アイス・ストーム

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アイス・ストーム(氷の嵐)   平成12年7月22日ビデオ
監督:アン・リー        原作:リック・ムーディ
脚本:ジェームズ・シェイマス 音楽:マイケル・ドナ
(フッド家)  
父 ベン・フッド…… ケビン・クライン
母 エレナ……ジョアン・アレン
兄 ポール……トビー・マグァイア  
妹 ウェンディ……クリスティーナ・リッチ
(カーヴァー家)
父 ジム・カーヴァー……ジェミー・シェリダン
母 ジェイニー…… シガーニー・ウィーバー
兄 マイキー……イライジャ・ウッド
弟 サンディ……アダム・ハン=バード

 

あらすじ

 1970年代(ニクソンのウォーターゲート事件の頃)のコネティカット州郊外に住むフッド家とカーパー家を舞台に、2組の中流家庭の崩れゆくさまを描いた。エリートで、高級住宅街住み、ともに二人の子供に恵まれた家庭は、見た目には理想的で幸福な家庭に見えた。しかし、見た目とは裏腹に、一人一人は今の生活に満足できず、空しさを感じていた。その虚無感を埋めるために、大人達は不倫に走り、子供達は性の衝動に身を任せていた。この嘘で固めた家族の絆も、不倫が発覚することで大きく揺らぐことになる。最後は、すべてを凍らしてしまう、アイス・ストーム(氷の嵐)の夜、少年が死ぬことによって、自分たちの罪の重さと家族の絆の大切さを知らせる。

  フッド家の父ベンは、隣の家の奥さんと不倫の関係にある。娘や息子の行動には関心があるが、ほとんど理解していない。それどころか、自分の不倫を棚に上げて、娘のふしだらな行為をとがめる。ある日、別の臭いを妻に指摘され、妻が気が付いているのではないかとの疑問を不倫相手のジェイニーに相談をする。そのことが原因でジェイニーはベンと分かれる。

 フッド家の母エレナ(ジョアン・アレンはカラーオブハートの母親役で好演)は、夫の不倫を知り、それが隣の奥さんであったことにショックを受ける。夫への不信と、でも家庭は壊したくないとの葛藤の中で、万引きをしたり、夫に当たったり、どうしようもない虚無感の中をなんとか暮らしている。

 フッド家の長男ポール(トビー・マグァイア)は、この映画のナレーション役兼進行役のような役割を担っている。高校2年生で名門の私学に寄宿している。親友とたまにマリファナを吸ったりするが、勉強が出来る知的な青年である。かれは、女の子に非常に興味があるが、いつも兄貴のような存在と言われ、まだ経験がない。そのため、セックスに強くあこがれている。

 フッド家の長女ウェンディ(クリスティーナ・リッチ)は、123歳ぐらいで、ニクソンやベトナム反戦を論じる生意気で、何でも社会や親の言うことに異議を唱えたい、反抗期の娘である。しかし、家庭の秩序を乱すことは好まず、父親から食事のお祈りをするように言われればするし、ブラスバンドのトロンボーンを家族の前で吹いたりする。彼女は、性への好奇心が旺盛である。隣のマイキー(イライジャ・ウッド)と恋人のようなつきあいをし、セックスのまねごとをしたりしている。しかし、弟のサンディ(アダム・ハン=バード)が彼女の事が好きだとわかると、積極的に弟を誘惑する。

 カーヴァー家の父ジム(ジェミー・シェリダン)は、会社人間、仕事人間であまり家庭を顧みない。そのため、子どもたちから出張に行っていたことも知らないと言われる始末。妻とは、はるか以前に心が離れ、今では形だけの夫婦である。この家族は、家族団らんというものがほとんどないのではないか?夫婦だけでなく家庭も形だけである。

 カーヴァー家の母ジェイニー( シガーニー・ウィーバー)は、夫が仕事にかまけて自分を顧みない空しさを浮気で埋めていた。隣のベンの前にも、後にも浮気はしているだろう。彼女の魅力からいけばいくらでも相手はいるが、決してそれでは彼女の空虚さは埋まらない。そのことを彼女は一番知っていると思う。彼女のここらが完全に夫から離れ、修復は無理だし、子どもたちにもあまり関心がない。離婚しかないだろう。

 カーヴァー家の長男マイキー(イライジャ・ウッド)は、ウェンディが好きであり、何とかセックスをしたいと思っているが、なかなかうまくいかない。彼女は彼よりはるかに大人であり、その彼女にいいように扱われている。どちらかというと、弟の方が画面では紹介され、彼の人物像はほとんど紹介されていない。最後に、アイスストームの中で死ぬが、彼の死はこの家族にとって何を残したのだろうか?

カーヴァー家の次男サンディ(アダム・ハン=バード)は、母親に愛されない空しさを模型の飛行機を爆破するなどの危険な遊びで紛らわせていた。また、兄の恋人ウェンディをいけないと思いながら、好きであるという気持ちを隠すことが出来なかった。ウェンディから、誘惑されて、ままごと遊びみたいな性を体験するが、彼にとって彼女は母親の代役なんだろうと思う。

 そして、アイスストームの夜、二つの家族の夫婦はそろって、それぞれの思いを込めて、キーパーティ(車のキーを引いた女性が、そのキーの持ち主である男性と帰るゲーム)に参加する。そして、パーティの最後、皮肉にもエレナは隣の主人ジムのキーを引いてしまう。エレナは衝動的にジムと関係を持つが、その空しさの中から、夫ベンへの愛を確認する。しかし、大人達のふしだらな楽しみを懲らしめるように、マイキーが嵐の中で死ぬ。

 フッド家の3人が、駅でポールの帰りを迎えるシーンで映画は終わる。フッド家はこの危機を切り抜け、より家族の絆が深まった。しかし、カーヴァー家はどうなるのだろう?後は想像するしかない。

 

 

詳しい筋と感想

◎ ドラマの始まりは、ポール(トビー・マグァイア)が乗っている電車が停電で止まるところから始まる。何故停電で止まるかなどはドラマの最後の方でわかるが、ラストに同じ場面が出てくるので、彼の回想シーンのようなタッチで映画が始まる。

◎ このオープニングで、ポールの話す言葉、『パワーが強ければ互いに傷つけ合う。家族は反物質である。人は家族という虚空から生まれ、死ぬとき虚空に戻る。これは逆説的だ。家族は絆が深ければ深いほど虚空は奥深い。』これが、映画のテーマを言い表している。

◎ 画面は、高校2年生のゼミ形式の授業。10人程度の生徒が先生の講義を聞き、その質問に答える授業形態である。先生が生徒に質問をする。『ドストエフスキーのジレンマはキリスト教と現代社会に関係しているが……』ここで、リベッツ(魅力的な女性である将来が楽しみ)は『キリスト教徒になることは、自らの選択であると彼は言っています。善を行うことは理性が伴うので、人は悪を選ぶ。実存主義です。』と答える。

 このシーンを見て、日本の高校の授業との違いにびっくり、それも1970年代である。20年立っても日本はこのようにならないし、今後しばらくはならないだろう。さらに、高度な授業内容にもびっくりするが、彼女の答えがまたすごい、生半可の知識で答えられる程度のものでない。

 さらに、授業後階段の所でポールが、彼女の気を引くために彼女の意見に賛同をしめしながら、『自分はドストエフスキーのファンである。白痴をよんだ?……地下生活者の手記が好きならばよくわかるよ』という。それに対して、彼女はちんぷんかんぷんな様子であったが、白痴までは何とか、でも地下生活者の手記まで読んだとなると、彼の知的な水準(少なくともドストエフスキーに関しては)は相当なものである。まさに恐るべきアメリカの高校生である。彼女はおそらくまじめな勉強家で、テストにでるような模範解答を知っているだけで、ドストエフスキーの本を読んだわけでも、それほど深く知っているわけではないのだろう。

◎ この部分のドストエフスキーのジレンマがこの映画のテーマの一つになっていると思う。つまり、人は宗教(神)を信ずるかどうかは別にして、自分の良心に照らして、善を常に行いたいと思っている(理性の働き)。しかし、現実に生活をするには、悪を行わざるを得ない。それどころか、悪の方が楽しく、気持ちがいい場合が多い。人間を感情のままに放置しておくと悪を選んでしまう(感性の働き)。この理性と感性の葛藤(ジレンマ)に人は苦しむ。

◎ この映画の中にも宗教的部分はいくつかある。例えば、ベンの妻エレナ(ジョアン・アレン)が、牧師に書籍のフリーマーケットで偶然出合うシーンがある。そこで、牧師が以前我々の集会に来てくれていたのが、最近は来てくれないことを残念がり、さらに、あなたは少なくとも我々の宗教を理解してくれていると思うと話すシーンがある。彼女の揺れる心、今の満たされない気持ちを神によって救われたいという、宗教にあこがれる気持ちと、現実の生活を考え、そこには入っていけないと踏みとどまる。これは、同じジレンマである。もう一度この牧師とは、キーパーティで再会する(随分危ない所に出入りする、きっと既存の宗教ではなく、新興宗教の牧師かもしれない)が、その時、彼女は心を動かされそうになる。あきらめずにもう少し彼女の所にいたら、でも彼女はその時懺悔をしようと思ったのかな?

◎ 白痴といえば、死刑を受ける受刑者の刑場までの心理描写が印象深いが……。主人公のムィシュキン伯爵は、白痴のような純真できれいな心の持ち主である。そのため、女性からは愛されるが、それは恋人としてではなく、兄弟のような愛され方である。

 リベッツの部屋でポールは彼女から同じような事を言われショックを受ける。彼女だけにはと考えていたが、やはりいつものように、恋人しては扱われなかった。

◎ 最初のうち、人間関係がよくわからず、2つの家族の関係を問題にしていることが、わかるまでにしばらく時間がかかった。

 トビー・マグァイア(『サイダー・ハウス・ルール』の演技力も感心)に興味があり、真っ先に彼を探したが、長髪(そういえばあの時代は長髪がはやっていた)のため顔がよくわからなかった。途中彼の声(サイダー・ハウス・ルールで聞いた声)で何とかわかったが、彼のボール役は、地味で人物設定があまりくわしく描かれていない。

 学校は寄宿舎である。おそらく名門の私学高校なんだろう。おそらく週末や何かの記念日には家に帰っている。

 授業で、ドストエフスキーの話があり、そこで発言した素敵な女生徒(名前は?)チャーミングで魅力的な女性である。彼女にすかさずアタックするあたり、積極的な行動派である。彼が、白痴や地下生活者の手記を読んでいたのに驚かされるが、きっと読書カナのだろう。彼は、女性とは、始ははうまくきっかけがつかめるのに、常に自分親友にいい所で彼女を持って行かれてしまい、いつも、欲求不満で終わっている。それは、彼の人柄のせいであり、『あなたは大切な……でも兄貴ののような人』といつも言われ、恋愛対象と見られない。

◎ ポールが、リベッツの家から、満たされない欲求を抱いたまま、それでも最終電車に乗って家に帰るため、嵐の中を急ぎ電車に間一髪飛び乗る。電車には間に合うが、途中嵐で停電し電車が止まってしまう。その間に2つの家族の間に大きな事件が起こっている。

◎ ドビーと彼の親友の区別(同じような髪方)さらに、リッチーの恋人になる兄貴の区別が付きにくい。最初、2人を同じ人物かと思っていた。

◎ トビーの役どころは、初体験をしたくてもなかなかできない、知的な(不良でない)少年の悩み。それでも悪にはなれない。いい子といい人は違う。兄貴のような関係とは、性的な魅力がないことである。寄宿舎にいる彼が、何かの休暇のために家族の元に返ってくる。その帰っている間に家族のひずみが露見する。

◎ ウェンディ(クリスティーナ・リッチ)は実にうまい。そして、存在感がある。彼女がこの映画の主役といってもいいくらいの存在感と演技力を見せていた。特に、隣の兄弟二人をセックスを道具にして、もてあそぶ不思議な少悪魔を演じる時の少女の表情と、時折見せる大人の表情にゾクッとする色気を感じた。

 思春期(1314歳位)の複雑な心理、性へのあこがれや興味をうまく演じていた。自分は兄のマイキー(イライジャ・ウッド)の恋人でありが、その弟サンディ(アダム・ハン=バード)が自分を好きだとわかっている。兄との関係があり、いけないとわかっていても、その興味の方に負けてします。ままごと遊びの延長であり、自分が母親のような存在になり、サンデーを自分の子供のように扱っている。

◎ ディアー・フレンズの時の、ちょっと背伸びした少女役の、クリスティーナ・リッチも良かったけど、その時より、さらに演技力、魅力、存在感をアップさせた。末恐ろしい少女である。

◎ 彼女の妙に子供っぽい表情と時々見せる、女の魅力、堂々とした目つき、彼女に見られたら動けなくなる(兄弟はそうだろう)子供から女に変わっていく境界線である。

◎ 彼女がコンビニで駄菓子を万引きするシーンがある。堂々と、何の躊躇もなく。帰り際、老婦人に見つけられると、何が悪いのというように堂々と見返す。後で、母親も同じ店で万引きをする。彼女たちの万引き、貧しい故、金がない故ではない。彼女たちはどちらかといえば上流階級に属する。作者は、性の衝動と万引きの衝動は同じものであり、セックスをしたいという心理と万引きをしたいという心理が同じものであるといいたいのかもしれない。

◎ ニクソンを憎み、ベトナム戦争を批判する。政治に関心のなる世代。おそらく60年代だろう。あの考え方は小学生や中学生というより、大学生のようだ。寡黙で言葉より行動を起こしてしまうタイプである。

◎ この2つの家族がアメリカン・ビューティのように、家族崩壊を起こさなかったのはなぜか?それは、60年代と現代という時代の相違が大きい。また、ベンも強い反省をし、開き直りをしていない。また、相手である隣の奥さんのジェイニー(シガーニー・ウィーバー)から先に縁を切られている。原因はベンから、妻にばれているかもしれない、それを妻にどう釈明しようかと相談されて嫌気がさしたためである。

 ベンの妻エレナ(ジョアン・アレン)も深刻に悩むが、一時の心の迷いも、あの行為、隣のジム(ジェミー・シェリダン)とのカーセックス、それも刹那的で突発的な行為で吹っ切れた。きっと愛のない体だけの関係のむなしさ、敵をとってやろうという自分の考え方のばからしさを感じ、そこから、夫婦や家族の絆を強く感じたのだろう。その行為の後、気まずさを避けるため、化粧を直すとジムには言い訳をして、夫のベンの元にいき、『明日は話しましょう』と和解をする。この時点でこの夫婦の問題は解決した。

 家族を守っていこうという意志がお互いに強い。一方がそれを望まないと難しいのだろう。これもアメリカンビューティと違う。

◎ それにしても、あのキーパーティは何なんだろう。ていのいい夫婦公認の浮気ではないか?

 アメリカの上流階級(中の上?)のパーティー。毎週のようにどこかの家でパーティが開かれている。そこに夫婦で出かける。そこまでして近所づきあいをしなければ、信頼できないのがアメリカ社会なのか?それにしても、住宅事情の違いには、唖然とさせられる。あらかじめパーティー用の広い部屋が設計されている、2030人くらいは収容できるだろう。トイレの広さ(ベンがトイレで座り込んでいるシーンから)にびっくり。

◎ 性の乱れ(性の自由化)は、相当のものだ。ベンは隣の家(日本みたいに近くはない。車で行くほどの距離があり、自然が美しい)のジェイニーと不倫の関係にある。あの奥さんは魅力的だ。あのキーパーテーの夫人の中ではピカイチである。誰でも彼女を選びたいと思う。

 何故彼女は不倫をするのか?夫は出張が多く会社人間みたいだ。子供達は父親が出張して、家にいなかったことを知らない。親子の関係の希薄さを感じる。それで、その空しさを埋めるために不倫をしているのかもしれない。子どもたち、夫、家庭に何の魅力も感じていない。虚無感、何をしたりいいか、何をしたいかがわからない。そのような心の透き間に、誘惑があった。しかし、彼女の行動から判断すると、ベンと別れても、他にすぐ浮気相手を見つけるし、過去にもたくさんあったみたいだ。

 彼女が、息子の突然の死(自分達のふしだらな関係が原因?)によって、どのようにかわっていくか?大変興味がある。しかし、この夫婦は離婚するだろう。彼女にその気が感じられないから。隣の家庭とは反対で、家族としての絆が感じられない。

◎ ベンが隣の奥さんとセックスの後、自分の愚痴を話すシーンがある。それに対して、彼女が一言『退屈だからやめて』と、『私にも夫がいるのよ、二人目はいらないわ。』きっと彼女は、夫の愚痴をイヤという程聞き、今はそれさえも聞けない疎遠な関係にある。

◎ パーティから帰ってくると彼女はベットに行き、そこで横になる。普通の母親なら子供の存在をまず確認するのに?このことから、彼女が母親としての役割も拒否していることがわかる。彼女の興味は自分のことだけだ。

◎ 久しぶりに出張から帰ってきたジムが、妻の寝ているウォーターベットに入ろうとすると、その振動で彼女が何度もベットの外にはじかれるシーンがある。このことは、夫婦関係を暗示しているのか?ジムにはこの家でいる場所があるのか。

◎ この映画のテーマである、『家族は絆が強すぎると虚無になる』。家族を守っていこうとすると、家族のことを気にし、干渉して行かなければならない。相手にあわせるとか、自分の意に添わないことでも、家族のために何とか我慢する。お互いに良き家族の一員として仮面をかぶる。仮面の下では、家族に知られたくない秘密が公然と行われている。秘密はあくまで秘密。それが、家族にわかった時は、他人以上に大きなショックを与える。ベンは妻に絶対浮気がばれないようにすべきだし。妻は、万引きをするべきではない。虚無になって、言葉がむなしくならないように、秘密(家族に知られたくないこと)プライバシーは守らなくてはならない。

◎ 不倫をしている父親が、ふしだらな娘を注意する。娘からすれば、自分のことを棚に上げてということになる。それを頭のいいウェンディは敏感に感じていて、『親や大人のの責任を果たしてから、子供に意見を言えよ。』と思っている。(彼女は頭のいい子だから、家庭を壊さないため口には出して言わない。)

 彼女は、ニクソンのウォーターゲート事件を批判している。ニクソンを嫌うのは、彼が嘘を付いたことである。ベンもニクソンも彼女にとっと同じ、それは嘘をついていたことだ。

◎ ベンは全く子供達を理解していない。例えば、16歳になるポールに、マスターベーションをする時の注意をするシーンがあるが、今時、16歳の少年がマスをしていないと思ったり、それを親に相談できると思っている感覚が証拠である。

 また、息子の電話を盗み聞きをする。ポールが妹の部屋で電話したこと、金持ちの彼女の家でデートすることが、両親にばれていた。これは、家族でも絶対してはいけないことである。

◎ だがある人々にとってはそれは魅力的で、負の地帯に入り込み出ようとしない。この言葉がポールから出るのは、母親の万引きのシーンの後である。彼女は娘と同じ店で万引きした。

 母親(どこかで見たことがある。)の深刻な悩み、夫が浮気をしていること(夫が新しい臭いをさせていたため)に気づき、おそらく彼女なりに調べて、相手が誰かわかったのだろう。彼女の暗い表情、悩み深い演技はこちらに訴えるものがある。

 娘が自転車に乗る姿を見て、自分も自転車に乗り(青春時代に戻りたい。今の苦しみから抜けたいとの願望)、そのついでに口紅を万引きする。これは、さも見つけてくれといわんばかりの万引きシーンである。店の人が名前を知っていることからも、どうしようもない心の隙間を埋めてほしい。自分を最悪な状況へ落としたい。今の苦しみから救われるなら、もっと悪い状態にいたい。人間落ちていくときの快感は忘れられないそうです。

◎ そして、キーパーティで隣の主人と偶然カップルとなる。隣の主人はこういうことは隣人としてはできないと断るが、この関係を積極的に押したのは彼女であった。彼女は、どうでもいい、どうにでもなれ、逆に、今日こそ、何か起こってくれないといやだ。なんとか事態を動かしたい、それが悪い方であろうともと考えていたのだろう。人間何にも変わらない事ほど、つらいことはない。

◎ マイキーはなぜアイスストーム(氷の嵐)の夜に、出かけたのか?病院のちかくに出かけたと弟が言ったが、ウェンディの家に行ったのではないのか?しかし、途中で氷の世界に遊ぶ事が楽しくて危険な行為をしてしまった。そう考えるのが自然だと思う。さらに、何故彼は死ななければならなかったのか?フッド家の夫婦の危機は、マイキーが死ぬ前に解決している。カーヴァー家の家族は彼の死の有無に関係なく崩壊するだろう。

◎ マイキーは何故死んだか?その夜、大人達はキーパーティ(最初はそのことを知らなかった)で夫婦そろって外出していた。そのため、子どもたちのみ家に残される事になる。

それも、キーパーティであり、大人の危険な遊びである。そこに、両親がそろって行っていなければ、マイキーが嵐の中出かけることはなかった。そういう意味で、マイキーの死は大人達の性の乱れへの警告である。

◎ ポールを駅で迎える3人は、今までの事をすべて乗り越えた安堵感、これからも問題はあるが家族としての絆は大切にして行こう。そんな決意が感じられた。

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