< 世界の中心で愛をさけぶ>(片山恭一)を日曜日に一気に読んでしまいました。<正真正銘の純愛>若い二人の特権みたいな純愛物語でした。読んでみて、ベストセラーになる意味がわかった気がします。最近の韓国ドラマブームと同じで、日本の女性は<純愛>を求めているわけです。中学2年から高校2年までの、同級生である朔太郎とアキの恋愛。幼いけど、相手を思う気持ちは誰にも負けない。そういえば、自分もあの頃は、純粋に人を愛し、その人がいれば後は何もいらない、そんな純な気持ちでした。なつかしい青春時代を思いださせてくれた作品でした。本当に好きな二人が、それも若い二人が、相手の死によって引き離されて行く、その辛さが読む者の涙を誘います。私もつい涙をこぼしてしましました。また、彼女が死んだことの実感がつかめず、その間の精神的な葛藤、死後の世界観、死を受け入れるまでの経過が愛の深さを実感させます。悲しくて辛い物語だったけど、最後の章があって救われました。人はどんなに深い悲しみでも、時間という良薬によって癒される、そんな証明みたいなラストでした。心の中では永遠に残っても、現実の生活では他の人を愛し結婚をしていく、人間とは強い生き物です。
原作にはない設定を脚本家がつくりだし、その広がりが凄く良いと思います。あの小説は短かったからベストセラーになったと思います。それは、余分なものを全てそぎ落とし、二人の純愛だけにしぼったことが、わかりやすく読者に受けたためと私は思っています。ドラマにするにあたり、小説に書かれていない部分をイメージすると、きっとあんな感じになるのでしょう、十分納得できます。
そして役者もその役柄にぴったしですよね。主人公の山田孝之、綾瀬はるかは両方とも初めて見ました。さくは男の純情がよく出ているし、アキはさくのことを思いながら、その純真さをからかっている所がほほえましいです。
自分の高校生の頃を思い出し、恋愛になれていない自分、でも相手を思う気持ちは一杯一杯だった自分は、彼女から見たら、あんな風に滑稽だったんだろうと想像し赤面しています。
本の中に、面白い記述がありましたので、紹介します。 『竹取物語』 月の使者から姫を守るために、帝は翁の屋敷のまわりを兵でかためる。しかし姫は連れ去られてしまう。あとに残されたのは、帝への手紙と不死の薬。だが帝は、姫のいない世界でいつまでも生きていたいとは思わない。そこで彼は薬を、月にもっとも近い山の頂で焼くように命ずる。富士の名の由来である。
また、本の中で人を愛することの定義みたいなものがのっていました。私の考えと一緒だったから紹介します。 「表面的にいくらきれいごとを言っても、ほとんどの人は自分だけよければ良いと思って生きているわけだろう」ぼくはつづけた。「自分だけ美味しいものが食べられればいい、自分だけ欲しいものが買えればいい。でも、人を好きになるってことは、自分より相手のことが大切だと思うことだ。もし食べるものが少ししかなければ、ぼくは自分のぶんをアキにあげたいと思うよ。アキが美味しいと思えば、ぼくのお腹は満たされるし、アキが嬉しいとことは、ぼくが嬉しいことなんだ。それが人を好きになるってことだよ。」
ドラマは、原作にはない設定を脚本家がつくりだし、その広がりが凄く良いと思います。あの小説は短かったからベストセラーになったと思います。それは、余分なものを全てそぎ落とし、二人の純愛だけにしぼったことが、わかりやすく読者に受けたためと私は思っています。ドラマにするにあたり、小説に書かれていない部分をイメージすると、きっとあんな感じになるのでしょう、十分納得できます。
そして役者もその役柄にぴったしですよね。主人公の山田孝之、綾瀬はるかは両方とも初めて見ましたが、朔は男の純情がよく出ているし、アキは朔のことを思いながら、その純真さをからかっている所がほほえましいです。
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