バカの壁

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バカの壁(養老孟司著)

 [バカの壁](養老孟司著)を今読んでいます。お正月に読みたいと書店を回って見たけど、どこも置いてありませんでした。そこで、職場に出入りしている書店に取り寄せをお願いしていたのが、ようやく届いたからです。でも、お正月になかったものが、最近では一杯書店に並んでいます。売り切れで、再度印刷をしたものが出回ってきたからでしょう。

 バカの壁とは、人間は自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断する傾向があり、この壁のことをいいます。

 

 本の中に「常識の定義」について書かれた部分があり興味深かったので、書き出して見ました。16世紀のフランスの思想家モンテーニュがいった常識の定義です。それを簡単にいうと<誰が考えてもそうでしょ>ということだそうです。それが絶対的な真実かどうかはともかくとして、「人間なら普通はこうでしょ」と言えるはずのものです。この部分を読みながら、若い頃読んだ「ユダヤ人と日本人」(イザヤベンダサン著)の中にある、日本の常識・世界の非常識(「安全と水はただ」)という言葉を思い出しました。

 

 麺類は音をたてて食べるのが日本の常識、でも外国では違う。人は右、車は左の交通法規も違う。その国だけに通用するものは常識とはいわないわけです。モンテーニュの定義によれば、<人間は必ず死ぬ>というような、普遍的な事実が常識になるのでしょう。

 

 <バカのの壁>を今呼んでいますが、その中に、今の時代は人間は変わらないものだと間違って考えられている。でも、昔の日本はそうでなかったという話がでてきました。その説明が面白かったので、書いてみます。

 

 <平家物語>の<祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり>という文から、どういうことを読み取るべきか。鐘の音は物理学的に考えれば、いつも同じように響く。しかし、それが何故、その時々で違って聞こえてくるのか。それは、人間がひたすら変わっているからです。聞くほうの気分が違えば、鐘の音が違って聞こえてくる。<平家物語>の冒頭は、実はそれを言っているのです。

 

 <方丈記>の冒頭もまったく同じ。<ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず>河がある、それは情報だから同じだけど、河を構成している水は見るたびに変わっているじゃないか。<世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし>人間も世界もまったく同じで、万物流転である。

 

 <君子は豹変する>は悪口と思っていた人がいる。<君子豹変>とは、<君子は過ちだと知れば、すぐに改め、善に移る>という意味です。何故この人は勘違いをしたのか?それは<人間は変わらない>というのがその人の前提だったからです。だから、いきなり豹変するのはとんでもないと考えたわけです。

 

人生はつらいこともいっぱいあるけど、それに負けないくらい良いことも一杯あります。私にも人並みにつらいこともありましたが、それでも、何とか時間が解決してくれました。時間ほどの名医、名薬はありません。苦しいときは、時間が止まってしまって、この苦しみが永遠に続くような錯覚を受けます。でも、世の中は一人に人間の悩みや苦しみとは全く関係なく、動いています。そして、人も変わり、いつの間にか(少しずつ)状況が変わっていきます。このことをこの年になってようやく分かってきました。平家物語の[諸行無常]の世界観です。全てのものは移ろい、同じ状態ではない。そして、生あるもの死ぬ。人の憎しみや苦しみもいつか癒えるものです。

 

 諸行無常だからこそ、その瞬間瞬間を大切にしたいと思っています。「一期一会」という言葉どおりです。その時々の思いが積み重なって、その人の人生を形作ります。だから、今を充実させることが、幸せになる道です。

 

<バカの壁>が311万部売れ、新書の最高記録を達成したそうです。今までの記録が、70年刊行の塩月弥栄子著「冠婚葬祭入門」の308万部だったそうです。そういえばこの冠婚葬祭入門の本も買った記憶があります。というわけで、<バカの壁>の内容の話です。

 

 バカの壁の作者が、最近の若者が勉強をして<知る>ということに、興味を持たなくなったので、<知るということ>の意味を一年間考えたそうです。そして出した結論は、<知るということは根本的にはガンの告知>と同じだということでした。

 

 学生に<ガンになって治療法はなくて、あと半年の命だよと言われたら、あそこで咲いている桜が違って見えるだろう>と話している。

 その桜が違って見えた段階で、去年までどういう思いであの桜を見ていたか考えてみなさい。多分思い出せないはずだ。では、桜は変わったか?そうではない。それは自分が変わったということに過ぎない。<知る>とはそういうことだ。<知る>とは、自分がガラッと変わってしまうことである。したがって、世界がまったくかわってしまう。見え方が変わってしまう。それが昨日までとほとんど同じで世界でも……。

 

 このことは私も知っていました。例えば、ある人が絵を習うようになって美術館へ行く。今まではルノアールなんて何の関心もなかったのに、今はものすごく興味がある。それは、絵のことを<知る>ことで、知的な目で見ることができるようになったためです。知れば知るほど興味は沸いてくるもの。だから、知識を増やすにはこの方法が一番、最初の興味付けさえできれば、後は自然に知識は増えて行きます。このようにして人間は成長していくんですね。

 

 このことに関連して<目が見える人が、必ずしも正しくものを見ているわけではない>のです。ものは人間の目で見るのではなく、心の眼で見るわけです。ものがそこにあっても、見る気がない時には見えません。意識して初めて見ることができます。これは、美術館にルノアールがあるのに、絵に関心(知識)がなかったから、行かなかったのと同じことです。絵を習うことで初めて絵のことを意識したわけです。こういう事って一杯ありますよね。

 

 そこで働くボランティア達の熱き思いに触れて、サラの浮ついた慈善の気持ちは消えます。その後、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)で働き、いつしか自分の天職とも感じられる仕事(難民問題の解決)を見つけます。

 

 ニックに惹かれたのは、彼の弱者を救いたいという、ほとばしる情熱と行動力でした。夫と全く対照的で、野性味溢れる男です。彼女は子供も家庭も捨てません、でもニックを全身全霊を使って愛します。人間が何かする時に<何々のため>というように、何かの目的があります。彼女にとって、難民を危険を冒してまで救うという困難な仕事も、喜びを持ってできたのは、<ニックへの愛>があったためでしょう。彼と同じ思いで仕事ができる幸せを彼女は感じていたと思います。

  

 

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