裕福な歯科医の息子として生まれた主人公田島和幸。滑り出しは順調だったけど、気がつくと次から次へと災いが起こってくる。そして、そこには友人倉持修の影が……。いつしか和幸の人生の目的は、倉持修を殺すことになっていく。でも、後一歩の所で、「 殺人の門」を超える踏ん切りがつかない。彼は倉持修を殺すことができるのか?
人が殺人を犯すには、その人を殺したいという動機だけではだめである。それは、「 殺人の門」の手前に来ただけであって、それをくぐるにはその時の状況が大きく影響する。殺人という行動を起こすためのきっかけ、つまり興奮状態とか激しい怒りが必要である。
一線を越えることは、至難の業だ。だから人は一線を越えることを熱望する。しかし、逆説的だが、超えよう超えようと意識している時には超えられないものだ。超えられる時には、そんなことは考えずに自然に超えている。一線という意識すらない、そういうものだ。その説からしても、彼は「 殺人の門」を超える事ができる人間ではなかった。
どうして気づかいの?今度も倉持にだまされるにきまっている。やっぱりだまされた(笑)。その繰り返し、でも、それがわかっていてもどんどん引きつけるものがある。
実際に被害にあった人には気の毒だが、<ネズミ講>や<金の売買>のだましのテクニックは面白い。人間の心理<うまい話はない>の裏腹に、<うまい話もあるはず、きっと自分だけには>という心理をうまく使っている。老人などの弱者をだますのは腹が立つが、金持ちや悪人相手だと、痛快に感じてしまう。人を信用することの怖さ、相手がある目的を持って信用させようとしてくると、ひとたまりもない。ほとんどの人が、そんなことをするはずがないと思っているから……。それゆえ効果的かもしれない。この小説は計画的に人をだますことが随所に出てくる。というより、すべてそうであったわけだ。
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