愛さずにはいられない

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藤田宜永の<愛さずにはいられない>

 今、藤田宜永の<愛さずにはいられない>を読んでいます。彼は小池真理子のご主人で「愛の領分」で直木賞を取っています。1950年の生まれですから、私と同じ53歳です。この自伝的小説は、彼の高校時代の恋愛を描いていますが、同じ世代に生きたものとして、そのあまりにも大きな落差に驚いています。彼は、福井の裕福な家庭に生まれるものの、母親との折り合いが悪く家庭的には恵まれませんでした。だから、母親から離れるために、高校を東京の私学にして下宿生活をします。本の後ろに若い頃の彼の写真がのっていますが、長い髪の長身で華奢な美少年です。

 

 彼はいわゆる軟派な不良少年です。<女を引っかけるために>gogo喫茶に入り浸ったり、タバコ、酒、ドラッグと高校生としては信じられないくらい遊びまくっています。外泊して学校を休むこともたびたび、だから赤点もあった。しかし、それでも卒業後早稲田大学に入学するのですから、本来頭は良いのでしょう。

 

 私の高校生活と対極をなすと思って読んでいます。私のあこがれていた高校生活、でも絶対にできなかった高校生活。喫茶店ですら不良の集まるところと言われ、高校時代は一度も入ったことがなかった。女性とデートして映画館や喫茶店、お酒を飲む、さらにホテルに行くなんてことは、夢のまた夢でした。きっと、私の同級生の中にも一割くらいはそのような生活を送っていた。その世界に無縁だったから知らないだけなんでしょう。

 

 この本の中で、彼の読んだ本とか映画が出てきます。今は1/5程度までですが、その中に吉行淳之介の「驟雨」という作品を読んで、自分と同じ女性観だと感動する部分があります。実は私もこの本を高校時代に読んでいるんです。私は不良ではなかったけど、頭の中では不良にあこがれていました(笑)。

 

 なぜ、吉行淳之介を読むようになったかは忘れましたが、幼心に文学的な<H本>とでも映ったのでしょう。<砂の上の植物群><原色の街>は超難解で何のことかさっぱりわからない。そんな中、唯一「驟雨」(驟雨とはにわか雨のこと)だけ理解できました(笑)。あの頃は赤線(売春が認められていた時代)があり、その娼婦との物語です。大人の男女の微妙な心理状態はわかるわけがないのですが、全体のしっとりとした文学的な雰囲気だけはわかりました。図書館に行って、この本借りてこようかな?今読んだらどんな感じを持つでしょう。

 

 あの時代の流行として、石原慎太郎の「太陽の季節」、映画では、ジャンポールベルモントの「気違いピエロ」やアランドロンの「太陽がいっぱい」、音楽ではタイガーズ、テンプターズ等のグループサウンズの話題が出てきます。自分の青春時代を別の人の目を通して再現してくれているようで興味津々です。

  

 

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