バブルが崩壊した頃でしょうか、「東京電力のOL」が殺されるという事件がありました。その彼女が娼婦をしていたことで、週刊誌を騒がせたことがあります。昼はまじめなOL、しかし夜は娼婦、<なぜ?>このギャップが人の興味をそそりました。この事件を取材して小説を書いている作家がいるとの噂は聞いていましたが、それがこの作品だったわけです。
細かい筋はやめましょう。女性が、それもしっかりした女性が、現実の社会に生きていく時の、つらさ、苦しさ、歯がゆさ、挫折、悔しさ、やりきれなさを強く感じました。男でもそれを感じるのだから、男社会の中で男と対等に生きていこうとするには、ものすごいストレスがあり、それに負けた(?)女性達の物語。
人間の深層に住んでいる怪物( グロテスクで極悪なもの)について描いた作品。人間には、心の中にもう一人の自分がいる。人は絶えずその人物と対話し、時には励まし、時には叱責され、そのバランスの上に精神を保って生きている。心の中に住む<もう一人の自分>は決して清く正しい正義観に満ちた人物ではない。それは悪意の塊、極悪人であることもある。この関係は、陰と陽、表と裏の関係かもしれない。「人に優しく接したい」と思う、でも、その反対に心の中の自分は、意地悪でその人の不幸を願っている。正しい人間であろうとすればするほど悪に惹かれる。この矛盾した考え方が人間そのものである。だれでも、心に闇を持っている。そして、自分にないもの、自分のできないことをねたみ、うらやましく思うのは、当たり前のことと考える。(これは私の考えですから、間違っているかもしれません)
人間は欲張りで、<幸せ>と感じていたことも飽き足りなくなり、もっと物質的な豊かさを求める。これは際限なく繰り返され、人は物質的な豊さだけでは<幸せ>を得ることはできないと知らされる。それと同じように、精神的なもの、例えばプライドとか見栄とかでもそうである。すなわち「足る心」(どこかで満足する心)がなければ<幸せ>にはなれない気がする。そんなことを考えさせてくれた作品であった。
主人公の和恵の中に潜む<怪物>は、形は違うけど自分の中にもいることを知った。読んでいて、まるで自分の心の中をのぞかれているようで怖かった。「人は人から認められたい」と望んでいる。(その強さは別にして)それが自分が考えている根本的なこと(自分が一番大事に思っていること、例えば仕事など)で達成できれば問題はない。しかし、多くの人はそれでは達成できず、それから逃げるように、他のことで満たそうとする。それでも満たせないのが常だが、例え満たせたとしても、それは本筋ではないから、完全な満足は得られない。和恵は、その本筋でないところに強く寄りかかり、周りと自分が見えなくなる。やがてそれは グロテスクな怪物になり、和恵を破滅させた。
主人公の和恵は、男社会の中で自分の能力だけで生きていけると思っていた。しかし、そのために猛勉強をして頑張って入った大手建設会社は、彼女の考えていたものではなかった。女のキャリアがスムーズに育っていける環境に、今の日本はなっていない。彼女は子供の頃から努力すること(勉強をして、偏差値を上げること)がもっとも大切で、人間関係は重要でないと考えていた。だから、友達と呼べるべき友達もなく、家族とも孤立していた。
自分の能力が男社会の中で受け入れられないとわかると、彼女は他のことで自分のプライドを満たそうとする。それも普通の人では全く予想もできない方法で……。<「娼婦」になること。>「昼間は大手建設会社のキャリアーウーマン でも夜は娼婦」世の中広しといえでも、この2面性を持っている女はいない。彼女はそれで他(同じ会社の人)より優位に立てたと考えた。昼はまじめに勤め、退社と同時に娼婦へと変身する。そのギャップに興奮した。
自分のような、優秀でそして綺麗な女(高嶺の花)が身を売ることは、男を喜ばせ、征服することだと勘違いしていた。彼女はあまりにも世間知らずだった。高校時代に「やせた女は美しく、男に好かれる」と女友達から言われたことを堅く信じ、拒食症と同じような状況を常に作り、がりがりにやせていた。そのやせかたは病的で、女性として全く魅力のないものであった。それを人から言われても全く気がつかない。<男はやせた女が好み>といっても、それは程度によることが彼女にはわからない。いつしか、自分の姿を冷静に見られなくなっていた。
彼女は人間関係が全くできない人だった。彼女は娼婦をしながら、男に愛されたいと願って、自分を愛してくれる人を捜していた。でも、 グロテスクな女を男は認めなかった。人から、愛されたい、やさしくされたいと思っても、彼女は自分からはそれができなかったからだ。だれからも、愛されてこなかった彼女に、人を愛することはできなかった。
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