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 「命」の話をしますね。いつもの休日なら昼寝の時間(食後で眠くなる頃)なので、ちょっと心配してコンビニによって300円の栄養剤とエビせんべいを買っていきました。以前映画を見ながら、眠くなった時にお菓子を口に入れたら眠気が覚めたので、もしもの時に備えて買っていったわけです。せっかく映画に行くのに、眠くなってそれを必死で我慢したり、途中で眠ってしまうのはばからしいからね。

 でも、その心配は杞憂に終わりました。一度も眠いと思ったことはありませんでした。ハンカチも3回ほど使いました。題名が示すように、彼女の書いた「命」が2/3、後残りが「魂」「生」から描かれていました。原作を読んでいたので、この映画が原作を非常に忠実に描いていることがわかりました。

 原作を読んで映画を見る。前回「模倣犯」でそうしました。これの利点は映画を見るために必死で本を読むことができる。つまり、目標ができて励みになることと、原作と映画の違いを比較することができることです。模倣犯の時は、原作と大幅に違っていました。最もあの大作を2時間に納めるのですから、仕方ないと言えば言えますが、それ以上に監督の意志、つまり原作と違った面白さを出したいという強い意欲が出ていました。それに対して、「命」は実に原作に忠実に、本の流れに沿って映画ができていたのは、監督が原作の感動をそのまま映画で伝えようとしたためだと思います。旬の素材を生かして、なるべく手を加えない料理のように‥‥。

 主演は柳美里役の江角マキコです。彼女はショムニのイメージが強いのですが、今回はちょっと違った女を演じてくれました。強くて弱い女。彼女は不倫をし、その相手の子供を生むわけですが、その不倫相手が優柔不断な男で、全く頼りにできません。子供が出来たとわかった時から、逃げてばかりいて、ほとほと愛想が尽きた彼女は、彼と別れ一人で子供を産む決心をします。でも、心の奥ではその男に未練があり、戻ってきて欲しいと密かに願っている。

 彼女には10年間同棲した東という演劇の演出家がいた。その10年間は彼女にとって幸せな時代であったが、彼の浮気が原因で彼女から別れた。彼女は、子供を一人で育てられない不安を相談するために、東を久しぶりに訪ねた。彼は自堕落な生活が災いし、食道癌が全身に転移した末期癌(余命8ヶ月)であった。そこで彼の面倒を見る交換条件で一緒に生活をすることにした。

 演出家の東を演じたのは、豊川悦司ですが、格好良いの一言ですね。あんな素敵な男が末期癌なら、喜んで面倒見たいと女性なら誰でも思うでしょう。彼は、末期癌だと宣告された時、仕方のないことだと死を受け入れていた。しかし、柳美里と一緒に暮らすうちに、お腹の子供(丈陽(たけはる))が、せめて自分の名前を言えるくらいまで生きようと決心する。その壮絶な生への執着が感動を与えます。生きたいのに生きられない。たった2年で良いから生きたいけど、それができません。

 彼は、末期癌の苦痛を和らげるために使う、モルヒネの幻覚に悩まされますが、その幻覚が彼の仕事である、芝居の稽古で演出のために団員に怒っているシーンであったことが、妙に悲しかったです。結局東は仕事だけの人間だった。でも、それが最後は家族のような愛に包まれて死んで行きます。

 「家族のようなもの」これは、柳美里の小説のメインテーマです。柳も東も家族に恵まれず、家族の愛を知りません。でも、その二人が寄り添い、家族のようなものを作り上げ、愛を育んで行きます。この「命」には、他人(友達や知り合い)が柳や東を助けてくれます。どうしてそこまでやれるの?と不思議に感じますが、二人の人徳なんでしょう。家族以上に、「家族のようなもの」が強い絆で結ばれている、そんなことを感じました。

 

 

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