8月のメモワール

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 3年くらい前に一度見たことがありました。始まってすぐに、見たことがあるのではと思うようになり、見るにしたがってだんだんと思いだして来ました(笑)。でも、細かい部分はほとんど忘れていましたが……。

 真の友情とは?映画では、この問題を投げかけてくれました。父親のベトナム戦争での体験は壮絶ですね。自分が生き残るか、親友が生き残るかの究極の2者択一でした。

 そこで、親友を見捨ててしまったことへの後悔。戦争という異常な世界であったけど、それが許せなくて、精神を病みます。正常な人だから精神を病むんです。このことが、彼が正義感の強い正常な人であった証拠です。

 そこで彼は言います。「目的のある戦争も、いつしか正気を失い、しだいにその目的を忘れてしまう……」と。また、「守る以上の人を殺してしまった。」さらに、「戦ってまで守るようなものはない……」と。彼が心の安らぎを得るためには許すこと、そのため、自分と国を許そうとしたが、彼にはできませんでした。

 映画では「父親にとっての戦争」と「子ども達にとっての戦争」の二つを並列して描いていましたが、規模の大小は違うけど、戦争のすべては憎しみから始まる。そして、だんだんとエスカレートして行って、いつしか誰も止めることができなくなるわけです。

 私はこの映画を見ながら、<スタンバイミー>を思いだしました。この二つの映画は、子供達世界というくらいの共通項しかないのに、なぜか私には同じ匂いがしました。

 ベトナム戦争を描いた作品は数多くありますが、それは、ベトナム戦争がアメリカに与えた影響(傷や深刻な問題)の大きさのせいだったからでしょう。

 「世界の自由と民主主義」のために戦う彼らは、<なぜ、私達が……>と深い疑問をもっていたことでしょう。ベトナム戦争が泥沼になって行くにつれて、何のために、誰のために戦ったいるのかわからなくなっていった。せめて、自分の国(自分の家族や、愛する人)のためという、はっきりとした大義名分があれば良かったのに……。そのあげく、戦争からの生きて帰還しても、失業、精神病、障害者としての試練が待っているわけです。それは、家族を巻き込んだ苦しみを与えます。

 それから、この映画は<家>ということも、大きなテーマとなっていました。最初に自分の家が壊される所から始まり、最後は、父親の遺産として競売ハウスが手にはいります。このハッピーエンドには救われました。どんな悲しい、辛い映画を見ても、ラストに希望を感じるとホッとします。ここら辺が、観客にサービスするアメリカ映画の良さだと思います(笑)。

 子供たちは友情の絆としての、ツリーハウスの建設をします。最後に悪ガキ兄妹の末っ子を、命を省みず助けたことから、両者に和解が生まれました。これは大人の戦争も同じだという教訓なんでしょうね。恨みには恨みをではなくて、恨みにも愛を与えよ。そして、恨みの連鎖を断ち切ることが大切です。

 そして、いつしかツリーハウスにも興味を失いナンパに走るわけです。この<ナンパにはしる>がいいですね(笑)。少年期の気まぐれをうまく表現しています。あんなに熱中し、必死で守ったのに、時期が過ぎ飽きると次のものに興味がさっと移る。そう、人間はいつも同じ所にいるわけではありません(笑)。

 ケビンコスナーは良き父親役を好演していました。立派な父親、子供にとっても、妻にとっても存在感があり、インパクトのある父親。良き時代のアメリカの父親の代表なんでしょう。

 一人前の男として、子供にちゃんと話をするのが偉いですね。妻とのダンスシーンはジーンとさせました。娘からの進言で、<言葉や態度>で示すことの大切さを知ります。夫婦であっても、家族であっても、わかっているだろうではなくて、はっきりと言葉や行動にだして、感謝の気持ちや、愛情を表現する必要があるわけです。

 石切場での落盤事故で親友を助けますが、それが原因で自分は死んでしまいます。でも、2度と同じ過ちを犯したくない、真の友情とは何かを、命に代えて教えた息子へメッセージでした。

 

 

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