天国までの百マイル

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天国までの百マイル
平成1210月完読
作者 浅田次郎   出版社 朝日新聞社 1500円

 

あらすじ

 

 著者の浅田次郎氏は、この本のことを次のように言っている。『私の母が重度の狭心症を患い、大手術によって奇跡的に九死に一生を得たのは、七年前のことである。そのときの実体験をこんな物語にしてみた──。』

 城所安男は、バブルの崩壊で自分の不動産会社をつぶし、それが原因で妻の英子と離婚した。今はホステスのマリに食わせてもらっているが、すべてにやる気と自信をなくした中年男である。彼の母は、女手一つで自分達兄弟を立派に育ててくれた。その母が、重い心臓病にかかり、難しい手術をしなければ助からない状態であった。そして、その難しい手術ができるのは、千葉県にある病院の心臓外科医だけだった。彼は兄弟の反対を押し切って、母の命を救うために、百マイル(約160km)の道のりを、軽トラックで母を運んだ。彼は、母の命を助けることによって、大事なものを取り戻し、自分も立ち直る勇気ときっかけをつかんだ。

 自分の母も過去に心臓病で手術をしたことがあり、その姿が物語の母と重なり、さらに、身勝手な兄たちが、自分の今までの姿とオーバーラップし、何度も何度もこみ上げるものがあり、涙を押さえることができなかった。

 

 

 

詳しい筋

 

◎ 城所安男は、4人兄弟の末っ子であった。元不動産業者でバブル景気の時は、億という金を動かしていた。金を湯水のように使い、母の言葉では銭湯のような家に住んでいた。しかし、バブルが弾けると共に倒産する。会社を何とかしようと妻の英子と共に金策に走るが、兄弟達は、自分達の保身のためにだけ汲々とし、全く相手にしてくれなかった。景気の良い時には、それなりの面倒を見たのに、兄たちの手のひらを返すような冷たさに、安男は人の心の無常を感じる。

◎ 苦しい時、唯一母がお金を出してくれた。景気の良いときは母のことはほとんど考えなかった。それは、兄弟達と同じであり、感謝の気持ちをお金で代用できると思っていた。そして、貧乏になって初めて、母のことを思う素直な気持ちが生まれた。

◎ 今は印刷会社の営業の仕事をしている。社長は、バブル全盛期に世話をした弁護士の同級生であり親友である。今の仕事にはほとんど熱が入らず、ただぼんやりとその日をやりすごしていた。気力がほとんどなく、生きがいもやる気を全く失ってしまっていた。

 給料の

30万はすべて、別れた妻と子供に養育費として渡している。そのため、自分は、ホステスのマリに食わせてもらう、ヒモのような生活を送っていた。

◎ 離婚した英子は、良家のお嬢さんで苦労知らず。しかし、なぜか義母と馬が合い、離婚後も電話を掛けたり、病院にお見舞いに行っている。離婚してまで義母と関わりを持つのは、無理をしているわけではなく、本心からでた行動である。

◎ 彼女は、子供の頃苦労知らずに育ち、結婚後も豊かで、生活を守ることに汲々とせず、余裕も持って生きてこれた。この心の余裕が、義母の遠慮ぶかい、真の優しさの意味を理解できたのだろう。実の娘は、子供の頃の貧しい体験から、豊かな今の生活を何とか守ろうと必死で、母の心を思いやる気持ちの余裕がなかった。

◎ 夫の会社が倒産しそうになり、必死に夫と共に金策に走る、しかし、だめと決まったら潔く、自分達(自分と子供達)の生活を守る。夫ともう一度やり直し、がんばっていこうという選択よりも、別れた方が夫のためだと考えた。きっと、その時の夫を見て、このままでは、二人共もだめになってしまう。それよりも、少し離れて夫を見守っていこう、そんなふうに考えたのかもしれない。

◎ 離婚後働くようになった彼女には、生活の面倒を見させてくれという、パソコンソフトの開発会社の社長がいる。しかし、彼女はそれに踏み切ることができない。このことをわざわざ安男に言ったのは、まだ安男を愛しているからであり、何とかして欲しいとの気持ちの現れである。

◎ 安男には面倒を見てもらっているマリがいた。彼女は、デブでブスのホステスで、安男を愛人として養っている。自分の幸せより、自分が愛した人の幸せを願う。こんないい人、現実にはいないと思いながら、どこかいそうな感じがするから不思議だ。

◎ 彼女の生い立ちは悲惨である。彼女の母親は自分を連れて再婚したが、その母親が死に、義父が再婚する。つまり、血のつながりのない両親と同居する事になったが、その義父からセックスを強要される。それが、義母に見つかり家を追い出される。しかし、義父が自分をセックスの相手に選んだのは、自分の母を愛し、母が忘れられないからだと考え、その行動さえ感謝している。このように、何事も、ポジティブに、プラス思考に考えることができる楽観主義者である。

◎ 安男は、姉から母親が入院しているのを聞かされ、お見舞いに行った。そこで、担当の医師から、家族の冷たさを避難される。それは、病状を説明しようと来院を催促するのに、いっこうに訪れる気配もなく、なしのつぶてであったからである。その時、安男は母が非常に危険な状態であることを、医師から告げられショックを受ける。それは、そんなになるまで自分が知らなかったことへの後悔と反省の気持ちからだった。

◎ さっそく、電話で兄弟達にそのことを伝えるが、また借金の申し入れだと思われ、なかなか話を聞いてくれない。それでも何とか、ことの重大さを伝え、兄弟そろって、病院で説明を受けることになった。そこで心臓病の権威である春名教授から、手術はできないので、内科的な処置をしていきたいと言い渡される。これは静かな死を意味した。

◎ 兄弟全員がそれで承知したが、安男は納得しない。そんな時、担当医の藤本が、千葉の鴨浦という漁港にある、サンマルコ病院を安男に紹介してくれた。そこにはゴットハンドを持つ曽我医師がおり、彼なら手術ができると言う。これを聞いた安男は、これに賭けてみようと思う。しかし、兄弟達の反応は冷ややかで、お金は出すが、後はお前の責任でやってくれというものであった。

◎ これに腹を立てた安男は、お金も含めてすべて自分一人でやってやろうと決意する。お金は別れた英子に会って、養育費を1ヶ月待ってもらい、それを病院の支払いに当てた。また、会社からはライトバンを借りた。そして、藤本医師に、百マイルに耐える心臓を作ってもらい病院を出発する。

◎ 担当の藤本医師は、自分は、勇気がないから外科医になれなかったと言った。彼は自分の母が心臓病で入院した時、担当の内科医としてそれにあたり、自分の優柔不断さが、母を死なせたと思っている。その勇気のなさを後悔し、安男の行動を積極的に支持する。そして、安男の母を自分の母のように、手厚く看護をし、遠距離に耐えられる百マイル分の心臓を作ってくれたのだった。

◎ ガソリン代がないので、金貸しのやくざ片山に頼む。彼は安男の行動を意気に感じ、財布全部を投げて寄こした。途中、ドライブインで食事をするときは、ダンプの運ちゃんが、母の体に悪いからと冷房を切ってくれた。このような、素敵な人々との出会いや、多くの人の善意によって、無事に千葉の鴨浦に着き手術をすることになる。また、車の中では母親の恋人の話があり、母親の人生を多少なりとも知ることができた。

◎ 母は、夫が早く死に(安男がもの心付く前)保険の外交の仕事をして、女手一つで4人の子供を育てた。父親がいない分、何としても立派に育てたい、世間並みに育てたいと頑張った。長男は、国立大学を出て商社マン、次男は国立大学(一流ではない)を出て、耳鼻科の医師、長女は銀行の支店長夫人である。

◎ 保険会社の上司で彼女を好いてくれる男性がいた。会社は土曜日が半ドンであったから、彼とは土曜日の昼、彼のアパートで会い、その夜は自分の家に彼を招いて、家族で食事をとっていた。このことによって、子供達には、二人の『男と女の関係』が見えないように配慮した。彼は優しく神のような人だった。彼は、北海道の牧場主の長男で、姓を小林一也から城所一也と変えてもいいと真剣に言ったが、母はその申し出を断った。相手を思いやる気持ち、子供達を思いやる気持ちから、自分の女としての幸せを捨てた。

◎ 貧乏から、立派に子供達を育てたのに、いつも子供達にすまないと謝っている。貧乏だから、父がいないから、子供達に十分なことができなかったことが申し訳ないと思っている。

◎ 一人で暮らしているのは、自分が子供達の重荷になりたくなかったからだ。いつも遠慮し、誰彼なしに謝っている、謙虚で遠慮深い母の姿が思い描かれる。

◎ 手術の前、英子から電話があり、マリさんを愛していないなら、もう一度やり直してもいいと言って来た。子供達もそれを望んでいるからと。それは、マリの仕業だった。マリは、彼が百マイルを病院に向けて走っている間に英子に会った。そして、自分が悪女となり、英子に安男を譲った。

◎ 母の手術は成功した。しかし、安男はマリとの約束通り、彼女のもとに帰ろうとしたが、すでに、彼女のアパートは引っ越した後だった。「ありがとう、ヤッさん。うれしかったよ。とても愛しています。」の言葉を残して……。

 

 

私の感じたこと

 

◎ この作品の中にいろいろ魅力的な人物が出てくるが、私は、マリよりも英子の方が素敵に映る。安男は英子のことを、バブルの時さんざん良い思いをさせてやった。だから今もその暮らしが懐かしく、忘れられない見栄っ張りの女のように考えているが、彼女はもっとしっかりした女性だと思う。状況を的確に判断し、その生活に相応しい生き方ができる人だ。そういう意味で、安男がその気になりさえすれば、苦労を共にできる女性である。

◎ 英子は、マリから安男を何とかして欲しいと言われ、よりを戻すことになる。安男には電話で、子供が一緒に暮らしたいと言っているからと、いいわけがましいことを言っているが、自分の気持ちもその方向に、最初からあったのだと思う。

◎ マリは、自分のことを冷静に理解(デブでブスのホステス、男の出世のために貢ぎ、結局男に捨てられる)し、それに相応しい生き方をしようと考えている。『愛されるより、愛する方が幸せだ』というのが彼女の人生観である。この考えに沿って、ラスト、自分と一緒にいるより、英子と一緒にいる方が安男のためだと判断し、英子と直接会って、悪女の芝居をし、彼女に安男を譲る。自分は男を世に送り出し、その後捨てられるものだとあきらめている。そんな薄情な男ばかりしか付き合ってこなかったのに、今回ばかりは違っていた。彼はほんとうにマリのことを考え、彼女のもとに帰ってこようとした。この行き違いが悲しく、どこかで不幸な男と一緒に暮らすマリの姿が目に浮かぶ。

◎ 借金の肩代わりをしたり、保証人になるのは、兄弟でもイヤだ。家庭を守るために、NOと言える勇気も必要だ。だから兄達の行動を一概には責められないと思う。安男側から見ると、薄情な兄弟であるが、反対側から見ると違った風景が見えてくる。

◎ 自分の母親を誰が面倒を見るのか、兄弟が多い場合難しい問題だ。長男が見るといっても、その状況が整っていない場合もあるし、一番大切な配偶者の協力がなければ、なかなか難しい。

◎ また、手術をするかどうかの判断も、治る見込みが高ければ問題はないが、少ない場合は、できるだけ本人が痛くないような方法を、選ぶのが肉親の情である。年老いた母を内科的な治療に任せるのも選択の一つで、これも一概に悪いとは言えない。安男の行動は、成功したからいいが、失敗したら家族から何と言われるかしれない。

◎ 長男が親の面倒を見るものという世間の常識は、長男が親の面倒を見られない状況にある時は、結構つらいものがある。したくてもできない、または今はできないなどいろいろな事情があっても、世間はそんなことを考えてくれない。『長男がいるのに、年寄りが一人で暮らしている』という状況のみで判断して、ものを言う。

 

 

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