最後の終わり方は、賛否両論でしょうね。喬子を捕まえて、事件の全容を聞きたい気がします。もっとも作者としては、事件の全容は本間を通じて話してある、後は読者が想像してくれと、言っている気もします。
人物としては、本間の息子である智が良いですね。本間を陰で支えている感じがよく出ていました。ある意味では、小学生離れした、子供らしくない子供でもあります。それと、本多保の妻(郁美)は賢くて、夫を愛していることがよくわかります。幼なじみの女性を捜すという、何とも複雑な女心をうまく消化していました。
戸籍という制度は日本だけ(確認はしていないけど、そう聞きました。)のものだそうです。これがない外国では、重婚がはびこっているそうで、映画や小説にもよく登場します。でも、戸籍のある日本ではそれはあり得ないそうです。そういえば、日本では重婚はなじみがないですね。
「 火車」では、新城喬子が関根彰子の戸籍を乗っ取ることが主題ですが、小説にあるようにものすごく難しいことです。これで、いろいろな人が苦しんでいます、「命」の柳美里などの在日韓国人などもそうです。でも、逆をいえば日本に住んでいる普通の日本人は厚遇されていることにもなります。外国で暮らしたことのない私たちにとって、どのくらい保護されているかの実感はないのですが、いくつもの法律によって守られています。それは、その恩恵が受けられなくなった時にわかるのでしょう。
喬子が、人生をやり直すために他人になる(戸籍を改ざんする)ことを決意し、それを実行するために、殺人を犯す。そこまで彼女をさせたのは、取り立て屋につきまとわれて過ごした辛い経験からでしょう。彼女に何人も恋人がいますが、彼らは心底彼女に惚れて、信頼仕切っています。彼らをだますほどのしたたかさを彼女は本来持っていたのでしょうか?いやそれは、取り立て屋から逃げるうちに身につけたものでしょう、悲しいことです。
借金の中でも、人の借金のために苦しむ人は、本当に納得できないと思います。彼女は父親の借金ですし、よく世間では連帯保証人になって、借金に苦しんでいる人がいます。私は、平成元年に3000万近いローンを組みましたが、それを理由に保証人は全て断っています。私の場合はローンをうまく使ったわけです。他人の借金に泣かされないように気をつけてください。
「借金をすれば返すのが当たり前」これは私もその通りだと思います。いくら、サラ金業者が悪くても、一番最初は自分の意志で借りているのですから、責任は取らなければなりません。問題は、関係ないのにその巻き添えを食う人ですね。借金の保証人だけは、いくら人が良いといっても、心を鬼にして断らなければなりません。もっとも、断れない義理のあるところにそう言う話をもってくるものですが…。そうなると、保証人の話を持ってくる人に責任がありますね。
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