月狂ひは面白いですよ。千津の不倫と千津の母親の不倫、さらに葛城瑞穂の小説内小説の不倫が重層的に描かれて、何とも幻想的で甘美、そして悲しい物語に仕上がっています。
私は従来女性は弱いものだと思っていましたが、この小説の千津を見て、女性は強い。本当に弱いのは男ではないかと知らされました。
葛城瑞穂の小説内小説が幻想的で物語に深みを与えています。この小説は読み始めから、主人公の柊介を自分に重ねて読んでいました。年齢もよく似ていますし、建築設計事務所の所長という、仕事も自分に近い環境です。出会いは突然やってきます。二人の出会いもいくつかの偶然が重なりました。出会いとはそんなものなんでしょう。そして、いろいろな出会いの方法があります。出会った方法が問題ではなくて、出会った人が自分にとってどうであったかが問題です。
世の中には、運命的な出会いがあるものです。人は初めから不倫をしようとして、するわけではなく、好きになってどうしようもない状況から、不倫という選択をします。彼らもそうでした。既婚者であっても、恋愛をし、人を好きになっていけないわけではありません。ただ、それによって人を傷つけないようにする義務があります。彼らはその義務を果たせなかったから、破局が訪れます。二人は愛に夢中になり、細心の注意をするという、意識を忘れ、大胆になりすぎました。
きっと柊介は、最終的には離婚をして千津と結婚すればいいと思っていたのでしょう。だから、心のどこかで奥さんにわかってもいい、いやわかった方が良いと考えていたのかもしれません。それは、二人の逢い方を見ているとわかります。あれではどんな鈍感な奥さんでもわかってしまいます。でも、千津はそう考えていなかった、その考え方の違いが悲劇です。
私は、千津の考え方に近いです。本当に好きな人ができて不倫の関係になったら、一時の激情(逢いたいという気持ち)を我慢して、冷静にならなければだめだと思います。その場の欲求を満足させるために、完全に逢えなくなり、二人が別れることは愚の骨頂です。
葛城瑞穂の ”月狂ひ”の2人は心中をします。不倫をした初めからそうする覚悟を決めている。潔いとしか言えません。あの時代のなせるわざでしょうか?
そして、千津の母の不倫と自殺。千津は柊介との恋がハッピーエンドで成就するとは思っていなかった。だからこそ、奇跡にかけて見た。一年という空白をおいて、それでも熱く燃えるものがあれば本物の愛だと‥‥。だから、結末は予想した通りだった。
あの時に別れたら死ぬほどの苦しみを感じたのに、一年の空白が2人の恋の終わりを淡々としたものにさせた。瑞穂の小説や母の恋の結末が悲劇だったのに比べて、不倫としては、素敵な終わり方だった気がする。この終わり方によって良い思い出になります。
女性の多くが千津のような臭いを持っているのは、妻や母として見られるばかりでなく、女として見られたい。認められたいという願望があるからでしょうか?それなら、男も同じです。それが既婚者の恋愛(不倫)の根底にある心理でしょう。
|