佐賀のがばいばあちゃん

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 8月26日(土)に半田コロナで見てきました。8時半からの映画でしたが、中年の夫婦を中心にして結構入っていました。

 原作は島田洋七の子供の頃の自伝。それがベストセラーになり映画化されました。

 彼は、広島県広島市の出身で、島田洋八と組んだ<B&B>は第一次漫才ブームの火付け役となりました。彼らのギャグ「もみじまんじゅ〜う」は一世を風靡し、広島の紅葉饅頭を全国区にしました。

 第一次漫才ブームは、今から25年前、1980年頃です。その時、世に出て、今、お笑いの世界で活躍しているメンバーが多数いました。ツービート(ビートたけし)、紳介・竜介(島田紳介)、ザ・ぼんち、コント赤信号、明石家さんま、B&B等です。

 昭和32年、戦後間もない広島。原爆症で夫を亡くし、女でひとつで居酒屋をして、息子二人を賢明に育てる母。 でも、下の明広(島田洋七)は7歳、こんな環境では良くないと、一大決心をして、佐賀に住むおばあちゃんの元に、この子を預けます。このばあちゃんががばい(佐賀弁ですごい)ばあちゃんで、だんだんと、そして強い影響を明広に与えて行きます。

 がばいばあちゃんは、夫を43歳で亡くし、その後7人の子供を立派に育て上げます。今も、掃除婦をしていて58歳です。この役を、吉行和子が実にうまく演じていました。感動ものだとどうしても演技が臭くjなるもの、それを自然に自然に演じて、こちらにも自然に入ってきました。この映画は彼女に尽きますね。

 洋七の子供の頃の感動の体験を描いた実話。私の体験と重なることが多くて、最初から涙。後から調べたら、彼は昭和25年の生まれと私と同じ。だから、ぴったしの一体感を感じたのでしょう。

 貧乏だけど、貧乏に負けていない。堂々と生きている、がばいばあちゃんがまぶしかった。彼女は、映画の中でいろいろな名言を言っていたけど、 

 「悲しい話は夜するな。どんなにつらい話も、昼したら大したことない」

 「うちは明るい貧乏やけん、よかと。しかも先祖代々、貧乏だから自信ば持て」

の二つは特に印象深く残っています。

 私的には、星は☆☆☆☆(4つ)です。50代の方には、特にお薦めです。ただ、やっている映画館が少ないのが玉に瑕です。3丁目の夕日と似たような、なつかしい感じを受けます。

 

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