の亭主をさほどの人物と思っていなかったとの記述もありました。おりょうは、人間竜馬に惚れていたわけです。

 寺田屋のおかみのお登勢も竜馬を好きでした。ただ、旦那がいたから、おりょうに譲ったけどそうでなかったらほっておかないでしょう。船宿を女手一つで切り盛りしている気っ風の良さが伝わってきます。<普通の好きではない、私がいなければあの子は困るんじゃないかという感じ。>こうなると、色恋を離れて子を思う母のような感じかな。

 お田鶴さま、さな子、おりょうに長崎で仏製のおしろいを買って送ろうとします。竜馬のやさしい気づかいです。でも、これをすると、<好きが惚れるに変わるからやめる>と言って、従妹の春猪に送ってやります。好きと惚れるの違い?何なんでしょうね。私からみたら3人とも十分すぎるくらい竜馬に惚れていると思うのですが。とにかく、こういうふっと見せるやさしさに女性はクラッと行くのでしょう。もちろん、大好きな男に対してだけでしょうが……。

 彼には、男を引きつける魅力があります。男でさえ惚れるのですから、女性が惚れないわけがありません(笑)。何の仕事をしているのかわからないけど、何かとてつもなく大きな仕事をしている。きっとこの人がいなければ、日本は成り立って行かない。すべてはこの人の肩に掛かっている。そんなことを感じたら女性はたまらないですよね(笑)。

 そんな、大きな仕事していて仕事ができる男。でも、それをひけらかさない。<能あるタカは爪隠す>の例えどおり、偉い人は自分では偉ぶらない。周りがどんどん偉い人間として祭り上げていき、やがて自然にその評価ができあがります。

 竜馬の仕事は、「薩長連合」「船中八策」「大政奉還」にしても、全て時代を動かし、次の時代を照らすものでしたが、決して彼自身が表面に出ていたわけではありません。どちらかというと影の主役、表舞台の桂や西郷などを演出する監督みたいな役柄でした。あふれる泉のごとき発想で、次々に問題を解決していきます。こんな影の主役と言う所が、重蔵や才蔵と似ているのかもしれません。影をもった男、魅力的ですよね。推し量ることのできない、未知の魅力が感じられます。

 彼の良さの一つに、<己がないこと>がある気がします。彼の発想の全てが、自分のため、自分の栄達や名声のためという、<私>がないことが凄いです。

 男として生まれ、彼のような才能と人望があれば、出世は望みのまま。でも、それを望まなかった。彼は、戦い半ばで倒れますが、もし生きて明治政府になっても、政府の高官にはならなかったでしょう。小説の中にもありましたが、貿易商として世界中を駆け回っていた。

 <私>がない、全て日本のため、民衆のためを思って行動をしています。それは、桂や西郷などとは全く違ったものです。彼らは、長州藩、薩摩藩という意識があり、藩のため、ひいては自分のための革命でありました。革命とは、政権を自分の方に持ってくることで、非常に恣意的なものです。それをここでどうこう言うつもりはありませんが、その後の明治政府の成り立ちが、薩長を中心に行われ、他を排斥してきた事実から証明できます。

 それに対して、竜馬の<大政奉還>論は、無益な戦争が起これば、民衆が苦しむそれを何とか避ける方法はないのか?その一点から出発しています。奇跡的とまで言われた薩長連合を成し遂げたのは武力でしか徳川から政権を朝廷に返すことができないと、思って竜馬がやったこと。その自説を民衆のため(戦争で被害を受けるのは、弱い民衆)という思いだけで転換をする。その時の反撥(裏切りとまで言われた)は大変なもの。でも、それも彼の人柄と論の素晴らしさで切り抜けます。

 また、船中八策は民主主義の前提となるもので、明治政府の基本となる考え方を示したものです。万国法令の元に何事も処理をしていくこと。このことを竜馬が力説したのは、新しい時代が国際社会であることを知っていたからです。唯一竜馬だけが……。メイドの給料まで大統領が気にしている社会、寝待の籐平でも、議員になれる世界を標榜したものです。

 時代が人物を必要とする。この言葉をこの小説を読んでつくづく感じました。凄い人物がきら星のごとく出現します。一人一人が小説の主人公になってもおかしくない人物ばかり。勝海舟、吉田松陰、桂小五郎、中岡慎太郎、西郷吉之助、大久保一蔵、岩崎弥太郎、武市半平太。

 また、明治政府で重要な役割を担った人物の、若かりし頃が描かれています。彼らが、竜馬と対面したことを、人生の宝のように話していたことからも、竜馬の偉大さがわかります。顔や姿を見たり、すれ違っただけでも、感激しているくらいですから(笑)。きっと、彼らは竜馬のような大きな人物の背中を見て、自分を鼓舞して成長していったことでしょう。自分が心から尊敬できる人物、この男のためなら死んでも良いと、思えるような人物に会うことが、一番の幸せなんでしょう。それを考えると、海援隊の隊士は、竜馬のために死ねると言っていました。幸せな連中です(笑)。

 桂小五郎や高杉晋作を始めとする、有能な人材を育てた松下村塾。その吉田松陰は「男子たるものは、自分の人生を一編の詩にすることが大事だ」と言いました。また、桂小五郎は「事をなすのは、その人間の弁舌や才知ではない。人間の魅力なのだ」と……。<事の成る成らぬは、それを言う人間による>ということですね。わかるような気がします。同じ論であっても、話す人によって説得力が違ってきます。竜馬はまさに、この典型的な人物です。一編の詩と言えば、竜馬もはっきりと人生を一編詩にすることができた人物です。短いけど美しい詩です。

 竜馬の素晴らしさは、その豊かな計画性にあります。幕末に登場する志士たちのほとんどが、倒幕後の鮮明なイメージをもっていなかったのに、竜馬のみその鮮明なイメージを持っていました。それは、国家のことだけでなく、自分についても同じです。

 彼は海が好きですね。そして、日本全国いや世界の海へ出ていくためには、今のままの日本ではだめで、新しい体制の統一国家を作らなければならないと思っていました。極論すればそのために革命を起こした(笑)。

 「自分は役人になるために幕府を倒したのではない。」それではどうする?「世界の海援隊になる」という言葉が象徴をしています。世界との貿易の大切さ、国際社会の到来を知っていました。それは国家を富ませ、民衆を豊かで平和に暮らせるようにすることにつながるわけです。

 <回天>という言葉が出てきました。私の好きな言葉の一つです。あることをきっかけに一気に<ガラガラぽん>と変わってしまう。今までの嫌なこと閉塞感がこれで一気に晴れる。そんなイメージを受けます。竜馬がよく使っていました。回天には、時勢が大切。どんなに人物があつまり、準備をしても、時勢が熟していなければことはならない。また、逆に<ことがなる時は全てがその方向にいく>ということでもあります。いろいろな出来事がそれまでは単発的で影響力を与えなかったものが、時勢が高まると共に、連携をもってことが起き、それにふさわしい人物が、ふさわしい思想をもって現れます。竜馬もしかり、中岡慎太郎、高杉晋作などもそうです。勝海舟もそうですね。

 そして、ことを成して行く時は、これらの人物同士の対話によって、成っていくこと。これは凄い発見です。竜馬も中岡慎太郎もじつに多く動きます。それは各地に点在する人物と会うためです。歩くかせいぜい馬の時代に、そのエネルギーは凄いとしか言えません。

 事件の影に人物ありです。<革命とは人間が思いつく限りの最大の陰謀と言ってよい。>こんな文章がありました。人間と人間が会って、お互いに情報を交換する、自分の考えを相手に伝え、説得してことが進んで行きます。直接会って、その人物に惚れて、その人物の考えに信服して行きます。これは今の情報社会でも同じことかもしれません。テレビや新聞からも影響されますが、それよりも、やはり直接人に会って話を聞いて、それによって考え方を作って行くことの方が、はるかに強い気がします。その時に大事なのは、その人物の考え方よりも、その人物がどうであるかです。人物に惚れるたら、その人物の考え方にも同調をします。

 <会議は無能な者のひまつぶしにすぎない。古来、会議でものになった事柄があるか>と言うのが岩崎弥太郎の考え方でした。<物を創り出すのは、1人の頭脳があればいい。>とも言っていました。これもよくわかります。竜馬の1人の頭の中から出たものが革命を起こし、新しい時代を作りました。「船中八策」「大政奉還」。何かものを成す時、大勢で話し合って案を出すことはだめで、リーダーが原案を出すべきです。(天は必要な時に、必要なものを与える)天は竜馬を与え、竜馬に案を与えます。

 竜馬に会った人は、必ず彼の人物に惚れます。無愛想だけど、何かあるのでしょうね。雰囲気とか、オーラとか。会話については例えを入れて、大いに笑わせると書いてありましたから、話は上手だったのでしょう。でも、それを聞けば聞くほど、女性との会話が成り立っていないことに気がつきます。会話らしいものはほとんどありません。それは、彼の照れでしょうか?それとも、天下国家の自説だから大いに語れるのでしょうか?

 才能のある人は、どこまでも才能があるんですね。千葉道場の師範代にまでなり、当代一流の剣客になります。頭の良さも、オランダ語がわからなくても、オランダ語の法律書の訳が間違っていることがわかるほどです。何事も感が良いのでしょう。文武両道にすぐれていたわけで、それもさしたる努力もせずに……。天才とはそういうものですよね(笑)。

 土佐藩は<郷士、上士>の身分制度が極めてきつい所です。郷士は上士にとって、犬や猫のような存在、竜馬はそんな土佐藩に郷士の次男として生まれます。ただ、坂本家は商売上手で城下一の金持ち郷士でありました。金持ちといっても、所詮郷士は郷士。このような状況が彼の<私>のない考えを生んだのかもしれません。こんなばからしい身分制度に汲々としている土佐藩に、未来はないとあっけなく藩を捨てます。藩全体を勤王にするという、武市の理想論に対して、竜馬は脱藩した有志だけの勤王という現実論でした。それは、桂や西郷などの藩で優遇され出世しているものとの違いでもあります。バックボーンを持たない強さ、自由さが竜馬を飛翔させました。

 先ほど言った<時勢>のことを竜馬は「人が事をなすには天の力を借りねばならぬ。天とは時勢じゃ、時運ともいうべきか。時勢、時運という馬にのって事を進める時、大事は一気呵成になる。」と言いました。

 彼が明智光秀の子孫であることを考えると、意味深い言葉です。明智光秀が本能寺で信長を撃った後、一気にことをすすめれば、天下を取ることができたかもしれません?その時信長の有力大名は各地で敵と対峙して、動くに動けませんでした。それに油断をして、秀吉の逆襲にあいます。あの有名な高松城の水攻めの時です。信長の死を知った秀吉は、<中国大返し>を計画します。停戦をしたらその後始末もそこそこに、山崎の天王山へ一気にかけつけます。その早さは想像を絶するもので、光秀には奇跡と思えたことでしょう。

 時勢と言えば、関ヶ原の家康と三成もそうでした。家康は戦力的にも、地形的にも不利だったけど、時勢にのったため天下をとりました。その時、時勢は古ぼけた豊臣政権より、家康を中心にとする新しい統一国家の方向に向いていたわけです。

 <武士道は死ぬことと見つけたり>これは葉隠れの一説ですが、武士の死に対する潔さには敬服します。特に切腹。死ぬことがわかっていて、それを名誉と受け入れて、平静に処せます。この小説の中でも「元服の時に、切腹の作法を懇切丁寧に教えられる。」とあります。大人になる儀式の中で、いかに格好良く死ぬかを学ぶのですから恐れ入ります(笑)。武士にとって、どのように生きるかも大切だけど、それ以上にどのように死ぬかが重要視されていたわけです。きっと死に方がずっと語り継がれて行ったのでしょう。それを考えると、武市が選んだ<三文字切腹>もうなづけます。これは死に方の美学、舞台に上がる役者にも似ています。腹を三文字に切るためには、三度腹に刀を差すわけですから、その痛さは想像を絶するものがあります。まあ、切腹はどれも痛いのでしょうが……(笑)。

 どこかで読んだ記憶がありますが、普通の切腹は、腹を刺した瞬間、介錯人が首をはねるそうですが、それが普通の切腹のような気がします。それにひき替え、武市は介錯を三文字が終わるまで断ったのですから凄いです。

 死ぬということが怖い私には、とてもできることではありません。胃ガンで告知されたらどうしようか?と悩んでいるくらいですから(笑)。切腹と決まってからどう心を保って行けるか自信がありません。

 武士には独自の死生観があるのでしょうか?仏教で言う所の、輪廻を信じていたのか?あまりにも死を恐れず、坦々と死んで行く姿を見ると、そんなことも知りたくなりました。

 昔、<菊と刀>という本の中で、日本は<恥の文化>であると言っていました。武士にとって、ものごとを決める最大の要因が恥、それをいかに回避するかが生きる目標だったのでしょう。

 竜馬の死生観は、次のようなものです。「われ死する時は命を天にかえし、高き官にのぼると思いさだめて死をおそるるなかれ」と、竜馬はその語録を手帳に書きとめ、自戒の言葉にしていたそうです。

 竜馬の言った西郷評。「われははじめて西郷を見る。その人物茫漠としてとらえどころなし。ちょうど大鐘のごとし。小さくたたけば小さく鳴り、大きくたたけば大きく鳴る。」 <小さくたたけば小さく鳴り、大きくたたけば大きく鳴る。>これが良いですね。相手の人物しだいで、いかようにも変わる。人間を磨いて出直して来い!!と言った感じでしょうか(笑)?

 竜馬が西郷を最初に訪ねた時に、鈴虫を持って行きました。一月後、同じ薩摩藩邸に西郷を訪ねると、同じ鈴虫が虫かごの中にいます。この心づかいを見て、竜馬は「西郷という男は信じて良いと思った」そうです。これは大事な客をもてなす心です。大切な人を大切だよと知らせる方法です。

 この鈴虫初代は3日で死に、これは三代目であったそうです。茶道の言葉に「心づくし」という言葉がありますが、この鈴虫の話はその良い例だと思います。

 南州百話より。

 竜馬が西郷の家に泊まった時に、寝室から夫婦の話が聞こえてきました。その時の話が、南州百話の中にありますので、それをそのまま書いてみます。「土佐の坂本竜馬が鹿児島にきて、翁を訪問し一泊した時、夜半に翁は夫人を何か寝物語をしている。聞くとはなしに聞いていると、夫人は<宅は屋根が腐って雨漏りがして困ります。お客様がおいでのときなど面目がございません。どうか早く修繕をしてくださいませ>と訴えると、翁は、<いまは日本中が雨漏りをしている。わが家の修繕などしておられんよ」と応えられた。

 竜馬が亀山社中の隊士に言った言葉

<……倒幕戦をやるうちに、諸君のほとんどは傷ついたり死んだりするだろう。業なかばで倒れてもよい。その時は目標の方角にむかい、その姿勢でたおれよ。> 前のめりの姿勢で倒れろ。一歩でも前に進むという気概が重要、たとえ思い半ばで倒れても……。この<なかば>という言葉が深いですね。人の夢、希望はほとんどが完全には成就をしません。でも、それでもいいではないかと納得させてくれる言葉です。

 

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