運動靴と赤い金魚

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 「運動靴と赤い金魚」は、1997年第22回モントリオール国際映画祭にて、グランプリ、観客賞、国際カトリック協会賞、国際批評家連盟賞の4部門に輝いた。
平成13年1月4日レンタルビデオで見る。
監督、脚本のマジッド・マジディ    イラン映画、
出演、主人公のアリ役のミル=ファロク・ハシェミアン、妹ザーラ役のバハレ・セッデキ

 

あらすじ

 

 イランの、貧しいが心正しき一家の、愛と絆を描いた名作。

 主人公のアリは、妹ザーラの運動靴の修理を頼まれたが、買い物の途中でなくしてしまう。運動靴がなければ学校に行けないという妹に、自分の運動靴を交代で履いて学校へ行くことを提案する。つまり、朝は妹が運動靴を履いて学校へ、帰ってくる途中でそれを履き替えて、アリが学校へ行くのだった。彼は父が怖かった。それは、子供心に自分の家は貧しく、運動靴が買えないと思っていた。このことが父に知れたら、どんなに叱られるか知れない。だから、妹に、絶対に黙っているように頼んだのだった。

 彼の父は、信仰心が厚く貧乏であったが、決して人のものに手を出すことはなかった。また、文句も言わず、ただひたすら働いたが、それでも家計は苦しかった。母は、病気がちで身体が弱かった。でも、自分だけ寝ているわけにはいかないと、日銭を稼ぐため、隣の家の絨毯を洗濯して腰を痛めるような人だった。また、兄妹もそろって心やさしく、両親を助けるために、懸命に手伝いをするのだった。

 運動靴を交代で履き学校に行くということが、いつまでも続けられるものではなかった。ある日、小学校対抗の地区マラソン大会が開かれることになった。3等の賞品が運動靴であることを知ったアリは、その大会に出て、絶対に3等になる決意をする。それは、新品の運動靴だから、店に行って女物と交換でき、それを妹に渡せると考えたからである。数百名にのぼる選手が、池を一周する長さ4qのコースを走る。アリは、スタートこそ出遅れたが、妹の顔が目に浮かび、必死で頑張る。そのかいがあってトップに立つ。でも、3位でなければ意味がないと、スピードを調整し回りを見ながら走る。しかし、ラストに近くなると、6人でデットヒートが繰り広げられ、順番はわからないまま、アリは夢中でテープを切った。

 

 

 

詳しい筋

 

◎ 主人公のアリは小学校の6年生ぐらいで、家の手伝いをよくする素直な少年である。彼は、母に頼まれて、妹の赤い運動靴の修理と、パンや果物を買いに行った。修理の終わった妹の運動靴をなくさないように、大事に抱えていたが、果物屋では、何の気なしに運動靴を入れた袋を、外に置いておいた。(きっと貧しいが、信心深い住民が多く、治安がいいのだろう。彼は、盗難に遭うという心配を全くしていない。)

◎ ところが、店の中で果物を選んでいる隙に、ゴミの収集人が、間違ってゴミと一緒に、運動靴の入った袋を持っていってしまう。それに全く気がつかないアリは、店を出ようとしたときに、袋がないことに気がつき、必死で探すがどこにもない。途方に暮れるアリの表情と姿が痛々しい。

◎ 肩を落としてアリが家に帰ってくると、絨毯の洗濯(人の家のものを洗濯し日銭を稼いでいた)をしながら、母親が大家と家賃のことでもめている。家に入ると妹ザーラ(小学校の3年生ぐらい)がいて、運動靴が直ったか聞いてきた。アリは、何とかごまかし、再び果物屋に行って探すが、やはりない。家に帰り、妹に訳を話し、父親には黙っているように、必死で説得する。

◎ 夜、父親は病気の母親に向かって、重い絨毯を洗濯したこと、大家と言い争ったことを注意する。それは、母親が医者から無理をする事を禁止されていたからである。父は、その母親の手伝いをしなかったアリを、何をしていたのかと責めた。

◎ 部屋の広さは12畳程度で、家具はほとんどなく、中古の扇風機と白黒のテレビが1台置かれているだけである。そこで、家族4人が寝ている。父親は工員だが給料は少なく、家賃を半年ぐらいためたり、果物屋の付けがいっぱいあるなど、生活は極度に苦しい。

◎ 夜、一日の仕事が終わってから、部屋で角砂糖を黙々とつぶしている。これは、教会のお茶係の父が、イスラム教の集会の時に信者に出す砂糖であった。部屋に寝ていた母が、お父さんにお茶を出すようにザーラに言う。彼女がお茶を持っていくと、父は、娘の出すお茶が一番おいしいと嬉しそうな顔をする。砂糖が欲しいという父親に、彼女は角砂糖を黙って指さす。しかし、父は信者みんなからの預かりものだと言って、手を出さなかった。

◎ ザーラは運動靴がないので、明日から学校に行けない、どうしたりいいかと、ノートに書いてアリに渡す。これは、両親にはわからないようにとの妹のやさしい心使いからだった。アリは、自分の運動靴を交代で履いて学校に行けばいいと答える。つまり、朝は妹が運動靴を履き学校に行き、帰ってきたらアリがそれを履き替えて学校へ行くのだった。(イランの学校では、授業が午前と午後に別れていた)

◎ 朝、妹は兄の運動靴(ぶかぶかで相当痛んでいる)をはいて、恥ずかしそうに学校へ行く。そして、授業が終わると必死で走って帰る。途中で兄が待っていて、路地裏で運動靴を履き替え、アリが学校へ行く。しかし、必死で走ってもほんのわずかだが遅刻してしまう。こんなことを繰り返している内に、学校の怖い先生に見つかり、父親を呼んでこいと帰されてしまう。その場は、担任の先生の計らいで何とかおさまるが、もう2度と遅刻しないと約束させられる。

◎ この兄妹、親の手伝いをよくする。母が病気であることも関係すると思うが、妹はいつも学校から帰ると、何か家の手伝いをしている。それは、アリも同じである。また、兄妹の仲がすごく良く、貧しいが、二人の間には心が温かくなる愛がある。そんな、兄妹を母も父もほめ、自慢にしている。

◎ 妹は学校で、自分の盗まれた運動靴を履いた女の子を見つけ、その子の家まで後をつけた。そして、兄と一緒にその子の家に行き、運動靴を返してもらうつもりであった。しかし、その子の父親が目の見えない人であり、その子をほんとうにかわいがっている姿をみて、何も言わずに帰ってくる。このシーンはすばらしく、人の心の痛みがわかる兄妹に拍手を送りたい。世の中には、自分たちよりももっと不幸な人がいる、『自分たちはまだ幸せなんだ』ということがわかったのだろう。

◎ 妹が学校帰りに、兄からもらったシャープペンシルを落とした。それを自分の運動靴を履いている女の子が拾い、それが縁で仲良くなる。ある日、その子の運動靴が新しいものに変わっているのに、気がついた。テストで100点を取った褒美に、父から買ってもらったものだった。前のはどうしたのかと聞くと、古くてぼろぼろだから、捨てたという。ザーラは、それ以上何も言えなかった。きっと、自分の惨めさがつらくてだまったのだろう。そんな、ぼろぼろの運動靴でも欲しがる自分に……。

◎ 父が友達から庭師の道具一式を借りる。それを使って、お屋敷町を流せば、庭師の仕事がもらえ、それでたんまり稼げるという話だった。次の休日、父はアリをともなって、お屋敷町に自転車で向かう。イランの市街地の高層ビル街、それを練って走る高速道路網と高級車。古い自転車に2人乗りする親子との対比が、貧富の差が激しいことを物語っている。お屋敷町の立派な豪邸、広い道は閑散として人がほとんどいない。門にはインターホンがあって、用がある人はそこで受け答えをする。犯罪防止のためか犬を飼っている家が多く、なかなか家の中には入れない。

◎ 父親には、インターホンに向かって、庭師の仕事があるかどうか、うまく聞くことができない。働くことだけで教養も度量もない、そんな世渡りの下手な父親であった。しかし、アリはうまくしゃべり、それを見た父親が、アリはすごいとほめる。手分けして何軒もインターホンを鳴らし、仕事がないか聞いても、どこも雇ってくれない。ほとんどあきらめかけているときに、1件の屋敷から庭師の仕事の依頼があった。それは、アリに遊んで欲しいと思った、その家の子供がおじいちゃんに頼んでくれたためであった。アリがその少年と遊んでいる間に、父は庭の手入れを念入りにやる。その甲斐あって、たくさんのお金をもらうことができ、上機嫌で自転車に乗って家に帰る。

◎ 父は、1ヶ月ばかり休みを取り、屋敷をまわって庭師の仕事をやれば、いい収入になり、何でも好きなものが買ってやる、冷蔵庫でもタンスでもと言う。アリは、妹の運動靴が古いので買ってやって欲しいと頼むと、父も快く承知してくれた。その時、自転車のブレーキが利かないことがわかる。急な坂を自転車が猛スピードで走る。スピードは加速され、木にぶつかり自転車ごと倒れる。

◎ けがをした父と息子、それに壊れた自転車を軽トラックが運んで行く。このお金のためにせっかく、手に入れたお金は全てなくなった。

◎ 小学校対抗のマラソン大会が開かれることになった。1等から3等までには賞品が出て、3等は運動靴だった。ただし、地区の大会であったので、学校から代表が5,6名しか出られなかった。運動靴の賞品が出るのを知って、彼は、選考試験が終わったのに、自分も連れていって欲しいと必死に先生に頼み、再度自分だけテストをしてもらう。必死に走る彼のタイムはすばらしいものであった。そこで、先生も例外を認め彼を選手として選んだ。

◎ 家に帰ると、アリは妹にマラソン大会に出場が決まり、3等になると運動靴が賞品としてもらえることを告げる。男の運動靴はいらないという妹に、新品であるから、靴屋で女物と交換してもらうという。喜ぶ妹を見ながら、アリは絶対に3等になろうと決意する。

◎ 大会の日、トラックでアリの学校の選手がやってくる。それぞれの地区の学校の選手がウォーミングアップをしている。アリの通う学校は貧しい家庭が多いのか、その他の小学校の生徒と様子が違う。彼らは、立派なトレナーと運動靴を履き、上品そうな母親が楽しそうに記念写真を撮っていた。

◎ コースは湖を一周する、約4キロのコースであった。数百人の出場選手の中で、最初アリは出遅れたが、終盤一気にスピードを上げ、先頭に立つ。そのまま行けば優勝と思った瞬間、3位でなければ意味がないとわざと遅れる。それでもラストに近づくと6人の選手がデットヒートを繰り広げ、3位になれるかどうか微妙になる。手に汗握るシーン。

そして、無我夢中になり、自分の順位がわからずに、アリはテープを切る。

◎ アリの思惑とは違って、優勝をしてしまう。喜ぶ先生とは対照的に肩を落とし悲しそうなアリの姿が印象的。家に帰り妹に運動靴がとれなかったことを言う。アリは、運動靴を脱ぐ、足には豆ができ、所々出血してはれていた。運動靴は底が抜け、はける状態ではなかった。アリは、足をため池に沈める。その足をやさしくいたわるように、赤い金魚がなでる。

◎ そのころ、父は、もらった給料で買い物をしていた。その中に、アリの運動靴と、妹の運動靴があった。

 

 

私の感じたこと

 

◎ 父親は、働き者である。何の不平も言わずに、休みの日でさえ庭師になって働いている。それは、家族を楽にさせるためである。また、疲れて家に帰っても、教会のお茶係の仕事をしている。社会に対する不平、貧富差に対する不満がない。お屋敷町に行き、その豪華な邸宅を見ても、心の動揺がない。これは何でだろう?家族の絆なのか、宗教の力ななか、それとも父親の考え方のせいだろうか?ストリートチルドレンや働かされる子供達など、イランの貧富の差は激しく、彼らの家族以上に貧しい層はある。それを思えば、まだ幸せという気持ちのせいだろうか?幸せに生きるには、こういうことが大切だ。自分の現状を認め、それに満足する。そこから、幸せは生まれる。

◎ アリの家の貧しさは、自分の少年時代を思い出させる。もっとも、自分はあんなに大変ではなかったが、自分の回りには、ああいう状況がいっぱいあった。自分たちの少し前までは裸足で遊んでいた子も珍しくなかったし、給食費のお金が払えない子や、遠足のおやつが買えない子はざらにいた。

◎ 自分の家も父が働いていた(塗装職人)が、やはり苦しかった。母は病弱でよく寝ていた。アリの家族とよく似ていたけど、それでも、妹が洗濯や掃除をしたり、自分もそんなに、手伝いをしていたわけではない。しかし、手伝いを頼まれればするのが当たり前という、気持ちだけは常にあった。(今の子供はそういう気持ちすらない。)妹とはよく喧嘩したし、気持ちを思いやったこともほとんどない。そのことを考える、妹思いでやさしいアリはすばらしい少年だと思う。

◎ 妹も靴をなくした兄を責めずに、親にも黙っている。そして、不自由な生活(靴を履き替えて学校へ行くという)にも協力をする。アリも妹も親の姿を見て、自然にこういうやさしい子供になった。『子の親にして、この子あり』である。

◎ 妹の盗まれた運動靴を履いている子の家に行って、靴を取り返そうとした時に、その子の父親の目が見えないことを知って、何も言わずに帰ってきた。自分より不幸な人を見て、自分の幸せを感じるという、そんな繊細さがすばらしい。自分の子供の時には、そんなやさしさはなかった。

◎ この家は、運動靴を買えない程貧乏だったのだろうか?運動靴が盗まれたことが分かり、妹が不自由するとわかれば、親としては何としても買ってやる。それが親である。それに、その程度のお金のやりくりはできるはずで、後は、どれを優先するかの問題である。(親から見れば妹の運動靴は順位が高いはず)ただ、子供から見ると、自分の家は非常に貧乏に見える。だから、親にそんなことを話してはいけないと勝手に決め込んでいる。それが子供というものだ。子供なりに、自分の家や自分の両親に対して気を使っている。これを見ても、この映画が、子供の視点で描かれていることが分かる。

◎ 子供の頃は、父親(大人)は怖いものだ。だから、妹が父に言うことをものすごく嫌がる。盗まれたのだから、アリには責任はなく、仕方がないというのは、大人の考え方だ。子供は、大人はそんなに寛大ではないと思っている。

◎ ラストシーンの淡泊さ……。これがイラン映画の特徴か?日本映画なら、食卓を囲んで、一等になった褒美に運動靴を渡す。そこまでやるだろう。

◎ 題名の赤い金魚は何を意味しているのだろうか?妹の運動靴が赤い金魚に似ているためか。それとも、家族を象徴しているのか?傷ついたアリの足の近くに、金魚は集まってきて、彼の足を慰める。それによって、彼の心が癒される。

 

 

イランの学校

 小学校への就学率はほとんど100%に近い。現在、授業時間は、午前(7時半〜12時)と午後(1時〜4時)に分かれており、生徒も午前と午後に分かれている。

◎ イランのお茶

 イランでお茶といえば紅茶のこと。砂糖を口に含んでから飲む飲み方が一般的である。

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