<あらすじ> 医者である克彦は、平凡な家庭に育ったが、小学校から大学の医学部まで常にトップクラスの成績を上げ順調にここまで来た。挫折を知らない彼は、何事も論理(学問)で片づけられると思いこんでいた。常に勉強をしてきたので、恋愛経験が少なく、女性の気持ちを理解していなかった。ただ、本人は理論的には理解しているつもりでいた。
彼は、資産家の娘月子と結婚する。ただこの結婚は、彼にとっては資産家である美人の妻を娶るということ、彼女にとっては、医者や学歴という夫の肩書きが得られるという、やや打算的で、純粋な愛とはやや違う形であった。
でも、克彦は美人で聡明な月子を心から愛し、欲望のままにセックスを求めるが、月子はいろいろな言い訳をしてそれを拒み、ついには寝室を別々にしてしまった。結婚すれば妻とセックスするのは当たり前だと考えている彼は、この妻の態度に納得がいかない。これではなんのために結婚したかわからない。何とか、妻をセックスに対して従順にしたいと真剣に考えるようになった。
考えあぐねた彼は、イギリス留学中に知り合った男から、『女性をシャトーに幽閉し調教する組織』があることを知り、その組織に月子を委ねる覚悟を決める。それは、誘拐に見せかけて月子を拉致し、深い森のシャトーに幽閉し、セックスの調教をするというものであった。ただ、それには莫大な費用がかかるのだが、その費用は王朝貴族を思わせるような豪華な食事や環境の中で、多くの人の手で調教をされるからだった。
夫婦でフランス旅行をしている時に、それは実行された。深い森の中で突然暴漢に襲われたように見せかけて、月子は何者かに連れ去られた。心配して月子の両親がフランスに来るが、克彦は芝居をして何とか切り抜ける。月子は身代金目的の誘拐だから、お金さえ出せば無事に帰ってくると、義父を説得し、身代金を出させることに成功する。実はこのお金は、『シャトー・ルージュ』で性の調教を受ける月子の費用に充てるものだった。
彼は、月子がどのようにシャトーで調教を受けているのか、心配と興味で張り裂けんばかりであった。そこで、無理にお願いをして、シャトーの隠れ部屋から、調教をされる月子を覗き見させてもらった。そこには、驚くシーンが展開される。自分とのセックスをあれほど嫌い、何の反応も示さなかった彼女が、男達に徐々に調教され、女の喜びを感じて行くのだった。見も知らぬ男達によって、性の喜びを感じている月子を見て、克彦は女性でも『愛はなくても行為だけで感じることができるのか』と、月子のあまりの変貌に驚き、自分は果たして月子を満足させることができるのかと自信をなくするのだった。
クリスマスイブの前の晩、月子は解放された。幽閉されて75日間の間に、月子の性の調教は順調に終わった。この日を指折り数えて待っていた克彦は、月子を暖かく迎えるが、それに反して月子は以前にも増してよそよそしい。セックスについても、以前と同じでなかなか許してくれない。これでは、なんのために危険な目をして、月子を調教してもらったかわからない。何とかしなければと焦れば焦るほど、セックスはうまくいかず、月子を満足させることができない。そして、いつしか寝室も別々になってしまった。
そんなある日、月子から『抱いてほしい』と言われ、自分の耳を疑いながらも、自信を持って月子に接することができた。そして、初めて月子を満足させることができたと、確信した。しかし、その後意外な行動に月子はでた。
次の日、月子は一人フランスへ旅立った。簡単なメモには自分を捜さないでほしいと書いてあった。
一刻も早くフランスへ行こうと焦る克彦の所に、フランスの月子からメールが届いた。そこには、結婚した時から好きではなかった。結婚したのは、理想のカップルだと周りから乗せられて結婚し、結婚さえすればなんとなると、軽く考えていたが、結局好きになれなかったと書いてあった。
そして、好きになれなかった理由は、『万事に理詰めで論理が先行するあなたに対して、感覚的で感性が優先する人間の私では、水と油であったこと。』『常にエリートであったあなたは、プライドが高く、自分を惨めな、情けない状態に自分を置くことができない人であったこと』とあった。
あなたとのセックスが嫌いになったのは、『女心を理解できず、自己中心的で、女は黙って男に従えばいい、といった状態が感じられたこと。』であり、さらに、『男が結婚するのは、いつでも好きなときにセックスできる相手を確保するためだ』この言葉で完全にセックスに興味をなくしてしまったと書かれていた。
さらに、シャトウにいるときから、あなたはあの人達と通じ合っているのではないか?と考えていたこと。でも、それはもうどうでも良いこと、あんな素晴らしい体験ができたことを、今では感謝しているのだから……。
あのシャトウの体験で、それ以前の自分とは全く別人になった。もう2度とあなたの元には返らない、だから、離婚して欲しい。そして、これからは『異常だけど正常な、反道徳的だけど自然な』シャトーでの生活をしていきます。それは、『上辺だけ繕った生活をして、私の欲望を殺したくない』からです。そして、最後の夜は、こんな自分を賢明に愛してくれたあなたへの、せめてもの罪滅ぼしでしたと書かれていた。 ***********
この本を読んで感じたことは、シャトーの調教で月子のセックスは確かに変わったが、肝心の克彦に対する愛は変わらなかったということです。セックスの喜びの前提に愛があるとすれば、その前提の愛が変わらなかったことが、克彦が敗北に終わった原因です。彼は、高い金と犯罪を犯すというリスクを背負いながら、全く検討違いのことをしていたわけです。それどころか月子を失うわけですから、最悪の事態を招いてしまったわけです。自業自得と言えばそれまでですが……。
彼は、セックスがうまくいかない原因を自分が愛されていない(愛されるにふさわしくない)と考えることができませんでした。それは、彼が常にエリートで挫折を知らなかったから、そしてプライドが高かったから、自分が愛されないわけがないと、過信していました。この彼の生い立ち、人となりが原因です。
月子が言っているように、恋愛経験が少ないから、女性の気持ちが理解できない。これも多少はあるでしょう。でも、恋愛経験が少なくても女性の気持ちを理解できる人はいます。女性と言うより、人間といい変えた方が良いかも知れませんが、相手を思いやり、相手の気持ちになれるやさしさが、克彦にはなかったのでしょう。それは、彼が自分の得意な学問で全てが解決できると考えていたからです。勉強という理屈の上だけで女性を理解しようとしたことに、最も大きな原因があります。
人間は感性の生き物です。理性で割り切れないから面白いのです。その典型的なものが恋愛関係、男と女の関係かも知れません。
最初私は、この小説の題名に惹かれました。『シャトー・ルージュ』と言う言葉と、調教という言葉から、連想したものは、『O嬢の物語』のような淫靡な世界でした。でも、それはヨーロッパという伝統的な性の様式美がある世界でのこと、それを日本の作家がどう描くが興味があり、この本を読もうとしました。
ドレサージュというフランス語を使っても、女性に『性の調教』をするという、女性蔑視には違いありません。この調教という考え方は、潜在的に男が持っている隠れた願望なのかも知れません。それを 渡辺淳一が小説にしました。
結果的には男(克彦)が女(月子)に負ける形になりました。月子はもしシャトーの生活がなければ、豪華でエリートな夫婦生活を送ることができたでしょう。でも、それは上辺だけの仮面夫婦で、自分を偽って生きて行ったでしょう。それが幸せであったかどうかは、私の関知するところではありません。でも、少なくとも本当の幸せではないと思います。
月子にとって、シャトーの生活が、今までの生活が嘘の幸せであることを気づかせます。そして、ほんとうの幸せを求めるために、思い切った行動にでます。この行動力が彼女の将来を暗示しています。いつまでもシャトーに暮らせるわけではないけど、次にやるべき行動力を彼女は持ちました。だから、大丈夫でしょう。
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