まず、俳優が良い。適材適所といいましょうか、本のイメージとぴったしいやそれ以上のものがありました。渡辺兼が、エグゼクティブプロデューサーをしたとか、役者の選定を彼がしたとなると、そちらの才能もありますね。 渡辺兼の演技は迫真のもの、ほんとうにアルツハイマーにかかっているようでした。自身、白血病にかかってそれを克服した経歴があり、それが十分活かされていました。 樋口可南子は悲しさや苦しみを押さえ気味にそして、強くてしっかりした妻の役を熱演していました。介護に泣いてなんかいられない、しっかりしなければという気持ちが伝わってきました。 ギガフォースの課長である香川照之、陶芸家の大滝秀治も良かった。 映画と小説ではやはり所々設定を変えていました。それは仕方がないこと、でも、私は小説よりも映画の方がさらに良かった気がします。小説が平面だとしたら、映画は映像でそれを立体にします。それが、自分の想像していた以上に良いものだと感動し映画って素晴らしいと思います。 最後のシーン。大滝秀治の言葉「生きているだけでいい」これによって映画が締まりました。 渡辺謙は、この映画のエグゼクティブ・プロデューサー。なんでも、sayuriをとっている時に、アメリカでこの本を読んだとか。そして、この温かいものを多くの人に伝えなければと感じ、この映画を作ることを決意した。 彼は、1989年に急性骨髄性白血病を宣告され、その病気を受け入れる、克服するのに17,8年もかかったとか、その時の体験が生きているわけです。 彼の対談記事が載っていましたが、その中で二つのことが気にいりました。 「治る、治らない」が大きな問題ではない。治らないからダメでもない。その中で、「生きていること」「生かされていること」の意義とか喜びがある。 「結局大事なのは日常なんだ」例えば病気を告げられる、その中で起こってくる劇的な事ってたくさんある。でも、夜は明けて次の日は来るし、腹も減るし、飯も食わなくてはならない。生活をして行かなければならない。 |