坂の上の雲

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坂の上の雲 h19年7月

 7月15日(日)半田図書館で借りて読み始めました。
夢中になって読んでいます(笑)。
テンポが良く、展開が早い。
無駄なものがなくて、てきぱきと物語が進行して行くのが良いですね。
これは、司馬遼太郎の作品には共通のことですが……。

 ただ、話の内容が戦争の話なので、
場合によっては、海軍や陸軍の話になり、
戦艦や大砲の話ばかり出てくるので
女性にはちょっと退屈かな?とも思っています。

 それと、竜馬がゆくや作者は違うけど<真田太平記>のような
ほっとさせてくれる所が少ない気がします。
まだ、8巻の中の1を読んだだけだからなんとも言えませんが
今の所は堅い話に終始しています(笑)。

 明治の始め、伊予松山藩の下級武士秋山家の
秋山好古(よしふる)と8才下の弟秋山真之(さねゆき)
そして、真之と幼なじみである正岡子規の物語です。

 明治の時代は、薩長閥が絶対で、
幕末に徳川について伊予松山藩の出身者は
普通の状態では出世はできない。
唯一可能性があるのが、教育と軍隊であると言われていました。
結局秋山兄弟は職業軍人になることで頭角を現します。

 明治時代は、西洋化を急いで富国強兵が急務。
そして、その流れに日清、日露の戦争が大きく関わってきます。
日清戦争は、中国の弱さもあってさほどではないのですが、
その当時強国のロシアに日本が勝ったことは
奇跡と言われました。

 その奇跡を起こしたのが、陸軍騎兵将校の秋山好古と
海軍参謀の秋山真之です。
歴史の表舞台には、陸軍は乃木将軍、
海軍は東郷元帥が出てきますが、
実際はその裏で彼らを支えた人物がいます。
それをクローズアップした所がこの小説の面白さです。
秋山兄弟は、私も初めて聞いた名前です。

 また、正岡子規は俳句を現代に蘇らせた
人物として有名で、彼の後をついだ高浜虚子などと共に
俳句を勉強している私には、興味のあることです。

 俳句の教室で正岡子規の作った
<柿食えば 鐘がなるなり 法隆寺>
の革新性を教えてもらいました。
従来、柿などの食べ物を句や短歌に詠み込むことはなかったそうです。
それ以来、俳句に食べ物が詠まれるようになったそうです。

 まだ、夏目漱石との親交はあまり出てきませんが
これも、楽しみです。
あまり知られていないけど、夏目漱石や
芥川龍之介は俳句を作っていて、
なかなか良い作品があります。

 この小説には、明治時代の若者の気合いというか、
熱きエネルギーが感じられ、こちらまで熱くなります(笑)。
時代と共に考え方は変わるもので、
その頃は、立身出世を願うことは悪いことではなくて、
それが若者の共通の考え方でした。
そんな、立身出世を一途に目指す、
若者のエネルギーを感じます。
幕末もそうですが、明治の初めの頃も混乱期で
その面白さにあふれています。

 国の基本は教育制度の充実にある。
これは今も明治も変わりはありません。
いち早く西洋化し近代化ができたのは、江戸時代を通じての
国民の教育水準の高さによります。
そして、日本の特徴として、都市部ではなくて、
地方の武士階級に優秀な人材がいた。
それは、各藩の藩校があり、各藩こぞって教育に力をいれていたからです。

 徳川から明治へは無血革命。
廃藩置県とは、地方分権から中央集権への切り替え、
これを無血でやり遂げたことに、外国が驚いたそうです。
これについて、薩摩侯が、こんなはずではなかった。
まるで自分の首を絞めるために
革命を起こしたものだと嘆いたそうです。

 司馬遼太郎は、太平洋戦争に戦車隊として従軍しましたが
その戦車の粗末さ以上に、指揮官の無能さを嘆きました。
彼に言わせると、基本的には負ける戦いはしないこと。
でも、どうしても戦う必要がある時は、
戦術を駆使して、最善を尽くして戦うべきである。
例えば、真田昌幸や幸村のように……。

 少し前に、司馬遼太郎の中学時代の文章が発見されて話題になりました。
これを見ると、その頃から天才のめばえみたいなものを感じます。
彼は、大阪府立図書館のすべての蔵書を読み尽くしたとか、
図書館の閉館時間を彼に合わせて1時間遅らせたとか、
<竜馬がゆく>を執筆するために、神田の古本屋街から
竜馬に関係する本がすべてなくなったなどの
いろいろな伝説があります。
そのどこまでが本当かはわかりませんが、
とにかく彼の<情報量の多さ>だけは、驚嘆すべきものがあり、
我々凡人には到底及ばないことです。

 エジソンの「天才とは1%の天分と99%の汗からできている」
との格言がありますが、司馬はまさにこの格言通りの天才です。
ただ、その汗も我々からすればたぶんに天分を秘めた汗です。
おそらく彼は、彼独特の速読法をマスターしていて
それを利用しての多読と、それを頭の中に整理し、保管しておく
暗記力をもっていたのでしょう。
その二つの能力も、私には天才としか思えません。

 幕末の坂本竜馬や高杉晋作などと比べて、
明治という比較的新しい時代の物語だから、
文献や証人もいて、うそが書きづらい(笑)。
その中で人物像を膨らませて行くわけですから、
苦労と楽しみの入り交じったものがあったのではと想像しています。

 「坂の上の雲」この題名の由来は
当時の西洋文明を坂の上にある雲に見立て
日本も近代化し頑張って、坂の上に登れば
雲に手が届くのではないか……。
そんな明治時代の日本人の気持ちを表したものだそうです。

 最初この本の話を聞いた時
どうしてこの題名なのか?と、不思議に思っていたのですが、
由来を聞いて、なるほどと思ったものです。

 それと同じような時代がありました。
私は団塊の世代の末期、昭和25年生まれですが、
戦後の日本は、高度経済成長という名の
坂の上の雲を目指して、日本国中が走っていた時代でした。
すべては高度経済成長のためと、犠牲にされ、
(もっともその時は犠牲だとは思っていなかったわけですが……)
豊かになることだけを目指して、走り続けました。
その結果、確かに経済的には豊かになったわけですが、
心の豊かさを失い、その後の社会に大きな問題となる
原因を作りました。

 そんな時代の真っ只中に、青春時代を過ごしてきた
私としては、やったことの大きさ、人間の大きさは
比べるべくもないのですが、一人の日本人として
この小説に共感できるものがあるのではないかと、
期待と興味をもって読み続けています。

 司馬がこの本を書いたのは、
太平洋戦争の失敗の原因をさぐる目的もあったかもしれません。
近代日本の建設(西洋化と富国強兵)が
日清・日露の戦争を引き寄せ、それに奇跡的に勝利をする。
その結果、自国の力を過信した政治家と軍人が膨張政策をとり
徐々に太平洋戦争へと進んでいくわけです。

 司馬の哲学は「負ける戦はしない」。
いや、負ける戦は描かないでした(笑)。
もっと正確にいうと、勝つための努力をしない戦いは描かないです。
その代表に戊辰戦争があります。
<燃えよ剣>(私は読んでいませんが……)は
新撰組の土方歳三の一生を描いているのだそうですが、
彼が函館の五稜郭に榎本と立てこもった時の
戦いが戊申戦争です。

 それは、兵の数や時の流れからすると明らかに
負けると決まった戦いでしたが、
土方は有能な指揮官として、勝つための最善の努力をし、
その結果を残しました。

 それに引き替え、太平洋戦争での無能な指揮官は……。
彼は戦車部隊に所属し終戦を迎えますが、
その時、日本軍の無能さをおおいに嘆いていました。
この無能な政治家や軍人を、明治時代の人物と比較検討をする。
そして、どうしてそうなってしまったのか?
そのルーツを探るための物語でもあります。

 「明治の頃の人々の戦争に対する考え方」
これは非常に興味深いものです。
日清・日露の戦争は明らかに侵略戦争ですが、
その戦争すら肯定する。
いやそれどころか、一点の疑いもなくこの戦争を賛美します。
あの文化人であり知識人である、正岡子規でもそうなのですから
その頃の一般の日本人の考え方は、押してはかるべきでしょう。

 「井の中の蛙、大海を知らず」
世間知らずであったというのが、
一番の原因であったと思いますが、
その時代の雰囲気がそうさせていた気もします。
よく「時代がそうさせた」と言いますが、
まさにそうであった気がします。

 それと同じで、
「立身出世をいちずに目指す」若者のエネルギーは凄いですね。
「立身出世」なんて言葉、
今なら恥ずかしくて、思っていても隠すものです。
それが堂々と言えるのは、「時代」のせいです。

 それにひきかえ、今の時代は、大志を抱きにくい時代。
「立身出世」とはお金儲けにつながり、
<悪>であるという考え方が強くなっています。

 「立身出世」をすることは正しいこと。
これを信じて疑わない心、迷いが一切ありません。
それを社会全体が容認している。
「立身出世」とは、人間の本能。
それを素直に信じられたのは、
心ある若者には生きやすい時代でした。

 このように見てくると明治は
楽観主義の良き時代であった気がします。
(生活は苦しくても、気持ちの上では……)

 中村草田男という俳人がいます。
正岡子規の後継者である、高浜虚子の門下生です。
彼の代表句に「降る雪や明治は遠くなりにけり」があります。
まさにこの時代は、この句に象徴される気がします。


 次から次へと起こる、正岡子規の不幸。
結核で血を吐き、闘病生活の上に、さらに脊髄カリエスになる。
穴から血が吹き出る、カリエスの痛みを、
畳針を打たれたようであると表現していました。

 どうして人によってこうも運命が違うのか?
子規の運命を見て、そう考えてしまいました。
でも、短い人生、それも苦しみの中で
俳句・短歌の革命を成し遂げ、名を上げ、名を残すことができました。
人生とは長さではないと痛感します。

 病人の子規の所には、それでも人が集まります。
彼にはオーラがあり、スター性があったのでしょう。
余命幾ばくもないと覚悟した子規は、
早々と高浜虚子を後継者と決めます。
子規の作った、俳句の結社が<ホトトギス>で、
虚子によって日本最大の俳句結社に成長します。

 子規が結核であったことと、俳句の結社の名前を
ホトトギスにしたこと。
<泣いて血を吐くホトトギス>この言葉との
取り合わせを考えると、辛くて悲しいです。

 秋山好古、真之の兄弟は、<時代の子>なのでしょう。
時代が必要とする人物である。
兄は陸軍で騎兵を、弟は海軍で参謀を
一つのことに全てをかけ、全身全霊で打ち込む。
今のような情報化時代ではない、明治時代だからできたこと。
仕事以外に誘惑が少なく、<人生は楽しむためにある>なんていう
迷いもない。
それにひきかえ今の時代は、
情報によって生き方が左右され、
自分の生き方が正しいかどうかを、自分ではなくて
人(情報)が決める時代とも言えます。

 それにつけてもこの二人に
女っ気が一切ない(笑)。
古今から<英雄色を好む>と言われるが、本当なのか?
まあ、英雄と言っても全てという訳ではなくて、
その人の個性や素質によるのでしょう。
仕事の中に、自分使命を見つけ、それに全てをかける。
それだけで十分であり、色気なんかに関わっている暇はない(笑)。
その集中力は凄いです。

  

 

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