蝉しぐれ

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 江戸時代の東北の小藩での世継ぎをめぐるお家騒動。それに巻き込まれる、貧しい下級武士の文四郎と、隣に住む幼なじみのふくとの悲恋。
20年も互いに「思い」を持ち続けたのに、イタズラな運命のために、身分違いとなってしまった二人。身分、家が絶対的なあの時代のこと、それはかなえることのできない恋でした。でもその運命を自分のものとして受け入れ、けなげに生きる二人です。

 互いに強く引かれあっているのに、身分差ゆえに添えない二人。切なくて哀しくて涙が止まらないけど、決して嫌な涙ではありません。それは、癒される涙で満ち足りた気分にさせてくれました。131分とわりと長い映画でしたが、その長さを全く感じさせないくらい、画面に集中でき引き込まれた映画でした。私的には、<たそがれ清平衛>に匹敵するような、時代劇の代表作になると思います。

 ふく役の木村佳乃の透き通りような美しさは侵しがたいものでした。彼女の色の白さと、首から顎にかけての線が綺麗だと思ってうっとりして見ていました。首の細さ、表情を持った首が印象的です。和服がとても似合っていて、上品な奥方を好演していました。

 文四郎役の市川染五郎はさわやかな青年、でも真のしっかりした武士をうまく演じていました。さすがに歌舞伎役者、武士の作法がしっかり身についていて、安心して見ていられます。一人の女性を20年間愛し続ける、純真さがにじみでていました。

 忘れようとしても 忘れ果てようとしても 忘れられなかった この<忘れ果てる>という言葉が新鮮で気に入りました。忘れようとして努力をとことんやったことがうまく表されている言葉です。

 江戸時代の東北の小藩での世継ぎをめぐるお家騒動。それに巻き込まれる、貧しい下級武士の文四郎と、隣に住む幼なじみのふくとの悲恋。20年も互いに「思い」を持ち続けたのに、イタズラな運命のために、身分違いとなってしまった二人。身分、家が絶対的なあの時代のこと、それはかなえることのできない恋でした。でもその運命を自分の者として受け入れ、けなげに生きる二人です。

 互いに強く引かれあっているのに、身分差ゆえに添えない二人。切なくて哀しくて涙が止まらないけど、決して嫌な涙ではなかった。それは、癒される涙で満ち足りた気分にさせてくれました。131分とわりと長い映画でしたが、その長さを全く感じさせないくらい、画面に集中でき引き込まれた映画でした。私的には、<たそがれ清平衛>に匹敵するような、時代劇の代表作になると思います。

 ふく役の木村佳乃の透き通りような美しさは侵しがたいものでした。彼女の色の白さと、首から顎にかけての線が綺麗だと思ってうっとりして見ていました。首の細さ、表情を持った首が印象的です。和服がとても似合っていて、文四郎と久しぶりに欅御殿であった時、文四郎がまだ独身だと聞いた時の首の動きなかなかでした(笑)。

 文四郎役の市川染五郎、さわやかな青年、でも真のしっかりした武士をうまく演じていました。おふくを助けた後、里中家老の屋敷に単身乗り込み、「死に行くものの気持ちがわかるのか」と詰め寄った迫力と演技力は大したものです。また、欅御殿での殺し合いも迫力があり、初めて人を切った時の感じがよく出ていました。

 一番印象に残っているのは、木々のトンネルのような坂道。そこには耳をつんざく蝉しぐれ。蝉しぐれは、暑ぐるしさと喧噪から、何かいやなことが起こる予感を与えます。蝉の死骸に群がるありの群が象徴的でした。あのトンネルはタイムトンネルのように、現在と過去と未来を結びます。

 そのトンネルを大八車に尊敬する父の遺骸をのせて、文四郎が運びます。お寺から引き取って一人だけで町中を通って行きます。その屈辱感、無念さはいかばかりでしょうか?途中町民から水をかけられます。遺骸水、それに何も抵抗できない辛さ。

 やっと村に入って来ますが、力尽きてあの坂を上ることができません。その時、おふくが坂の上から陽炎を伴って表れます。絶対きてほしい、来てくれると思っていただけに、<よかった>と心から拍手を送りました。

 罪人の家とつき合うなと母親からきつく言われていたおふくにとって、勇気と決断のいることだったでしょう。これこそ、恋する気持ちの表現。文四郎もそれを実感したのでしょう。あの時から二人の心は真に一つになった気がします。

 そしておふくが江戸に立つ日、文四郎の家に飛び込み、自分を文四郎の嫁にして欲しいと言いに来ます。でも、そんなこと言えるはずがない。ただ、言えなかったことが後悔として残った。同じように、おふくの元に駆けつける途中にアクシデントで逢うことができなかったことも、文四郎にとっては後悔になった。もし、あの時二人が逢っていたら、何か状況が変わったであろうか?お互いの気持ちを確かめることはできたかもしれないが、運命を変えることはできなかった気がする。それが、あの時代の定めでもある。

 おふくが江戸屋敷で女中奉公をし、殿のお手がつき側室になります。でも、おふくの心の中には、文四郎が住んでいたわけだから、決して心穏やかでいたわけではないはず。でも、主君の意志に逆らうことはできず、文四郎のことを心の奥底にしまって決意をする。それまでには、大きな心の葛藤があったはずです。

 そんなおふくの様子を江戸から帰った与之介に聞いた文四郎。<今夜はとことん飲みたい>と言った言葉に気持ちが表れています。自分の手の届かぬ遠い存在になったおふく、その幸せと栄誉を望む一方、子供が流れたと聞いて安心する気持ち。そんな複雑な心持ちであったのでしょう。

 江戸から子供を産むために、国元に帰ってきた彼女の様子が心配で、彼女のいる屋敷をうろうろしています。その気持ちわかります(笑)。ここに彼女がいると思うと、決して逢えなくても、そこが特別な場所になる。同じ空気を吸っていると思うだけでワクワクするわけです。

 純愛、プラトニックラブ。二人が抱き合ったのは、彼女を助けて元筆頭家老の家に送る時のみ、それも赤子の声にじゃまされます。おふくの<ごめんなさい>という言葉が切ない女心を表していました。後は、蛇にさされた指の手当と、お祭りの花火の時に袖をつかんだおふくの手くらいです。

 おふくを助けてどのくらい時間が経ったのでしょうか?

 大殿がなくなって子供をしかるべき所に養子に出して、文四郎は嫁をとって子供が二人とあるのだから、10年くらいの年月が経ったのでしょうか?殿の菩提を弔うために髪を落として、尼になる決意をします。その最後の未練で、文四郎にあいたいとの手紙を書きます。候文の格調高い文です。自分の気持ちを伝えると同時に、文四郎の立場を考え、無理をしないでくれとの配慮をしています。どこまでも自分をおさえることのできるおふくです。手紙の最後の<文四郎様参る>これは候文による手紙の結びだと思うのですが、趣のある結びです。

 その二人の逢い引きのシーン。

 「文四郎さんの子が私の子で、私の子が文四郎さんの子であることはできなかったのでしょうか」思わず口に出すふくに、「一生の後悔だ」と述べる文四郎。

 忘れようとしても 忘れ果てようとしても 忘れられなかった

 この<忘れ果てる>という言葉が新鮮で気に入りました。忘れようとして努力をとことんやったことがうまく表されている言葉です。

 尼になる前のおふくと別れた後の、ラストのシーン、船の中で聞いた文四郎の蝉の声は<かなかな>(蜩)だったと思います。かなかなは夏の終わりから初秋にかけての夕方に鳴く蝉で、夏の終わりを告げる寂しさを感じさせます。蝉しぐれに始まる、一連の波乱万丈の出来事の終わりを告げているようです。

 父親(牧助左衛門)は、文四郎にとって尊敬できる人でした。洪水から村人を救うなど、武士のメンツよりも弱い立場の人に配慮ができました。だから、家族のみでなく心ある人には慕われていました。でも、派閥争いは世の習い、運が悪かったとしか言えません。父親は義のある人、その人が<何らやましいことはない>と言い切るのですから、彼らに正義があったのでしょう。でも、結局は悪が強すぎたわけです(笑)。

 武士は忠義が第一。どんなバカな主君でも忠を尽くさなければなりません。その矛盾に心ある武士は悩み苦しんだことでしょう。

 父親の切腹以来、どんなに差別され、屈辱的な扱いを受けても、文四郎は藩を脱藩することはありません。自分の許された範囲の中で生きる。決められた状況の中で、精一杯生きることは、ある意味勇気がいるし、強くなければできないことです。二人が駆け落ちなんてことにもなると、全く違った映画になります(笑)。決められた様式の中の二人だから、哀しく切なく人の心を打ちます。愛していれば、奪ってでもということができないこともあるし、できない人もあります。でも、それは愛が足りないわけではありません。

 日本の四季は美しいですね、その美しさをあますところなく描いていました。デジャブという言葉を出さなくても、懐かしさにあふれる風景でした。自分の心に素直に入ってくる風景を見て、なぜなのかと考えて見ると、それは自分が子供の頃に体験した風景があったわけです。それは、日本の原風景であると共に私の原風景でもありました。この映画に限らず、藤沢周平の作品に素直に入って行ける私の前世は貧しい武士だったかも(笑)。はかまの新調もままならぬような……。

 東北の小藩の海坂藩そして養子。これは、HPで知りました。きっと、原作には書いてあったんでしょうね。原作を読めばもっといろいろわかると思いますが、文四郎と同じ道場に通っていた矢田様の奥様が出てきます。3人組が綺麗な人だと噂をしていますが、私は彼女がもっと絡んでくると思っていました(笑)。文四郎の憧れの人、なんて設定は不謹慎ですよね(笑)?矢田も同じ謀反の罪で切腹ですが、ござを引いて夫の切腹を待つ彼女の痛々しい姿がありました。まさか、その哀れさを見せるだけの存在だったわけではないでしょうね(笑)?

 あの場面では、大滝秀治の熱演が光っていました。家族の怒りの代表みたいな感じで発言をしていましたが、わたし等もちょっとやり方が理不尽過ぎると思っていたから、スカッとしました。大滝秀治に限らず、緒方拳とか原田美枝子、田村亮とかいい味を出していました。

 この小説には「秘剣村雨」が出てくるとか?映画でも父の遺言に従って剣の道に精進した文四郎が、御前試合をすることになります。そこで、対戦した相手が妖術を使う秘剣の持ち主。相手の姿に惑わされその時は負けるのですが、師匠から<心の眼で見ろ>と教えられます。それが再度の戦いの時に役に立つのですが……。

 欅御殿で里中一派と戦う文四郎の戦いは結構迫力がありました。人を切るとはあんな感じなんでしょうね。簡単に切れるわけではないし、恐怖のどん底、足がすくんだり、腰が抜けるのが当たり前です。人を切るたびに強くなっていく姿がよくわかりました。しないから生きた剣を使えるようになり、心眼で相手の動きを見れるようになります。

 

 

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