サイダーハウス・ルール

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サイダーハウス・ルール
   《1999 米》    THE CIDER HOUSE RULES
平成12年7月 映画館で見る。
監督:ラッセ・ハルストレム 原作、脚色:ジョン・アーヴィング
音楽:レイチェル・ポートマン  

 

 

あらすじ

 原作は、アメリカ現代文学の巨匠、ジョン・アービングの同名の長編小説である。彼の作品の映画化は、「カープの世界」「ホテル・ニューハンプシャー」「サイモンバーチ」に続くものである。他の作品同様、主人公の孤児ホーマーを巡り、いろいろな出来事、事件、不幸が次々に起こるが、映画を見終わった時には、さわやかな感動が包んでくれる。

 この作品の映画化に、アービングが取り組んだのは

1986年ことであり、それから13年の歳月を経て映画化にこぎ着けた。この膨大で多岐に渡る作品を映画化するため、アービング自身が、ホーマーを中心にしたコンパクトな脚本に書き換えた。この脚本の出来映えに対して、アカデミー賞脚本賞が与えられた。(アービングはセント・クラウズの駅長役で特別出演をしている)また、ラーチ院長役のマイケル・ケインは、アカデミー賞の助演男優賞を得ている。

 メイン州ニュー・イングランドの人里はなれたセント・クラウスにある孤児院で、ホーマー・ウェルズ(ドビー・マグワイア)は生まれた。彼は、何度里子に出されても、しばらくすると気に入られずに院に戻された。これは神のお導き、彼は孤児院必要な特別な子であると考えた、ウィルバ・ラーチ院長(マイケル・ケイン)に実の子のように可愛がられて育っていく。成人した彼は、院長の「人の役に立つ人間になれ」の言葉に従い、院長(医師でもある)の助手としてなくてはならない存在になった。医学的な知識は院長の手伝いをすることで吸収し、その医者としての腕前は、院長も認めるところであった。しかし、彼は出産には立ち会ったが、堕胎の手術には決して手を貸さなかった。それが、彼のルールであった。院長は、それに対して無理強いはしなかった。いつかわかってくれる時が来ると信じ、その当時禁止されていた堕胎を、弱い女性を守るためという固い信念のもとに無料で行っていた。

 孤児院の外の世界を知らないホーマーにとって院の生活はそれなりに充実したものであった。院長や看護婦からは信頼され、孤児から兄のように慕われていた。しかし、そんなある日、堕胎手術のためにキャンディ(シャリーズ・セロン)と恋人の軍人ウォリー(ポール・ラッド)が孤児院に来た。同じ年頃の彼らの話す外の世界に強い憧れと興味を持ったホーマーは、孤児院を出て行くことを決意する。

 外の世界は彼にとってすべてが新鮮で感動的なものであった。キャンディと一緒に行くドライブインシアターでは、好きな映画が見られること。(孤児院では、「キングコング」しか見られなかった)彼女の漁師の父親に連れられて行ったロブスター漁、そして、何よりも魅力的な女性キャンディへの恋心。 

 ホーマーは、友人ウォリーの紹介で、彼の母親が経営するリンゴ園で働くことになる。そのリンゴ園には、ミスター・ローズ(デルロイ・リンド)をリーダーとする黒人グループが働いていた。彼らはリンゴの収穫に合わせて移動する労働者であった。映画の題名になっている、サイダーハウスはリンゴ園で働く労働者の宿舎のことであるが、そこには、

以前から、白人が作ったルールが張ってあった。しかし、字の読めない黒人には何のことがさっぱりわからなかったが、字の読めるホーマーが現れて、ようやくその意味がわかった。しかし、ミスター・ローズは言う、『自分達には自分達のルールがある。人の作ったルールは関係ない』。

 リンゴ園での生活に慣れ、平穏に日々が流れていた時、ウォリーが志願して戦地にいった。心に大きな穴のあいたキャンディは、それを埋めるように、ホーマーをいろいろなところへ連れていった。何事にも感動する純真なホーマーにキャンディは恋心を感じ、ホーマーも明るく奔放な彼女の魅力に抗しきれず二人は結ばれた。リンゴの季節が終わり黒人の労働者が去った後、そのままリンゴ園に残ったホーマーは、サイダーホームでキャンディと何度も愛を確かめ合った。

 そのころ孤児院では、ラーチ院長のやり方に不満を持っていた理事会が、ラーチ院長の後継者を探していた。孤児院を理想のまま維持して行くには、ホーマーしかいないと考えたラーチ院長は、彼のために偽の医師免許状をでっち上げ、優秀な医師として理事会に推薦していた。ホーマーの去就が孤児院の命運を分けることになるため、ラーチ院長はホーマーに戻ってきて欲しいとの依頼の手紙を送った。しかし、『この土地で自分は今まで感じたことのない経験と充実した毎日を送っている』とホーマーから返事が来ると、彼はもう院には戻ってこないとあきらめてしまう。

 キャンディとの甘い生活に時が止まっているように感じたホーマーにも、季節は巡り、再びリンゴ園の季節がやってきた。そこで、1年ぶりにサイダーハウスに来た、ミスター・ローズ達の様子が変だと感じたホーマーは、ミスター・ローズの娘(ローズ)が妊娠していることに気付く。それも父親が相手であると知った彼は、ミスター・ローズに詰め寄る。自分の家族のことに口を出すなと頑なな彼に、ホーマーは誠意を持って臨み、やがて彼の過ちを認めさせる。

 また、自分で始末する、ほっておいてほしいという彼女にも、ねばり強く説得をし、人工中絶をすることを承知させる。あれ程堕胎を嫌っていたホーマーであったが、いつしかラーチ院長と同じ考えになっていた。中絶の手術は成功したが、ローズはミスター・ローズを刺してどこかへ行ってしまう。娘に刺された傷口を自分で開き、娘をかばい、自殺したようにみせるミスター・ローズの淋しい表情が印象的であった。

 戦地から、ウォリーが下半身不随の重傷で帰ってくることが、キャンディの元に届いた。彼は、一生車椅子生活を余儀なくされ、彼女の介護が必要であった。この時より彼女は、夢中であったホーマーとの恋にピリオドを打ち、ウォリーの妻となることを決意し、ホーマーにそのことを伝えた。

 失意のホーマーの心中に去来したのは、懐かしい孤児院と子供達、そして、『人の役に立つ人間になれ』といつも言っていた、院長の顔であった。彼は、自分の生きる場所をみつけ、そこに戻っていった。

 

 

詳しい筋と感想

◎ リンゴの果実酒(サイダー)を作るためにリンゴ農園で働く季節労働者のための宿舎をサイダーハウスという。

◎ 舞台は

1940年代のアメリカであり、第2次世界大戦の頃である。奴隷制はなくなっても、経営者は白人、肉体労働は黒人という、人種差別が歴然と残っていた時代である。

◎ 孤児院の子供達の明るさが救いである。(あれだけの子供達の内、プロの子役は一人だけであったそうである。)

 子供をもらいに、院を訪れる夫婦に、自分にとって、一番良い笑顔を振りまく子供達、感動的なシーンだ。その中で、最もかわいい女の子がもらわれていく。がっかりした子供達、でもその子の幸せのために、夜全員で祈る。子どもたちにとって、養子としてもらわれていくことは、最高の幸せである。そのチャンスをものにするために、誰教えるともなく、自分でその方法を会得し、それを実践してしまう子どもたち。あの作り笑顔の裏で、どれだけ哀願していたことか、自分を選んでくれと。

◎ 暖かいホームの中にいることと、選ばれて里親にもらわれることの、どちらが幸せかはわからない。それは、子どもたちにとって大きなリスクである。しかし、それでも、ここから出たい。一度は、両親の愛に包まれた家庭を経験したいと思っている。たとえ、失敗し、またここへ戻ってくるとしても……。

◎ その時代は、「堕胎禁止法」により、人工中絶が禁止されていた。今でもアメリカはキリスト教の影響で、堕胎は殺人との認識が強く、人口中絶に反対の声も高い。常に、選挙の争点になりうる関心事である。その法律を破ってまで、孤児院のラーチ院長が、人口中絶をしたのは、女性を守るために、絶対に必要と考えたからである。レイプを代表に、望まれない出産は、女性と生まれてくる子供の不幸である。この明らかな不幸を見過ごすことは、ラーチには出来なかった。世間のルールに逆らってでも誰かがやらなければならない仕事であった。これが、ラーチのルールであり、このルールを維持するために、彼の苦悩は、いつしかエーテルを吸わなければ眠られなくなる。(最後はこれが原因で死ぬ)

◎ 彼は、毎晩寝る前に子供達に本を読んで聞かせる。その時、おやすみの挨拶代わりに「おやすみ、メイン州の王子、そしてニュー・イングランドの王」という。この印象深い言葉の中には、ラーチ院長の子供達に対するあふれるばかりの愛情が感じられる。一人一人は大切な王子であり、君たちの未来は輝いているんだという意味がこめられている。

◎ ラーチ院長は、ホーマーを自分の子供のように可愛がっていた。嘘の診断書を書いて、彼が兵役に付くのを阻止したり、彼を孤児院の医師として、自分の後継者にするために、理事会に彼の経歴を詐称(医学部を卒業したかのように……)したりした。しかし、彼はホーマーに医術を教えることは出来たが、一般社会のことを教えることは出来なかった。

◎ この孤児院で生まれた、ホーマーは何度、里子に出されても戻されてしまう不幸な子供であった。しかし、成長するにしたがって、院長の「人の役に立つ人間になれ」の言葉に従って、院長の助手としてなくてはならない存在になった。医学的な知識は院長の手伝いをすることで吸収し、その医者としての腕前は、院長も認めるところであった。しかし、彼は出産には立ち会ったが、堕胎の手術には決して手を貸さなかった。これも、彼なりのルールであった。しかし、これをラーチ院長は認め、彼に無理強いはしなかった。このあたりが院長の偉さである。人には、ぞれぞれルールがあり、それに従って生きて行くべきだとの強い信念を伺わせる。

◎ 一般社会を知らない、ホーマーにとって、この孤児院は住み心地の良いところであった。院長から信頼され、子供達からも慕われていた。ホーマーの優しさと人の良さは画面から滲み出ているが、このまま彼がこの孤児院に残って、外の世界を知らなければ、彼はやはりかたわであったろう。

◎ 平穏で何の変化もない孤児院に、ある日、堕胎の手術のためにキャンディと、その恋人の軍人ウォリーが車でやってきた。ホーマーは同じ年頃の二人とすぐにうち解け合い、彼らの話す外の世界に強く惹かれ、長年住み慣れた孤児院を出ていくことを決断する。ホーマーのその時の心中、安定している今の生活を捨て、何もわからない外の社会へ飛び出すリスク、院長の期待、孤児達の落胆、それにもまして知りたい外の世界、相当複雑な心境であったろう。

◎ キャンディとウォリーの関係。画面の印象から堕胎の手術に積極的なキャンディーとそれに引きずられて仕方なしにやってきた、ウォリーという印象を受けた。この関係が二人の関係を示しているのだろう。その後のキャンディの行動を見ても、積極的な女性であることは随所に感じる。彼女がホーマーに話していた言葉「恋人がいるのに、わざわざ志願して激戦地に行くなんて……」という言葉は、ウォリーへの決別の言葉とも取れる。その心の隙間を埋めるように、ホーマーをいろいろなところに連れていき、ホーマーの喜ぶ姿が新鮮でいつしか愛情を感じていった。

◎ 彼女が堕胎に積極的なのは(これは、画面から受けた私の印象です。原作でチェックします)ウォリーの気持ちに不安を持っていたからではないか?彼は、志願して激戦地に赴く。そのような態度、本当に好きな人がいるなら、その人を悲しませたくない、そのため志願しないのでは……。この心の迷いが子供を産むことへの不安につながり、中絶を決意したのだろう。

◎ キャンディは

40年代の女性でありながら、進歩的な女性である。恋人がいるのに、その恋人が戦地に行っていない寂しさのために、恋人の友人を好きになってしまう。確かに、ホーマーは誰からも好かれ、人を引きつけていく魅力的な青年ではあるが……。

◎ 彼女がホーマーに惹かれていく気持ちを考えてみた。まず、ホーマーのどんなことにも興味を持ち、新鮮な驚きを見せる彼の純真さに惹かれたことである。これは、ウォリーにない所であるし、自分も忘れてしまっていたことである。次に、恋人が遠くに行っているという淋しい心の隙間を埋めるためである。彼女は現実的で進歩的な女性である。男と女の関係でセックスに対する罪悪感もなく、古くさい道徳的な考え方もない。更に、姉のように、時には指導者のように、彼の無知、経験のなさを補い、一人前の男にしてやりたいとの、高ぶった気持ちや彼の生まれ育った状況に同情したことである。

◎ 彼女の現実主義的というか楽観的な考え方は、ホーマーを愛するようになってもウォリーのことを捨ててしまったわけではなく、このままの状態を続け、ウォリーが帰ってくればその時考えればいい。その時の自分の気持ちに正直にいきれば良いと考えている。

◎ キャンディは、進歩的な考え方と古風な考え方の両方を持った女性。例えば、遠く離れた男を思い続けるのではなく、近くにいる男を愛する、そして、今を精一杯楽しみたい。しかし、傷ついて自分を必要とする人が帰ってくれば、それをほっておけないというのが、彼女のルールである。

◎ ホーマーにとって、外の世界はすべて新鮮でおもしろかった。孤児院では、『キングコング』が唯一の映画であり、すり切れるまで何回も何回も見ていた。それに比べ、外では自分の好きな映画が選べる、それもドライブインシアターで……。

◎ 彼は、ウォリーの勧めで母親のリンゴ園で働くことになった。そこには、年に一度黒人達のグループがリンゴ園で働くために来ていた。その黒人達の住む簡易宿舎をサイダーハウスといった。

◎ サイダーハウスには、白人(経営者)の作った規則(ルール)が、長い間、壁に張ってあったが、字の読めない黒人達には、何のことかわからなかった。そこへ、ホームズ(白人で字が読める青年)が来て、その文章の意味が初めて分かった。そこには、@ ベッドではタバコをすわないこと A 酒を飲んだら圧搾機を操作しないこと B 屋根の上で昼寝を取らないこと C どんなに暑くても屋根の上で寝ないこと D 夜は屋根に上がらないこと、と書いてあった。

◎ 黒人労働者のリーダーである、ミスター・ローズは言う『ルールは自分達で決める。他人の作ったものは関係ない。』まさしくこの言葉通り、このグループにとっては、ミスター・ローズがルールそのものであった。彼は、それをしっかり仲間に伝え、守らせていくという使命観に燃えていた。

◎ 彼は、自分たちの役割は、『摘み取ったリンゴを搾り機にかけ、サイダー(果実酒)のもとになる、良質の果汁を作ることである』。ことを十分わきまえていた。それが自分達の仕事であり、使命であると考えていた。そのため、仲間に仕事の意味を知せるため、仲間の黒人の一人が、果汁桶の中にたばこを入れた時、ミスター・ローズは、その男に自分達の仕事の意味(ルール)を知らせるため体を張って戦う。

◎ やがてリンゴ園の季節は終わり、黒人のグループは別の場所へ移動していった。黒人達とすっかりとけ込んだホーマーに黒人達は別の場所に一緒に行かないかと誘う。しかし、ホーマーには、キャンディとの甘い生活が待っていた。すっかり恋人のことを忘れたキャンディはホーマーのことに夢中であった。二人は、誰もいないサイダーハウスで愛を確認しあった。何度も何度も……。

◎ 季節は巡り、再びリンゴ園の季節になった。同じ黒人グループがサイダーハウスにやってきたが、ローズの様子が何かおかしい。それは、父親の子供を妊娠し、深く悩んでいたからだ。

◎ ミスターローズは娘を自分のものと考え、大切なものを他の男に傷物にされたくないと考えていた。それが近親相姦に発展した。この考え方そのものが歪みであると思うが、ある意味では愛の一つの表現であるともいえるのか?

 ミスターローズは、自分のルールに踏み込んできたホームズに激怒するが、やがて、淡々と話す彼の訴えによって、自分の過ちに気づく。

◎ 出産は手伝うが堕胎は受け付けないのがホームズのルールであった、しかし、現実に父親の子供を妊娠したローズを前にして、彼の決心は変わる。ローズを守るため、今までの経験を総動員して人口中絶をし成功する。

 その後ローズは、父親から独立するために、父を刺し行方不明となる。ミスター・ローズは、娘をかばうために、刺された傷口を自分で広げ、自殺に見せかけ死ぬ。

◎ この映画の登場人物は、誰も複雑な人間として描かれている。例えば、ホーマーでさえ、人の良い、やさしいだけの単純な人間ではなく、友人の恋人を奪ってしまったり、その友人の母親のサイダーハウスで、キャンディと何度も愛を確かめ合ったりと、一筋縄ではいかない、したたかな面もあることを描いている。

 本来人間というのは、完全な人はないわけで、いい人の中にも悪い心はふくまれているのであって、複雑な人間が当たりまである。そういう意味でも、人物を自然にリアルに描いていることに関心する。

 同じくラーチ院長も、孤児院の子供を愛し、堕胎を無料で行う反面、看護婦と関係を持ったり、エーテルを使ったりしている。ミスター・ローズは仲間に自分達のルールを守らせることに命を懸けるが、人としてのルールでもある、近親相姦をしている。キャンディは、遠くに幸せより近くの幸せを求める現実主義者である反面、元恋人が傷つき自分を必要とすれば、それを捨てることが出来ない、古風な女として描かれている。

◎ アービングの小説には、人の心理の複雑さをうまく表現した部分が多々ある。例えば、レイプされそうになっている女性が、助かるためにどのようにしたら良いかと冷静に考えていることなど、人は恐怖に襲われると何も出来ず、何も考えないのではなく、ある部分で冷静に考え、計算しているものだ。この人間の複雑さを描く、彼の作品が私は好きである。

 これと同じで、ただやさしく良い人だけなんて人間はいないわけで、その人なりにいろいろなことを考え、時には悪いこともしたり、自分に得になるにはどうしたらいいかと冷静に判断している。これが人間であると思う。

 

 

この映画のテーマを考える

◎ この映画を考える時、題名が『サイダーハウス・ルール』であることは重要である。

◎ それぞれの人には自分独自のルールがある。しかし、相手のルールを踏みにじってはならないし、相手のルールを尊重することが基本である。自分のルールを認めて欲しければ、相手のルールも認める。このお互い様という姿勢が何より大切である。相手のルールを理解し、認めることが相手の人権を尊重することにつながる。

 そして、最も重要なことは、このルールは人との関わりの中で変わっていくという事実である。 

◎ ミスター・ローズのルール

 自分たちの仕事、すなわち「良い果汁を作ること」、この目的を達するための決まりがミスター・ローズのルールである。良い仕事をすることが、次の年への契約につながる。これがいいかげんであると、自分たちで自分達の首を絞めることになる。

 サイダーハウスに張ってあった5つのルール、それが出来た当時は、おそらく意味があったことだろう。想像するに、何か黒人の作業員がこのルールに触れるようなことをして、けがをしたり、死んだことがあったのだろう。そのために出来たルールであるが、その事実が忘れられ、ルールのみが一人歩きした時点から、このルールは何の意味も持たないものになった。それどころかあまりにも黒人を馬鹿にし、能力が低く、物事の善悪の判断が出来ない人間のように扱っている。ここには、明らかに人種差別が感じられる。

 時間の経過と共に、その時の状況を知っている人がいなくなり、ルールが一人歩きをした。今の黒人グループには、何の意味もないルールになっている。ルールも規則も法律も同じであるが、それを作ったときには、相当大きな意味や目的があるが、時間と共に状況が変わり、何でこんなことをするのかという疑問ばかり残ることがある。しかし、それでもルールはルールであるからという理由で、人間がそれに縛られることが良くある。その意味でも、状況に応じてルールを変えていくような柔軟性と余裕を持ちたいものである。

 ミスター・ローズの娘に対するルール、これは絶対間違っている。娘を自分の所有物や自分の一部であると考える、可愛くて大切であることはわかるが、他の男に傷つけられるのはイヤだから、他の男が近づけないようにする。これは、娘ローズのルール(人権や人格)を認めていない。近親相姦は絶対にあってはならないが、それを抜きにしても、親と子の関係から考えると、『可愛い子にはたびをさせろ』と昔から言われているように、子の成長のために、親としてつらいけど、自分の管理下、影響下から離してやらなければならない。子は親の所有物ではなく、一個の独立した人間であり、何人もそれを侵してはならない。

 しかし、この間違った娘に対するルールは、ホーマーの必死の説得のおかげで気が付く。結局、娘のナイフで刺され死ぬという不幸な結果に終わるが、間違いに気が付いたことは幸いである。それにしても、ナイフの傷を自分で広げ、娘のせいではなく自殺をしたように見せ、娘をかばう姿は、ひどい父親だけど、娘を思う気持ちだけは伝わってきた。

◎ ラーチ院長のルール

 堕胎は女性を守るために絶対に必要なことである。ラーチは弱者を守り、弱者の立場に立ったものの見方のできる人であった。社会の倫理(ルール)より、自分の医師として倫理を優先させる。この信念の基づいて、堕胎は誰かがやらなければならない、そしてその誰かとは自分であるという使命感をもっていた。

 悪法でも法である以上守るべきだという、頑なな態度ではなく、悪いものは正すべきだとの堅い信念を持っている。例えば『嘘も方便』のたとえのように、ホーマーが孤児院にいることが戦争に行くより必要と考えれば、ホーマーの偽の診断書を出したり、ホーマーが孤児院の自分の後継者に相応しいと思えば、ホーマーに偽の医師の免許状をつくるように。自分が正しいと思えば、躊躇なく毅然とやり遂げる強い精神力の持ち主である。

 ただ、堕胎に対して、すべて納得して行っていたわけではない。子供の命を救えない、生かせなかったという心の痛み、苦悩は並大抵のものではない。彼のような、心やさしきアメリカ人であれば、おそらく信心深いクリスチャンであろうから、医者としての立場とクリスチャンとしての立場の矛盾に苦しんでいたのだろう。その証拠に、夜眠れずエーテルの世話になっていた。  

◎ ホーマーのルール

 孤児院にいたときの彼のルールは、ラーチ院長の指示に従い、『人の役に立つ人間』になることであった。しかし、堕胎は認めない。彼が何故堕胎を認めなかったのかは、彼の孤児としての生育歴に何かあったような気がする。(原作で確認します。映画では彼の幼年時代は時間の関係で描かれていない)

 このルールが、サイダーハウスを出て、いろいろな経験をする中で、堕胎を認める方向にルールを変更した。その原因を考えると、3つあると思う。

 @ ミスター・ローズと娘との近親相姦による妊娠であり、この子どもは絶対に生んではならないという現実的な問題があったこと。

 A キャンディを愛したことに原因があると思う。彼女を愛するとは彼女のすべてを愛することであり、彼女のした行為(人工中絶)も理解し、認めたからである。

 B 黒人と生活を共にし、白人の作ったルールがあまりにもばかげたもの。彼らの実態に即したものでない。彼らは彼らなりにルールを作りうまくやっている。これを見たことで、現実の社会のルールでも、だめなルール、機能していないルールがあることに気が付いた。人を真に救うためには、法律も破らなければならないことがある。一般社会を経験することでホーマーには、分別が付き、人生における必要悪を認めるべきだ。すなわちラーチ院長の気持ちが初めて分かった。

◎ キャンディのルール

 彼女は現実主義的な女性である。遠くにいて会えない人をじっと待っているよりも、身近に好きな人が出来れば、それを我慢せずに好きになる。自分の気持ちに正直な人、素直な人といえる。もちろん、身近な人が愛すべき人である必要はあるが……。

 ウォリーが戦地で重傷を負い帰った来ることになる。その時キャンディは自分を必要とする彼のもとに戻る。これが、キャンディのルールである。

 自分を愛してくれている人が、自分を必要とする、それも自分しかそれが出来ない時、これを拒まない、拒むべきではないと考えている。進歩的で現実的な女性に見えても、いざとなると、戦時中の女性の常識、その時代の社会の常識に立ち返ってしまう。このようにキャンディは古風な面も持った複雑な人間である。

 

◎ ウォリーのルール

 彼が志願したのは、当時の時代背景を考えると、普通の男として当然やるべきことであった。国のために戦うことは、愛する者(キャンディ)のために戦うこと。こう考えて彼は戦地に行き、彼女のことを考えて戦っていた。ただ、この気持ちが彼女に伝わっていなかった。男と女の考え方、理想主義的な男と現実主義的な女の違いかもしれない。

 それによって傷ついた彼は、その介護を彼女がしてくれることを当然と考え、心の葛藤はないと思う。ホーマーと彼女との関係(映画では知らない。原作でチェック)を知ったら彼は、どう感じるか?出来れば知らないままにしておいて上げたい。

 

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