15才 学校W | |
平成12年12月5日映画館で見る。 | |
監督 山田洋次 | 配給 松竹株式会社 |
出演 金井勇太、麻実れい、赤井英和、丹波哲朗他 |
あらすじ
横浜の中学3年生川島大介(金井勇太)は、両親と妹の4人家族である。父親の秀雄(小林稔侍)は、大会社の管理職で、仕事が忙しくて子供の教育は母親にまかせっきりである。勉強をして、一流の大学へ入ることがすべてで、それ以外の道は許せない。また、母親の彩子(秋野暢子)は優しいが、子供の教育には自信がなく、何かと父親を頼ってしまう。両親とも、その子にはその子の考えがあり、生き方があることを認められない。 大介は不登校児である。原因は、勉強に価値や目的を見いだせなく、学校に行くのが無駄と感じていたからである。大介は問う。学校に行って、先生の言うことを聞く子だけがいい子だと言えるのか?と……。 大介は、横浜からヒッチハイクで屋久島の縄文杉(樹齢7千年)を見に行くために家を出る。最初のヒッチハイクの運転手からは、学校に行かないことを一方的に説教され、喧嘩して車を降ろされた。しかし、大阪まで乗せてくれた、トラック運転手の佐々木康(赤井英和)は、自分の体験談を語り、自分のやりたいことに向かって頑張れと励ましてくれた。彼は、親切にも九州までのトラックを世話してくれた。その運転手大庭すみれは、30代の魅力的な女性であった。彼女は、いろいろ話をする内に大介を好きになり、いつしか、思いを自分の息子と重ね合わせていた。彼女は、息子に会わせるために、急ぐ大介を自分の家に泊めた。 彼女は、離婚して母と息子と娘の4人暮らしをしていた。ぼけの始まったおばあちゃんと明るく素直な高校生の娘(薫)、そして、『ひきこもり』の息子(登)である。 登は、一日中部屋に閉じこもり、ジグソーパズルをしている。食事もみんなと一緒には取らず、一人で自分の部屋で食べる。部屋には、好きな時代小説が所狭しと並び、用心棒のポスターが張ってある。彼の様子から自閉症気味な所が感じられる。大介は、登の部屋に泊まり彼といろいろな話をする。次の朝、フェリーの乗り場に行く時、登がプレゼントとして、ヨットの絵が描かれたジグソーパズルをくれた。その絵の裏には、『浪人の詩』が書かれていた。『早く行くことが目的ではない。』すみれは、この詩から登の本当の気持ちが分かり、自分の間違いに気づく。大介との出会いが、登を一歩前に進めたのだった。 すみれは、屋久島までのフェリー代を払ってくれた。屋久島は雨が多く、およそ南国というイメージとはほど遠かった。安い宿に泊まり、そこで、縄文杉を見に来た、女性登山家の金井真知子(高田聖子)と知り合う。彼女にお願いして一緒に登山し、その間にいろいろな話をする。とにかく、人間は一人前になる必要があるという彼女に対して、少年は問う、『一人前とは何か?』と。彼女は、縄文杉に聞いてみたら……と答える。険しい山道を死ぬ想いで登り、やっと縄文杉に出会う。そこで、彼は一人前の答えを聞くことができたのか? 次の朝、大介はひとりで下山することになる。足が痛くなっただけでなく、雨が降り、霧も出て、何時間も道に迷った。ついには滑って谷底まで落ち、死ぬかと思ったが、そこは登山道の下の川底であった。何とか登山口までたどり着いた所で、『バイカルの鉄』こと畑鉄男(丹波哲朗)老人に声をかけられ、自分の家に泊まれと言われる。 老人は、長男夫婦とは別居して一人暮らしをしていた。病院に入っていたが、病院暮らしがいやで抜け出すという、わがままで頑固者である。次の日、老人の様子がおかしい。床から立ち上がれずに、お漏らしをしてしまう。そのことに大きなショックを受けた老人は、このことは絶対他言するなと念を押す。しばらくして息子の満男が医者とともに来て、父親が小便を漏らして、くさいと大声で言う。これを聞いた大介は、心から怒った。「自分も子供の時はお漏らしをしていた。さんざんお世話になった父親に対して、くさいくさいと人の前でいう。それで、はずかしくないのですか?」満男は返す言葉がなかった。 旅を終え家に帰った。大介は、部屋に来た父に、冷静に椅子を勧め、「心配を掛けてすみません」と謝った。大介の成長に父親はほっとする。翌日、妹と一緒に学校へ行く。教室に入るとき少し躊躇するが、何とか席に着くことができた。彼は心の中で思う、『これからは学校という新しい冒険が待っている』と。
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詳しい筋
◎ 横浜の中学3年生川島大介(金井勇太)は、両親と妹の舞(児玉真菜)の4人家族であり経済的には豊かである。父親の秀雄(小林稔侍)は、大会社の管理職で、仕事が忙しくて子供の教育は母親にまかせっきりである。というより面倒なことは全て女房に押しつけているといった感じの男である。男は仕事があるから、余分なことに神経を使わせるなという、子供が悪くなっていくときの典型的なタイプである。妹は勉強ができて、親の言うことを良く聞く、いい子だから可愛がる。しかし、大介は自分の手に負えないので、女房に責任を転嫁するという自分勝手な男である。また、息子が自分の意に添わない行動をとると、言葉でだめなときは殴ることで、一方的に自分の考えに従わせようとする。勉強をして、一流の大学へ入ることがすべてで、それ以外の道は許せない。自分はエリートの道を通ってきた、優秀な人間であったので、劣等生の気持ちが理解できない。そのため、学校では学べない、もっと大切なものがあるという考えは、怠け者の逃げ口上としか見えない。 ◎ 母親の彩子(秋野暢子)は優しいが、子供の教育には自信がなく、何かと父親を頼ってしまう。両親とも、その子にはその子の考えがあり、生き方があることを認められず、自分達の価値観の枠に無理にはめようとしている。 ◎ なぜ大介が、不登校になったかは不明である。ただ、九州へ向かうバスの中で、女性のダンプ運転手大庭すみれ(麻実れい)から、どうして不登校になったかとの質問を受けて、次のように答えている。朝、登校しようとすると急にお腹がきりきりと痛くなる。そのため学校は休み、薬を飲んで寝ていると、昼頃には直る。そこで、次の日には行こうとするが、またお腹が痛くなって行かれない。これを繰り返している内に不登校になっていく。1ヶ月ぐらいは両親が共稼ぎであるので、わからなかったが、学校からの連絡で家の人にわかった。そこで、びっくりした両親は精神科の病院に行かせたり、カウンセリングを受けさせたりした。 ◎ 彼の学校の机の上には金魚鉢が置かれ、2匹の金魚が泳いでいる。彼の隣の席に座っている大介の憧れの彼女が、彼の机だけがいつも空いていて淋しいからと置いてくれていた。彼の不登校の原因はいじめではなく、勉強に価値や目的を見いだせなかったからだ。そのため、学校に行ってもつまらない、というより無駄と感じていたからだ。 ◎ 大介はトラックの運転手に問いかける。先生達は『個性的に行きなさい』と言う。だから自分のやり方でやっていこうとすると、『なぜ、みんなができることができないか』と言って叱る。これは矛盾しているのではないか。学校に行って、先生の言うことを聞く子だけがいい子だと言えるのか? ◎ ある日、大介は冒険の旅に行くと書き置きを残し家を出る。それは、横浜からヒッチハイクで樹齢7千年といわれる、屋久島の縄文杉を見に行くためであった。最初のヒッチハイクで乗ったトラックの運転手(中年のおじさん)には、何故中学生が学校に行かないのかとしつこく聞かれる。そのあげく中学生が学校に行くのは当たり前で、行かないのは、本人だけでなく、親や学校が甘いからだと怒りながら説教をされた。これに反発した大介はうるさいと言って、運転手と喧嘩し、車を途中で降ろされる。 ◎ 次のヒッチハイクは、長距離の運送バスで、東京から大坂まで飼料を運搬していた。その運転手の佐々木康(赤井英和)は自分の体験談を語る。自分も高一の時、東京にあこがれて、バイクに乗って家出した。しかし、途中でバイクのガソリンがなくなり、しかたなくバイクを引いていた。それを警察に見つかり、家に連れ戻され、親父にこっぴどく殴られた。彼は、大介が家出したことをとがめず、逆に自分のやりたいことに向かって頑張れと励ましてくれた。そのせめてもの恩返しとして大介は、大坂に着いてから、荷物を降ろすのを手伝った。しかし、重い飼料を何回を運び、くたくたになる。このことから働くことのの大変さを身をもって知らされる。 ◎ 彼は仕事を手伝ってくれたお礼だとお金をくれたばかりでなく、九州行きのトラックに乗れるように頼んでくれた。そのトラックの運転手大庭すみれは、30代の魅力的な女性であった。彼女は、嫌がる大介になぜ家出をしたのか、詳しく話してほしいとしつこく尋ねる。なぜそこまで執拗に尋ねたかは、大介が彼女の家に泊まることになってわかる。彼女の熱意に負けて、この時に、不登校になって行くまでの状況が彼の口から語られる。それを聞いていた彼女は黙って携帯を渡し、親が心配しているからと、電話するように言う。電話には母親が出た。母は、今広島を走っているという大介の話しに、安心と同時に不安を感じる。大坂から宮崎までの旅で彼女は、大介を気に入った。そこで、すぐにフェリーで屋久島に行こうとする少年を、自分の家に泊めることにする。 ◎ 彼女は、離婚して母と息子と娘の4人暮らしである。ぼけの始まったおばあちゃんは義理の母か実の母かはわからない。なぜ、夫と離婚したのかを含めて詳しいことが語られていないから……。おばあちゃんは、大介を何回紹介されてもすぐ、『誰だ』と聞くぐらい痴呆で進行している。また、娘の薫(真柄佳奈子)は高校生で、素直で可愛く、今時の高校生にはめずらしいぐらいしっかりした娘である。母親が長距離のトラック運転手であるため、週の内半分は家を空けるので、その間の家族の世話を彼女がしている。 ◎ 息子の登(大沢龍太郎)は、体や顔つきから言えば18才ぐらいである。しかし、いわゆる『ひきこもり』で一日中部屋に閉じこもり、ジグソーパズルをしている。食事もみんなと一緒には取らず、一人で自分の部屋で食べる。話は家族ともほとんどしない。時代小説が好きで部屋に三船敏郎の用心棒のポスター(浪人の詩を暗示している)が張ってある。小学校の頃は外でよく遊んでいた、中学の時同級生の可愛い子に失恋をしたと母親が言っていたことから、『ひきこもり』はその後からだろう。彼の様子から自閉症気味な所が感じられる。 ◎ 大介は、登の部屋に泊まり彼といろいろな話をする。登は家族ともほとんど口を聞かないから、これは異例のことであった。きっと彼は、大介に自分と同じ臭いを感じ、心を開いて話せる友を得たためだろう。 ◎ 次の朝、フェリーの乗り場に行く時、大介は、登にお別れのあいさつをする。しかし、登は顔を見せなかった。それは、いつも起きるのが昼頃で、まだ寝ているためだと、すみれは知っていた。しかし、内心では親友が別れのあいさつをする時ぐらい、起きてあいさつをするようになってほしいと思い、さびしい気持ちでいた。車が家のすぐそばの踏切で止まっているとき、登が裸足で一生懸命駆けてくる。そして、ヨットの絵が描かれたジグソーパズルを大介に黙って渡した。それは、プレゼントのつもりだった。大介はうれしくて、何か渡すものはないかと探し、かぶっていた帽子を渡した。登は、うれしそうに母親に向かって「もらった」と一言だけ言う。 ◎ この場面は、感動的な場面である。涙がこみあげてくる。さっきまで、恩知らずな息子のことを嘆いていたのに、やっぱり、そこまでは腐ってはいなかった。いやそれどころか、本当は人間的な心があるんだ。すみれにとって、登が「もらった」という短い言葉でも、自分に向かってしゃべってくれたことがたまらなくうれしかった。 ◎ 大介は昨日部屋に泊まって、彼といろいろなことを話したと言った。すみれにとって、大介がしゃべったと聞いただけでも驚きであったが、さらに、登が「父には会いたいけど、お母さんがかわいそうだから会えない」と言ったという話を聞いて、大きなショックを受ける。 ◎ 先ほどもらったジグソーパズルの裏には、登が書いた詩があった。 草原のど真ん中の一本道を あてもなく浪人が歩いている ほとんどの奴が馬に乗っても 浪人は歩いて草原を突っ切る 早く着くことなんか目的じゃないんだ 雲より遅くてじゅうぶんさ この星が浪人にくれるものを見落としたくないんだ 葉っぱに残る朝露 流れる雲 小鳥の小さなつぶやきを聞きのがしたくない だから浪人は立ち止まる そしてまた歩きはじめる
◎ 浪人が草原を一人で歩いている。他の者はすべて馬に乗っているが、彼は馬には乗らない。早くつく必要がないからだ。それよりも、歩くことで、その時々の自然の美しさを確かめながら行きたい。そんな詩である。これは私にとって新たな人生観である。人生は、早く行くだけが目的ではなく、それよりももっと大切なものがある。その時しかできないこと、早く行くことで見落としてしまうことがないように、ゆっくりと自分の歩幅で歩いていきたい。 ◎ この詩からすみれは、登の本当の気持ちが分かり、自分の間違いに気づく。彼の気持ちを理解せずに、世間体を考えて早く早くと急がせていた。ゆっくり行けばいいんだ。そんなことで人の優劣が付けられるわけではない。このことが理解できたすみれは、思わず車の外へ出て泣き崩れる。彼女には、この詩で過去の多くのことが了解できたのだろう。大介との出会いが、登を一歩前にすすめ、この先に明るい灯をともした。まだまだ大変だけど、ゆっくりやればいい、早くつくのが目的ではないのだから。 ◎ すみれが夫と別れたのは、息子の登のことが原因ではないだろうか?障害を持った子であることがわかった時、夫婦の絆が試される。乗り切れる場合は、共通の目標ができ、危機意識と共に一層絆が深まる。しかし、多くの場合は家庭に暗い影を落とす。夫は、家が暗いので外で憂さを晴らす、それが浮気になり、夫婦仲が悪くなる。 ◎ この一つの家族の中だけでも、離婚、母子家庭、痴呆老人、自閉症(ひきこもり)と現在の日本が抱えている深刻な問題点が凝縮されている。 ◎ すみれは、大介との出会いを心から感謝した。彼女はトラックの中で、大介の家出の話を聞きながら、自分の子供の境遇と重ね合わせていたと思う。ひょっとして、大介が自分の息子の心を開いてくれるかもしれないと、一縷の望みを抱いていたのかもしれない。一人の少年の冒険(旅立ち)が別の少年の冒険(旅立ち)につながって行く。人の出会いの不思議さを感じる。 ◎ すみれは、屋久島までのフェリー代を払ってくれた。着いたとき屋久島は雨だった。屋久島は大介の予想と反し、雨が多く、およそ南国というイメージとはほど遠かった。安い民宿に泊まったが、そこで、縄文杉を見に来た、女性登山家の金井真知子(高田聖子)と知り合う。彼女は二十歳前後の大学生と思われる。縄文杉は屋久島に来ればすぐ見れると思っていた彼の予想に反して、往復10時間はかかることを知り、ショックを受ける。彼はまだ子供で、いろいろなことを安易に考えている。だから、ヒッチハイクで屋久島まで来ることができたのだが……。これが大人になると分別がつき、最初から無理だとあきらめて、冒険をしようとしない。 ◎ 彼女にお願いして一緒に登山し、その間にいろいろな話をする。彼女はやはり、「学校はどうしていかないの」と質問する。少年はまたかとうんざりし、逆に彼女に学校は楽しかったかと聞き返す。彼女は「勉強は楽しくなかったけど、好きな先生がいて、その先生に会うためにだけに学校に行った」という。彼女はとにかく、人間は一人前になる必要があるという。少年は問う、『一人前とは何か?』と。彼女は、縄文杉に聞いてみたら……と答える。 ◎ 険しい山道を死ぬ想いで登り、やっと縄文杉に出会う。そこで、彼はなにを感じたのか?果たして、一人前になる道は見つかったのか? その夜、彼女の携帯を借りて家に電話すると、妹が出たので、今縄文杉をみたことと、おみやげに杉で作った箸を買っていくことを伝える。山小屋に一泊し、次の朝彼女は、4時間はかかるという頂上を目指した。しかし、それには自信がない大介は下山することにした。彼女は大介に地図を渡し、雨が降ったり、暗くなったら無理をせずに、物陰で休み助けを求めるように何度も忠告してくれた。しかし、帰りは下りだからたいしたことはないと、たかをくくっていたが、予想に反して、すぐに足が痛くなった。さらに、雨が降り、霧も出て、何時間も道に迷い、ついには滑って谷底まで落ちてしまった。もう死ぬかと思った瞬間、人の声が聞こえた。そこは登山道の下の川であり、その上の橋を多くの人が歩いていた。 ◎ 何とか登山口までたどり着き、疲れて寝ているところを、『バイカルの鉄』こと畑鉄男(丹波哲朗)老人に声をかけられる。ここら当たりで安く泊まれる民宿はないかと聞く少年に、自分の車に乗るように言い、強引に自分の家に連れて行き、ここへ泊まれという。 ◎ 老人は、75才ぐらいか?長男夫婦とは別居して一人暮らしをしている。病院に入っていたが、病院暮らしがいやで抜け出してきた。相当なわがままで頑固者、そのため、息子夫婦と折り合いが悪く、一人で暮らしている。現在の仕事はパチンコ店で清掃の仕事をしている。シベリア抑留の経験があり、かの地の激寒と飢えで多くの戦友を亡くした。そのため今の自分の命はそのおまけみたいなものであると常々考えている。彼は言う「戦友の分まで幸せに生きなければならないのに、今までの50年はなんだったのか?息子には裏切られ、婆さんには逃げられ……」 ◎ 次の日、老人の様子がおかしい。床から立ち上がれずに、あわてて持病の薬を飲む。何かと気を使う大介に、自分はいいからすぐに旅立てと老人は言う。しかし、大介は老人を一人置いて出ていくことができなかった。その後、老人はお漏らしをしてしまう。そのことに大きなショックを受けた老人は、生きて恥をさらすぐらいなら腹を切って死ぬと聞かない。それを何とか思いとどまらせた大介に、このことは絶対人には言うなと念を押す。しかし、大介は老人用のおむつを近くの薬局に買いに行くことになり、その店の女主人に仕方なくて話してしまう。その結果、彼女から長男の満男(前田吟)に父親の状態が知らされた。 ◎ 結局、大介は老人の世話をしながら、彼の息子の満男が迎えに来るのを待った。しばらくして満男が救急車に乗って、医者とともにやってきた。そこで、満男は父親が小便を漏らしていることを大きな声でしゃべり、『くさいくさい』と救急隊員に言う。これを聞いた大介は、心から怒りがこみ上げてくる。満男が差し出すお金を返し、「自分はお金を貰うためにしているのではない。おじいちゃんは、お漏らしをしたことをとても恥ずかしく思い、誰にも絶対に話してはいけないと言った。それなのに、あなたは……。自分も子供の時はお漏らしをしていたではないか。それなのにさんざんお世話になった父親に対して、くさいくさいと人の前でいう。それで、はずかしくないのですか?」 ◎ 満男は返す言葉がなくて沈黙する。これは大介が自分の父親を理解した証の言葉である。父親の恩を感じ、恩知らずな満男を自分と重ねて、自分のいたらなさを自分で認めたことである。 ◎ 旅を終え、家に帰った大介を母は、焼き肉で暖かく迎える。父が帰ってきて、大介が2階にいることを聞くと、叱りに2階へ行こうとする。母親が今日の所はお手柔らかにというが、父親は今言わなければだめだと、彼の部屋に行く。部屋の中に入り、いざ叱ろうとするが、興奮して言葉が出てこない。その時大介から椅子を勧められる。大介の成長が伺われるシーンである。座った父親に、大介は「心配を掛けてすみません」と謝る。父親は出鼻をくじかれると同時に、この言葉が出たことにほっとした。そして、「わかっていれば良い」と、それ以上は言わずに部屋を出ていく。 ◎ 翌日、妹と一緒に学校へ行く、教室に入るとき少し躊躇する。クラスメートも珍しい人間が来た、どうしたんだろうという、好奇の目で見る。机の前に金魚ばちが置いてあるが、隣の彼女がどけてくれ、優しく、「縄文杉を見てきたんだね。よかったね」と話しかけてくれた。彼は心の中で思う、『これからは学校という新しい冒険が待っている』と。
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◎ 彼は一般的に良い子と言われている子供達が、できない貴重な経験をした。それは、並大抵の勇気ではなく、大きな自信を与えてくれた。この冒険で学んだ多くのことが、これからの学校生活に大いに活かされるだろう。 ◎ 『家族とは何か』を、宮崎のすみれさん一家から、そして屋久島のおじいちゃんから学んだ。それによって、大介は自分は一人ではないと実感できた。また、彼の両親も彼の成長から、学校の勉強以外にも大切なものがあることを学んだ。それは子供以上の収穫である。 ◎ 一つ一つの言葉が、心にしみこんでいき、温かい気持ちにさせてくれる。全てが計算され、無駄のないストリー展開で充実した時間を過ごすことができた。 主役の金井勇太は、淡々とした自然な演技を通して、今の不登校の生徒の代表のような、おとなしくてひ弱な感じの子どもをよく表現していた。トラック運転手赤井英和の底抜けの明るさとバイタリティーに救われ、魅力的な女運転手麻実れいの、深い悲しみを秘め、家族のために強く生きている姿に感動した。特に、『バイカルの鉄』こと丹波哲郎は、頑固で元気のいい老人を、その圧倒的なパワーで演じ、強く存在感をアピールしていた。 ◎ 「ひきこもり」の登が書いた浪人の詩が、この映画の主題を端的に表している。『そんなに急いでどこへ行く』昔あったCMのように、日本はあまりにも急ぎ過ぎた。その結果経済発展はし、物質的には豊かになったように見えるが、ゆとりがなくなり、精神的な貧しさをもたらした。 ◎ 発展途上国では、先進国の経済進出(経済援助の名の下に)が、その国の自然や秩序を破壊し、わずかの金持ちと多くの貧乏人を作った。そして、弱いものが犠牲になり、ストリートチルドレンや働く子供達、売買される子供達などの深刻な問題を産んだ。 ◎ 日本の子供達が、学校や社会に対して虚無感を覚えて、不登校や非行に走る時、後進国では、働く子供達、貧困に苦しむ子供達がいるのが現状である。ただ、どちらの悩みが大きいと単純に比較はできない。悩みの質が違うからだ。よくある議論の中で、日本は豊かで恵まれているのだから、不登校ぐらいで悩むのは甘いという議論がある。しかし、そう単純に言えるだろうか?少なくともその子にとっては、ご飯が食べられないくらい真剣な悩みである。 ◎ 大事なことは、人にはその人なりの人生があるということだ。それを型にはめようと強要したり、人と同じことができないからといって、その人がだめだという評価を下さないことである。いろいろな道があることを、子供だけでなく、親も教師も知る必要がある。多様化の時代といわれて久しいが、いまだにそれは実現できていない。 |
「ひきこもり」について(インターネットからの情報) ◎ 小・中学校での不登校児は 13万人にも達している。しかし、高校以降の不登校生徒数については不明である。それは、高校以上は数えていないからだ。高校では中退者の数の中に、不登校生徒数が含まれている。中退者の数はここしばらく、10万人以上であるが、その割合は学校によって異なるが、約半分程度は不登校の生徒と思われる。そして、不登校の生徒の多くが「ひきこもり」となっていると言われ、ひきこもり青年は推定100万人とも言われる。彼らは、圧倒的に男性が多く、最初は不登校をきっかけ(68.8%)として、15歳位で発生し、平均21歳で上は40歳近い。正義感が強く有能なのも特徴だ。決して精神病ではない。だとすれば、わが国は何という人材の無駄使いをしていることか。当人や家族の救済ばかりか、日本の未来のためにもひきこもり問題と真剣に取りくむべき時ではないか。
「山田洋次監督の声」(インターネットからの情報) 映画「十五才−学校W」の山田洋次監督に聞く ( 2000.10.8 神戸新聞より抜粋)◎ 映画の途中で,ひきこもりの登が書いた詩は、小学4年から不登校になった滋賀県の十六歳の女の子が送ってくれたものである。 「早く着くことなんか目的じゃないんだ。雲より遅くて十分さ。この星が浪人にくれるものを見落としたくないんだ。葉っぱに残る朝露,流れる雲,小鳥の小さなつぶやきを聞き逃したくない…」 自分の存在を確かめ,確信の持てる何かを見つける。大人になるために,学校だけでは得られない旅を描きたかった。 ◎ 僕自身,反省しているが,父親が自分の子どもをきちんと見つめているか。担任の名前どころか,学校名すら知らない父親がいる。父親には大変な責任がある。向き合う時間も必要なのに,日々の仕事に追われている。基本的には,政治経済のあり方に問題がある。親子の時間を持つにはどうすればいいのか。そんなところから変えないといけない。少年法改正の議論は本末転倒だ。粗雑になった親子関係を回復しなければ。 ◎ ラストシーン。教室に戻った主人公は先生に名前を呼ばれ,大声ではなく,ためらいながら小声で「はい」と返事をする。それは僕自身の声でもある。この子はこれから大丈夫か。私も保障できない。学校をよくしていく自信もない。でもこのままでいいとは思わない。その気持ちを共有してほしい。 ◎ 次に描いてみたいテーマは。抽象的な言い方しかできないが,「勉強ってとても面白いんだ」というテーマで作れないか。ものを考える時のわくわくするような喜びを描いてみたい。 今はむしろ逆。ゆとり教育で授業時間を減らし,ボランティアも単位に入れ,成績が落ちてもかまわない。一部の秀才がいればいいという発想だ。 でも,それは違う。今この国が考えなければいけないのは,子どもたちがどうすれば勉強が面白くなるか,ということではないか。 |