この本を読もうと思ったのは、映画がよくて、そこで感じた疑問を晴らしたいと思ったため(笑)。読む進むにつれて、いろいろな謎が解けてきました。 映画は原作に忠実に描かれているという印象ですが、それでも、映画では省略された部分がいくつかありました。 <サナエさんのこと> サナエさんはお母さんが亡くなった後、お父さんとの二人暮らしをしていました。父親は武道家(合気道)で、<人生はすべて修行>を人生訓としている頑固者の堅物です。 母親がなくなってから、高校生の彼女は家事をするようになり 、そこで、料理することの楽しさをおぼえました。同級生が味の濃い洋風のおかずを好むのに対して、和風好みで、毎日食べるおかずは薄味であるべきだと考えています。台所のことは一切しない父親ですが、おにぎりは人が握ったものの方がおいしいと言って、運動会の時だけ握ってくれました。そのおにぎりの味が忘れられないことが、食堂をやろうという原点になっています。 大学を出てから、大手の食品会社に入って、弁当の試作の部署にいましたが、味の濃いおかず中心の弁当作りに嫌気がさします。それなら、自分で店を開いて、そこでおいしい日本食を食べさせたいと考えます。でも、店はなにも日本でなくてもいいのではと考えて、いろいろな国を検討した結果、フィンランドに決めます。彼女は38歳の独身です。 <フィンランドに決めた理由> 父が教える武道場の弟子に、フィンランド人がいて、その人の強い要請で、武道の指導に父と一緒にフィンランドに行ったことがあること。その人が今もフィンランドのヘルシンキにいたことが、心強かった。結局彼の計らいで、いろいろと面倒な手続きがスムーズにできた。 <開店資金はどうしたか?> 一番のサプライズは、その資金をどうためたか?でした(笑)。それはなんと、宝くじで1億円当てたのです。だから、フィンランドくんだりで、客もあまり入らないのに、のんびりと構えていることができたわけです。それから、フィン語は行く前に日本で習います。 <ミドリさんのこと> 彼女は大学を出ると、父親の勧める会社に就職をします。その会社は、公務員が定年後に天下りをする、どうでも良い会社でほとんど仕事らしきものがありません。 彼女は紅一点で、後は自分よりはるかに年上のおじさんばかり、そんなぬるま湯につかるような生活を20年も続けたあげく 、ある日突然、会社がなくなります。まったく予想外の展開に驚く彼女。独身で両親も他界した今となっては、兄弟や親戚にとって、無職の独り者の彼女は厄介者。それを肌で感じた彼女は、どこかへ行こうと決心します。そして、目をつぶり地図の一点をさした先がフィンランドだったわけです。 <マサコさんのこと> 彼女は、病弱で資産家の両親の面倒を見るということで、高校を出てからずっと家事手伝いをしてきました。そのため、50になっても独身であり、仕事も一切していない 、全くの世間知らずのお嬢さんです。両親もなくなり、これからはのんびりと余生を楽しもうとした矢先 、弟が事業に失敗をして、両親の財産をすべて使ってしまいます。そんな身勝手な弟に怒りをぶつける形で、フィンランドに一人旅立ちます。彼女の荷物が乗り継ぎの関係でどこかへ行ってしまいます。映画では最後の方で戻ってきますが、原作では、3日目に戻ってきました。 <原作と映画の違い@> 映画の中では、かもめ食堂の前の店の店主が現れ、美味しいコーヒーの入れ方を伝授します。コーヒーのまん中に穴をあけて、「コピ・ルアック!!」という、おまじないをとなえます。そうすると、あら不思議、ほんとうにコーヒーが美味しくなる。この店主、自分が使っていたコーヒー引き器(?)を黙って取り戻しに来て、泥棒と間違われてしまいます。所が、原作ではこの店主はでてきません。だから、コーヒーの呪文も入れ方の講習もありません。さらに、泥棒は店のお客の友達でサナエさんが得意の合気道で取り押さえ、新聞で話題になり、お客が増えます。 <原作と映画の違いA> 映画の中で、店先でにらみつけるようにしていた中年のおばさんがいました。強いお酒を飲んで、店でぶっ倒れて、みんなで家までかつぎます。彼女は浮気をしてでていった亭主を恨んで、すさんだ生活をしていましたが、のろいのわら人形を使うことで、亭主が帰ってきたことになっていました。でも、原作ではサナエさん達のいる、かもめ食堂に通うことで、心を積極的にすることができるようになり、子犬を飼い、仕事にも行って以前と同じ生活に戻ります。ただ、亭主は帰ってきていません(笑)。 <原作と映画の違いB> マサコさんは、森に行ってキノコを一杯採ってくるけどそれをどこかへ忘れてきます。原作では、森に行ってキノコを採ってきて、少しだけ食べて口の周りがしびれます。 |