新美南吉

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 ごんぎつねのラストシーンは悲しいです。私は、手袋買いにとか、おじいさんのランプなども好きです。半田には

新美南吉記念館があり、なかなかユニークな形の建物です。流線型をした外観が、南吉のイメージする野原を現しているようです。平成7年に、半田市都市景観賞というイベントがあり、その審査員を勤めたことがあります。その時、この建物が賞に入ったわけですが、その受賞のコメントを頼まれ、あわてて彼の作品を読みました。実はそれまで、半田に住んでいながら、彼の作品は読んだことがありませんでした。そもそも私の好むジャンルとかけ離れていたからです。でも、その時読んだ感想は、心温まりやさしい気持ちにさせてくれました。記念館には、彼に関するものが展示され、小さな街の記念館としては、賑わっています。

 

 ごんぎつね、久しぶりに読みました。ごんは、兵十がせっかく取ったウナギをいたずらで逃がしてしまう。それが、兵十のお母さんを死なせて原因だと知り、深く反省する。何とか、兵十に罪滅ぼしをしようと、くりや松茸を兵十に黙って家に置いていくようになった。それとは知らぬ兵十は、家にいるごんを見つけた時、またいたずらに来たと勘違いし、殺してしまう。その後で、栗や松茸を運んでいたのが、ごんだと分かる。善意がうまく伝わらず、死んだ後に分かる。その空しさが、取り残されたような胸の痛みをあたえたのかな?と、私は思いました。

 

 南吉記念館は、私には格別の思い入れがあります。前にも書きましたが、平成7年に半田市の建築士会が主催した、半田市ふるさと景観賞がありました。その関係で審査員を仰せつかりました。私を入れて5人ですが、大学の教授や助教授、有名な写真家ということで、場違いな感じも受けましたが、それなりに頑張りました。その時は10点半田市の景観を良くしている作品が選ばれました。(市民からの応募を受けて審査員で決定する)

 

 審査員の最後の仕事として、受賞作品のパンフレットにのせる紹介文を、審査委員5人が2つずつ分担することになり、私は南吉記念館と紺屋海道を書くことになりました。その関係で、記念館には何度も足を運び、彼の作品も読みました。私は個人的にはごんぎつねより、「手袋を買いに」の方が好きです。その時に書いた文書を載せておきます。

 

 

新美南吉記念館は、半田市が市政55周年記念事業として、全国的レベルでの公開設計競技を行い、421点に上る多数の応募の中から選ばれたものです。斬新で岩滑の景観を配慮したこの記念館は、平成6年6月5日にオープンしました。来館者は当初の予想をはるかに超え、現在(平成7年9月)までに15万人を数えています。

 半田市が生んだ童話作家

新美南吉は、29歳という短い人生の中で、「ごん狐」、「手袋を買いに」等、数多くの作品を残しました。この建物は、その南吉の世界を建築的にイメージしたものです。例えば『やさしさ』、特に子供や動物、弱者に対するやさしさは、6つの部分からなる建物を、見る者に威圧感を与えないように、なだらかな曲線で表現しています。また南吉の愛した『自然』は、そこに建物があることさえ気づかれないように、建物を半分地下に埋め、さらに屋根に芝生を植えることによって表現しています。さらに病気と闘いながら、不屈の精神力で創作活動を行った、南吉の内面的な『強さ』は、外壁に打放しコンクリートを使い、その素朴な力強い存在感で表現しています。 

 南吉は県立半田中学三年の時、『今から何百、何千年後でも、もし余の作品が認められるなら、余はそこに再び生きることができる。』と日記に書いています。まさに今、南吉の全国的な評価の高まりと共に、この記念館が建設されたことは、新しい姿で南吉が甦ったことであり、彼の言葉と合わせて考えると、非常に意味深いことだと思います。

 

 彼岸花から<ごんぎつね>が連想されます。私の住んでいる半田市は、

新美南吉の生誕の地です。私は休みの日によく半田市立図書館に行くのですが、今日その帰りに彼岸花を見て来ました。半田に新美南吉記念館があることは、知っていますか?そのすぐそばに矢勝川という小さな川が流れているのですが、その川辺に彼岸花が何万本と植えられた場所があるんです。今日は土曜日ですし、彼岸花の見頃でもあったので、南吉記念館の駐車場も満員でした。人もたくさん出ていましたが、その中を一人でしばらくの間散歩をしました。彼岸花の群生は、真っ赤な絨毯を敷き詰めたような鮮やかさでした。

  

 

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