アルジャーノンに花束を

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◎ この本は、人の一生を象徴している。子ども→大人→老人と人は一生の間に変化していきますが、チャーリーはそれを短い間に体験します。つまり、白痴(子ども)→大人(手術後の天才)→老人(退化)です。

 

◎ 白痴だった時、自分は周囲の人から愛されているとチャーリーは思っていた。それを手術後、愛ではなくて、自分をからかいバカにして、優越感に浸っているだけだと気がつきショックを受ける。こういう錯覚は、子どもの時よくあることだ。愛されているのか、バカにされているのか、いじめられているのか、幼い自分には判断ができない、でも、それを大人になって冷静に考えてみると初めて、その時の真実が見えてくる。もっとも普通の人間は、そのことを知るのは、長い年月が経過してからだから、まだ良いと思うが、チャーリーは同じ時間帯で、そのことが知らされるのだから、人間不信に陥るのだろう。

 

◎ 老人になり知能が落ち、人は子どもに返る。そうすると人から再び愛されます。(愛されていると錯覚するのかな?)それは、余分なこと(人に愛されているかどうかという)を考えない、というより考えられないからかもしれない。

 

◎ この物語には、精神と知能のバランスのことがよく出てくる。手術後チャーリーはそれができない。精神的には白痴のままで、知能のみ天才になる。これによって、バランスがくずれ、情緒不安定になる。特に人を愛する(キーンス先生)ことがうまくできない。それは人を愛した経験がないからだ。

 

◎ キーンス先生とセックス(make love)ができない。そこには冷静な目で見つめているもう一人のチャーリーがいる。チャーリーにとってキーンス先生は、憧れの人であり、以前の自分を知っている人であるからです。その証拠に、隣りに住んでいる彼女とは何ともなくできる。それは彼女が彼の過去を知らないからだ。

 

◎ でもいつか、見つめるもう一人のチャーリーがいなくなり、キーンス先生とセックス(make love)できたのは、彼が成長した(精神的に)証である。

 

◎ チャーリーは、子供の頃母親からいじめられ、虐待を受ける。母親は、チャーリーをなんとか一人前にしようと焦っている。でも、焦っても焦ってもそれは無理です。思うようにいかない彼女は彼を施設に入れようと決意する。自分には下の娘がいる。この子だけで十分、チャーリーはなかったことにしたい。そんな思いか?

 

◎ 父親はそんな母親に対して彼を守ってくれる。しかし、最後まで戦ってくれない。母親に妥協し、彼女に歩み寄っている。

 

◎ 妹は違った見方をしていた(チャーリーが考えていたのと)妹は、チャーリーがうらやましかった。両親がチャーリーにかかりきりで、自分は差別されている、愛されていないと思っていた。だから、チャーリーに意地悪をした。

 

◎ 精薄児、障害者を持つ家庭の苦しみは経験のない私にとって、想像するしかないが、大変なものだろう。チャーリーも元に戻る前に、その思い出をたどるために、父に会い、母と妹に会うが、それによって両親の愛を感じることができたのだろうか?

 

◎ アルジャーノンは、チャーリーにとって競争相手でもあったが、同志でもあり、自分と同一視していた。だから、普通のモルモットなら死ぬと消却され、ゴミ箱へ捨てられると聞いて、アルジャーノンはそうしたくないと強く考えていた。だから、アルジャーノンは、自分の姿を写す鏡であり、自分も天才になったとはいえ、所詮モルモットであり、見せ物である。そして、人々に自分は利用されているだけだと考えていた。

 

◎ 学会の発表会からアルジャーノンと一緒に逃げていくのは、自由(自分の人生を自分で決める)を求めて、自分らしい生き方をするためだった。

 

◎ 天才になることによって人の心理、気持ち、行動の意味を知ることができるようになった。それは、自分の心の内側を探ることと同じであった。今までみたいに、ただ、単純に好きだとか、嫌いではすまなくなり、あらゆることを理屈で考え、その理屈に縛られて行動ができなくなる。常に人を疑う、疑心暗鬼の状態である。人間は、もっと自然でいいのではないか。好きだという感情だけを頼りに行動する。そんな楽な考え方がチャーリーにほしかった。

 

◎ 大人になると頭が先にいく、冒険ができない。少なくとも、人を愛することは、そんなものではなくて、もっと感情的なものであり、単純でバカらしいものである。

 

◎ 『人は頭が良くなると本当に幸せになれるのか?』知らなくてもいいことや、見なくてもいいことを見ることが幸せか?精薄者のままのチャーリーでいた方がチャーリーには幸せだったかもしれない。でも、私はそれでも手術の道を選んだことに賛成である。それは短い期間だったけど、その間に人生をしっかりと生きたからである。人生の真実を知って死んでいったチャーリーに拍手を送りたい。

 

◎ チャーリーが手術して頭が良くなりたかったのは、大学生の話の内容が知りたいということだった。それは叶えられ、彼ら以上の知識を得た。しかし、それは経験の裏打ちのない、机上の空論だった。本に書いてある知識のみであった。彼の経験が彼の知識に追いつくには、時間がかかった。このことを考えると、『グッド・ウイル・ハンティング』を思い出す。◎◎は、この映画を見たことがありますか?また、このことは話します。

 

◎ 天才のための大学飛び級制度が話題になっているが、この小説はそれに警鐘を与えている気がする。人は勉強だけできればいいのか?

  

 

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