風神の門

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風神の門 司馬遼太郎

 この本は葛籠重蔵と霧隠才蔵との比較を楽しみながら読みました。

 二人は<明と暗>、<陰と陽>ですね。服装や性格、さらに女性への対応の仕方が全くの正反対です。でも、どちらも共通しているのは、<仕事ができる男>であること。

 仕事ができるには、その仕事をするのに必要な能力が十分に備わっている必要があります。彼らがそれを得たのは、小さい頃からの厳しい修練と天才的な能力の賜でしょう。何事もそうですが、ある世界のトップに立つのは並大抵のことではありません。そこには私は運命的なものを感じます。最後の方で宮本武蔵との対決が出てきますが、実際に対決をしたかどうかは別にして、同じ時代を生きているのだから、あっても不思議はありません。それが小説の醍醐味です(笑)。

 才蔵も重蔵も<仕事ができる><頑固である><女性に機嫌をとらない>ことが共通していました。これが女性にもてる秘訣かな?頑固であるとは、自分の考え方をもち、自分の主張ができること。自分の価値観と違えば、どんな偉い人物であっても従わない、一本太い筋が通っています。

 

 その才蔵でも真田幸村には惚れるのですから、その人物の大きさと言ったら凄いですね。真田幸村のすごさはいろいろなところから聞きます。彼こそ、真のリーダーかもしれません。

 リーダーとは、人を引きつける魅力を持った人。こいつに自分の人生を預けてでも、一生ついていこうと思える人物です。その魅力も、ある意味ではもって生まれた天性のようなもの、所詮その天性に恵まれない者がそれを目指せば、悪い結果になることは火を見るより明らかです。

 時代小説にはこんなリーダーが一杯出てきます。秀吉に請われて軍師になった竹中半兵衛がその良い例。まだ、大名でもなく、これから先どうなるかわからない木下籐吉郎に、すでに天下に名の響いた名軍師が家来になった。これは先を見ることができる半兵衛が、籐吉郎にリーダーとしての資質や魅力を見たからです。

 大阪冬の陣は、大阪が勝ったかもしれない。もし、真田幸村が総大将だったら……。大阪の実権は淀君と大野治長が握っていました。この二人はダメなリーダーの典型。自分に災いが降りかかることを極端に嫌っている、我が身可愛さの腰砕けです。自己中で、自分のことを一番に考える。大筒にびっくりして家康の講和を受け、だまされて堀を埋められてしまいます。これでは、難攻不落の大阪城もたまりません。冬の陣よりははるかに不利だったけど、夏の陣でも勝つチャンスはあった。秀頼が出陣すれば、西軍の志気は上がって勝てたかもしれない。戦には旗印が必要、家康と秀頼のリーダーとしての差がこの戦いを決めました。

 でも、大阪方に味方した才蔵でしたが、彼が最後に言った<亡びるものは、亡ぶべくして亡びる。そのことがわかっただけでも、存分に面白かった。>この言葉が豊臣の運命を言い表していますね。あのまま、豊臣が何かの拍子に勝ったりしたら、飛んでもない時代が続くことになるわけです。

 機嫌をとらないだけでなく、ここぞという時に<ぐっと>引き寄せる。なるほどとうなずいています。人間いや女性心理の機微をよく知っていますね、もちろん彼らは無意識なんでしょう。その自然さがクールでたまらない魅力になっているわけですね。恋のテクニック、冷たくして、この人は私の事は本当は好きではないんではないか?という疑問を与えておいて、そろそろあきらめかけていた頃に、ぐっと引き寄せやさしく愛する。最初からずっと好きだ好きだと言われるより、その落差が喜びを大きくします。

 「人という者は、利をもって動かねば 色をもって動く」と作中で隠岐殿が言いました。彼女の自信の現れでもあるこの言葉、一般論としては正しいと思います。ただ、才蔵と重蔵には通用しません。彼らは自分が動こうとしない限り動かない、頑固さをもっています。しっかりとした自分の考え方、価値観をもっています。それに反するものであれば、どんな権力でも動かないわけです。ここに、司馬遼太郎は理想の男を見たのでしょう。そんなふうに私は思いました。

 時代小説らしい表現、日本語の豊かな表現が出てきます。例えば、<肉置きの豊かな(ししおきのゆたかな)>これは今ならグラマーとかDカップとかの表現になるけど、はるかに豊かでエロチックな女性の身体を連想させてくれます。 青子のことを<未通女(むすめ)>と呼びました。この漢字には笑ってしまいました。

 また、<このころの旅籠は食事をつけない。投宿人が自炊しマキを宿から買う。マキ代のことを木賃(きちん)といった。>今でも木賃宿と言いますよね、この語源がここにあったわけですね、これも面白い発見でした。

  

 

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