犬養道子と養老対談

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 今年の大ベストセラーに「バカの壁」があります。著者は、解剖学者で脳科学者の養老猛司氏で250万部売れたそうです。「バカの壁とは、自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断してしまう壁のこと。だから、<話せばわかる>は大嘘だとか」イラク戦争やテロがなぜ起こるのか?が書かれているそうで、できればお正月に読んで見たいと思っています。

 

 大晦日の深夜、NHKの「行く年来る年」の後に、この養老猛司氏と、犬養道子氏との対談番組が放送されていました。犬養道子氏は今年80歳で、5.15事件で暗殺された、犬養毅首相の孫にあたる方です。犬養首相が暗殺される前に、若い青年将校に「話せばわかる」と言ったことは有名で、先ほどのバカの壁の<話せばわかるは大嘘>との関連性で二人の対談が組まれたものと、私は解釈しました。それと、彼女が最近では難民問題に取り組んで、世界各地の戦争やテロの悲惨さを経験していることも、二人の議論の噛み合わせに良かったのでしょう。

 

 それにしても、彼女の存在感は凄いですね。80歳にはとても見えません。だからといって、30代や40代に見えるわけではないけど、そんなことは度外視して魅力的でした。しわに刻まれた智慧の深さ、素敵に年を重ねてきた、そんな感じを受けました。彼女の経歴からすると、人のために充実した人生を送ってきたからでしょう。

 

 この対談、彼女の独壇場でした。彼女の話す、難民キャンプの話は生々しくて、ど迫力がありました。作り物ではない体験の強さです。そんなわけで、養老氏はすっかりかすんでしまいました。時の人をかすませてしまうのですから、たいした人です(笑)。<理論より体験の重さ>を知っている我々の心を引きつけて放しません。

 

 30日の日に、映画「すべては愛のために」を見てきました。本当にタイムリーですが、この時の映画が、彼女の話とオーバーラップしました。映画でも、難民キャンプで生活する人々の悲惨な状況、特に乳児や子供の状況には、目を覆いたくなるような所が一杯ありました。映画だからという気持ちもあったのですが、犬養女史の話を聞いて、決して特別なものではないと、いやもっと現実はひどいことを知りました。映画の方が、遠慮して描いているわけです。

 

 少年兵が一人前の兵士に訓練されていく様を彼女は淡々と話します。少年が、人を殺すことを躊躇するたびに、自分の耳や鼻を少しづつそがれていく。その痛みに耐えるために、人を殺し、いつしか自分の母親でも平気で殺せるようになる。こんな話が、ぽんぽん飛び出てくる、まさに<事実は小説より奇なり>です。現実の世界の方がはるかに怖い。

 

 彼女がボランティアで難民キャンプに参加したのは、この映画の主人公サラ(アンジェリーナ・ジョリー)に似ています。この映画実話だそうですが、夫が浮気をしたり、自分の仕事(ボランティア)に理解を示さないからといって、結果的には不倫をするわけですから、彼女の行動には賛否両論があるでしょう。

 

 犬養女史はそのようなことはなく、純粋に人類愛のためでした。彼女はクリスチャンです。豊かで恵まれた生活を安全な日本で過ごしながら、新聞やテレビで、戦争やテロで苦しんでいる人々をかわいそうだと思う。<門の内側にいて、門の外側の苦しみを思う>そんな、考えるだけの自分が嫌になり、聖書の言葉を実践するために、難民キャンプで食事配給のボランティアに参加したのが活動の始めです。

 

 この映画、導入の部分で度肝を抜かれました。サラと青年医師ニック(クライヴ・オーエン)との運命的な出会いです。金持ちが、その片手間(自分の生活を脅かさない程度の)でする慈善を、ニックは痛烈に批判します。こんな所で悠長にパーティをしている間に、エチオピアの難民キャンプでは一日に40人の子供が死んでいる。今すぐに援助の手を……。

 

 難民キャンプでの実情を知って、自分の幸せを再認識し、感謝する人。それでは飽きたらず、現地に行って、その人たちを助けようとする人。大半の人が前者ですが、サラは後者の人間でした。夫の<金さえ出せばそれで十分>という説得にも耳も貸さず、エチオピアに援助物資を運ぶため自ら乗り込みます。サラがそこで見たものは、<この世の地獄>でした。不正によって、金や援助物資が難民の手にわからない仕組みにも愕然とします。

 

 

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