宮沢賢治

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 私は趣味で<現代詩>の講座を受講していたことがあります。その日の現代詩は、

宮沢賢治の<雨にも負けず>が取り上げられ、この詩の真の意味を教えていただきました。

 この詩はあまりにも有名で、日本人なら知らない人はいないほどのものです。こんな理想的な人間になりなさいと言う、道徳の見本のような人物像です。これが

宮沢賢治その人だと私は思っていたのですが、講義を聴いてそれが間違いであったことが分かりました。

 

 詩の最後<そういうものに わたしは なりたい>という部分が重要で、ほとんどの人がこのことを忘れている。実際に彼はこういう人物になりたいと強く願っていたけど、実際はそうではなかったことが分かりました。この詩は死ぬ2年前の11月3日に病床で書かれた日記だそうです。

 

 彼は<自分は農民である>と宣言しているように、仲間という意識で、農民の生活向上や農地の改良のために『羅須地人協会』を作ります。でも、彼の考え方は保守的な農民に受け入れられず、大きな挫折と共にこの会を閉じます。理想に燃えて修羅のごとく農民のために働いてきたけど、農民には受け入れてもらえなかった。自分の人生は何だったんだろう?その時彼は社会をなげき、農民を恨んで、重い病気にかかります。その絶望感の中で、自分のなせなかった理想をこの詩に読んだものだと思います。

 

「雨ニモマケズ」

 

雨にも負けず

風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫なからだをもち

慾はなく

決して怒らず

いつも静かに笑っている

 

一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを

自分を勘定に入れずに

よく見聞きし分かり

そして忘れず

 

野原の松の林の陰の

小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば

行って看病してやり

西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば

行ってこわがらなくてもいいといい

北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し

寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにでくのぼーと呼ばれ

褒められもせず

苦にもされず

そういうものに

わたしは

なりたい

  

 

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