明日の記憶

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 この本は、第18回山本周五郎賞を受賞し、2005年〈本屋大賞〉の第2位に輝きました。ちなみに第1位は<博士の愛した数式>でした。

 49歳の佐伯雅行は、一流の広告代理店のばりばりの部長。その彼がある日突然、若年性アルツハイマーにかかり、その病気を認め、受け入れていくまでの過程を描いている。

 最初のきっかけは、会議でハリウッドスターの名前が思い出せないことから始まる。もの忘れがひどく、身体もだるくて無気力不眠が続いて、鬱病のような症状が出て、ようやく病院へいく。

 病院での若い医師から受ける、子供だましのような検査それをバカにしながらも、答えられないふがいない自分がいた。診断は若年性アルツハイマー。これは、現代の医学では直すことができない、不治の病。確実に死に至るだけでなく、記憶が失われて人間ではなくなっていく。

 これは、ちょうど映画「半落ち」の逆パターン。主人公が若年性アルツハイマーの妻を殺します。妻から<自分が人間である内に殺してほしい>と懇願されて、やむなく殺す。この本を読んで、その彼の気持ちがわかった気がする。

 方向や自分のいる位置がわからない。食べ物の味がわからなくなり、嫌な味がする。物忘れがひどく、身近な人間の顔、娘や妻の顔までも忘れる。それらをなんとかしようと、彼は必死でメモをとっていくけど、それに追いつかないスピードで病気が進行して行く。

 病気を認め、受け入れていくまでの過程の苦しみ。それは、ある意味では癌を認めるよりもつらいものがある。人格が破壊され、さらに治る見込みがないから。特に、若年性アルツハイマーの怖さは、自分が壊れていく過程を自覚できること。

 <思い出>とは人間だけがもてる最高の楽しみ。生きてきた証であり、それが記憶と共に消えていく。この苦しみから救ってくれたのは、次の言葉。

 <記憶が消えても、私が過ごしてきた日々が消えるわけではない。私が失った記憶は、私と同じ日々を過ごしてきた人たちの中に残っている。>

 

 

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