雨上がる

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雨上がる
平成1212月4日レンタルビデオで見る。
監督 小泉堯史   ヴェネチア国際映画祭「緑の獅子賞」
出演 寺尾聰、宮崎美子、三船史郎他

 

あらすじ

 

 この作品は、山本周五郎の同名短編小説を基に故黒澤明監督が脚色、亡くなる寸前まで映画化を望んでいたものである。黒澤監督の死去によってラストシーンのみを残して未完となっていたが、助監督の小泉堯史(たかし)氏が、監督のノートをもとに完成させた。黒澤監督の遺したメモには「見終って、晴々とした気持ちになるような作品にすること」と記されていた。

 ある川が、長雨で川留めをされる。たくさんの旅人が一軒の旅籠(松葉屋)に泊まっていた。その中に、主人公の浪人三沢伊兵衛(寺尾聡)と、その妻たよ(宮崎美子)もいた。長雨で路銀は減るし、くしゃくしゃして諍いも起きる状況を見て、浪人は妻と絶対にしないと約束した賭試合をして、米や魚を持って帰ってくる。それをみんなに与え、気晴らしの宴会をしてやる。翌日、雨が上がる。ただ、足止めの状況は変わらないが、雨が上がったことは昨日の宴会のおかげであると、旅人達は伊兵衛を拝んで感謝する。

 伊兵衛は体が鈍るからと散歩に出た。帰り道、十人程度の侍が決闘をしていたので、剣術の腕を使って、必死で仲裁に入る。それを城主永井和泉守(三船史郎)が見ていて、その腕前のすばらしさに一目惚れし、城に招待する。

 城主に気に入られ、誰に剣術の指南を受けたかと問われる。勘定方の仕事がいやで脱藩し、江戸に道場破りをしながら行った。江戸に着きこれを最後にと思って入った道場が、有名な辻月丹(仲代達矢)の道場であった。そこで、今までやってきたように、途中で木刀を投げて「参った」と言おうと思っていたら、先にやられてしまった。それは、伊兵衛には勝とうとする欲がないから、体から力が抜けて、隙がなかったのだ。その後、辻月丹と意気投合し、彼の内弟子になり、猛稽古に励んで師範代となる。そして、請われるままに、2,3の大名に、剣術指南役として仕えたが、どこも途中でだめになってしまう。

 剣術指南役は重要な役であるため、御前試合の結果を待って決めることになった。御前試合では、圧倒的な強さを見せたが、勢い余って城主を池に落としてしまう。城主の機嫌を損じたことに、気落ちして宿に帰る伊兵衛を、以前掛け試合で負けた城下の道場主と、その家来が待ち伏せをしていた。機嫌が悪い伊兵衛は、初めは峰打ちであったが、もみ合う内に、その中の一人を切ってしまう。

 川が渡れるようになった。伊兵衛は、支度をしながら、城からの使者を待っていた。あきらめかけた頃、家老と近習頭が城主の名代として来た。剣術指南役は、ほぼ決まっていたが、道場主から伊兵衛が賭試合をしたという申し出があったので、だめになった。と路銀をおいて帰ろうとする。その時、妻のたよが家老達を相手に啖呵を切る。「掛け試合をしたことが大切ではなく、何のために掛け試合をしたかが大切だ。その意味はあなた達木偶の坊(でくのぼう)には分からないだろう」と……。

 妻は夫が仕官しなかったことを悲しんではいなかった。このままで十分幸せだと思っていた。二人ののんびりとした旅が続く。

 

 

 

詳しい筋

 

◎ 江戸時代、大きな川は、川越えの人足の手を借りなければ渡れなかった。そのため、雨が降って川の水があふれると、旅人は足止めをされ路銀が足りなくなる。、また、人足もその間仕事がなくて困る。けっきょく、潤うのは旅籠だけであった。

◎ ある川が、長雨で水があふれ川留めをされる。たくさんの旅人が一軒の旅籠(松葉屋)に泊まっている。その中に、主人公の浪人三沢伊兵衛(寺尾聡)と、その妻たよ(宮崎美子)もいた。彼らは、武士のため宿賃を多く払い、別室に泊まっている。しかし、その他大勢の貧乏人は、広間に集まり雑魚寝をしていた。

◎ 女郎のおきん(原田美枝子)が自分の飯を盗んだと騒ぎ立て、老人(松村達雄)が犯人だと責める。彼女は飯などはどうでもよかったが、いつも、仲間はずれにされていることの腹いせをしたのだった。これを見かねた浪人が止めに入り、その場は何とか納まる。その後、何か考えがあって浪人は外へ出ていき、しばらくすると米や魚をどっさり持って帰ってくる。それをみんなに与え、「たまには気晴らしに豪勢に宴会をやりましょう」という。さっそく米が炊かれ、手料理が作られて宴会が始まる。酒が回るに連れて、歌や踊りで大いに盛り上がる。しかし、たよはこのお金が絶対にしないと約束していた、賭試合によって得たものであると思い、これを夫に問い正す。彼もあっさり認めるが、みんなのために……という、言葉を飲み込んだ。そして、妻にもう二度と賭試合はしないと約束する。しかし、たよも夫のしたことが貧しい人々のためであり、仕方なかったことは十分知っていた。

◎ 生きていても何の楽しみもない、貧乏人の彼らにとって、それはまさに天からの恵みであった。「酒を飲んで、たらふく飯を食える、こういうことが一年に一度でもあれば、どんな苦労も我慢できる」と……。それほど彼らはこの施しを感謝していた。

 ◎ 宴会の終わりがけに、女郎のおきんが帰ってくる。身の置き所のない彼女にも、伊兵衛はごく自然に宴会に加えてやる。最初は、ふてくされていたが、その内、伊兵衛の好意が身にしみてくる。彼女も彼のおかげで仲間に入ることができた。

◎ 翌日、雨が上がる。ただ、川の増水は解消されないので、足止めの状況は変わらない。それでも、雨が上がったことは昨日の宴会のおかげであると、旅人達は伊兵衛を拝んで感謝する。

◎ 伊兵衛は体が鈍るからと散歩に出た。散歩の途中、居合いで汗を流す。帰り道、十人程度の侍が決闘をすると騒いでいる所に出会う。浪人は、けんかはばからしいからやめるように、必死で仲裁に入るが、なかなかやめようとしない。そこで、剣術の腕を使って、少々手荒であったがけんかを止めた。そこへ、城主永井和泉守(三船史郎)が家来を連れて駆けつける。城主はしばらく前から物陰に隠れ、浪人が仲裁に入っているときの状況を逐一見ていた。その腕前のすばらしさに一目惚れし、城に遊びに来るように招待する。

◎ 宿に帰った浪人は、城主から城へ招待されたこと。しかし、着ていくものがないことを妻に話す。それに対してたよは、おもむろに夫の前に、よそ行きの紋付き袴を出す。伊兵衛の驚いた顔と、たよの冷静な態度が対照的である。たよは貧乏はしていたが、いざという時のために用意だけは怠らなかった。それは武士である夫に恥をかかせない、武士の妻としての心使いだった。

◎ 城で接待を受けた伊兵衛は、城主にすっかり気に入られた。城主から、誰に剣術の指南を受けたかと問われ、いままでのいきさつを話す。伊兵衛は、さる小藩の勘定方に勤めていたが、机の上の細かい仕事ばかりでほとほと嫌になった。そこで脱藩をし、江戸に行くことにした。しかし、江戸までの路銀がないため、それを稼ぐための妙案を考える。それは道場破りであるが、普通の道場破りと違って、まず道場へ行き道場主との立ち会いを願いでる。そして、首尾良く道場主と立ち会いをしたら、しばらくして、「参った」と言って木刀を放り投げる。そうすると、道場主は自分の立場、メンツが保たれたと上機嫌になり、別室で歓待して、さらにお金も渡してくれる。この方法で江戸まで行った。江戸に着きこれを最後にしようと、江戸の有名な道場で道場主辻月丹(仲代達矢)に同じことをしようとしたら、逆に「参った」と木刀を投げられてしまった。後でなぜかと聞くと、ほとんど隙がなく、とてもかなわないと思ったからだと答えた。つまり、伊兵衛には勝とうとする変な欲がないから、体から力が抜けて、隙がなかったのだ。その後、辻月丹と意気投合し、彼の内弟子になり、猛稽古に励んで師範代となる。そして、請われるままに、2,3の大名に、剣術指南役として仕えたが、なぜかどこも途中でだめになってしまう。

◎ 宴席で城主が家老に、伊兵衛を剣術指南役にしたいという。家老は、剣術指南役は重要な役であり、家来全員が認めるものでなければならない。よって、御前試合の結果を待って決めてほしいという。結局その意見が通り、後日御前試合をすることになる。自分の腕に自信がある伊兵衛は、剣術指南役は決まったものと意気揚々と旅籠へ帰る。

◎ 御前試合では、城の侍を相手に圧倒的な強さを見せる。城主は、家来がその圧倒的な強さに気後れして、伊兵衛の相手をしないのを見て、自分が槍をもって挑戦する。しかし、本身の槍であり、伊兵衛も勢い余って、城主を池に落としてしまう。「しまった」と思ったが後の祭り、このことで城主の機嫌を損じ、ひょっとしたら仕官の口がだめになるかもしれないと、肩を落としながら宿に帰る。その途中、以前賭試合で負けた城下の道場主と、その家来が伊兵衛を待ち伏せしていた。彼らは賭試合で負けたことを、根に持っているばかりでなく、自分達の中から選ばれると思っていた剣術指南役を、横からさらわれたことをひどく恨んでいた。

◎ 7,8人に取り囲まれた浪人は、「今日は機嫌が悪いからどうなるかしらんぞ」と言って立ち向かう。初めは峰打ちであったが、もみ合う内に、その中の一人を切ってしまう。

◎ 川の増水も治まり、川が渡れるようになって、旅人がほとんどいなくなった。伊兵衛は、旅立ちの支度をしながら、城からの使者をそわそわしながら待っている。彼の落ち着きのなさと対照的に、妻のたよは落ち着いていた。

◎ 伊兵衛がやっとあきらめかけた頃、城から家老と近習頭が城主の名代としてくる。しかし、返事は伊兵衛の期待を裏切るものであった。剣術指南役は、ほぼ決まっていたが、城下の道場主から伊兵衛が掛け試合をしたという申し出があったので、そのことが原因でだめになったと言われる。そして、路銀にとお金を置いて帰ろうとする。がっかりした伊兵衛はお金を返そうとした。その瞬間、たよは夫を押さえ、お金はありがたく受け取ると同時に、家老達を相手に啖呵を切る。「賭試合をしたことが大切ではなく、何のために賭試合をしたかが大切だ。その意味はあなた達木偶の坊(でくのぼう)には分からないだろう」と……。

◎ 二人は、川を渡り旅を続けた。妻は夫が仕官しなかったことを悲しんではいない。それどころか、このままで十分幸せだと思っている。二人ののんびりとした旅が続く。

◎ 城では、近習頭からたよの言った言葉を聞いた城主は、自分の否を認め、家来を引き連れて馬で伊兵衛を追いかける。

 

 

私の感じたこと

 

◎ 主人公の三沢伊兵衛は、剣術の腕を買われ、2,3の大名の剣術指南役になる。彼は、誰にも親切でやさしく、そして謙虚で横柄な態度は決してとらない。誰からも好かれるタイプである。しかし、仕官してからしばらくの間はうまくいくが、なぜかその後だめになりやめてしまう。その理由は何か?このことは、映画の中でははっきり示されていないので、想像するしかない。それはきっと、『人は自分より能力の高い人間、地位の高い人間から、謙虚でやさしい対応をとられると、最初はうれしく、その人物を高く評価する。しかし、それが度重なってくると、だんだんと自分が馬鹿にされているように感じ、その人を憎むようになる。』そんなようなことではないだろうか。

◎ このように、能力がある人間が必ずしも出世するわけではない。能力があるがゆえに、かえって人から疎まれ、嫌われることはよくあることである。この三沢伊兵衛がまさしくそれであるが、彼の偉い所はそれに腹を立てたり、世の中を恨んだり、すねたりしないことである。

◎ 彼のやさしさは、本物のやさしさであり、困っている人のために自分を犠牲にしてまでも尽くそうとする。映画の冒頭にあるように、雨に降られて、気分がめいっている旅人達に、楽しみを与えるために、賭試合をしてまでお金を稼ぎ、それを全部はたいてしまう。おそらく、彼と妻には旅の間にいろいろなことがあり、絶対に賭試合はしないと約束をしたのだろう。彼と妻との信頼関係を考えると、この約束は相当の覚悟の上になされたものと思われる。それを、破ってまで人に尽くしたのは、彼のやさしさが本物のものだからである。

◎ 彼は、人を押しのけてまで出世したいとは思っていない。それをやるくらいなら、今の貧乏浪人の方がいいと考えている。しかし、彼は妻を心から愛している。その妻に楽をさせたい、安定した生活を送らせたい、そんな気持ちから仕官を願っている。

◎ 妻のたよは、決して愚痴をいわず、夫のふがいなさを責めることも、焦ることもない。ただ好きな男と一緒にいられることだけで十分幸せであると考えている。そんな『足ることを知る』女性(人間)である。武士の良き妻の典型的な姿であるが、時代を超えても、こういう女性(妻)こそ男(夫)は弱く、彼女を喜ばそうと必死でがんばる。男にやる気と勇気をくれるそんな女性が、たよである。

◎ 自分はたよを見て、高校一年の時の国語の教科書にあった、森鴎外の「高瀬舟」を思い出した。細かい筋は忘れてしまったが、この小説のテーマは、『安楽死』と『足ることを知る』であったと思う。今のように物質的には豊かになった日本で、幸せを感じるには、この『足ることを知る』心が絶対に必要だ。物質的な欲望はどこまで行っても際限がない。どこかで、もういいという限界を付けなければきりがない。ある程度の物質的な豊かさで満足し、精神的な豊かさを求めていく。そんな人生を私はこれから歩んで行きたい。

◎ 映画、学校Wの中に『浪人の詩』がでてくる。それは、「引きこもり」の少年が書いた詩で、次のものがそれである。

草原のど真ん中の一本道を

あてもなく浪人が歩いている

ほとんどの奴が馬に乗っても

浪人は歩いて草原を突っ切る

早く着くことなんか目的じゃないんだ

雲より遅くてじゅうぶんさ

この星が浪人にくれるものを見落としたくないんだ

葉っぱに残る朝露

流れる雲

小鳥の小さなつぶやきを聞きのがしたくない

だから浪人は立ち止まる

そしてまた歩きはじめる

 三沢伊兵衛は、決して急がず、自分の道を行く。困っている人がいれば、自分のことは忘れてそれに尽くす。人を押しのけて出世をすることを好まない。そんな姿とこの詩にある浪人がダブって見える。

 

 

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