女の一生 サチ子の場合

 読書の目次へ 

 


遠藤周作 女の一生 サチ子の場合

 遠藤周作<女の一生 サチ子の場合>を読み終えました。その感想です。

 

 太平洋戦争が始まる頃、長崎のキリスト教徒で幼なじみの修平にサチ子はほのかな恋心を感じていた。成長した修平は文学を志し、慶応義塾へすすむ。遠く離れて修平の大切さを知ったサチ子は一途に愛を深めていく。最初妹のような友情しか感じなかった修平も、いつしかサチ子の気持ちを知り、同じように大切な人と思うようになる。

 

 昭和19年、敗戦の濃くなった日本では、大学生の徴兵免除が廃止され、学徒動員が実施された。キリスト教徒であり、人を殺すなんて、絶対にあり得ないと思っていた、修平にも召集令状がきた。彼は、<キリスト教徒として人を殺すことができない>と悩む。そのため、招集拒否も考えた。なぜ、日本のキリスト教会は人を殺すことを反対しないのか?これが彼の最大の問題だった。

 

 悩みを持ったまま、彼は海軍の予科練に入り、神風特攻隊に配属される。自分は明日のない人間だからと、サチ子の気持ちを知っていても、深入りをしない。その修平の<意気地なし>の態度にサチ子はじれったさを感じていた。彼女は、心から結婚を望んでいたが、長い手紙を残して、修平は特攻機に乗り海の藻屑と消えた。彼女の生きて帰ってくれの声もむなしく……。国のために死ぬのではない、自分の家族や友人、恋人のために死ぬのだ。特に、恋しい人のために、その人を守るために死ぬという気持ちが辛い。でも、男はそう思っても、待っている女性は違った思いを抱いているのでしょう。

 

 太平洋戦争前の日本の一番暗い時代の話しです。その頃に青春を送った人は本当に可哀相だと思います。好きなもの同士が、戦争という運命のために添えられない。添えられないどころか死によって永遠に離されてしまう。我々の世代は戦争を知らずにここまで来ました。少年期に戦後の貧しさも、それなりに体験し、それ以後は高度成長の波に乗り、物質的な豊かさも体験でき、その両方を知ることができる、幸運な時代を生きてきました。この小説の<修平やサチ子>が生きた時代を考えれば、本当に幸せです。

 

 この暗黒の時代を生きたサチ子を思う時、茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」という詩を思い出します。戦争というものがいかに人間の人生を狂わせるのか、楽しみを奪い、味気ない人生にしてしまうのか。この詩を読むたびに、そんな時代に自分が生きていなくてよかったとつくづく思います。

 

  わたしが一番きれいだったとき

  街々はがらがら崩れていって  

  とんでもないところから 

  青空なんかが見えたりした

 

  わたしが一番きれいだったとき 

  まわりの人達が沢山死んだ 

  工場で 海で 名もない島で 

  わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

 

  わたしが一番きれいだったとき 

  だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった

  男たちは挙手の礼しか知らなくて 

  きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

 

  わたしが一番きれいだったとき 

  わたしの頭はからっぽで 

  わたしの心はかたくなで 

  手足ばかりが栗色に光った。

 

  わたしが一番きれいだったとき

  わたしの国は戦争で負けた 

  そんな馬鹿なことってあるものか 

  ブラウスの袖をまくり卑屈な町をのし歩いた

 

  わたしが一番きれいだったとき 

  ラジオからジャズが溢れた 

  禁煙を破ったときのようにくらくらしながら 

  わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

 

  わたしが一番きれいだったとき 

  わたしはとてもふしあわせ 

  わたしはとてもとんちんかん 

  わたしはめっぽうさびしかった

 

  だから決めた 

  できれば長生きすることに 

  年とってから凄く美しい絵を描いた 

  フランスのルオー爺さんのように

 

 第1部のキクの場合が、隠れ切支丹の迫害ということをテーマに、<罪なき人をどうして神は救ってくれないのか?>を訴えて来ました。そして、第2部のサチ子の場合は、戦争への参加ということをテーマに<国のために人を殺して良いのか?それに対して教会はなぜ反対しないのか?>を問うて来ました。自分が人を殺さなければならない、状況に置かれた時のキリスト教徒(人を殺すなかれと教えられてきた)の苦悩はいかばかりか?

 

 長崎で布教し、ポーランドに帰った、コルベ神父がナチスに捕らえられ、アウシェビッツに送られます。その時の話しが出てきます。彼は<収容所に愛がなければ愛を作ればいい>といい、若い囚人の身代わりになって死んで行きます。どうしてそんなことができるのか?囚人ばかりでなく、ナチスの幹部も驚き影響を受けます。戦争に対して、何も言えなかったキリスト教徒の一つの答がここにあるのかもしれません。どんな状況であっても、自分よりも辛い人を救う。そこに人間としての喜びがあるのかもしれません。。

  

 

上に戻る