奇跡の海

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奇跡の海

ラース・フォン・トリアー監督 

エミリー・ワトソン

 


◎ 奇跡の海のベスは、夫の怪我が自分の望んだ事だと責任を感じ、精神に異常をきたす。夫は脳を傷つけ、寝たきりで起きあがれず不能となる。ベスに『お前が他の男とやっているところを想像する事で、生きていける。』だから、他の男と寝ろと。初めはそれを拒否していたがしだいに、それをしなければ夫が治らないような錯覚に襲われ、娼婦にまでなる。そして、最後は神との約束で、自分の命と引き替えに夫を立ち上がれるようにする。夫のため、人を愛することで自分の命、誇りまで捨てられるか?彼女の一途な愛は報われ、夫は治り、海に捨てられた遺体は、天上で鐘を鳴らす。小さな田舎町、教会が人の心を支配する。ベスは信心深く、一人で教会で神と対話している。神に捨てられること(教会から)は、死を意味していた。それ以上のもの、永遠の平和を失わせるもの。全てをなくす。全ての希望をなくすことを意味した。

 

 


◎ 娼婦になり、子供達から石を持って追われる。自分の惨めさを確認する。母から、家に入ることを断られ、教会への出入りも止められる。

◎ 神は実在する。そして、自分を見守り、自分との約束を果たす。夫への愛は、神への愛である。一方的に与えるものである。

◎ 無償の愛、一方的な愛、母の愛、天童荒太の『家族狩り』結局、口先だけの愛で、自分のための愛でしかない。自分が痛みを感じてもそれを守ってやれ、それが本当の愛だ。命を捨ててでも子供を愛してきたか?命がけで子供を愛してきたか。救おうとしてきたか?自分はどうだろうか?人のためにやるといってもそれは、自分のため(自分の自己満足や気持ちがいい)である。自分に苦痛が降りかかってもやれるか?残念ながら、自分にはできない。

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