天の刻

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天の刻  小池真理子

 小池真理子の「

天の刻(とき)」を読み終えました。6つの短編すべてが、中年の不倫を扱ったもので、男女の機微、特に女性の気持ちがうまく表現されていて勉強になりました。それぞれに特徴があり、良かったです。小池真理子は短編もうまいですね。その中の作品「無心な果実」は、主人公の独身で44歳になる多美の恋愛の話です。多美は独身だけど、男の関係がとぎれたことがない生活をしていた。ある男を好きになると、全身全霊で愛し、その男のことしか考えず、その男にあわせて生きていた。でも、その男に飽きるとなぜか甘い果物が食べたくなる。スイカであったり、枇杷であったりする。それが、彼女のサインであった。

 多美は男から解放されると、太ることも化粧も服装も何も気にせずに、自由に生きることを楽しんだ。仕事以外の時間はすべて自分で使える生活が楽しくて仕方がない。でも、ある日を境にして、好きな男ができると、その男を中心にした生活をする。これの繰り返しでここまで来た。

 

 「淪落(りんらく)」という言葉を聞いたことがありますか?小池真理子の「

天の刻(とき)」の中に「墜ちていく」という作品がありました。46歳の奈津子が夫の親友、野口(50歳)と不倫をする物語です。そこで「淪落(りんらく)」という言葉を私は初めて知りました。意味は「堕落」と同じだそうですが、作中の人物は堕落より品があると言っていました。

 何も家庭に不満があるわけでもないのに、いや逆に幸せであるからこそ、墜ちていきたい、汚れて行きたいという心理が働く。墜ちて、墜ちて徹底的に堕落したい。それを不倫によって実現しようと奈津子は考えます。墜ちていくときの感覚は、セックスの絶頂感にも似ているし、死へのあこがれにも似ているのかもしれません。今が幸せだからこそ、不幸せな自分を見てみたい。この矛盾する行動が、人間なんでしょう。とにかく、人間の行動は不条理です。

  

 

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