ガープの世界

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ガープの世界 
ジョン・アービング作  筒井正明 訳  サンリオ文庫

(上)

12年7月22日完読 (下)12年8月9日完読

 

 

あらすじ

 主人公は作家のガープである。彼の生まれてから死ぬまでの波乱に満ちた一生を描き、家族の愛、生きることの意味を考えさせる感動の名作である。

 ガープの母、ジェニー・フィールズは、裕福な家に生まれたが、自分の信念を貫くために看護婦になった。彼女は男の欲望を嫌っていたが、子供は欲しかった。そこで、戦争で瀕死の重傷を負い、意識がなく死ぬ寸前であるが勃起だけはする、ガープ軍曹に目を付けた。そして、当直の夜彼にまたがり妊娠をした。この子がT・Sガープである。

 ジェニーは、子供の教育のことを考え、スティアリング学院に看護婦として雇われた。寄宿舎生活をするガープは、隣のクッシーとの淡い思い出や、屋根から落ちて間一髪の所を母に助けられるなどの出来事を体験しながら成長し、スティアリング学院に入学した。

 学院でレスリング部に所属したガープは、そこでコーチの娘である、へレンと知り合い恋に落ちる。いつも読書をしている彼女に、将来結婚するなら、どんな職業の人が良いと聞くと、彼女は作家だと答える。これが、ガープが作家になった経緯である。

 卒業後、母と共にウィーンへ作家になるために旅立った。時が過ぎ、ジェニーが『性の容疑者』を出版する。これは、彼女の、男に縛られない独立した女の半生記であった。これが、時代の風に乗り、ベストセラーになると共に、彼女を女性運動家のリーダーにしてしまった。また、ガープも作家としてデビューし、売れないけど玄人受けする作家との評価を受ける。

 ジェニーはベストセラーのお金を使い、自分の家を社会的に弱い女性の安息所にした。そこには、いろいろの種類の女性が集まり、ジェニーを母親と慕って、家族として暮らしていた。その中に、エレン・ジェームス党員がいた。彼女たちは、エレン・ジェームスが11歳の時、レイプされ、その男達から舌を切られたことに抗議し、自分達の舌を自ら切っていた。この異様な集団をガープは毛嫌いしていた。

 また、そこには、元アメリカンフットボール選手のロバータがいた。彼女は性転換手術をし、女性になった。彼女の優しさがガープ家の人々を魅了し、家族の一員として暮らしていく。

 ガープはヘレンと結婚し、長男のダンカンと次男のウォルトに囲まれた、幸せな生活を送っていた。夫婦の波風といえばガープがベビーシッターと浮気した程度であった。しかし、何のいたづらかヘレンに魔が差し、教え子であるミルトンと不倫の関係になってしまった。そのことをミルトンの恋人から知らされたガープは、激しい怒りを覚え、ヘレンに電話でミルトンと別れることを命じた後、子供達を連れて映画館に行った。ヘレンは深く反省し、ガープとの生活を取り戻すために、ミルトンに電話した。しかし、制止する彼女を押し切って、ミルトンは直接話をするために、車で彼女の家に来た。駐車場に車をとめ、家に入ろうとする彼を押し止め、彼女は、車に乗り必死に別れ話をした。しかし、ミルトンはなかなか承知しなかったが、やっとあきらめ、最後にフェラチオをして欲しいといった。ヘレンはこれが最後であるとの約束をし、渋々これを行った。

 その頃、映画館から家に電話したガープは、彼女が出ないのはミルトンに会いに行っているのだと考えた。彼は、あわてて子供達と共に映画館を出て家路を急いだ。

 外は凍てつく寒さで道路が凍結し、視界も極端に悪く、ガープの車はミルトンの車に追突してしまった。これによって、次男のウォルトが死に、長男のダンカンは片目を失ってしまう。ガープ、ヘレン共に大けがをしたが、ミルトンはペニスの4分の3をヘレンに噛み切られてしまった。

 この悲劇の後、傷を癒すために母の家で暮らしていた。口にけがをし、しゃべれないガープは悲しみをヘレンにぶつけ、お互いに相手の傷に塩をすりつけるような生活をしていた。それに対し、ジェニーは相手を許すことの大切さを説いた。これに心開いたガープは真に愛している者を再確認し、ヘレンと仲直りし、以前以上の愛を確かめ合った。

 ニューハンプシャー州知事選で、女性候補の応援のため演説に立った彼女を、一発の銃弾が襲い、彼女は暗殺された。彼女の死に女性運動家達は大きなショックと悲しみを感じ、彼女の追悼式を行うことになった。しかし、この式には女性しか出席出来なかった。これを聞いたガープは、自分はジェニーの息子であり、知る権利があるとし、ロバータに相談した。ロバータからは、ガープがエレン・ジェームス党員から命をねらわれていて、危険であることを理由に辞めるように強く説得したがガープは聞き入れなかった。そこで女装をして二人で参加した。会場でプーに正体を暴かれ、危うい所を看護婦に救われる。そのロビーでエレン・ジェームスに会う、偶然飛行機で一緒になった二人は、意気投合し家族の一員として暮らすことになる。ヘレンの待つ家に帰ると、義父であるアーニーが心臓麻痺で死んでいた。

 レスリング部のコーチをヘレンの父から引き受け、作家、家事、レスリングの平凡であるが満ち足りた日々が続いていた。そんなある日、レスリングの練習中にエレン・ジェームス党員のプーに銃撃される。その場にいたヘレンに抱き起こされるが、意識はなく、ただ目だけで「忘れないでくれ。記憶しておいてくれ。」といい、息を引き取った。

 

 

詳しい筋と感想

◎ ガープの母、ジェニー・フィールズの男勝りの気性の荒さを示す例として、映画館での痴漢撃退がある。すでに看護婦であった彼女は、護身用に手術用のメスをハンドバックの隅に忍ばせて映画館へ行った。痴漢が自分の隣の席に座り、手を出してきた時、躊躇せずにメスでその男の腕を切った。警察は、映画館に女が一人で行くのが悪いとか、痴漢は兵隊なんだから、少しは大目に見るべきだなどと、彼女にとっては逆風であったが、それをはね除ける彼女の強さ、凛として姿勢が感じられた。戦争中の厳しい時代に女が一人、それも子供と一緒に生きて行くには、そのくらいの強さが必要なんだと思った。映画にはないシーンである。

◎ ガープの出生の秘密がかなり詳細に描かれている。看護婦の彼女は、傷病兵のガープを特に親身になって介護する。それは、ある目的があったためである。彼女は男の欲望をことのほか嫌っていたが、自分の子供だけはなんとしても欲しかった。何とか面倒な男と女の関係をなしに子供を産むことはできないかと、チャンスを待っていた。そこへ、もってこいのガープ軍曹が現れた。彼は、戦闘機の球状砲塔の砲手であったが、戦闘で負傷し病院に来たときから、意識がなく、言葉としては「ガープ」としかしゃべれなかった。ガープ軍曹が最適であったのは、彼がすぐに死ぬことがわかっていて、後腐れがなかったことと、常に勃起だけはしていたことである。

◎ ガープ軍曹と彼女とのセックスシーンは、かなり刺激的である。映画では描かれていないが、おそらく過激すぎて、描けなかったのだろう。また、小説もその時代(アメリカの表現の自由を考えても)に大きな波紋を投げたことは容易に想像できる。最初この本を出版する所がなく、プレイボーイやペントハウスに連載され、評判になったことの意味が分かる気がする。セックスに対する直裁的な表現は、一歩間違うとポルノ小説と勘違いされる危険性がある。

◎ ガープ軍曹が、なぜこのような状態になったかの経過が、かなり詳しく描かれている。それを読むほどに、戦争の悲惨さ残酷さを感じる。戦争で死ぬことは悲しいが、それよりもっとつらい怪我もあることを知らされる。

 ガープ軍曹は、病院に来たときから意識がなく、ただ「ガープ」と、意味もなく言うだけであった。それも、だんだんと言葉が言えなくなり、最後には「ア」しか言えなくなる。人間は死に近づくと、退化して子どもに返り、最終的には母親の胎内に帰っていく、そんな姿が目に浮かんで痛ましかった。

◎ ジェニーは、子どもの養育のために、自分が何をすべきかを一番に考えた。その結果、学校看護婦になり、その寮に母子で住み込むことにした。彼女は、猛烈な読書家で図書館にない本は、彼女に聞けとまで言われていた。また、彼女の働く診療所にはあるゆるジャンルの本がそろい、その中には図書館にもない本もあった。

 映画では彼女の読書家ぶりは表現されていなかった。そのため、彼女が「性の容疑者」を突然執筆し、その本がベストセラーになることが、突飛なことのように見えたが、実は、この猛烈な読書によって、その下地はできていたのである。同じく、彼女の豊富な好奇心(ウィーンに行って、街娼に欲望についてインタビューすることから伺える。)や女性運動家としての成功もこのときの、読書で培われていた。

◎ 彼女の読書好きは、ガープへの影響を考える時重要である。また、彼女は、スティアリング学院に学校看護婦として勤める傍ら、この学園のすべての講義に聴講生として出席した。(そういう特典があった)そして、どの講義がよく、どの講義がつまらないかを知り、ガープがこの学院に入った時の参考にした。(初めからこの学院に入れるつもりであった)

 このスティアリング学院は、日本の高等学校(

1518歳)に該当する学校だろうと思う。それは、ガープの卒業の年が18歳であるからだ。それにしても、私学とはいえ、相当数の選択制が取り入れられていて、日本との教育制度の違いを強く感じる。

◎ ガープが5歳の時、大事件が起こった。突然いなくなったガープを探して、母は学校中をかけずり回る。しかし、彼の姿はどこにもない、ふと心配がよぎった彼女であったが、結局、ガープは鳩を捕まえるために屋根に登り、滑った拍子に、腐った樋に足が挟まって動けなかったのだ。この時は、危機一髪の所を、ジェニーが彼の足をつかんだことで救った。

 映画でもこの場面が描かれているが、ガープが屋根に登った理由が、飛行機乗りのまねをするためであった。しかし、原作では、4階(最上階)に寝ている友達(17歳で足を怪我して動けない)が、鳩の声がうるさくて眠れないと言っていたのを聞き、幼いながらも何とかしようと、屋根に登り鳩を捕まるためであった。

◎ ガープが暮らしていた学院の中の邸宅に、学院の理事長の娘の一家(パーシー家)が住んでいた。そこには、幼なじみのクッシーがいたので、ガープはその一家と時に親密に付き合っていた。ある日、その家に飼われていたボンカーズという犬に、ガープは片耳の耳たぶをかみ切られた。その時の、パーシー家の主人(脂肪シチュー)の対応に、ジェニーは腹を立てた。それは、ガープが犬に噛まれたのに、その耳を見ずに、彼の茶色の瞳を見て「ジャップだ」といったからである。ガープと母は犬を殺してやりたいほど憎んだ。

◎ スティアリング学院に入学した彼は、どのスポーツクラブを選ぶか悩んでいた。講義の方は母親がすべて経験し、その適切なアドバイスが受けられたが、スポーツについては何も教えられなかった。映画では、母が最初バスケットボール部を希望し、彼をその見学に連れて行くが、それを嫌ったガープが、自分でレスリング部の方へ行くように描かれている。しかし、原作では、スポーツに関して優柔不断なガープに変わって、はじめから母がレスリング部を訪ねていく。

◎ レスリング部のコーチ、アーニー・ホームとその娘ヘレン(

15歳)に、ジェニーがそこで出会う。アーニーには蒸発中の妻(現在は行方不明、彼は彼女が帰ってくることを密かに願っている。彼女も看護婦である。)があり、看護婦姿(ジェーニーは常に看護婦姿である)をみて、ヘレンは、自分の母が帰ってきたと誤解する。ヘレンにとって、ジェーニーは最初から、自分の母親のような感じの人であり、運命的な出会いである。このようなことがきっかけで、ジェニーはレスリング部を気に入り、ガープに強く進める。

◎ ヘレンも父親(片親)の影響で、常に練習につきあわされ(観客であることを求められた)、練習場の片隅で読書をしている。大変な読書家(将来大学の助教授になる)である。ヘレンとジェニーは共に読書好き、このこともお互い気に入ったのだろう。

◎ ここに、ガープが作家をめざすきっかけとなった、ヘレンとの会話がある。(***から***までは、本文をそのまま、又は、抜粋して掲載。以下同様) 

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 『もしだれかと結婚するんだったら、作家と結婚するでしょうね。でもわたしは結婚しないと思うの』『とにかくレスラーとだけは結婚しないだろうね』『その点はまちがいなく確かよ』とヘレンは言った。ガープは胸の衝撃をかくすことができなかった。彼女はその後、こう言ったのである。『同時に作家でもあるレスラーでない限りはね』これがガープが作家になると決意した言葉である。

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◎ クッシー・パーシーとの初体験(?)は、ガープがスティアリング学院3年生の時であった。当時、学生達のセックスの名所として、スティアリング川の砲台跡があり、そこへクッシーと行く。しかし、いざという時、ゴムを持ってきたかと彼女に言われる。ガープにはそれが最初何のことかわからなかった。欲望はあったけど、その方面の知識はあまりなかったからである。そのため、せっかくのチャンスは逃げてしまった。

◎ 初体験(?)の苦い経験から、常にゴムを用意し、来るべき時に備えるが、なかなかそのチャンスがこない。卒業後は母と二人でウィーンへ旅立つことが決まっていたので、クッシーには会えなくなる。卒業式(4年で卒業)の夜、外は雨が降っていた。お祝いに母とビールを飲み、母が寝た後、パーシー家へ行く。窓の下の蔦に必死に捕まり、クッシーを呼び出す。その最中、年老いたボンカーズに邪魔され、かまれそうになったので、得意のレスリングの技を掛け、犬を動けない状態にして、犬の耳をかみ切った。これでやっと、積年の恨みを晴らしたことになる。これを知ったジェニーは『耳には耳を、ね』と言った。

◎ 何とか、クッシーを誘い出し、診療所のベットで関係を結んだ。三個のコンドームの最後の三個目を使い果たしてしまうと、彼女はそれしかないの、一箱しか買ってこなかったのと訊いた。『最初は何も持ってなくて、今度は足りないっていうの、私達が幼なじみで運が良かったわね』と彼女がそっとつぶやいた。

◎ 「ガープの世界」には、男友達のことがほとんど出てこない。女性の友達や不倫の相手は出てくるが……。ロバータにしても、男とは言えない。特に、学院(男子校)時代は、レスリングで良い成績を取って、チャンピオンなったこと以外、学院の話し、授業の話し、男友達のことなどが、ほとんど書かれていない。ひょっとして、ガープは女以外に興味がなかったのか?

◎ 作家になるために、卒業すると同時に、母親と一緒にウィーンへ行く。(映画ではニューヨークであった)ここでも、ジェニーの行動力、思い切りの良さにびっくりさせられる。たとえ息子の将来のためとは言え、ああも簡単に、自分の天職である看護婦の生活を、捨ててしまうことができるものだろうか。

◎ ウィーンに着いて最初の頃、博物館巡りで見つけた、ウィーン市歴史博物館の作家の部屋が、母子の話題になった。その作家の名前は、フランツ・グリルパルツァーである。彼は、

1872年に死んだ、オーストリアの詩人・劇作家で、オーストリア以外はほとんど知られていない。ガープは彼の作品を読んでみたが、好きにはなれなかった。おそらく、自分は彼のような作家にはならないぞ。という意味を込めて、彼の名前が随所に出てくる。彼の最初に書いた作品は「ペンション・グリルパルツァー」である。

◎ マルクス・アウレリウスの次の言葉は、この作品のテーマ「人生とは短く苦難に満ちたものであり、人生の意味を見つけることは至難のわざである」(アービングのテーマでもある)に関係があるので、原文のまま掲載する。

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 『およそ人の生涯において』とマルクス・アウレリウスは書いている。『その生命の時間は一瞬にすぎず、その存在は絶えざる流れ、その感覚はほのかな灯心草のろうそく、その肉体は地虫の餌食、その魂は静まることなき渦巻きにすぎず、その運勢は暗く、その名声は定めない。これを要するに、すべて肉体に属するものは川の流れのごとく、すべて魂に属するものは夢と蒸気のごとし』

 マルクス・アウレリウスのわびしい省察のテーマは間違いなく、大部分のすぐれた作品のテーマとなっているものである。

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◎ ガープと母親がウィーンの町を歩いている時、3人の街娼(ウィーンでは売春行為は合法であるが、当局から厳重な監督を受けていた)がいた。それを見つけた母親が、女の欲望について、彼女たちにインタビューしたいと言い出す。これは、彼女の好奇心の旺盛ぶりを伺わせるものだが、それだけではなく、彼女の作家としての知識(彼女は男に欲望を感じない。そのため、他人はどのように欲望を感じるのかどうしても知りたかった)を深めるために必要なものであった。

◎ インタビューが終わり、家に帰るタクシーの中で、ガープは母に、売春はウィーンでは合法であるが、ほとんどの国が非合法であることを話した。母は非合法を驚き『なぜ法律で禁じたりしなくちゃならないの?』と彼女はいった。『女が自分の意志で自分の肉体を使いたいってのだからかまわないじゃない。それでだれかがそれに対してお金を払うっていうのならそれは、ちゃんとした取引よ。』

 アービングの小説の中には、セックスが自由奔放に描かれている。そこでは、セックスを暗くて隠すものではなく、もっと自然で人生に必要なものであるとしている。しかし、例外としてレイプなどの本人の意思に反したものは、徹底的に嫌っている。セックスが良いか悪いかの判断を、本人の自由意志で決めている。場合によっては、売春も良しとするのである。

◎ インタビューの次の日、彼はその時の街娼(シャルロッテ)と関係を持った。その後、彼女とプライベイトなつきあいが始まる。結果的には、彼女が、ウィーン時代のガープのセックスの処理を担当していた形になるが、ガープはそれ以上のつながりを感じていた。彼女の年は、彼の母親とほぼ同じであり、ある日、身よりのない彼女は病気にかかって入院する。彼女には、決して直らない病気だとわかったので、見栄をはり一番上等の病院を見つけた。ガープは、自分の母親だと紹介し時々見舞いに訪れた。これに感謝した彼女が、ガープには内緒で、仲間の娼婦2人に密かにお金を渡し、自分が死んだらこのお金で、寝てやってほしいと、遺言をしていた。

◎ 「ペンション・グリルパルツァー」が、ガープが書いた最初の作品として、掲載されている。この作品は彼の短編集「ピギー・スニードを救う話」の中にもあるが、幻想的でユニークな作品である。

 世界中を旅してホテルのランク(abc)を決めることを仕事としている、一家があった。その彼らが、ペンション・グリルパルツァーに泊まり、奇想天外な出来事を経験しながら、ホテルの評価をするの物語である。そのペンションには、奇妙な人間が何人もいるが、特に、夢男(人の夢を予知する男)が語る、夢の話は興味深い。ある老夫婦が中世のお城に泊まった時、老婦人は夜に、そのお城に幻の騎士や馬が訪れる夢を繰り返し見た。それは、夢とは思えないくらい、現実的なものであり本当に起こっているようであった。その騎士の一人の吐く息に血が混じっていた。この夢を夢男は家族の前で語ったが、それは、この一家の祖母がいつか見た夢であった。その後しばらくして、祖父が呼吸器系の病気で亡くなった。

◎ ジョン・アービングが書いた、「ガープの世界」や「ホテル・ニューハンプシャー」などを見ると、レイプを好んで題材にしている。エレン・ジェームスのレイプとその支援者の話や、「ベンセンヘイバーの世界」がそうであるが、もう一つ公園でレイプされた

10歳の少女を助ける話がある。

 夜に、公園をジョギングしていた時、不審な少女を見つける。始めレイプ犯に間違えられるが、最後は彼のお手柄で犯人を逮捕した。犯人は

10代の若者であるが、犯行の度にひげを生やし、犯行後ひげを剃っていた。それは、少女が恐怖のあまり、ひげぐらいしか憶えていないことを知っていたからである。結局彼は、少女以外の証人がいないこと、彼女の証言が曖昧なことで、すぐ釈放になる。ある日、高校のバスケットの試合場で、切符切りをしていた彼に会う。彼の口ひげがまた生えていることに、ガープはむなしさを感じた。

◎ レイプをガープが強く憎む理由について、次のような記述がある。

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それが彼自身に対する嫌悪感。その他の点ではまことに論議の余地のない彼自身の男性本能に対する嫌悪感を、もよおさせる行為であるからであろう。だれかを強姦したいと思ったことはないが、しかし、男性にとって強姦にはどこか共犯者意識を禁ずることができないものであるとガープには思えた。

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◎ 映画では、ガープがベビーシッターと関係したことをはっきりと表現していない。(ヘレンにはわかっているという程度の暗示のみ)しかし、小説では、映画に出てくる学生(ひな鳥の骨)以外にもう一人と関係している。ヘレンも薄々わかっていると思うが、あえて触れないのだろうか?一人目は、彼女が妊娠しているときである。

◎ 長男出産後、ヘレンの大学の同僚ハリソン・フレッチャー夫婦とスワッピングまがいの不倫劇が展開する。最初は、ハリソンが大学の女性と関係を持ち、妻であり作家のアリスがその悩みをガープに相談することから、2人の関係(ガープとアリス)が始まる。さらに、ハリソンが女子学生に夢中になり、彼女と手を切るようにヘレンが働きかけたことから2人(ハリソンとヘレン)の関係が始まった。このお互いに了解しあった夫婦同士の不倫関係、ちょっと常識では考えられないことである。アリスを慰める(夫が若い女子学生に夢中になっていること)ために、自分もベビーシッターと浮気を2度もしたが、今でもヘレンを一番愛していると言う。このことが、ハリスンからヘレンに伝わり、ガープをあわてさせる。この奇妙な関係もハリスンが職を失い、引っ越すことで終わる。

 これを題材に、ガープとしては、第2作目になる『寝取られた男の巻き返し』を完成するが、評判がすこぶる悪い。

◎ ガープは人に好かれることに異常な神経を使った。人に好かれるために、言葉や態度を相手に合わせ、最新の神経を使って接していくが、相手に好意を持たれないとわかると、大いに皮肉にもなり、相手を傷つけることもある。彼は他人に好かれ、他人に理解されないと耐えられないのである。

◎ ガープは心配性である。特に家族の安全のことを常に心配していた。ガープの家のまわりの街路は碁盤の目のようになっており、ブロックごとに一時停止の標識がある。しかし、その標識を守らずに、一旦停車しない暴走車を見ると、猛スピードで追いかけて注意をするのが彼のくせだった。それは、子供達が遊んでいて危ないから、安全には気を付けてくれというものであった。時には素直に従わない運転手もいて、けがをする危険な目にもあった。

(下)  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

◎ マイケル・ミルトンとの不倫、ヘレンは何故不倫をしたのだろうか?ガープはベビーシッターと2回も浮気をしている。アリスとの浮気、ラルフ夫人との危ない関係。まさか、そのお返しでもあるまいが……。不倫の原因として考えられるものとしては、家庭が平穏無事で刺激的なことがなく、マンネリ化した日常の中で時間だけがすぎていく、そんな非日常性に何かを求めたのか。それとも、倦怠期、夫婦の危機、ちょっとした気のゆるみなのか。やはり、あれ程ガープや家族を愛していることを考えると、魔が差したと考えるのが、妥当だろう。

◎ 三十歳代のヘレンは十分に魅力的な女性であった。外見的に美人だけでなく、知的な美しさも合わせ持っていた。そのため、若いミルトンが彼女に夢中になるのも肯ける。

◎ 最初のきっかけは、彼女のゼミ(文学部の助教授である)に、マイケル・ミルトンが参加したことである。彼女はいつも、ゼミの始めに何故このゼミを受ける気になったかのアンケートをとることにしている。それに対して、ミルトンは「貴女を最初に見たときから、貴女の恋人になりたいと思ったからです」と答えた。

 最初は、ゼミに来るちょっと気になる学生程度であったが、彼の若々しさ、センスの良さ、そしてなかなかの美男子であるなど、ガープにはない魅力にだんだん惹かれていく。また、ガープの無神経さ、ヘレンの気持ちを理解しようとしない態度などから、ついに関係を持ってしまう。

◎ ミルトンと関係を結ぶとき、誰かに二人の関係がばれたら、その時点で終わりにすると約束させた。(この言葉みたいに簡単ではないことがだんだんと分かってくるが)ヘレンは、ミルトンに大きな車を用意するように言い、その車で隠れるように、彼のアパートに行って関係を結んだ。

 ミルトンには、マーギー・トールワースという恋人(彼女の方が熱心である)がいた。ヘレンは、彼女に二人の関係が知られていないか怖かった。それは、恋人の彼女は、ミルトンの心変わりには敏感であることを知っていたからである。案の定、彼女は最初から二人の関係を知っていた。彼女は考えたあげく、奥さんがマイケル・ミルトンと『関係』していますと、手紙に書いてガープの家に持って行った。

◎ ウォルトと一緒に風呂に入っている時にヘレンが帰宅する。そんな彼女に、「父さんは、何時間も風呂に入って出てこない」とダンカンが言う。それに、食事も作っていない、異常な事態に彼女は、マーギーが二人の関係を話したと直感する。

 ガープを愛していると必死に謝る彼女、しかし、ガープの気持ちはおさまらない。彼女に電話で彼と別れ、二度と会わないように決着をつけるように命じて、ガープは息子二人を連れて、映画館に行く。

◎ 早速ミルトンに電話し、二人の関係が夫にばれたから、約束通り、これで終わりにしようという。しかし、ミルトンは納得せずに、直接話がしたいと強引に電話を切り、車で彼女の家まで来た。

◎ 家の中までは絶対に入れないと決意した彼女は、最初は外で、次に車のなかでミルトンに、別れるように必死で説得をしていた。説得が功を奏したのか、最後にミルトンがフェラチオをして欲しいと彼女に頼んだ。彼女はこれが最後であると念を押し、彼のものをくわえた。そんな時、運悪くガープは映画館から様子を聞こうと家に電話した。しかし、話し中であったので、ヘレンがミルトンに会いに出かけたと早合点した。そこで、我を忘れたガープは、映画に夢中であった息子二人を、引っ張るようにして映画館を出ると、猛スピードで家に向かった。

◎ 車は氷に覆われ、フロントガラスは白いもので固くなり、前が見えないので、窓を開けて走った。風邪を引いているウォルトが寒いと言っても、無視をした。(家族思いのガープも冷静さを欠いていた)

 道路は凍結していたし、視界も十分でなった。しかし、習性で、ガープは家の前の坂に来ると、いつものように、エンジンを切りライトを消して走った。(まさか、自分の家の駐車場に車が止まっているなんて想像もせずに)

◎ 車が衝突し、ウォルトが死に、ダンカンは右目を失い、ガープとヘレンも重傷を負った。フェラチオの最中であった、ミルトンはヘレンに男根の4分の3を食いちぎられた。

◎ 強くて善良であったヘレンは、一歩道を踏み外しただけで、その代償はあまりにも大きかった。彼女は、疚しさから大学の先生を辞めた。青春の全てをかけてきただけに辛かった。

◎ 事故の後、ガープ一家はドッグスヘッド港のジェニー・フィールズの家に、治療の為滞在した。ジェニーは再びガープ一家の看護婦に戻った。傷の治療だけでなく、二人の愛の確認の作業が行われた。愛の修復作業は、簡単ではなかったが、ゆっくりと時間をかけて行われ、やがて終わった。この事件によって、二人の愛情はより深まり、自分にはなくてはならない大切な人間であることがお互いにわかった。この困難は作業が無事終わり大きな成果を生んだのは、ロバータとジェニーの役割が大きい。

 ◎ ガープはこの時の体験を元に『ベンセンヘイバーの世界』を書いた。この本は、ガープの3冊目の出版であり、これが大ベストセラーになりガープを一躍有名にした。ジョン・アービングが「ガープの世界」で、世に出たのと同じように……。

◎ この作品は、レイプのために誘拐されて、犯人に引き回される美貌の妻(ホープ)とちょっとウスノロのレイプ犯(オーレン)とのやりとりを通して、生きることに執念を燃やした、女性の強さを描いたものである。

 ホープは終始、オーレンの機嫌を損ねないようにしながら、隙をねらい、最後にはレイプ犯を殺してしまう。それも無惨な姿で……。なんとも、痛快ですさまじい話、レイプ犯に限らず、犯人をこれほど冷静に見、的確に判断し、徹底的にやっつけてしまうのは、話は初めて経験した。

◎ ベンセンヘイバーは、トレド警察の警視であったが、現在は警部である。それは、捜査方法に問題があるとして降格させられたからである。彼は、他の犯罪以上にレイプを憎んでいた。それは、愛する妻をコインランドリーでレイプされ殺されためである。

◎ 彼が、結婚して七ヶ月目のとき、コインランドリーの外の車で、妊娠した妻を待っている間に、妻は強姦された。さらに、彼女は、コインランドリーに閉じこめられて、窒息して死んだ。やったのは3人の若者であった。その時の彼の心情が次の言葉で述べられている。

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※ いずれにせよ、若者たちに殺害の意思はなかった。その成りゆきは単なる事故であり、裁判でもベンセンヘイバー夫人の死亡事件が計画的犯罪でないことが大いに争われた。弁護士も若者たちが「ただ強姦しようとしただけで、さらに殺す」意思はなかったといった。その「ただ強姦」という言い方が − まるで「彼女はただ強姦されただけだ、運がいいよ、殺されなかったんだから」という言い方と同様 − べンセンヘイバーをゾッとさせた。

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◎ レイプ犯に限らず、犯罪(犯罪を犯す人間)を憎む彼の姿は、ものすごく伝わってくる。そのため、官僚的で味気ない警察官に比べて、はるかに魅力的な人物として描かれている。私などもいっぺんに彼のファンになった。悪を徹底的にやっつける(それも裁判なんかでなく)強くて頼もしい存在、どこかにこういう人がいると、世の中まともになるのになという人物である。

◎ 彼は、警視から、捜査方法に問題がありとして、警部に降格されたが、その意味もよく分かる。例えば、レイプ犯は去勢手術をするように法律が変わったとか、犯人がコンドームをしてレイプしているのは見て、ゴムを捨ててしまうとか。(強姦ではなかったと誰かに言われたり、強姦の罪がくだらない状況証拠によって減ぜられると困るから)

◎ 何とも魅力的な警部である。型破りで、痛快、被害者のホープをかばう、やさしい心遣いが素敵である。次の言葉は、ホープの気持ちを少しでも楽にしようとする、彼の優しさが滲み出た言葉である。

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 「奥さんがあいつを殺したのはいいことでしたよ」とべンセンヘイバーはホープにささやいた。「ああいうやつはそうでもしなきゃダメなんです」としんみりと、「どんな罰でも足りませんよ。いいことをしましたよ」そして、ささやくように、「いいことをしましたよ、奥さん」

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◎ オーレンは、息子を人質にホープを彼女の自宅でレイプするつもりであった。しかし、隣の主婦の邪魔でそれが果たせないとわかると、彼女を連れて車でレイプする場所(その後、殺すつもり)を探して連れ回す。途中、自分の家の牧場により車を替える。その時、二人の兄がいたが、彼らは彼女の助けての訴えを、笑ってやり過ごすだけだった。

◎ 息子の安全が確保されると、彼女は生きていたいと強く思った。生きるためなら、レイプされても仕方ないと思っていた。しかし、レイプが終わると、必ず殺されると考えた彼女は、何とか、冷静に時間を稼ごうとする。

 いよいよ、レイプが始まり、その途中で、『おれはあれをつけてないんだよ。おまえにばい菌があったら、もろにおれの中にはいっちまうじゃないか』と言い、彼がコンドームをつけ、射精をしたとき、彼女は漁師用ナイフで刺した。

◎ 何よりもホープの冷静な判断。自分は死なない、子供(ニッキー)のためにもまだ死ねないと、自分が生き残れる道を冷静に考えて行動している。セックスを強要されても、頭の片隅で生きるための計算をしている。被害者の心理は、きっとこういうものだろうなと思いながら、引き込まれていく。大きな犯罪に巻き込まれて、時間があれば、きっとだれでも生きるための方法を冷静に考えるのだろう。たとえ、それが普段の自分にとっては、屈辱的なことでも……。

◎ 隣の主婦の知らせで、ベンセンヘイバーが捜査に乗り出し、犯人の乗っていたトルコ玉色のトラックから、ラス家を割り出し牧場へ急行した。

 二人の兄にオーレンの行き先を尋ねるが、知らないの一点張り、ウスノロで協力的でない二人の姿を見て、ベンセンヘイバーは言う。「すべての性犯罪は、今度は去勢の罰をあたえることができるようになった。もしおまえたちがしてはいけない相手とセックスしたり、あるいは、女性が犯されているときに、それを止めさせようとしている我々を手伝わないで、そのセックスの幇助をした場合、我々はおまえたちを去勢することができるってことだ」

 これは、「悪人に法は必要ない」との姿勢で、悪人をだましてでも、犯罪を防ごうとする彼の捜査姿勢を物語っている。結果、この脅しに乗って、オーレンの行き先をはかしてしまう。

◎ 次の文章は、ベンセンヘイバーの捜査に関する考え方をよく示しているので、ここ

に載せる。彼は、悪を憎み、悪のためには法は必要ない、自分がそのカタをつけてやるという気構えをもっていた。

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 「あいつらは動物だな」といった。「もしあいつらがおたがい殺し合ってくれたら、あいつらが生涯のあいだに食う食物をどれほどたくさん、ほかの人間にまわせるようになることだろうね」とベンセンヘイバーはいった。副保安官は、新しい法律に関するペンセンヘイバーのウソ − 性犯罪には裁判なしの去勢罪 − が単なるでっち上げ以上の意味をふくんでいることに気がついた。ベンセンヘイバーは、法律ではそれが許されないことを重々承知しながらも、法律とはかくあるべきものと考えているのだ。それがアーデン・ベンセンヘイバーのトレド時代の捜査方法であった。

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◎ ガープはこの本の出版をジョン・ウルフに依頼した。判断に苦慮した彼は、掃除婦のジルシー・スローバーに原稿を渡した。彼の本が確実に売れるのは、彼女のおかげであった。彼女が読んでおもしろいと言った本は確実に売れたし、ジェニーの『性の容疑者』の時もそうであった。彼女の推薦を受けて本は出版された。この本は常軌を失した内容であり、事情(今回の大事故をヒントに書いたため)があったため、適当な本の贈呈者が見あたらず(本の始めに、この本を誰々に捧ぐ、と書くのがアメリカの習慣なのか?)、やむなく、ジルシーの名前を借りた。

◎ ジョン・ウルフは本を売るために、内容ではなく、彼が女性運動家ジェニーの一人息子であることと、この本の下地になったのが、あの不幸な交通事故であり、そこで、息子を死なせてしまったことを宣伝の道具に使った。これは、ガープの最も嫌がることであったが、ジョン・ウルフの読みの通り、民衆はそれに反応しベストセラーになった。

◎ 「読者は本の内容を買うのではなく、本のタイトルを買うのである。」と以前聞いたことがある。そのため、売れなくて返品が相次ぐ本でも、タイトルを読者が好むものに代えて、再出版すると飛ぶように売れるそうである。これと同じように、本の内容より、本を書いた作者やその作者が何故その本を書くに至ったかの経緯などが、読者に注目され、それでベストセラーになることは、よくあることだ。

 しかし、読者は馬鹿ではない。一度はだまさても、次はだめだ。連続してヒットさせたり、時代が過ぎても読まれるものを書くには実力が必要だ。

◎ ジャケットの衝撃的なうたい文句のため、この本が売れることを確信したジョン・ウルフは、同時に書評で彼が傷つくのを恐れ、アメリカを離れて、しばらくの間外国旅行へ行くことを勧めた。気が進まないガープであったが、ヘレンとダンカンはガープの作家としての出発地である、ウィーンにいくことに賛成であった。結局生まれたばかりの女の子(母と同じジェニーと名付けた)を連れて、旅だった。

◎ 不幸の前兆、ひきがえるの話し。後半、海外旅行に行った以後、頻繁に「ひきがえる」が出てくる。(そういえば、ガープの世界の、サンリオ文庫版の表紙にはひきがえるの絵が描いてあった)

◎ ガープ家は毎年夏になると、ニューハンプシヤー州のドッグズヘッド港(母親の家)に出かけていた。家の前は何マイルもつづく浜辺で、時には大きな波が押し寄せていた。そのため、浜辺で遊ぶガープは母に、よく「引き波に気をつけるんだよ」と言われて育った。それと同じことを、ダンカンはヘレンから、ウォルトはダンカンから同じことを言われて育った。

 ある時、ウォルトがダンカンに、引き波ってどうして怖いのかと訊いたので、「おまえを海に引いていって、おまえを呑み込み、溺れさせてしまうんだ」とダンカンが教えた。

 ウォルトは4歳の時、浜辺でじっと動かずに、波間をのぞき込んでいた。「なにをしてるの、ウォルト?」ヘレンが訊いた。「ひきがえるを探してんの」ウォルトが答える。「えッ?」とガープ。「ひきがえるだよ。探してるけど、見えないんだ。どのくらいの大きさなの?」ガープとヘレンとダンカンは息を呑んだ。ウォルトがこの何年間か、「アンダートウ」(引き波)ならざる「アンダートウド」(ひきがえる)が浜辺にひそみ、彼を呑み込んで、海のむこうに引っぱっていこうとしていると思い込んでいたことに気が付いた。

 それ以後、ヘレンとガープの間では、「ひきがえる」は不安の暗号となった。

◎ ウィーンに着いて、すぐガープはひきがえるを強く感じた。一家の住むペンションの女将が朝の2時頃、至急の電話を告げた。それは、ロバータからで、ジェニーがニューハンピュシャー州の知事選で、女性候補の応援演説中に、銃撃を受け死亡したとの連絡であった。不吉なひきがえるが姿を現した

◎ 女性運動家の葬式(追悼集会)が、ジェニーの支持者によって行われることになった。出席を強く望むガープであったが、それは女性だけの葬式であり、たとえ息子であっても出席は認められないと、ロバータは強く反対した。反対の理由は、女性達がガープの著作について好意をもっていないばかりか、ガープがジェニー(女性運動)を利用していると考えていたからである。

◎ 強いガープの意志に負けたロバータは、女装して参加することに同意した。ジェニーの死を悼む感動の講演が続く中で、ふと、ガープは後ろを振り向いた。そこには、プーが座っていた。プーもすぐにガープに気が付き、『ここに、男がいる。

TS・ガープがいる』と叫んだ。会場が騒然となる中、身の危険を感じたガープはロバータと共に、制止する女性達をかき分け、出口に急いだ。しかし、激しい抵抗に会い、危機一髪というところを、看護婦のドッティに救われる。60歳頃の本物の看護婦であった。(母親が助けてくれたような感じ)彼女がタクシーを呼んでくれたので、それに乗り空港へ急いだ。

◎ 彼が、追悼式の行われた看護科ホールから出て、出口に急いでいるとき、階段の所で、一人の亡霊のような少女が立っているのを見た。彼女がエレン・ジェームスであった。

◎ 女装のまま、空港に着いたガープは、係員に不審に思われながらも、何とか飛行機に乗ることができ、ヘレンの待つボストンへと飛び立った。機内には思いがけず、ホールの階段で見かけた、亡霊のような少女がいた。

◎ 彼女は鉛筆を走らせた。彼女は、イリノイ州から来て、両親は、最近、交通事故でなくなった。東部に来たのは、ジェニーから一緒に暮らさないかとの誘いを受けたからだった。その時ジェニーから、ガープの本を全部読むようにと勧めらていた。

◎ 追悼集会に参加したのは、ガープに会えると思ったからであった。彼女はいう、『ベンセンヘイバーの世界』は、これまでに読んだ最高の強姦小説でした。それを彼女は8回も読んだ。彼女は、尊敬するジェニーに会うためにイリノイ州からやってきたが、その願いは叶えられなかった。しかし、その息子に会うことができ、十分埋め合わせができたと満足げであった。

◎ 彼女は、飛行機に乗っている間、今までの人生をガープに書いた。さらに、『私はエレン・ジェームス党員が嫌いです。』『わたしだったら、自分にこんなことはしません。』『私は話したいの。いろんなことを言ってみたい』と。

◎ 彼女は作家になりたいとガープに言った。しかし、両親は死んで身寄りがない。死んだ母のジェニーであったら、この時どうするかとガープは考え、彼女に一緒に暮らすことを提案する。これは、ジェニーの葬式に出席し、彼女の意志が息子に伝えられた瞬間であった。

◎ 「死は、我々の覚悟ができるまで待っているのはお嫌いと見える」とガープは書いている。「死は奔放にして、できることなら、ドラマチックなものを狙うのを趣味とする」

 この言葉通り、エレンを連れて、ヘレンの実家へ帰ると、義父のアーニーが心臓麻痺で死んでいた。同じ時、脂肪シチューも癌で死んでいた。葬儀も終わり落ち着いてから、スティアリング・パーシィ邸が売りに出ていたので、ガープがそれを買い、そこに住んだ。

 また、アーニーの後任として、スティアリング学院のレスリング部のコーチを無料で引き受けた。

◎ エレンは、ガープ家で暮らすようになったのが、19歳の時であるが、すぐにダンカン姉になり、ヘレンの育児の手伝いに役立った。

◎ ジェニーが莫大な財産とドッグスヘッド港の邸宅(弱い女性のための療養所)の遺言執行者にガープを指名した。ジェニーの遺言には『わたしは価値ある女性達が、自らの手で自分を取り戻し、自分になりきることのできる場所を残したい』とあった。これが、フィールズ基金の始まりで、不幸だけど頑張っている女性のために、補助金を出すことになった。

◎ フィールズ基金の主旨は、「病める者には、元気になるための場所、そして、その必要がある者には、自分を見つける場所。あるいは、小説を書く者のための、小説を書く場所、絵を描く者のための、絵を描く場所」である。この主旨に該当し、適格者であるかどうかの判定をする仕事をガープがすることになった。もちろんロバータの協力の元に……。

◎ ガープが、エレン・ジェームス党員から命をねらわれて、最後には銃殺されるには、エレンジェームスが書いた「どうしてわたしはエレン・ジェームス党員でないか」という本の出版が絡んでくる。この本は、彼女の強姦のこと、そのためいかに苦労したか、両親がいかに苦労したかが語られていた。それを読むとエレン・ジエイムズ党というのが、きわめて個人的な創傷をいかに薄ぺらに、まったく政治的にしか模倣していないかが、よく分かった。エレンは、党員のために自分の苦悩は長びかされ、きわめて社会的な犠牲者に仕立てあげられてしまったと書いていた。

◎ この本に、エレン・ジェームス党員は全力を上げて、議論を仕掛けてきた。その過程において、エレンが強く傷つくのを見てきたガープは、ヘレンを始め周囲の反対を押し切って、この議論を受けて立った。ここに、ガープ対エレン・ジェームス党という図式が成り立った。議論は白熱し、やがてお互いの憎しみだけが残った。

◎ エレン・ジェームス党員が、自らの舌を切った理由は、男たちの世界において、自分たちは永久に口を封じられたかのように感じていたからである。党員の全てが、このことを政治的に利用しようと考えていたわけではない。中には、女性を心底からおぴえさせている社会一般の恐怖を公けにするという真面目な意図をもっていた。その意味で、エレン・ジェームス党員の多くにとっては、恐ろしい舌切りの模倣は″まったく政治的”といったものでもなく、苦しみをともにする行為であった。

◎ フィールズ基金への補助金の申請者の中に、母の暗殺の犯人と一年ばかり前に離婚した、女性からのものがあった。暗殺者のケニー・トラッケンミラーは、妻が「性の容疑者」を読んで、女性の権利に目覚めたことで、ジェニーをひどく憎んでいた。彼は、暗殺後、その場で他の猟師によって銃殺された。

◎ 彼女の申請の理由は、三人の子供の養育費が、彼の死によって滞ったことである。協議会の評決は持ち越され、彼女がまじめな人生を送っているか、調査をすることになった。その役はガープが引き受けた。

 彼女は、理容の仕事を自宅でやっていた。ガープはそこに名前を隠し、通りすがりの男が髪をいじってもらいに来たように装い、彼女を観察する。短い時間であったが彼女のまじめさが分かり、協議会で強く押すことを決心した。その時、ガープは自分を名乗らなかった。普通なら、「自分の力で彼女を助けた」訳だし、知らせて相手から感謝を受けたいものだ。しかし、彼は我慢した。それは、「他人の感情的な弱さにつけいるのはフェアではない」というガープの主義のためであった。

◎ レスリング場で練習をしているガープの元へ、看護婦姿の女性が入ってきた。その女性はまっすぐガープの方へ進むと、いきなり、銃を構え2発発射した。レスリング場の隅で読書をしていたヘレンがあわてて駆け寄り助けを求める。この時すでにガープは虫の息であり、眼しか動かすことができなかった。そこで、眼で披女を元気づけようとした。その時、ガープが彼女に語った。「心配するなよ。死後の世界がなくたって、どうだというんだい?ぼくの後も世界はあるじゃないか。たとえ(死後の)死後に死しかなくても、小さな良きものに感謝しようじゃないか。」「そして、生命のあるかぎり、エネルギーの湧いてくる可能性はある。それと、忘れないでくれ、ヘレン、記憶というものがあるんだよ。」

 「ガープの世界においては、われわれはすべてを記憶していなくてはならない」ガープはレスリング室から運び出されるまえに死亡した。

◎ 記憶をする。人がどこかに生きていたとしても、その人のことを知らなければ、死んだも同じだ。逆に、人が死んでも、その人のことをいつまでも覚えていれば、生きていることと同じである。知らない、忘れたはないのと同じ、死んだことと同じである。すなわち記憶しておくことが、その人を生かすことになる。記憶は生きている証である。

◎ ガープは、ヘレンと同い齢の33歳であった。エレン・ジェームズは20歳代に入ったばかり、ダンカンは13歳、小さいジェニー・ガープはそろそろ3歳。生きていればウォルトは8歳になっていたはずである。

◎ ガープの遺品の中に、ヘレンは次のような手記を見つけた。これがガープの最後の言葉だった。「ぽくは、なにかに秀でようとする努力は人間の致命的な習慣であると昔から思っていた、と」

 「悲しいかな、人生とは古風な良き小説のような構成ををもっていない。生きながらえるはずの者が生きながらえることなく、終末が来る。残されるのは記憶ばかり。虚無主義者にさえ記憶はある」

◎ 小説の最後に、ガープの死後の登場人物の生き方が紹介されている。その中で、娘のジェニー・ガープは医師になり、医学の研究者となった。彼女の言葉で、この小説は終わっている。

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 父親によればこの世界では、われわれは元気に生きねばならないものであるということをジェニー・ガープは知っていた。かの有名な彼女の祖母、ジェニー・フィールズは、かつて人間を、外傷組、内蔵組、自失組、冥土組と分けたことがある。だが、ガープによればこの世界では、「われわれはすべて死に到る患者なのであるから。」

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