小池真理子(2)

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小池真理子(2) 

 3年くらい前には、小池真理子に一時はまっていましたが、
それは、彼女の「月狂ひ」(文庫本では浪漫的恋愛)に感動したからです。
その後、直木賞を取った「恋」「蜜月」「狂王の庭」「瑠璃の海」
などの長編を読んで、「天の刻」「神無月の墓」「夜の寝覚め」
などの短編を読みました。
「月狂ひ」は別にして、彼女は短編の方が私は好きです。


 小池真理子は、恋する女性の心理、
それも中年の女性の心理描写が巧みだと思います。
そして、彼女の描く女性は、恋愛感情に揺れ、
翻弄されるけど、芯は強いですよね。
表面的な強さを見せる男より、遙かに強い女性を描いています。

 
 彼女のご主人は同じく直木賞作家の藤田宜永(よしなが)です。
彼はそのことを知らずに、「愛の領分」(直木賞受賞作)
を読んで良かったので、「流砂」「邪恋」と3冊読みました。

 藤田宜永と小池真理子は作風が全く違いますね。
小池真理子の繊細で柔らかい、流れるようなタッチに比べて、
藤田はごつごつとした荒さを感じます。
どこか男の頑固さ、ぎこちなさ
(ちょうど高倉健のような男っぽさ)を感じさせます。
ストーリーの展開も遅く、イライラさせられます。
男の恋愛(恋愛慣れしていない普通の男)とはこんなもので、
結構シャイなんです。

 表面的に弱く見える女性の芯の強さを小池が、
逆に強く見える男性の弱さを藤田がうまく描いています。
藤田の作品が<緊張感がなく面白くない>と感じるのは、
ストーリーの展開が遅くて、変化に富んでいないからだと思います。
彼の小説を読みながら<もっと、早く進めよ>心の中で何度も叫んでいます。
でも、現実の恋愛とはそんなもの、それを彼は忠実に描いているから、
面白くはないんだと思います。

 「恋」は、女子大生の布美子が自分の大学の先生と
その奥さんに惚れて、微妙な三角関係を描いた作品です。
 『恋』は、書き出しがなかなかユニークでした。
主人公の葬式の場面から始まり、
それも秘密めいた殺人を犯したとなれば、
どんな秘密かと誰でも食いついて来ます。
小池真理子は最初の導入がうまい作家なのかも知れません。
読者を引きつけるには最初が大事だからね。

 「蜜月」は、天才画家、辻堂環がかつて愛した六人の女性のお話です。
環の訃報を知り、それぞれが環との恋を回想します。
 蜜月の最終章に、環自身の口から、
才能を持った人間の苦しみみたいなものが吐露されました。
感受性が豊かで、才能があふれる人間は、傷つきやすく疲れるのでしょう。
私などは、才能のかけらもないからかえって
気楽に生きられるのかも知れません。


 「狂王の庭」は、夫のある身で、妹の婚約者となる男と恋仲になり苦しむ女性の物語。

 「瑠璃の海」は、バス事故で夫を失った女性と、娘を失った男との大人の恋。
 この題名の瑠璃の海は、平戸にある「大バエ断崖」です。

 「天の刻(とき)」は、6つの短編すべてが、中年の不倫を扱ったもので、
男女の機微、特に女性の気持ちがうまく表現されていました。

 その中に「墜ちていく」という作品がありました。
46歳の奈津子が夫の親友野口(50歳)と不倫をする物語です。
そこで「淪落(りんらく)」という言葉を初めて知りました。
意味は「堕落」と同じだそうですが、
作中の人物は堕落より色気があると言っていました。

 何も家庭に不満があるわけでもないのに、
いや逆に幸せであるからこそ、墜ちていきたい、
汚れて行きたいという心理が働く、
墜ちて、徹底的に墜ちて行きたい。
それを不倫によって実現しようと奈津子は考えます。
墜ちていくときの感覚は、セックスの絶頂感にも似ているし、
死の恐怖にもいているのかもしれません。
幸せだからこそ、不幸せな自分を見てみたい。
この矛盾する行動が、人間なんでしょう。
とにかく、人間の行動は不条理です。

 もう一つ、その中にあった作品「無心な果実」は、
主人公の独身で44歳になる多美の恋愛の話です。
多美は独身だけど、男の関係がとぎれたことがない生活をしていた。
ある男を好きになると、全身全霊で愛し、
その男のことしか考えず、その男にあわせて生きていた。
でも、その男に飽きるとなぜか甘い果物が食べたくなる。
スイカであったり、枇杷であったりする。
それが、彼女のサインであった。

 多美は男から解放されると、太ることも化粧も服装も何も気にせずに、
自由に生きることを楽しんだ。
仕事以外の時間はすべて自分で使える生活が楽しくて仕方がない。
でも、ある日を境にして、好きな男ができると、
その男を中心にした生活をする。これの繰り返しでここまで来た。

 「夜の寝覚め」という短編集の中に、「雪の残り香」ありました。
そこで、主人公の響子が出会いについて語った言葉があります。
 <縁(えにし)が全てを決めるのです。
縁がない人とは一生何をしたって出会うことはないのだし、
その逆に縁のある人とは、どう抗おうとも出会ってしまう。>

 小説を読んでいていつも感じるんですが、
小説家の人はどうしてこんなにいろいろな知識を持っているんだろう。
本当に幅広くそしてある部分では深い知識を持っている。
それらをどのように取得しているのか、一度見てみたいものです。
まさか、百科事典を横に置いて小説を書いているわけではないから、
集めた知識を自分の中に入れ、それを消化して書いているのでしょう。
自分が体験したものでなければ書けないなら、
殺人や強盗は書けません。
どこかで知識を集合させて、
自分の体験に近い状態に昇華をさせるのでしょう。
  

 

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