ダンサーインザダーク

映画の目次へ 

 

ダンサー・イン・ザ・ダーク

dancer in the dark

平成13年1月17日 映画館で見る。

 2000年5月、カンヌ国際映画祭は、鬼才ラース・フォン・トリアー監督と、アイスランド出身のカリスマシンガー、ビョーク主演のダンサー・イン・ザ・ダークで盛り上がり、この作品は、パルムドール(最高賞)とビョークの主演女優賞の2冠に輝いた。

監督・脚本カメラオペレーター ラース・フォン・トリアー

キャスト セルマ(ビョーク)、キャシー(カトリーヌ・ドヌーブ)、ビル(デビッド・モース)ジェフ(ピーター・ストーメア)。

 

 
  遺伝性の病気のため、近い内に失明する運命にあるセルマは、同じ病気の一人息子ジーンの手術のため、チェコからアメリカに移った。その手術費を貯めるため、不自由の目を押して、昼は工場で働き、夜は内職をしていた。しかし、そのことは誰にも言えない秘密だった。特に、息子には……。それが知れると、ショックで息子の目は見えなくなると固く信じていた。彼女は空想にふける癖があり、工場の音を手がかりに、そこからミュージカルの世界に簡単に入ることができた。このことと、目がほとんど見えないことが原因で、工場を解雇された。失意の内に帰宅した彼女は、手術のために貯めておいた、2000ドルがなくなったことに気づく。直感で隣人のビルが盗んだと分かったセルマは、ビルの家に行く。そこで、必死に自分の金を取り戻そうとしたセルマは、間違いから銃を握らされ、ビルを射殺してしまう。セルマは、取り戻したお金を、密かに病院を訪ね、息子の手術費として渡す。セルマは逮捕され、裁判に掛けられる。裁判では、彼女にとって何一ついい証拠がないまま有罪となり、死刑が言い渡される。セルマにとって、息子の手術ができるかどうかが、最も大事なことであり、そのために、自分がどうなってもいいと思っていた。子供のために自己を犠牲にできる愛の深さに感動する。そして、セルマの処刑の時、親友のキャシーから、息子の目の手術が成功し、今外に来ていることを知らされる。一瞬彼女の顔に微笑みが浮かんだ瞬間、刑が執行された。

 

 

◎ 1950年代、チェコからアメリカに移民したセルマと、その最愛の息子ジーンとの愛の物語。涙なくしては見られない、感動の名作である。

◎ セルマ(ビョーク)は、遺伝性の病気のため、近い内に失明する運命にあった。はじめは極度の近視であったが、病気の進行にともなって、目が見えなっていく。セルマは、牛乳瓶の蓋のようなめがねをした、化粧気の全くない、素朴で小柄な女性である。

◎ 彼女は、プレス工場に勤め、大型の洗面器などを作っていた。もともと目が悪い上に、さらに、幻想の世界に浸り、物思いにふける癖があったので、時には金属板を2枚入れ、機械を壊しそうになって、上司に叱られることもあった。そんな時、親友のキャシー(カトリーヌ・ドヌーブ)が、隣で何かと面倒を見て庇ってくれる。二人は、職場の同僚であるばかりでなく、プライベートでも仲の良い親友だった。

◎ キャシーは、セルマの好きなミュージカルをやっている映画館に一緒に行き、画面で何が行われているかを逐一説明してやる。その声があまりうるさいので、前に座っている男が、静かにするように言うが、セルマの目が見えないこと、目が見えない人にも映画を見る権利があるとして頑として引かない。また、セルマが、素人芝居でミュージカルをやるために、練習に参加するときは、彼女の手足となって付き合っていた。

◎ セルマには、小学校の4年生ぐらいの一人息子ジーンがいた、彼は、不登校ぎみで、学校に行かない時は、隣人の警察官のビル(デビッド・モース)が、ジーンを伴って工場に来た。セルマは、なぜ学校に行かないのかと息子を殴り激しく責める。母親一人だけだからよけい厳しくしなければという気持ちからだった。息子も手術をしないと、彼女と同じ遺伝性の病気で失明する運命だった。アメリカに来た目的は、手術のためで、今は、その手術費用を貯めるために、できるだけ生活を切りつめていた。そのため、不自由な目を押して、工場の仕事が終わってから、家でも内職をしていた。セルマのことを密かに愛しているジェフ(ピーター・ストーメア)にも、恋をしている暇はないと、邪険にする。

◎ 息子が、自転車を欲しいと言った。自分のクラスでは自転車を持っていないのは自分だけである。だから、肩身が狭く学校に行けないと……。何とかしてやりたかったが、自転車を買う余裕はなかった。そこで息子には、国元の父に仕送りをしているから、家が貧しくて自転車など買う余裕はないと嘘を言った。口が裂けても、手術のために、お金を貯めているとは言えなかった。それは、息子に遺伝性の病気であることがわかると、ショックのあまり目が見えなくなると、彼女は固く信じていたからだ。

◎ 彼女は必死で息子に諦めさせようとするが、自転車は彼の誕生日に、回りに人の親切で買ってもらうことができた。これは、彼女の真面目な人柄が、人々から愛されている証拠である。

◎ セルマの家の大家は、ビル夫妻であった。(夫婦のトレーナーハウスを借りていた)ビルは気の弱そうな警察官である。夫妻は、何かとセルマ親子の面倒を見てくれ、親切に助けてくれた。ある夜、ビルがセルマの家を訪ね、自分の悩みを訴える。妻が浪費家で、自分の給料や遺産を全て使い果たし、今や破産の寸前である。自分は妻を愛しているので、できるだけ、彼女の言うとおりしてきた。しかし、ここまでくると、どうしようもないと…………。

◎ セルマは、ビルの家は豊かで、何一つ不自由のない生活をしていると思っていたので、びっくりした。そして、自分に秘密を話してくれたビルに報いるように、自分も秘密を話す。それは、国元の親に仕送りをしているのではなく、遺伝性の病気のため、失明する息子の手術のために、お金を貯めているのだと……。二人は、この秘密を誰にも言わないことを約束する。しかし、そこにはセルマのトレナーハウスから出てくる、ビルの姿をじっと見つめる彼の妻がいた。

◎ 自分の目が悪くなってきたことを知った彼女は、働ける内に手術のためのお金をためようと夜勤を申し出た。昼間でも、よく見えないでミスを連発するのに、夜勤などできるわけがないと、キャシーは親切にアドバイスするが、彼女は頑として承知しない。案の定、夜勤は彼女の目には耐えられるものではなかった。しかし、危機一髪ここでも、キャシーが現れて救われる。帰り道、セルマをジェフが車で送ると言ってくれるが、セルマは、それを断り線路に沿って家に帰っていく。足で線路を確認しながら、おそるおそる歩いていく彼女には、ほとんど目は見えず、勘だけが頼りだった。

◎ ビルがお金を貸して欲しいと相談にくる。セルマはきっぱり断るが、彼女が盲目であることを利用し、いったん家に帰った振りをして、お金の隠し所を探ってしまった。

◎ 彼女は、空想に浸る癖がある。工場の音がある瞬間、音楽に変わり、ミュージカルの世界になる。工員が歌い踊る。ただでさえ目が不自由なのに、これによって注意力が落ち、工場の機械を壊してしまい、上司から解雇を申し渡される。わずかの給料を退職金代わりにもらい工場をさる時、彼女は決心する。自分はもう働けない、だから、今までためたお金で手術をしてもらおうと……。

◎ キャシーが心配して来てくれる。しかし、心配ないと言って、線路を歩いて家に帰る。鉄橋にさしかかった頃、ジェフが追いかけてくる。鉄橋でディゼル車とすれ違うとき、彼は彼女が目が見えないことに気がつく。列車の音に彼女の幻想はふくらみ、一転ミュージカルの世界になる。『過去に全てのものを見た。未来に見るものはない。だから、目が見えなくても悲しくない』と歌う。送っていこうというジェフに、大事な用があるから3時に迎えに来てほしいと頼む。

◎ 家に帰った彼女、さっそくもらった給料を、缶の中に入れようとして、しまって置いたお金がないことに気が付く。これは、ビルが取ったものだと直感でわかった彼女は、ビルの家に行く。そこには、ビルの妻がいて、ビルからトレナーハウスに連れ込まれ、セルマに誘惑されたと聞いたが、どういうことかと問いつめられる。妻から汚い言葉で罵られるが、セルマは、とにかくビルと話がしたいと2階に行く。

◎ ビルは、セルマから盗んだ金を数えていた。セルマは、自分の金だから返して欲しいと、必死で頼むが、ビルは承知しない。次第に両者共エキサイトし、もみ合う内に誤って、セルマは拳銃を握らされ、ビルを撃ってしまう。銃声にあわてて、妻が駆け寄ると、セルマがお金をビルから必死に奪おうとしていた。ビルは妻に、警察を呼びに行くように叫ぶ。妻が去った後、なおも執拗に金を取ろうとするセルマに、ビルは殺してくれと頼む。(きっと、妻の浪費癖を悩み、いっそ死んだ方が楽だと思ったのかも知れない)

◎ セルマは狂ったように拳銃を取り、引き金を引く。玉が2発3発と身体に当たる。それでも、お金を離さないビルの顔を貸金庫の箱で何度も殴った。血だらけのビル、お金を取り戻したが呆然自失のセルマ、夢遊病者のように、自分の家に帰る。『母さんは仕方なしにやったのよ』とつぶやきながら……。そこには、3時の約束には少し早いが、ジェフが待っていた。

◎ 車に長いこと乗って、人里離れたバス停まできた。絶対に後は付けないでと、念を押し、セルマは車を降りる。あたりはすでに暗くなっていた。ロープを伝い(ロープが張られていたのは、そこが目の不自由な人が通う病院だったからだ。)病院に行く。そこで、医者に約2000ドルのお金を渡し、約束の金には足りないが、これで精一杯だから何とか手術をして欲しいと必死で頼む。熱意に打たれた医師は手術を承諾する。

◎ 帰り道、芝居の稽古に顔を出した所を逮捕され、強盗殺人の罪で裁判にかけられる。彼女は目が見えるのに、盲目だと偽って、人をだましていたこと。お金を貯めていたのは、国の父親に送金するためであると偽っていたことなど、何一つ陪審員の心証を良くするような証拠は出てこなかった。結果、あれほど良くしてくれたビルを、お金ほしさのために、惨殺した罪は重いということで、有罪となり絞首刑と決まった。

◎ 死刑囚となったセルマに、キャシーが面会に来る。新たな証拠が出てきたので、再審が行われるかも知れないと話す。それは、ジェフが彼女を降ろした場所から、病院を探し当て、セルマが息子の目の手術のために、お金を使ったことがわかったからだ。(殺人には変わりないが、そのお金の目的が正当なものであり、情状酌量の余地があることから、減刑の可能性が出てきた)

◎ しかし、刑の執行は1週間後に迫っていた。再審が認められるなら、刑の執行が延期されるはずだった。予定なら、明日刑の執行となる日、セルマはほんとうに死ぬのが怖くなり、死にたくないと心底思った。

◎ セルマの担当の女性看守にも、息子があったことからお互いに心が通じあった。音が何もない独房は、セルマにとって地獄だった。音があれば、幻想の世界で楽しい気持ちになれる。セルマは、換気口のわずかなすき間から聞こえてくる音から、自分自身の世界に浸り、恐怖を紛らすのだった。そんな、願いが通じ刑の執行が猶予された。

◎ 新しい弁護士が接見に現れ、子供のための犯行であると主張すれば、同情を集め、減刑できるかも知れない、自分には自信があると言った。そして、報酬としてキャシーから2000ドル受け取る予定であるという。これを聞いたセルマは、顔色が変わり、即座に再審請求を断った。(2000ドルは手術のためのものであり、それを弁護士費用に使うことは、子供の手術ができないことである)

◎ あわてて面接に来たキャシーに、「勝手なことをしないでほしい」と怒りをぶつける。どんなことがあっても、息子に手術をさせたい。そのためなら、自分はどうなってもいい、そのことだけがセルマの願いだった。

◎ 再審を申請しないとは、刑の執行が決定することだ。そして、2度と刑の執行が延期されることはない。やがて、その日が来た。足がすくんで歩けないセルマを抱くようにして、看守が足を踏みならす。その音を勇気に代えて、絞首刑場へと一歩一歩、歩く。

◎ 刑場には、州の規則により未成年は立ち会うことができなかった。そのため、息子のジーンはいなかった。そこには、キャシーがいて、恐れ、怖がるセルマに、ジーンのめがねを渡し、「ジーンは、外に来ている。そして、手術は成功した」と伝える。それを聞き、セルマの表情が優しく変わった瞬間、刑は執行された。

◎ ストーリーにやや無理がある。いくら、戦後間もないといっても、あの捜査の仕方と裁判は納得できない。

◎ 彼女の弁護士は、国選といえどもあまりにもひどい。反論を一切しないし、友達や同僚の証人喚問も全くしない。彼女のつつましい生活を考えれば、国もとに送らなければそのお金はどうしたのか?疑問になるはずだ。それから、百歩譲っても、一人殺したぐらいで死刑も納得できない。

◎ 捜査がいい加減だ。たとえば、盗まれた2000ドルのお金はどこに行ったか?これは、犯行後の彼女の足取りをとればすぐわかることで、そうなれば、盗んだのが目の手術のためであることはわかる。また、彼女の目が近視であるかどうか、それも、医者に診断させれば現在の状況はわかる。それから、彼女の日頃の生活から、友達に聞くなりすれば、お金を盗む必要がないこと。それから、ビルのことも少し知らべれば、経済状態や妻の浪費癖等はわかるはずだ。

◎ セルマは、お金を盗まれても、ビルの秘密をなぜ守り通したのか?死刑が、死ぬことが怖いなら、その秘密を話すことで、減刑も期待できる。そうすれば、自分の金であるという、論理にも筋が通る。

◎ 2000ドルのお金の価値は現在の貨幣価値にするとどれくらいになるか?、50年代は、一ドル360円だったし、今との物価の違いもある、それらを考えると、今のお金にして、数百万円ぐらいのお金だろうか?それにしても大金である。それならなぜそれだけのお金を銀行でなく、家に隠しておいたのか?それも自分が目が不自由なのに?

◎ 彼女の声の魅力、表情の自然さ、化粧も全くない素朴な女性は、歌手のイルカ(なごり雪の)を連想させる。彼女の演技に引き込まれ、セルマの境遇を思うと、こみ上げるものがあり、人がいなければ声を出して泣いたかも知れない。それほど、揺さぶられるような感動をした。

◎ 言葉よりも彼女の表情が深いものを語っている。

◎ 絞首刑になった、セルマは幸せであったのか?母親のいない、目の見える少年と、目が不自由であるが、母親のいる少年。また、少年は強盗殺人犯の息子という、汚名を一生背負って行かなくてはならない。

◎ ハッピーエンドのストーリーなら、再審で、彼女の無実が証明され、息子の手術も成功する。こうなっていくことを想像(期待)した。どう考えても彼女に罪はない。それを絞首刑にするのは、どうしても我慢できない。画面を見ながら、なんでそうなるのと?何度も叫んでいた。

◎ 究極の自己満足、そういう批評もあるが、それもなるほどだと頷ける。それは、無実をはらすことは、息子のためであり、彼女の親友や恋人のためである。死んでいくセルマは良いが、残された彼らはたまらない。冷静に考えるとストーリーをある方向に、無理矢理引っ張って行っている気がする。それは、彼女の冤罪がはらされない方向に、彼女が不幸になる方向に……。

◎ それでもこれほどの感動を与えるのは、セルマの目が見えなくなるという現実。それでも明るく生きる姿。そして、自分を犠牲にしてでも、息子を愛する気持ちがそうさせるのだろう。  

◎ 親が子供のために、命をかける。この重いテーマについて考えてみた。自分の子供のために何かしてやる。これは自分でもできる。ただ、それによって自分の命をかけることができるかとなると、今の自分にはできないと思う。(最も、その時の状況によってはわからないが、今、冷静な状態で考える限りできないと思う)

◎ セルマは、それができる。それは、何でだろう。それは、ジーンが自分の体を痛めて産んだ、子供だからだろうか?それも大きな要素だろうが、ただ、そればかりではない、もっと深いものがある気がする。本当に人を愛する。本当に自分の子供を愛する。その究極の愛の姿(到達点)がそれ(命をかける)ではないか。それを考えると、命まで捨てられないと考えている、今の自分はそこまで、子供を愛していないのだろう。最も、環境が人を作るのたとえのように、そういう過酷な状況になっていれば、子供を命をかけて守るかもしれない。それを考えると、今が幸せである証拠かもしれない。

 このことを考えている時、ふと、家族狩り(天童荒太の小説)を思い出した。犯人が、両親を縛り、刃物で脅しながら、『子供を命をかけて愛してきたか』と聞くシーンがある。恐怖に顔を引きつらせ頷く両親に、犯人はその証拠を見せろと、刃物で体を切り刻み、その痛みに耐えさせる。今考えても背筋が凍るシーンですが、これに深い意味があることに気が付いた。不登校になったり、家庭内暴力が起きたとき、その親が、自分の命をかけて自分の子供を守ってやったかを問いかけている。つまり、命をかけるほど真剣に子供のことを考え、育ててきたら、子供はこんなふうにはならないぞ、それを反省しろと言っているわけである。

◎ ダンサーインザダークと同じ監督の作品に、奇跡の海がある。この作品は、愛する夫のために娼婦になり、最終的には、夫の命と引き替えに自分の命を捧げる、悲しい女の物語です。ベスは愛する夫が事故で寝たきりになったのは、自分が神に、すぐ夫に会いたいと願ったためだと、自分を責めます。献身的に看病する彼女に、夫は、他の男とのセックスを話すことを望み、それが生きていく糧であると、彼女に無理強いをします。はじめは、強く拒否する彼女ですが、夫の病気を良くするにはそうするしかないと、真剣に考え、娼婦になります。しかし、彼の病気は悪くなるばかり、そこで彼女は再び神と契約をします。自分の命と引き替えに、夫の病気を直してくれと……。そして、その奇跡は起こります。

◎ 献身的な愛、無償の愛、命がけの愛には、いろいろなパターンがある。セルマとベスでは愛の形は違うが、共通しているのは、二人とも幸せそうだということである。やはり、人が幸せになる道の一つは、人のためになる。人のために尽くす事だ。それが、自分の家族であれば、それに勝るものはない。

◎ 奇跡の海のベスは、夫の怪我が自分の望んだ事だと責任を感じ、精神に異常をきたす。夫は脳を傷つけ、寝たきりで起きあがれず不能となる。ベスに『お前が他の男とやっているところを想像する事で、生きていける。』だから、他の男と寝ろと。初めはそれを拒否していたがしだいに、それをしなければ夫が治らないような錯覚に襲われ、娼婦にまでなる。そして、最後は神との約束で、自分の命と引き替えに夫を立ち上がれるようにする。夫のため、人を愛することで自分の命、誇りまで捨てられるか?彼女の一途な愛は報われ、夫は治り、海に捨てられた遺体は、天上で鐘を鳴らす。小さな田舎町、教会が人の心を支配する。ベスは信心深く、一人で教会で神と対話している。神に捨てられること(教会から)は、死を意味していた。それ以上のもの、永遠の平和を失わせるもの。全てをなくす。全ての希望をなくすことを意味した。

◎ 娼婦になり、子供達から石を持って追われる。自分の惨めさを確認する。母から、家に入ることを断られ、教会への出入りも止められる。

◎ 神は実在する。そして、自分を見守り、自分との約束を果たす。夫への愛は、神への愛である。一方的に与えるものである。

◎ 無償の愛、一方的な愛、母の愛、天童荒太の『家族狩り』結局、口先だけの愛で、自分のための愛でしかない。自分が痛みを感じてもそれを守ってやれ、それが本当の愛だ。命を捨ててでも子供を愛してきたか?命がけで子供を愛してきたか。救おうとしてきたか?自分はどうだろうか?人のためにやるといってもそれは、自分のため(自分の自己満足や気持ちがいい)である。自分に苦痛が降りかかってもやれるか?残念ながら、自分にはできない。

上に戻る