チャーリーとチョコレート工場

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 9月
19日(月)の夕方、半田コロナで<チャーリーとチョコレート工場>を見てみました。素晴らしい作品で、大感動です。

 帰る途中コンビニに寄って、明治製菓の板チョコ(100円也)を買って食べました。映画を見ている時から無性にチョコが食べたくなっていたからです(笑)。何年、いや何十年ぶりの板チョコでしょうか?甘さが元気を与えてくれました。明日からまた頑張れます。

 アーモンドチョコはたまに食べていたけど、板チョコは本当に久しぶりです。そして、100円という値段にびっくり、もっと高いと思っていました(笑)。この明治製菓の板チョコ、パッケージと形が、映画のウォンカチョコとよく似ていて、パッケージを破る時、中ならゴールデンカードがでてくるのではと、ちょっとドキドキなんかしてしまいました(笑)。昨日の夜に半分食べて、今日食べようとしたら、ふにゃふにゃになっています。映画の中で、柔らかくならないチョコを発明したという話が出てきましたが、そんなことも思いだしながら、ふにゃふにゃのチョコ楽しんでいます。あの食い意地の張った、デブの少年の気持ちもわかるなあ〜と思いながら……。

 音楽が良かったですね、ワクワクさせる気持ちをさらに高揚してくれました。ウンバ・ルンパ(小人)のミュージカル形式の歌と踊りも楽しませてくれ、その詩には少年達の罪を罰を、ブラックユーモアでうまく表現していました。

 最初の工場のシーンから、つかみはばっちりです。一体これから何が始まるのかとワクワクさせて、導入の大切さを改めて知りました。

 ティムバートンの作品は<シザーハンズ>、<スリピーホロウ>をビデオで見ました。それはもちろん、ジョニーデップを見るためです(笑)。ティムバートン作品と意識して見たのは、「ビッグフィシュ」の時からです。

 ジョニーデップは相変わらずうまいですね。この変わった人物を演じられるのは彼だけかもしれません。天才的な才能があるけど、どこか自信がなく、おっちょこちょいで、茶めっけもある。でも、残酷な面もあるわけで、とても複雑な人物像ですね。人が嫌いというのは、最初の工場で産業スパイによって製品の秘密が盗まれて、工場を閉じたからでしょうか?それとも、父親との人間関係がうまくいかず、そのトラウマのせいでしょうか?

 彼の人物像を探る時に父親との関係は最も重要なことでしょう。有名な歯医者で少年の彼に歯の矯正ギブスをはめ、キャンディや飴、チョコなどの甘いものを食べさせません。虫歯の元凶だと思っていたからです。ハロウィンのシーンが印象的でした。アメリカの映画ではよくこのシーンがでてきます。<奥様は魔女>でもでてきました。楽しみにお菓子を持ってきた彼に対して父は、それを暖炉で燃やしてしまいます。きっとこれは氷山の一角、厳しく子供を教育していたと思います。それが、子供としての楽しみを奪っていたような気がします。人間ダメといわれるとしたくなるもの。暖炉に燃え残っていたチョコを一口食べた彼は、すっかりチョコの魅力に取り憑かれてしまいます。

 この映画はベストセラー小説の映画化とか、でも、この親子の関係は本では触れられていないとのことです。

 この映画を子供っぽい漫画の世界と思わない自分がちょっと自慢です(笑)。幻想的でファンタスチックな世界。子供向けの漫画の世界と、この映画を退けてしまう人もいますが、この映画の価値がわかり、認めることができる自分がちょっと素敵です(笑)。<虚と実><現実と非現実><夢とうつつ>。ハイテクの時代になり、この二つはボーダレスになりました。どちらが本当でどちらが嘘か?そんな混沌とした世界を、彼はファンタジーで表現してくれました。

 あんな、おもちゃの国のようなチョコレート工場があるわけがない(私は東京ディズニーランドの「It's small world」を思いだしていました。ここに行った時涙が流れて仕方ありませんでした)そんな否定的な考えから入るのではなく、あんな夢のような世界があっても良いのでは?とか、あってほしいという、素直で純真な気持ちをいつまでももっていたいと思いました。

 5人の選ばれた子供、それぞれに個性が強かったですね。現代に生きる子供の典型的な姿を象徴する5人だった気がします。チョコ大好きの食い意地の張ったデブの少年、資産家の娘で、親に言えばなんでも手にはいると思っている少女。勝たなければ意味がない、負け犬には絶対なりたくないと、自信満々の少女。自分の才能にうぬぼれ大人をバカにしているハイテク少年。そして、家族思いのやさしく謙虚なチャーリー少年。

 チャーリー少年の家族思いには、心が洗われました。きっと、両親の気持ち、思いが伝わっているのでしょう。4人の祖父母を大事にしていること、これはすごいことです。この祖父母がまたいい味を出していました。チャーリー少年を心から愛し、チャーリーも彼らを愛していることがよくわかります。どうしたら、こんな良い少年ができるの?と聞きたいくらいです(笑)。

 そんな家族思いで、良い家族に恵まれているから、あのチョコレート工場を全てチャーリーに譲るという、願ってもない特別賞も拒否ができます。この特別賞、家族と離れて一人で工場に住むことが条件でした。「せいせいするだろう?」そんな言葉がウィリーの口からでます。自分の親子関係を考えると、豊かになり、自分の人生に可能性ができ、さらにうっとうしい家族から離れられる、これ以上のものはないと……。でも、彼は根本的に間違っていました。家族を誰でもうっとうしいと思っていると考えていたこと……。だから、チャーリーの答は想像できないものでした。家族と離れるくらいなら、工場はいらない。お金以上に大切なもの、お金では買えない大切なもの、それが家族でした。それは家族でなくても、愛する人とか大切な人と言い換えても良いですよね。

 この予想外の答えに彼は驚きあきれます。せっかくチャンスを与えたてやったのに、勝手にしろと言った感じでしょうか?でも、それ以来彼のチョコが売れません。彼がチョコを愛することができなくなったからです。きっと、チャーリーの家族を思う心から、自分の父親のことが思いだされ、なにか心に大きな引っかかりができたのでしょう。

 一人では出かけていくことができない父親の家、チャーリーが一緒に行ってくれます。その家で見たもの、壁やアルバムに彼が活躍している新聞の切り抜きが一杯ありました。いかに息子を愛しているかの証拠ばかり、さらに歯の形を見て自分の息子だとわかります。二人の和解に言葉はいりません。逢いに行ったことが全てです。

 最後にぎこちない抱き合い方が、よかったですね。きっと、あのぎこちなさも演技の内、デップは本当にうまいですね。ガラス製のエレベーターのドアに何度もぶつかるシーンがありましたが、本当に自然でした。私も透明なガラス戸にぶつかったことがありますが、あの痛さとともに、恥ずかしかったことを覚えています。だから、デップのリアクションにも笑えました。

 5人の少年を秘密の工場へ招待し、その内の一人に特別賞を与える。この栄誉を射止めた5人の子供と保護者、喜び勇んで工場に行きます。でも、次から次へとアクシデントが起こります。最初の食い意地の張った少年がチョコの池に落ちてしまうシーンで、歌と踊りがでてきます。それを聞いた誰かが、最初からこのアクシデントを予想していたの?と聞きます。それを否定する彼ですが、次から次に起こるアクシデントは、起こるべくして起こったこと、予定の行動だった気がします。自分の夢の工場の後継者にふさわしい子供は誰かと考えていた彼は、彼らの素性や性格、人となりを調べないわけがありません。ふるいにかけるように、それぞれの子供にふさわしい罰が与えられました。

 インターネットに、<一生懸命働くウンパ・ルンパ族はひとり20役でディープ・ロイが奮闘しています。そしてあくまでもリアル感にこだわったバートン監督は100匹のりすちゃんも半年もかけて本物を調教して使っているそうです。>なんて記述もありました。

 チョコを買うお金のないチャーリーは、ゴールドチケットを射止める3度のチャンスがありました。一度目は誕生日の前渡しとしての両親からのチョコ、おじいちゃんのへそくりで買ったチョコ、そして、道で拾ったお金で買ったチョコ。この最後のチョコにゴールデンチケットがありました。3度目の正直といったところでしょう。彼の幸運の始まりです。まず、付き添いたいためにおじいちゃんが寝たきりから元気になります。結果的には、工場の譲り渡しを断りますが、その時から幸運が一気にやってきます。寝たきりの老人が元気になっておきあがり、父親の仕事が見つかり、会社で重要な役割を担います。

 私はこういうシンデレラ物語みたいな、ハッピーエンド好きですね。貧乏が豊かに、努力して出世する。そんな成功物語が心を前向きにしてくれます。<正義は必ず勝つ><努力は必ず報われる>こう思って生きた生きたいですからね。

 ちょっと疑問に思ったことがあります。それは、3度目のチャンスはお金を拾ってチョコを買ったことです。チャーリーは少しの迷いもなく買いました。両親もそれをとがめません。これは、正直者で通してきたチャーリーや家族には似合いません。どんなものでしょうか(笑)?

 このお金、私は神様からの贈り物のような気がしてなりません。それとも、ウィリーが仕組んだこと……?。

 ウィリーが人間不信になったのは、父親とのトラウマ、そして産業スパイによって工場を閉じなければならなくなったことから。だから、新しいチョコレート工場には、人間は働いていません。でも、完全オートメーションではなくて、自然の力を巧みに使っています。唯一信頼できるウンパ・ルンパ(原作では妖精だそうです)も、人間とは言えない、森という自然の一部です。ティムバートンの考え方の中に、自然との共生みたいな考え方があるのかな?と思いました。

 この映画たぶんに教訓的な所がありました。ティムバートンはこの映画から何を言いたかったのでしょうか?子供たちの現状への愁いと、教育の大切さ、それに対する社会なり、親の責任を言っているのでしょう。

 

 

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